たつみ演劇BOX、「劇団」という名の「家族」 文・山根大

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先に、「たつみ演劇BOX」の座長、小泉たつみについて書かせて戴いた。

 

 その後、本サイトでは、同劇団のもう一人の座長である小泉ダイヤ、看板女優である辰己小龍、そして責任者である辰己龍子へのインタヴューが続けて掲載されている。

 拙稿でも触れたことだが、旅芝居にあっては舞台のすぐ背後に楽屋という「家」があり、そこでの暮らしぶりは否応なく舞台にも反映するものだ。

 だから、翻って、「たつみ演劇BOX」の端然たる舞台は、その「家」のありようを映してもいる。

 そのことについて触れる傍ら、インタヴューの対象となったお三方についても言及しておきたく考え、短い稿ではあるが付記させて戴くことにした次第だ。

 小泉ダイヤが「たつみ演劇BOX」の「相看板(あいかんばん)」を背負うようになってからかなりの時日が経過した。

 旅役者の人生を乱暴に俯瞰するなら、まずは「抱き子」として舞台に登場し、「子役」として役柄をこなすようになり、「花形」として集客の軸を担うようになり、そして、やがては、「座長」として一座を背負う…という道程がある。

 ダイヤは「花形」というイメージがこれほど似つかわしい人はいない、という存在だった。

 お父上である二代目小泉のぼるは、当然芸事には高い基準をもって臨む人であり、それだけに容易く誰彼を褒めるという場面を目にすることは稀だった、と思う。

 何の催事の折だったかは失念しているのだが、おそらく、各劇団から注目の若手を選抜しての催しの際に、「白浪五人男」から「浜松屋」の一場がプログラムされたことがあった。

 その舞台で弁天小僧を勤めることになったのが、ダイヤだ。

 どこで聞いたか、どのタイミングで聞いたのかはもう定かではない。しかし、言葉だけは憶えている。来場されていたのぼる先生が言った。

 「ダイヤの弁天は、ええで」。

 小泉のぼるが、自分の子を褒めたのだ。

 とても珍しいことだ、と記憶している。

 また、小泉ダイヤは、それに相応しかった。

 のぼる先生の葬儀の時だったが、会場に先生若かりし頃の写真が飾られていた。それを見たうちの親父がポツリと口にした。

 「綺麗やな」

 と。

 芝居に関する博識、役者としての腕で語られることの多いのぼる先生は、若き日、美丈夫として名を馳せてもいたのだ。

 私がその写真を見た時の感想は、別なものだった。

 「ダイヤにそっくりやん」。

 ある時期から楽屋で見るダイヤは坊主頭に整えていたが、すごく正直な感想を言うと、その風貌は市川海老蔵に似ていた(兄のたつみは、現在の幸四郎、当時の染五郎に似ているな、と思っていたから、考えて見れば美しい男たちではある)。

 持ち前の美。

 役者にとってこれほどの武器はまたとあるまい。

 俗に、一声、二顔、三姿などと言う。三つ揃えば役者として最高の資質、という訳だ。その中で一番分かりやすいのが「良い顔」である。川柳作家、岸本水府の句にある、

 「頬冠りのなかに日本一の顔」。

 初代・中村鴈次郎が「心中天網島」で出て来るところを捉えたものだという。

 「日本一の役者の顔」なのか、「日本一の顔の役者」なのか。あるいはその両方か。

 いずれにしても、人にご覧に入れていくらの役者の顔であるなら、良いに越したることはない。

 ダイヤにはその資質がまずある。

 加えて、のぼる先生が認めた「啖呵」…声、調子、の良さがある。

 そして、これが何より大切だが、芸に対する熱心がある。

三味線もまた、父・小泉のぼるから受け継いで精進を重ねてきた。

 現在のポスターにもその姿が載せられているが、ダイヤの三味線は完全にプロのレベルだと思う。

 三味線をショウの要素として取り入れる劇団は多く、当然弾き手も数多いるが、ダイヤ以外でその域にまで達しているのは、手掛けたことは何でもやりきらなければ気の済まない「極め病」患者たる恋川純弥を認めるのみではなかろうか。

これだけの資質を備えた役者はそうざらにいるものではない。

私は口上で彼を紹介する時、「天成の名人」という言い方をよく用いる。

 これは実は私のオリジナルではなく、新日本プロレス(当時)の看板レスラーだった武藤敬司がキャッチフレーズにしていたNatural Born Masterの訳語だ。

 天才、というのとも少し違う。

 もっと練成されたかのような、何か、が備わっている役者だ。

 そのスケール感はとてつもない、と私は感じている。

 小泉ダイヤに望むことは、類稀なる資質を思う存分開花してほしい、ということに尽きる。

 もっと欲深く、もっと高く、もっと遠くへ。

 その資格と権利が、あるのだから。

 辰己小龍。

 旅芝居の舞台はどうしても男性中心に出来上がっているが、それには歴史的理由がある。

 歌舞伎の世界が制度的に、それも早々に男性だけの世界となってしまって以来、おそらく新派が登場するまで、本邦の舞台芸においては女性の出る幕はごく限られていた、ということがその根本だ。

 この切り口で旅芝居について考え始めると、また面白い。

旅芝居で女優を勤めるということは、そういう新派女優としての在り様に、浅草六区華やかなりし頃の不二洋子たちを源流とする女剣劇…つまりそれは、新国劇からの影響が大きな芸、ということになる…の要素を求められ、時代が下ってくると、宝塚歌劇団を意識するところも出てきたりして、早い話が、「なんでも出来る」ことが必須条件になってくる。

勿論、今に至る「女座長」という流れも生まれる。

だから、旅芝居の世界で名を成すほどの女優はレベルが高い。理の当然と言うべきだろう。

その面々の中にあって、座長という肩書きこそないものの、間違いなく屈指の一人が辰己小龍である。

芝居そのものが見事なことは申すまでもあるまいが、その舞踊を見ても、強く「芝居心」を感じる。

私は常々、

「本職の舞踊家でない役者が、舞台で舞踊を見せるのであれば、それは舞踊によって表現する芝居であるべきだ」

と口にする。若い役者には特に心がけて欲しいことでもある。

そしてそれを最も鮮やかに体現している一人が、辰己小龍なのだ。

たつみ・ダイヤを弟に持つ小龍である。美は言うまでもあるまい。その美を器として、魂を込めるのだ。悪かろうはずもない。

 

そして、この人にはもっと重要な能力が備わっている。

芝居作者、企画者、編集者としての才能だ。

役者たるもの、自分が執心する芝居があって当然だし、それが歌舞伎由来のものであろうと、新派、新劇、新国劇であろうと、はたまた小劇場演劇であろうと、「やってみたい」と思うネタがあるだろう。

これも、既に書いていることだと思うが、それを見たまま旅芝居の舞台に移植することは不可能である。だから、それを編集しなおし、練り直し、旅芝居の舞台に適応できるものに作り替える作業が必要になる。

辰己小龍は、それが抜群に巧い。

たつみ演劇BOX、のぼる會の特別公演の台本を手掛けているのは、殆どが彼女なのだ。

これには積み上げて来た知見の蓄積と、自ら手掛ける舞台を客観視できる冷静さ、そして、旅芝居の舞台でそれを形に仕上げるセンスが必要になる。

短く言えば、半端ない才能、ということだ。

私は彼女が主演した山本周五郎作の「五辨の椿」を観たことがある。会場は大阪の羅い舞座京橋劇場。いや、観たことがある、というのは正直な言い方ではないな。白状すると、観に行った。

私とて、少しは芝居台本を齧る者、誰もが知るこの外題を、辰己小龍がどのように料理するのか、興味があったのだ。

しかし、実際その舞台に接して見ると、芝居として作り上げて行く中で、「自ら演じる」ということが出来るその強みを、何より感じることになった。

芝居を自ら作り、演出し、そして演じる。

ある意味、これぞ旅役者の醍醐味とも言うべきことを、辰己小龍は形にしているのだ。

今後も、その道を究め、旅芝居の女優の在り方を極めて欲しい、と願わずにはいられない。

そして、辰己龍子だ。

名優・二代目小泉のぼるの相手役として舞台を勤めてきた女優であり、その生涯に亘る伴侶であり、辰己小龍、小泉たつみ、小泉ダイヤをこの世に送り出した母であり、たつみ演劇BOXの大夫元であり、そして、親睦団体のぼる會の会長でもある。

男だ女だ言うべき世界でもないが、敢えて申すなら、女性でこれだけ存在感のある人は劇界全体を見渡しても他にはいない。

凄いのは、自ら担うこととなったその役割の全てを、大変高いレベルでこなしている、ということだ。

更に凄いのは(言葉が入れ子のようになってしまったが)、それを「凄い」と感じさせないということである。

遠巻きに見ていると、その全てが「恐れ入りました」となるくらいの実績なのだが、それをごく当たり前のように形にして、いかにも自然だ。

その風情を言葉にするなら、穏やかであり、また、たおやか、となるだろう。

間違っても、向かい合う人間を萎縮させたり、緊張させたり、ということがない。誰もが帷子を脱ぎ、胸襟を開かずにはいられないような、独特の雰囲気。

強面のように取られて、一目おかれるというような人が少なからずいる劇界だが、そういう人からこんな言葉を聞いたことがある。

「辰己会長の言うことなら、何でも聞いてしまいそうだ」。

そのくせ、芯の強さもまた人一倍かと思わせるところがある。

東日本大震災の直後、いち早くのぼる會のメンバーを糾合してチャリティ公演を開催したのも、辰己龍子の鶴の一声からだった。

このあたりは、もはや人柄ということになるだろうか。

顔を合わせれば分かることだが、小柄な人だ。

その小柄の中に、優しく、強く、大きな「母」がいる。

「大衆演劇界の聖母」

というキャッチフレーズ、我ながらよくしたものだ、と自画自賛している。

このように綴ってくると、たつみ演劇BOXという劇団を作り上げる「家族」の骨格がご覧戴けるのではないか、と思う。

随分昔のことにはなるが、のぼる先生がおいでの頃に、劇団で作っていたチラシの図柄が忘れられない。

中央に大きなのぼる先生が座り、子供たち、また、小さな身内たちが、先生に、どっと抱き着きかかっているデザインだった。先生は大勢に倒されそうになりながら、笑ってそれを受け止めている。

私どものような年齢の者なら、私と同じく、漫画「巨人の星」で、多くの小さな弟妹を一度に両の腕で抱きしめる左門豊作を想起する人もいることだろう。

芝居の師として、また、仲間たちの寄り縋る場所として、家父長として、二代目小泉のぼるは本当に「頼りにされていた」のだ。

その、「大黒柱」を失って、この「家族」はどうなったか。

変わることなく、揺るぎがない。

どうしてなのか?

それは、なくなったはずの大黒柱が、そこに立っているからだ。

いなくなったはずの、二代目小泉のぼるが、そこにいるからだ。

愚考する。

「家族」というものは、何か共通の「大切」を中心にして集まる存在なのだ、と。

形として残らなくても、想いであり、また教えであり、「大切」はそこに在る。それを引き継いで行く者たちで、「家族」は形作られる。

それを旅芝居の劇団に重ねれば、「ええ劇団」は必ず「ええ家族」なのではないか。

よしんば、そこに血縁がないとする場合においてさえ。

のぼる先生の遺された三人の子供を見ると、「芝居の博士」としての知恵は辰己小龍に、舞台の捌きは小泉たつみに、芸熱心は小泉ダイヤに、とそれぞれ受け継がれているように思うことがある。

しかし、それ以上の「大切」がその底にはあって、それは、上品で、綺麗で、中身があって、分かりやすい舞台を作り上げて、お客様に届けようという、心、なのだ。

辰己龍子が、それを体現する。

成功している劇団はいくつもある。

ただ、たつみ演劇BOXは、やはり特別な一座だ。

その理由は、この一座が旅芝居のレベルの高さを保証してくれることばかりではない。

「家族」の物語を通じて、旅芝居一座の理想を、教えてくれているからだ。

                           

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