第1回 芸道60年、今年48歳です

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舞踊ショーも終盤にさしかかった頃、客席後方からふと後ろを見上げると、天使の羽を背負った里見要次郎が、いままさに宙吊りになろうとしていた。(え?!要ちゃん?)。驚きとともに、こみあげるおかしみ。まだ観客の多くは舞台で繰り広げられる舞踊ショーに集中しており、天使の要ちゃんが背後に控えていることに気づいていない。その隙を狙って、一瞬暗くなった場内にスポットライトが当たると、そこに滑り込む宙吊りの天使。客席は悲鳴にも似た歓声と拍手に包まれた。こんなにも天使が似合う62歳がいるだろうか。

「すんごい、コワかった」と口上で連呼。実は命綱もつけてい
なかったというから恐れいる。

この日は、「里見要次郎芸道60周年記念公演」(2025年3月21日 兵庫県・ほんまち明石三白館)。芝居のあとの口上挨拶では、「2歳半で初舞台を踏んでから60年、今年48歳です」。表情ひとつ変えずに次々繰り出すボケを交えながらの軽妙な口上。しかも里見要次郎はタッパがあって声がいい。姿がよくておもしろいという、モテる男子の王道を歩いてきた。男子としてだけではない、もちろん役者として。芸道60年、18歳で座長になってから、今年44年になる。

ゆるゆると地上に降り始め、安堵の深呼吸がうっかりかわいい。

いま第一線で活躍する40代の座長世代に、大きな影響を与えてきたと言われる役者のひとりだ。電飾の着物を本格的につくって流行らせたのも、里見要次郎だと聞く。いまでは大衆演劇の世界で当たり前のようにやっていることを先駆けた、伝説の役者でもある。

「久しぶりに、羽、出しました」

ラストは舞台から天使がお見送り。

里見要次郎を最初に見たとき、そこは小さな劇場だったのだが、いや小さな劇場だったからこそ、後ろの扉が開いて歌いながら客席のなかを舞台に向かって歩いて行くその姿に、お腹を抱えて笑った。ただそれだけなのに、そのインパクトがすごかった。手に持つマイクに、小ぶりの造花が添えられているところが秀逸だった。つまり、大御所歌手がディナーショーあたりでやりそうなことを(その場合は造花ではなく生花だろう)、その小さな劇場で大まじめにやることのシュールさを、里見要次郎はわかっている。しかも歌が上手いから、よけいに笑えるのである。上等なパロディになる。パロディにしているのは、ディナーショーなのか大衆演劇なのか。ちょっと人を喰ったようなその感じが、小気味よかった。どこまで本気でどこまで冗談なのか、よくわからない里見要次郎との正しい出会い方だったような気がしている。ちなみに、ディナーショーを最初にやった大衆演劇の役者も里見要次郎だという。

舞台の幕に映し出されて突然始まる、芸道60年を振り返るスラ
イドショー。

言うまでもないが、かわいかった頃の要ちゃんである。

食い入るようにスライドショーに夢中
になっているところへ、歌う要ちゃんがお約束のスタイルで登
場。どっちを見ていいのかわからない!という斬新な構成。

〽︎この坂道をこれからふたりで歩こうか〜🎵
数ある持ち歌のなかから「感道」「雪が舞う」の2曲を熱唱。要ちゃ〜ん、の掛け声で客席の熱気も最高潮。

現在、里見要次郎は里見劇団進明座の総座長であり、関西大衆演劇親交会会長をつとめる。記念公演に集まった役者は皆、里見要次郎の弟子もしくは、里見劇団進明座で初舞台を踏んだ役者たちだ。現劇団座長ほか、すでに進明座は卒業して自分の劇団を立ち上げた座長、かつて座員だった親に抱かれて、抱き子として初舞台を踏んだ役者まで。これまで見送った弟子は70人近いという。親兄弟や親戚といった家族を核に劇団を構成している大衆演劇界には珍しく、里見劇団進明座は身内ではなく、全員が師匠と弟子という関係で繋がっている。

右から、花柳願竜(花柳劇団座長)、大和一也(劇団昴星)、幸二郎、里見直樹(里見劇団進明座座長)、寿翔聖(劇団寿座長)、花柳竜乃(花柳劇団若座長)、沢村千代丸(千代丸劇団座長)、要正大(劇団正舞座座長)、都祐矢(劇団武る)、二代目香賀峰子(花柳劇団花形)、里見龍星(里見劇団進明座座長)。写真に映っていないが、司会は里見祐貴(里見劇団進明座副座長)

ゲストに招かれた役者が紋切り型の祝辞を述べるのではなく、主役であり祝われる側の里見要次郎がひとりひとりを紹介するという趣向もふるっていた。最古参は親の代からの付き合いという花柳願竜。「僕が8歳、願竜座長が10歳のときから。うちの劇団を卒業して50年になります」。ほかにも、沢村千代丸については「役者になるときに父親(初代沢村千代丸)から、里見要次郎のとこへ行けと言われて、うちに居た時期があるんです。やってきた初日に財布を落とした男です」。都祐矢について「祐矢くんは、お父様(三条すすむ)とお母様が大阪の鈴成り座のオーナーで、もともとあの鈴成り座をつくったのが僕のパパ(初代里見要次郎)。当時は鶴見グランドと言いました。そんなご縁でうちで初舞台を踏みました」などなど、全員に里見要次郎だから語れるエピソードがある。縁もゆかりもあってこの日、ここに居る役者ばかりだ。

上演した芝居は「中山峠 恋のまほろば」。20年前、新歌舞伎座で三日間、座長公演をやった時に上演した演目だという。

「昔、親父がね、いい芝居だから、これをお前にやらせたいんだって言ってた芝居で。その2年後かな、親父はその舞台は観ないまま亡くなったんですけど、親父が亡くなって15年後に、僕の夢でもあった新歌舞伎座で上演した思い出深い芝居です。今回60周年なんで、どうせならと思ってこの芝居にしました」

原案は「どさ帰り 中山峠」。それを元に里見要次郎自身が脚色した。勧善懲悪な時代劇とはひと味違う、どんでん返し続きの股旅ものだ。

「僕も好きな芝居のひとつなんです。全員が全員悪いヤツって、なかなかないでしょう?」。たしかに全員、え?この人も悪者だったの? という展開なのだが、悪の道に身を沈めるしか生きる手段がなかった嘘で固めた人生でも、淡く抱いた恋心だけは本心だったのかもしれないと、ちらりと思わせるラストが切ない。

「新歌舞伎座で上演した時は、大衆演劇の役者はうちの劇団の座員だけで、あとは僕の知り合いの商業演劇の役者さんたちに出てもらいました」。立ち回りだけで60人ほども舞台に上がった大掛かりなものだったという。ちなみに、「里見要次郎芸道60周年記念公演」は、6月20日(金)にゆかりある大阪・鈴成り座でも開催予定だが、こちらは全く違うメンバー、内容で上演するという。人脈の幅広さがうかがえる。

鈴成り座での記念公演上演メンバー。

大衆演劇の外の、芸能の世界とも多くの繋がりを持つ。それはなぜなのか? 記念公演が終わって、後日、インタビューをお願いしたのだが、聞いても聞いても、里見要次郎の人生は盛りだくさんすぎて把握できない。そんな把握できない人生のあれこれは次回から。

(インタビュー 2025年4月17日 岡山後楽座)

(第2回につづく)

取材・文 佐野由佳

今回紹介した「里見要次郎芸道60周年記念公演」(2025年3月21日 兵庫県・ほんまち明石三白館)のダイジェスト動画は以下のリンクから視聴できます。

芝居「中山峠 恋のまほろば」

舞踊名場面集

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