二代目恋川純 、取材後記

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7月、三吉演芸場で公演中の、桐龍座恋川劇団の、夜の稽古を見学させてもらった日があった。

翌日の芝居と、舞踊のフォーメーションの確認。照明を落とした仄暗い舞台の上で、座長を中心に粛々と進む稽古を、舞台の袖から子役恋川桜奨が嬉しそうに見ていた。膝を抱えてまっすぐ見つめるその先には、父である二代目恋川純がいる。

翌日の芝居「座頭市子守唄」は、桜奨くんも大事な役で出演する。そのための舞台稽古でもあり、住まいのある大阪から、横浜の三吉演芸場にやってきて、おそらく久々に見る舞台のうえの父の姿だろう。

インタビューのなかで二代目恋川純は「(息子は父である僕のことを)自分の体の一部のように思っている」と話した。父に憧れることと役者に憧れることは、桜奨くんにとって同じ意味を持つ。

生まれたときから役者の子。二代目恋川純もそうだった。刀も扇子も、気がつけば当たり前のように身の回りにあって、立ち回りも大好きだったという。大人にまざって達者な刀さばきをする恋川小純は、さぞ可愛かったことだろうと想像する。まっすぐで愛嬌のある大きな瞳は、おそらく子どものころから変わらないはずだ。

しかし、好きな気持ちだけを携えて、今日まで順風満帆に来たわけではないことは、インタビューのなかでも触れている。

「あとにも先にも、役者をやめようと思ったのはそのときだけ」という、13歳のときの出来事。劇団を出て行こうと、ボストンバッグに荷物を詰めて出てきたところを父親に呼び止められ、からくも踏みとどまった場面は、まるで映画のワンシーンのようだ。

「自分はここしか、生きていくとこないな」と思ったというその言葉は、あきらめではなく決意だ。役者の子に生まれて、当たり前のように舞台に立ってきた子供時代を卒業して、その瞬間にもう一度、恋川小純は自分で役者として生きていく人生を選び取ったのだ。

それからの努力の日々は、いまの爆笑に次ぐ爆笑の舞台が、決して一日にして成ったわけではないことを物語る。多感な10代の、ままならない日々があったから、二代目恋川純のいまがある。

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