「都若丸」を考えることは「大衆演劇」を考えることである。文・山根演芸社社長 山根 大

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 BTS(防弾少年団)というグループがある。ご存知か?

 ……怒って物を投げつけないで下さいね。

 拙文をご覧下さる中にも、ファンの方は、それは数多おいでに違いない。そういう方にとっては論外な物言いだろうから。

 しかし、そこが老婆心、私ごとき時流に疎い向きもおいでだろうから一応ご紹介する。

 彼らは韓国産の歌謡グループだ(歌謡グループという言い方が、またまだるっこしいが)。昨今はKOREA産のポップスソングはKポップと総称されるから、早い話がKポップのグループのひとつである。

 ここ数年、劇団のラストショウあたりで

 ♪チャチャラチャラチャラチャッチャッチャ!♪

 てのをよくお聴きになると思うが、あれは韓国の曲なのだ(日本ではクレイジーケンバンドもカバーしているそうだ)。これも厳密なところは本国において日本でいう「演歌」に近い扱いらしいけど、まぁ、私としては韓国産歌謡なのでKポップと言いたい(ちなみにあれは「無条件(ムジョコン)」という曲です)ところだ。

 しかし、これまたBTSのファンからはお叱りを受けるかも知れない。

 それもそのはずで、当のBTSの人気は国際的であるばかりか、アメリカのBillboardチャートで首位を獲得(つまり売り上げベスト1)し、世界でも最も権威ある音楽賞のひとつ、グラミー賞を受けることも確実視されている、アジアで初めてのグループなのだ(個人的には受け入れがたい評価だが「第二のビートルズ」とさえ言われている)。すなわち現代文化にあって最先端を行く存在と言える。だから、あれやこれやと一緒にしちゃいけない、という訳だ。

 前置きがすごく長いが、今回のお題である都若丸とBTSにはある共通点がある、と、私は思っている。

 それは、ファンの「質」だ。

 BTSのファンはARMY(アーミー)と呼ばれており、あらゆる人種を超えているのだが、彼ら彼女らには大抵の芸能ファンたちが宿痾のごとくに抱える「私だけの○○」という感情、つまり独占欲、が薄いように感じられる。ARMYはBTSを皆して支える存在であり、集団としてBTSに寄与し、高めようとしている、ようなのだ。

 そのファン気質が、「我らの若ちゃん」を支える都若丸のファンの方々と、似ている。

 ここがポイントだ。

 「我らの若ちゃん」。「私の」ではない。

 大衆演劇、旅芝居はそもそも演者と観客の距離の近さを最大の特徴とするから、殊更にファンの方の独占欲を喚起するところがある。

 例えば、日本国にあっては無残にも「後期高齢者」と呼ばれる年齢の女性が、客席に入る前には化粧室で紅を引くという。そして、座長が「面を切った」時、その視線は自分に向けられている、と確信する。その時、彼女にとっての「私の座長」が誕生するのだ。

 残念なことに、観客層が分厚いとかパイが大きいとは言えない旅芝居の世界で、観客同士の諍いや派閥化の絶えたことがないのは、そうした理由によるところが大きいと思われる。

 ところが、都若丸劇団はそうではない。

 それも、今に始まったことではなく、都若丸が座長になった当初からだ。

 現在でも実際にあるのだが、都劇団の公演予定が発表され、前売り券の発売日になると、酷暑の夏と言わず、厳寒の冬とも言わず、その前夜から劇場前で列を成す人たちが現れる。もちろん、チケットを求め、席を予約するためだ。

 若い人ばかりではない。身体を削ってのことと言っても間違いではない行為だ。

 もう二十数年前のことになるが、そういう方にお尋ねしたことがある。「どうしてそこまでするのか?」と。

 こういう答が返って来た。

 「若ちゃんのためならエーンヤコラ、や」

 と。

 これは劇団数多しと謂えども、都劇団にほぼ特化した現象である。

 「あの人に、今並ぶ人はいないんじゃないですかね?もちろん、自分たちも同じ舞台に立っているから負けないように頑張るんですけど…」

 彼自身、間違いなくトップの一角を張っているある座長が都若丸を評してこう言った。

 その座長率いる劇団も、屈指の人気を誇っていることは確かなのだが、そう言わざるを得ない何かが都劇団にはある。

 同じように人気があり、集客ができるとしても、観客のベースが底堅く、分厚いことにかけて、都劇団の力は間違いなく図抜けているからだ。

 それが、「我らの若ちゃん」を支える観客層である。

 彼ら(男性が非常に多いことも特徴の一つだ)彼女らは、言ってしまえば都若丸のファンであって、旅芝居というジャンルのそれではない。つまり、他を観に行かない。浮気をしないのだ。それがBTSのARMYよろしくまず存在して、そこに一般の旅芝居の観客が加われば、自然と他とは異なる動員となる。当然、一見からはじまって、都のARMYとなる人もいるだろう。コアな支持層を失望させることなく、新しい観客を取り込む。

 強いに決まっている。

都若丸、最強。

 誰もが認めるべきことだと私は思う。

 それを認めた上で浮かび上がる問いがある。

 なぜ、都若丸一人がそれをなし得たのか、という問い。

 都劇団の公演構成を一見すると、他の劇団と大きな差異があるようには見えない。

 通常公演であると、ミニショウがあってお芝居があってグランドショウがあってという進み方も同じだ。

 プログラム個々のクォリティの話を脇において考えるなら(勿論のこと、そこに大きな魅力があることは申すまでもあるまい)、細かに違いが見えるところは、こと改めての「口上挨拶」以外に「トーク」が重視されていることと、もう一つは終演後の所謂「送り出し」である。

 いや、そもそも「送り出し」という言葉を、都若丸は使っていない。

 「お見送り」と言う。

 「口上挨拶」とは異なる「トーク」。「送り出し」ではなく、「お見送り」。

 この違いは、実のところ言葉の表面で見るより遥かに大きいのではないか?

 当稿のタイトルを

 「都若丸を考えることは大衆演劇を考えることである」

 とした理由の一つはここにある。

 大衆演劇、旅芝居の最大の武器、融通無碍に観客の懐に飛び込む術を、都若丸ほどに心得ている役者は他におらず、その分かりやすい表れが、「トーク」と「お見送り」だと私は思っているからだ。

 「口上挨拶」と「トーク」の違い。

 前者は舞台の上からの一方通行である。時候の挨拶から時事の話題へと及びながらも、その目的は次の日以降の公演内容の告知であり、宣伝ということになる。ここに意識を働かせて観客との意思疎通の場としている役者は確実に伸びる存在だと思うが、都若丸はそれを一歩進めた。

 「トーク」、と言っても客席と言葉を交わすわけではない。舞台上で、副座長以下、座員たちと話すのである。テーマは様々にあるが、当然、それが楽屋話の延長という訳ではない。必ず笑いを交えて、当意即妙な会話であり、間違いなくひとつの「芸」になっている。そして、それを聞いていると一座の和やかな雰囲気が客席に伝わり、更に不思議なことに、観客であるはずの我が身も、都劇団の一部になったかのような思いを抱くことになる。

 都若丸の「トーク」は一座と客席を包摂して、ひとつの「ファミリー」としてしまう「仕掛け」なのだ。当然、公演の細かな予定のようなことは後回しになる。

 少し脇道に逸れて、先に言ってしまうと、どの劇団でも必ずしている公演内容の事前告知(劇場表やロビーに掲示するもので、「書き出し」と呼ばれる)を都劇団は一切していない。

 逆に言えば、特別に構えた公演(誕生日公演など特別な公演日はあるが)はしないし、ゲストを招いての公演もしないのである。

 これは見事なまでに現在の旅芝居公演の主流の「裏張り」だ。

 このことについては後で改めて考えてみようと思う。

 さあ、観客であるあなたはトークを挟んだ楽しい公演を観終えて帰路に就くのだが、そこで、もう一度都若丸の魅力を確認することになる。それが「お見送り」だ。

 役者が舞台姿のままで劇場のロビーか、多くは劇場表まで出て、帰りのお客様に挨拶をする。一般的にはこれを「送り出し」と呼ぶ。観客が舞台上の役者と直に触れ合えるこの一場面を、旅芝居公演最大の魅力と考えておられる方は少なくあるまい。ここを疎かにする役者は、遅かれ早かれ凋落する。だから多くの者はこれを公演の締め括りと捉える、はずだ。

 そこで「送り出し」と「お見送り」の違いになる。

 観客が一人一人座長の前を通り、言葉を交わしたり握手したり、場合によっては写真撮影をしたりする。これはいずこの劇団でも同じルーティンで、手順自体は都劇団も他と変わるところはない。

 では何が違うのか?

「細やかさ」が全く違う。

 劇場公演の場合、昼の部が終わって夜の部が始まるまでの休憩時間は90分ほどで、一座の者はその間に遅い昼食を摂ることになるし、場合によっては仮眠をしたりして次の開演に備える。役者の本音はその時間を削っての「送り出し」は、手早く済ませたい、であるはずだ。夏の暑さ、冬の寒さも化粧を落とさない身には堪えて当然だろう。

 ところが、都若丸はこれに1時間は間違いなくかけている。

 それでなくとも観客数が多い上に、その一人一人に座長自らしっかり声をかけ、言葉を交わしているからだ。

 ご自分が「分かったお客」であると自認する方は、疲れているだろう座長の負担を軽減したいという気持ちがあって、行列の向こう側をそっと抜けようとするだろう。

 都若丸は、それを見逃さない。

 遠くから

 「もう帰るの?」

 と声をかける。

 誰しも、好きで観に来ている。だから、これが嬉しくない人はいないだろう。

 ゆえにこそ、「お見送り」なのだ。「送り出し」の主人公は役者、「お見送り」のそれはお客様。この違いをかみ砕ける役者、座長がどのくらいいるだろうか?

 都若丸が凄いのは、舞台の上にいる時には、客席全体を「塊」として捉えて一方向へとひっぱり(つまり観客を一つの雰囲気……ファミリー感……でまとめあげる)、舞台を下りた時には観客一人一人を「個」としてケアしているところだ。別な言い方をすれば、ファミリーとなった幸せを「お見送り」で保証している。つまり、そこにいる限り、誰しもが特別な存在として遇されるのだ。

 観客として、これにハマらないでいることはかなり難しいに違いない。

 では、この方法論は百戦百勝の「完全将棋」で、これさえ実行すれば誰もが都若丸と同じような結果を出すことができるのか?

 やってみる価値はある。少なくとも確実に観客動員は上向きになるだろう。

 しかし、それで都若丸を凌げる可能性はゼロだ。

 なぜなら、創始者本人ほど、これをうまくやり遂げられる者は存在し得ないからである。

 その理由は、才能と資質の両面に見ることができる。

 これも、「トーク」と「お見送り」の中に既にそれが見て取れるのだ。

 「トーク」の中で観客の「風向き」を読み、それを捉えた上で楽しませる(決して一人よがりにはならない)センス=才能、そして、どんなに疲れていようとも「お見送り」の手を抜かない資質。

 これら両要素のレベルが非常に高く、しかもそれを維持している。

 困難なことに違いないが、それを可能にしているものは一体何なのか?

 恐ろしくストイックな、日々に対する姿勢だ、と私は思う。

 私どもが役者さんと膝詰めで話そうと思えば、夜の終演後に一席設けでもしない限りは、昼の部開演前か、夜の部の前の休憩時間に楽屋を訪れるしかない。

 都若丸について言えば、夜の部の前が「お見送り」で手一杯になることは先に記した通りなので、昼の部の開演前を狙うのだが、実を言うと殆ど会えない。開演前に必ずジョギングかウォーキングをして体調を整えているからだ。楽屋に帰ったら、すぐ化粧にかからないと開演に間に合わなくなる。この「日課」は四季を通じて変わらないのだ。こんな役者は寡聞にして他に知らない。仕事に向かい合う意識が桁違いであるとしか言えない、と思う。

 都若丸に嫉妬する者は多い。

 しかし、嫉妬という感情は「自分にもそれが出来るはずのことを出来ないでいる者が、それを実現している者に抱く感情」である。その場合、前段の条件に当たる部分、「自分にもそれが出来るはず」を検討してみる必要がある。

 結果の話ではない。その結果を生み出すためにすべきことを考えて、はじめて「嫉妬する権利」が生まれる。

 自分は、本当に、都若丸と同じように、粉骨砕身の努力が出来るのか?

 それを為そうともしないで、結果に対してだけあれやこれやと言うとすれば、それはただただおこがましいだけだ。

 私は最近、とみにそう考える機会が増えたのだが、旅芝居を全体として「劇界」と見ることには無理がある。

 システム自体、かなり大雑把にまとまっているとは思うが、実際には個々の劇団と公演先、一回一回の公演があるだけで、ひとつの世界であるとはいえない。

 それでも、敢えて「劇界」という言葉を用いるなら、それは「都若丸劇団とそれ以外」に分けられるかも知れない。

 だから、「都若丸を考えることは大衆演劇を考えることである」なのだ。

 接する人、またその中で生きる人によって受け取り方は何事によらず異なる。

 しかし、芸事で言えばそれぞれ「文脈」のようなものがあり、それに沿って読み解くということが習い性になる。例えば、歌舞伎はこれこれこういうもの、オペラはこれこれこういうもの、という風に。それが一つの権威となり、文化の温床として役割を果たす。その道筋は無視できない(個人的には「権威」というヤツが大嫌いだが、まぁそれは措くとして)。

 問題は、「権威」によりすがることによって生まれる、二つの弊害だ。

 「権威」は腐敗する、もしくは停滞する。

 そして「権威」は変化を嫌う、もしくは自らとは似ぬ者に「異端」のレッテルを貼りつける。

 先代の市川猿之助が「スーパー歌舞伎」と言い、リヒャルト・ワグナーが「楽劇」と言うとき、それは歌舞伎とオペラにとっては「異端」である。

 しかし、当初の「異端」は改革の旗手でもある。

 それが「権威」との間に軋轢を生じ、摩擦を生じ、熱を生じてダイナミズムに転じる。だから、大切なことは、「異端」となった改革の旗手を、包摂する力がその「世界」にあるかどうかだ。

 先に、「劇界」は存在しない、と書いた。

 ところが、特に奇妙なことに、それを享受する側ではなく、その中にいる者、役者・劇団の方にはその意識が強くあるように思う。それは言わば「権威」のように機能する。

 旅芝居は「興行の形」の名前とすることはできても、芸の形式の名前ではない、と私は考えている。だから、何をやっても良い。どのように舞台を使っても自由なのだ。

 前回取り上げた近江飛龍はいち早くそれに気づいた人間だと思うが、敢えて言えばそれが早すぎて、本当は存在しない「権威」との間で戦うことを余儀なくされた。

 都若丸は飛龍よりひと世代若い。その分、享受する者、観客の許容範囲がより広がった。舞台のタイプではなく、ゲームプランを考える資質において二人は共通しているところがあるが、その時間のギャップが都若丸には味方した。

 そして、もう一つ付け加えれば、飛龍の極端に先鋭である部分が、都若丸にはない。いや、自分で抑制して、誰にでも受け入れられる形にしている、のだと思う。このスマートさが都若丸の真髄なのだ。

 だから、都若丸は「異端」なのだが、存在しないはずの「劇界」でトップを走ることになる。

 一周すれば、都若丸を「異端」としか位置づけられないことは、他の役者・劇団にとっては「自己憐憫」か「甘え」でしかない、と言えるのではないか?

 なぜなら、もう一度言うが、旅芝居、大衆演劇は興行の形の名前であって、「こうしなければならない」という内容の規定が存在しないジャンルであるからだ。

 こういう考察にはまり込んだ場合には、大きな枠組み、原点、に帰ることも必要になる。

 舞台芸は全てエンターテイメントであり、旅芝居もエンターテイメントである。

 entertainmentの語源から考えるなら「間の」(enter)「つかんで離さない」(tain)「こと」(ment)=「心をつかんで離さぬこと」→もてなし、がその本質だ。

 都若丸には飛龍の持ち得た「何をやってもよい」という演者の視点を、「もてなされる」観客の側から考える能力があった。

 と、なれば、「異端」であるはずの都若丸こそが、旅芝居、大衆演劇の魅力を最大限に体現する存在と考えても誤りではない。

 原点に立ち戻り、手を抜くことなくひたすらに努力した。その結果の大成功は、全く、至極、当然なのである。

 この稿があまりにも企画者としての都若丸に偏っていることは分かっている。

 本来、もっと語られるべきである舞台上の魅力についても書こう。

 まず、普通に台本を手渡した時のことを考えると、私の体験に照らせば、その理解力はずば抜けている。

 拙作を上演してもらった機会を思い出した時、都若丸がこちらの意図を取り違えたことは一度もない。ばかりでなく、お願いした役柄をふくらませ、より魅力的にしてくれる。

 旅役者としての肝腎はそこではないと思うが、単なる「俳優」としても素晴らしい、ということだ。

 私自身、本人に言ったことがある。

 「若ちゃんが出てくれるのとそうでないのとでは(やりやすさが)全然違う」。

 そういうことだ。

 舞踊。

 もともと、子役から脱皮しつつあった都若丸が認知されたのは、確か「子役大会」で披露した「俵星玄蕃」が評判を取ったからだ、と記憶している。つまり、旅芝居なりの「古典」については幼い頃からの修練がある。

立ち役について言えば、その実父であり、師匠でもある都城太郎もそうなのだが、独特のキレがあり、個性的だ。動く線が美しい。伸びるべき手が伸びている、ということは当たり前のようでいて中々にない。もたつきがないので、見ていて心地良い、と個人的には思う。

女形は今でも「娘」の風が残り、美しくも可愛くもある。

立ち役と女形で顔を変えない役者もままいる中、都若丸にはそういう手落ちが決してない。プログラム中で両方支度する場合でも遺漏がない、ということは、化粧が早い。これも大きな長所であり、まさしく芸のうち、と言える。

そして「歌」がある。

今は都若丸の名前で検索をかけてもネット上に作品を探り当てられるが、シンガーソングライターとして「TOKIO」と名乗る顔も持つ。

女性から良く聞くが

「若ちゃんの声はセクシィ」

ということだ。

ハスキーヴォイスで、それも武器の一つになっているが、自作である歌曲そのものが素晴らしい。

実は、TOKIOとしてのファーストライヴを行うとき、裏方として参加させてもらった。残っているとすればコレクターズ・アイテムだろうが、そのチラシにJive-Showと出ているのが私だ。山根、と出すと差しさわりがあってもいけないので、その時限定のプロダクション名(Jiveは愛してやまないJazzの別称で、それをShowと組み合わせてある。「ジャイヴ・ショウ」と発音できるが、これは「ジブショウ」から来ている。「ジブショウ」は漢字を充てると「治部少」で、それは役職名「治部少輔」の略。治部少輔とは誰か。石田三成、となる。どうでも良いが)を作った。

ライヴは、大阪ミナミの南海通りにあった吉本系の「マザーホール」を会場とした。

そこでTOKIOこと都若丸は全曲オリジナルのライヴを行ったのである。

こんな旅役者は他にいない。

以来、たゆまずに作詞・作曲活動を続けていることはご存知の通りだ。

良い曲が沢山ある。

古い曲のことを言うと本人は不本意かも知れないが、私的ベスト3はデヴュー曲である「メリット」、劇団のメンバーが歌っているが、今やラストショーの定番曲ともなっている「晴れ舞台」、そして、里見要次郎に提供した「どれほど旅して」となる。要ちゃんが歌っている最後の曲は最高だ、と思う。

あとはコレオグラファー(振付師)としての顔だろうか?

これは実際ご覧になっている皆さんの方が詳しいだろう。都劇団のラストショウの練度、一体感は申し訳ない言い方になってしまうが、公平に見て、他とは一線を画している。

座員個々の動き、表情に至るまでが違う。

振り付けとしての評価とは別に、ここでは座長としてのリーダーシップを見ることができる。

……死角が、ない。

あとはもはや、観る者の好みに拠るところで、受け入れるか、受け入れないか、ということでしかないのではないか。

ここで改めて強調したいのは、これらは全て都若丸自身の努力によって築き上げたものだ、ということだ。

特別な僥倖や、引き立て、運のようなものがあった訳ではない。

むしろ、劇団としては難しい場所から出発したと思えるが、それをここまでのものに仕上げたのだ。

だから、逆に言うならば、不遇を嘆く役者は、まず都若丸を見よ、と言いたい。

そこまで行くのは並大抵のことではないにせよ、可能性は、ある。

そして旅芝居、大衆演劇はそれが可能となるジャンルなのだ。

都若丸の言葉として印象的なものがいくつかある。

「今の若い連中は、十円ハゲができるまで(どうしたら良いものができるか)考えたことがあるんでしょうか」

「僕は、他の分野にいたとしても頑張ると思います」

「『掴み』が肝腎です」

感じられるのは並々ならぬ自負。しかし、そこには驕りがひとかけらもない、と私は感じる。

常にチャレンジングで、下を向かず、幸運を待つことをせず、大げさなことを言わないし、またしようともしない。

そして「お客様を満足させる」という結果を確実に出す。

こういう風に考えてくると、もはやその歩みを見守るほかはない、となるのではなかろうか?

さて、ここで都若丸が「書き出し」をしない、公演予定の宣伝をしない、ということの意味を考えて見る。

これはあくまで私見なのだが、内容を毎日替えることが基本の旅芝居公演で、先々の予定まで告知することにはマイナスの要因もある。なぜなら、先の公演に楽しみがあれば、お客様はそこまで出控えることも考えられるからだ。旅芝居は同じお客様が何度もお運びになる「複数動員」が集客の基本であるから、ある公演日にだけ観客が集中しても、良い結果には結びつかない(それを言うなら、劇場が何か月も先の公演予定を予告ビラとして貼り出すことにも疑問がある。劇場側にとっては、当該の公演が成功することこそが喫緊の課題であるはずだが、観客にとって、目当ての劇団が何か月か先に公演待機しているとなれば、「そこまで待とう」と考えたところで不思議ではない。この点、月の後半になるまで次月の公演劇団のビラを掲出しない浅草木馬館には一定の見識を感じる。その姿勢が現在公演中の劇団との一体感を作り出すこともあるだろう)。

そもそも、旅芝居の公演ビラには公演の演目は出されないことが普通だ。ビラの上には、役者の顔があるばかり。どういうことかと言うと、旅芝居の観客は「演目を観に来るのではなく、役者・座長・劇団を観に来る」、ということだ(ここから「旅芝居は舞台ではなく『人間』を観るもの」という持論に展開するのだが、それについては機会を改めたい)。

逆に言うなら、演目が何か、内容がどういうものか、は大した問題ではない。「誰が舞台の上にいるのか」が眼目なのである。

そこに立脚して日々客席を埋めるためには、役者と観客の間に強い信頼関係がなければならない。つまり、この行き方で成功するためには「役者が観客の期待を裏切らない」ということが絶対条件となる。

ここまで読んで戴ければお分かりになると思うが、都若丸はそれを体現している、おそらく現在の日本でただ一人の役者なのだ。

と、いうことは、旅芝居、大衆演劇の本質が演目・内容ではなく、観客と役者の結びつきにある以上、「異端」と見える都若丸こそがそれを代表していると言えるのではないか?

ために、再び、「都若丸を考えることは大衆演劇を考えること」となるのである。

都劇団の観客にとっては、都若丸が舞台に上がってさえいれば良い、とすら私には見える。

すでに彼は、教祖(カリスマ)、となっているのだ。

その教義は「今を楽しむこと」、それのみだろう。

そして、お客様はそれが必ず果たされる約束であるからこそ、今日も都劇団の舞台へと向かう。

振り返って考えると、都若丸以前にも「我らの」という冠がつく役者がいた。

「我らの英ちゃん」こと、今は亡き美里英二である。

まだ、私が稼業駆け出しの頃に美里の楽屋を覗くと、他にはない緊張感があった。ご贔屓さんたちが楽屋見舞いに来ているのだが、何人もいるその人たちが、皆横並びに座っているからだ。もちろん、ご贔屓さんたちそれぞれに牽制も遠慮もあってのことだろうが、それ以上に「英ちゃんはみんなの共有物」という意識がそこに働いていたような気がする。

美里英二が、宣伝惹句に必ず加えた言葉がある。

「共に生きる」。

都若丸と似ていないだろうか?

だから、私は都若丸本人に言ったことがある。

「座長なら、美里先生のように、息の長い役者になれるはずだ」

と。

劇団関係に少し詳しい方ならご存知だろうが、都劇団と私ども山根演芸社の関係は一時期停滞した。私どもの仕事の形にもその原因はあったと思うが、おそらく第三者による「空気が入って」誤解を生じたことがいけなかったと思う。

私個人の都劇団に対する評価は、この駄文中に全て出ている通りで、実はそれがはじめから一貫している。

近江飛龍とともに「(シリ)(ウス)五人(ファ)(イブ)」への参加を最も早く願ったのも、その経緯ゆえ当然だった。しかし、これにもいくつかの齟齬があって、都若丸に迷惑をかける結果になったと考えている。申し訳ないことをしたな、との思いは強い。

それもこれも一番の要は、私が、「都若丸は全てを自分でコントロールしてこそ都若丸だ」ということを十分に認識できていなかったからだ、と今は思う。

私には、この類稀な素材を「プロデュースしたい」という気持ちがどこかにあったのだ(もちろん、そうすればお互いにとって良い結果を引き出せるだろうという驕りもあった)。

旅役者は「駒」になってはならない。

自ら公演を企画し、構成し、演出し、演じてこそ旅役者たる意味がある。

それを骨身に徹して理解し、実行しているのが都若丸なのだ。

また、都若丸ほど「大衆演劇を大切にする」と公言している者も稀である。

それが分かって以来、私の都若丸に対する姿勢は「その行きたい方向性をサポートする」というものになった。

将来、何らかの形で、ガッチリと組み合った公演が実現できれば、との希望は持ち続けているけれど。

最後に、都劇団の創設者であり、変わることなく都若丸のメンターである「キャプテン」、都城太郎の言葉を紹介してこの稿を閉じることにしよう。

ここ15年間、旅芝居のトップを都若丸とともに走って来たのは大川良太郎だ、ということは衆目一致であると思う。

圧倒的な「華」と「美」を携えて観客を魅了して来た大川良太郎は、都若丸とはまた違ったスタイルで旅芝居を活気づけてきた。

その、両者の違いについて、

「良太郎くんは木村(キム)()()じゃないかな?うちの座長はね……」

と、都城太郎が言った。

「……明石家さんまなんですよ」

そう聞いた時、さすがに正鵠を射ている、と私は思ったものだ。

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