第3回 大衆演劇と歌舞伎のはざまで

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師匠である勘三郎を失った次の年、鵣汀は座長を襲名することになる。選んだ演目は『伊達の十役』。市川猿之助、澤瀉屋が得意とする早変わりが見せどころの歌舞伎。大がかりも大がかり、とんでもなく大変な芝居だ。

「石川五右衛門、お染久松、土手のお六……と、十役全部やったんです。二枚目とされる役、悪人とされる役、娘役、悪女、いろんな役をこなせる役者だからこそ座長になれるという意味で選びました。幕開けでマイケル・ジャクソンを6曲くらいメドレーで踊ったんで、襲名やったんですけど、僕、ショーの個人は2曲しか出てないんですよ」

20歳の襲名のときの助六。瞳がキラッキラ。

たった2曲では、お花、お花で踊れなかったのでは、とたずねると、

「なんで、お花はお見送りのときにしてくださいって。踊りの邪魔されるのイヤやったんで。いただいたお着物もほぼ着ませんでした。あの、襲名ってお花もらうためにやるわけじゃないんで。襲名を稼ぎ時と考えるのか、観てもらってから値打ちを付けてもらうかの違いですよね。もちろん、ご祝儀はいただきましたけど、そんなことより襲名というものを真摯に考えてました。今もそう思ってます。踊りは古典の『助六』にしました。舞踊の先生に勧められたというのもありましたけど、歌舞伎のいちばん永いお家の成田屋さんが襲名のときにやってはるんで、やってみようと思ったんです」

助六のかつらは「まさかり」という特殊なもの。

「大衆演劇のかつら屋さんにはどこにもなくて、某歌舞伎役者さんに紹介していただいて、関西でも老舗中の老舗のかつら屋さんに行ったんです。台金を見ただけでヤバいッ。欲しくて、本当に欲しくて、買いますって言ったら、『助六のまげだけで東京ドーム買えるよ』って(笑)」

襲名に向けての神妙な心持が伝わってくる。

「かぶり方も全部教えていただいていたのに、当日、親方さんがわざわざ梅田呉服座まで来て、じきじきにかつらをのせてくれたんです。東京ドームは冗談にしても、結局、買ってない、レンタルやのに。僕は聞いてないんですけど、ずっと袖で観てて、『なんでこの人は歌舞伎役者にならへんかったんや』って言うたらしくて。で、わざわざ押隈(おしぐま)のセットも持ってきてくれはって、押隈もぜーんぶしてくださって」

押隈というのは、舞台が終わった直後の顔に布をあてて、隈取を布にうつしたもの。汗で隈取が滲んだ様子がリアルに残るので、熱演の舞台がじかに感じられる。

「おばあちゃんにあげたくてやったんで。襲名は1日だけだったんで、1枚しかない。何日もするもんじゃないんで、襲名は」

助六の押隈は、勝龍治総帥の妻、鵣汀の祖母の部屋にいまも大事に飾ってあるという。

「えぇもん見せてもらったわ」という言葉を残して親方は帰っていった。親方が鵣汀の舞台を観たのは襲名の日が初めて。打ち合わせのやり取りだけで、親方は心をつかまれてしまったのだろう。鵣汀の舞台にかける想いが周りの人たちを本気にさせ、結果、舞台がいいものになっていく。時代劇のかつらは、今もこのかつら屋さんに作ってもらっている。色気があって、仕上がりがまったく違うという。

この助六が鵣汀を勘三郎ショックから立ち直らせてくれたのかもしれない。  

「いうたらへんですけど、歌舞伎のスイッチがちょっと入っていくんです」。

その後、鵣汀版と銘打って様々な歌舞伎を手がけていく。

体のラインまでもが与兵衛そのもの。ダメすぎる男なのに、どこか憎めない。

『女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』の主人公、与兵衛は白塗りが普通だが、昨年、三吉演芸場のときは肌色のまま演じた。

「世話なやり方でやってみたかったんです。仁左衛門さんの型でやると、色白で男前で色気もあって、金がなくても女がついてくるんですよ。白塗りにしないで、そこまで男前じゃない奴がやったほうが話の筋に合うんですよね。なんか憎めない奴っておりますやん。こいつアホやなあって、与兵衛ってそれなんですよ」

いつでも誰かがなんとかしてくれると思っている。
どんな嘘をついて親から金を巻き上げようかと考えている。たくらむ顔になっても品を失わない。

近松の原作をもとに、山根演芸社の山根大社長が書いた『餓鬼を宿した男』という芝居。筋はほぼ一緒。

友だちを助けるためという嘘がバレて居直る与兵衛。えげつなく責め立てる義理の母親役の晃大さん。指先までえげつない。

女郎屋の借金取りに追われていることを重々承知している父親がお吉を訪ねてきて、与兵衛に渡してやってほしいと金を預ける。そのやり取りを軒下でこっそり聞いてしまう与兵衛。去っていく父の背に手を合わせ、頭を下げる。じつは真っ当な心を持っていながら、というところをていねいに描く。

お吉の店先で、これまでとフェーズが変わる与兵衛。
ダメダメな与兵衛だが、義理や恩を忘れたわけではない。まっとうな人間でありながら、という芝居のキモになるところ。

「最後の綱なんですよ、お吉じたいが。そこしかない。それなのに、お吉にブワーッと説教されるとほんま子どもなんでムカッとする。あの時、お吉に義理の母、お沢を重ねてるんです、僕の解釈では。もうあかん、このまま借金返されへんかったら殺される。どうしよう、誰も助けてくれへん。俺が悪いんか? いや違う。そこに親が持ってきた金があるのに渡さへんお吉が悪い!」

歌舞伎では義理の仲は父親のほうだが、今回の設定では母親のほうが後妻で義理の仲。何かと皮肉な物言いで与兵衛を追い込んでいく。もうひとつ歌舞伎と大きく違うのは、家を出ていくとき、与兵衛が妖刀を持っていくところ。「カネはカネでも、怖いカネか」と、つぶやく。お金のカネと刀の鋼のカネがかかっている。

「妖刀と言われる刀を抜いてしまったからおかしなったんやと自分で自分に言い聞かせてるんです。言い訳、逃げ道なんです。刺すつもりはないから行灯を消す。刺すつもりはなかったのに、木戸を開けてお吉が逃げようとするから刺してしまう。で、油ですべることで、だんだん慌ててしまう。逃げられたらどうしようどうしよう、で、殺しちゃう。最後のナレーションはじつは台詞だったんですけど、どうしても言えないからナレーションにしてもらったんです。『金のためか? 違う。女が憎うてのことか? わからん。わからん、わからん尽くしや。ここはどこや。恵美須やと思うたら、六道の辻か。ここが六道の辻ならば、この金は施餓鬼(せがき)の金か!』」

「与兵衛は半狂乱になるんですけど、戻るんですよ。『地獄の果てや~』でチョーンとなったときに人間に戻るんですよ。さーーーーって戻って、自分のやったことに気づく。やってもうたー、どないしよーってなるんです。自分の中の悪い部分が出かかるんですよね。あかん、ここにおったらあかん、っていうので逃げる」

どういう心理で芝居をしたのかをたずねることほど無粋なことはないのだが、そんなことは全く気にせず、鵣汀は与兵衛の心情をよどみなくしゃべり続けた。インタビューというより、目の前に与兵衛がいるようだった。鵣汀が与兵衛について考え、深く理解したからこそ、あの日の与兵衛を観ることができた。鵣汀が頭で描いた与兵衛という男が鵣汀の身体に染み渡っていく過程を見ているようだった。鵣汀は芝居がうまいと、ひと言ですませるわけにはいかない。言葉にならない思いがあふれてきたのは、鵣汀のなかに与兵衛という男がぎっしりと詰まっていたからだ。生まれつきうまいうえに、努力を惜しまない。いや、生まれつきうまいからこそ、努力ができるのか。それこそ、師匠である勘三郎から受け継いだ、何よりの財産にほかならない。

この貫禄に、この愛嬌。「イヨッ、中村屋~ッ」とかけたくなる男っぷりのよさ。

勘三郎ゆかりの『神田祭』を三吉演芸場で観ることができた。歌舞伎では『お祭り』という。「待ってましたッ」というかけ声がかかり、役者が「待っていたとはありがてぇ」というのが復帰の舞台にふさわしいということで、勘三郎も仁左衛門も大病から戻ってきたときに踊った。

鵣汀の『神田祭』は圧巻だった。決まり、決まりの形が美しいのはもちろんだが、決まりから決まりへの動きが見事。決まりと決まりの間を退屈させない。特に、見得をするときにたっぷりと間をとっていく、その動きのおもしろさといったらなかった。左脚で全身を支えながら、めいっぱい上げた右脚をゆっくりとおろしていく。やわらかく、それでいながら粋でスッキリと。すごかったと言うと、ぼそっと「納得してないですけどね」と言う鵣汀。確かに、もう少し勢いが感じられてもよかったかもしれない、とは思う。でも、ふだんの舞踊ショーで踊る踊りとは神経の使い方が全く違うはず。歌舞伎舞踊をこれだけ踊ることができる大衆演劇の役者を観たことがない。こしらえも、大衆演劇の太いアイラインではなく、歌舞伎を意識した化粧だった。

「中村屋(勘三郎)は紅を引くんです。仁左衛門のお兄さんは紅じゃないんです。朱というか、こげ茶かな、引かはるんです」

夢中で話す鵣汀の口から、仁左衛門のお兄さんという言葉がもれても、なんの違和感もない。古典をやるときは化粧を薄くするように意識しているのかと聞くと、

父・津川竜が鳶頭のときは、鵣汀と祀武憙が両サイドで芸者に。父は白塗りをせずに踊っていた。

「んんーん、ていうか、歌舞伎に完璧にしてしまうと大衆演劇のお客さんにとってはしんどいんじゃないかなって。僕がやってる化粧って、歌舞伎と大衆演劇の間なんですよね。歌舞伎は目元に黒は使わないんですよ。白塗りの時は、ほぼ紅だけなんで。僕が黒を入れてるのは大衆演劇のお客さんでも見やすいようにっていうことで、自分で考案したんで、歌舞伎の化粧にも見える、かつ、大衆演劇のお客さんも見れるというものにしなければならないということでやったんで」

鵣汀は形式や慣習にとらわれない。何をどうするのが客にとってベストなのかを自分の頭で考える。歌舞伎をよみがえらせることができるのは、なんでもありな大衆演劇の世界に身をおく鵣汀のような役者なのかもしれない。歌舞伎と大衆演劇のみならず、あらゆるエンタメをボーダレスにとらえて、チャレンジしていってほしい。少年のころ、大衆演劇の中村勘三郎になると決意した鵣汀が、その言葉のままに、大衆演劇の未来も歌舞伎の未来も背負っているのかもしれない。

第4回に続く!
(2023年11月28日、12月7日 三吉演芸場にて)
   取材・文 カルダモン康子

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