近江飛龍「口上」

4774

待ってました! 近江飛龍が久しぶりに関東の舞台に立つとあって、横浜・三好演芸場には新旧のファンが詰めかけた。不動倭座長率いる賀美座に2日間のゲスト出演。10月24日、急きょ不在の不動倭座長に代わっての口上挨拶に、場内は、ほろりと泣いて、やがて大きな笑いの渦に。

いらっしゃいませ。不動倭です(笑)。

みなさま方、お久しぶりでございます。関東の地に足を踏み入れるのは、6年ぶりでございます。そのときのことをご記憶の方もいらっしゃると思いますが、ちょうど私が脳出血で倒れた次の月だったんですね。ほとんど僕、舞台に出ることができなかったんですけれども。あれから6年経ってしまいました。

それからの4年間、うつ病に悩まされまして。一回倒れたもんですから、またいつ倒れるんじゃなかろうか、いつまたそうなるんじゃなかろうかと。復活するまでに4年かかりました。4年たったある秋の日に、朝起きてお日さんながめたら、ぽろっとひとすじの涙が流れたんですね。あれ、いままで何してたんやろ、もったいない時間を過ごしたなと思って。その日以来ですわ、急にやる気を起こして、2年間でここまで復活しました。

それで一気に、わたしもいろんなものを、体制を変えようということで、旅まわりをやめまして、いま大阪で根付いて劇団として頑張っております。自分の会社を起こしまして、これから先の新しい形の大衆演劇を、大阪のほうで模索しながら頑張っております。お客さんのほうから、逆に心配されます。「座長、仕事がなかったら、うちにおいでや」とか。そうじゃないんですよ。

今回は三吉演芸場、このような形で来たのも、何かのご縁と思います。不動倭くんとは、ちょうど1年くらい前に知り合いまして。この1年間、ほんとにいまこのソーシャルディスタンスのなかで、濃厚な仲になりまして(笑)。月に一回はこうして舞台のほうに、ゲストで出させていただいておりますけれども。

今回も、二日間楽しくやろうねって言ってたのですが、ご存知だと思います。おとついでございました、剣戟はる駒座の総座長津川竜さんが、急きょ、この世を旅立たれてしまいました。本日、不動倭くんと、勝小虎代表は大阪池田の本葬のほうに参列しております。倭くんが、今日、舞台出るっていったんですけど、僕やっとくから行っといでって、最期やしって。人の別れというのは、最期に会っておかないと一生悔いが残るから行っといでっていうたら、ありがとう、じゃあ行ってきます、終わったらすぐ帰ってくるからねと言うておりました。

亡くなりました津川竜総座長、みなさま方もご存知だと思いますが、ほんとに人がええ人で。実は僕も縁がないわけではなくて、津川竜総座長、もともと近江劇団にいたんですよ。近江飛龍劇団ではなくて、その前身、近江竜子劇団。僕がまだ小学校六年生のときなんですけど、ほんのごくわずかですけど、在籍してたんですね。

ちょうどうちの親父が死にまして、僕は何もわからないまま、和歌山から劇団に連れてこられたんですね。何もわからない、劇団のゲの字もわからないとき。そのときに僕が、ちょうど転校、転校が続いて、学校が嫌になりまして。小学校6年の終わりに、学校ふけて遊びに行ったりしてたんですね。そしたら親が、そんなことするくらいなら、劇団の用事手伝いなさい言うて、上のほうでスポットライトをずっとやってたんですね。そのときに劇団に来たのが、僕はコウジ兄ちゃんって言ってたんですけど、津川竜総座長でございました。

4つ年上なんで、僕は兄貴がいないので、ほんとに兄貴のように慕っておりまして。ちょうどファミコンがはやっていたので、ファミコンやったり。一緒に遊びに行ったり、遊んでもらったりしておりました。一番心に残ってるのが、いつも話すオムライスの話です。その当時、コウジ兄ちゃんは16歳、僕は12歳で、お客さまからお食事行こうと誘われると、16歳だから居酒屋とか行けないわけですよ。近所の喫茶店とか行くんですよ。コウジ兄ちゃん人気がありましたから、30分ずつかけもちしてたんですね。僕は芸名がまだない時期やったんで、太平ちゃんって呼ばれてたんですわ。「太平ちゃん一緒においで」っていってくれて。ほたら、お客さまが「コウジくん、今日、頑張ったね。食べたいものない?」「じゃあ、オムライスいただきます」っていってがつがつ食べるんですね。「じゃ、失礼します」って言って、次の違うお客さんとこ行って「お腹へってない?」っていわれると、顔色ひとつ変えないで「はい、お腹ペコペコです」って言うんです。「何がいい?」「オムライスいただきます」って食べて、また次のお客さんとこいって「お腹へってるやろ、がんばったから」「はい、いただきます」ってまたオムライス食べるんですね。ほたら、その三杯目のオムライスのときに、そのお客さまが席を立って、トイレに行ってる間に、コウジ兄ちゃんが、お皿を僕の目の前に置いて「食べてくれー!」っていう。そういうことがありました。人の好意を無にしないという。そういうことがございました。

いまちょうど本葬が行われている時間だと思います。ほんとに、現代の大衆演劇に貢献した、偉大なる役者さんのひとりでございます。享年51で、旅立たれてしまいました。みなさま、ご存知の方も、ご存知でない方も、故人をしのびまして、30秒だけ、黙祷をささげたいと思います。黙祷。

ありがとうございました。これでね、コウジ兄ちゃんも、天国でまた芝居を、亡き先輩たちと一緒にやることでしょう。

今日、津川竜総座長も、しんみりしたものを望んでないと思います。派手にやってくれって言ってくれると思います。

そういうわけで、急きょ、本日はわたくしが座長としてやらしていただきます。はっきり言って、乗っとります(笑)。

僕にとって、今日24日は座長襲名記念日なんです。28年座長やっております。この業界で、古い座長ですよ。

ちょっとここで、失礼して立たせてくださいね。僕ね、両足をしゅじゅちゅ(註・手術がうまく言えない)してるので、足がほんまに弱くなって(笑)。28年ですよ、ようよう考えたら。ご存知の方もいると思うんですけど、木馬館の正月公演で二十歳の成人式をやらしていただいたんですけどね。それから数えたら。あのときわたし、青年だったんです。何も知らない、真っ白な青年だったんですよ。あれから28年。真っ黒になってしまった(笑)。

そんときにね、ほんとに覚えてます。その当時はね、いまと全然違った、お客さんの雰囲気も。見に来るお客さまが、表で文句いってるんですよね、並んでる方が。「なんだって? 二十歳で座長になりやがって、木馬館乗り込んでくるヤツなんか、面白くなかったら、ひっくりかえしてけえってやる」とかって。うわー、東京コワイわー、って。大阪から初めて出てきて。でもおかげさまで、盛況のうちに終わりまして。お客さまだけじゃないんですよ、同業者からも言われました。お前なあ二十歳で座長になってからに、何ができるんや、芝居なんかできるのかっていじめられまして。いじめられて、いじめられて。いじめられた先輩連中、みんないじめ返してやりました!(笑) 

自分が若い若いと思うてるけど、ところてん方式で前に押し出されてから、28周年でございます。28年といっても通過点ですから。

そんなわけで本日、2名欠席ですが、明日は戻ってきます。明日はフルメンバーで! あ、自分の劇団みたいになってますね(笑)

わたくし、少しでも顔を覚えていただきたいと思って、17LIVEの生配信とかYouTubeとかやらしていただいてるんですけども、そういうとこでも先日、発表させていただいたんですけども、来年の2月、大阪のシンボルタワー、日本一高いビル、あべのハルカス、そちらのほうでお芝居やらせていただきます。大衆演劇では僕が初めてらしいです。三面舞台です、四方八方から観られる。もしもよかったら、ちょっと遠いですけど、大阪までいらしていただけたらと思います。来年の話をすると鬼が笑います。とにかく、本日を楽しんでいただきたいと思っております。

またご存知のとおり、ただいまコロナの感染予防対策で、送り出しがございません。そのため、こちらのほうから踊ってる最中、また歌ってる最中に、お客様の顔を凝視することがございます。ずーーっと観て、あ、来てくれてるなというのを確認する時間があるかと思います(笑)。ほんまに大変な世の中になりましたね。

さあ、ではまた、きれいなわたしでお会いしましょう!

最後に、近頃よういわれることがひとつある。YouTubeとか生配信とかやってるから、生の僕を見たことない人がたくさんいるんですよ。ほたら、言うたらわるいけど、ちょっと若干、YouTubeとか生配信とか、ライトの当て方だったり、加工してるわけですよ。だから、あまり期待して観ない! 期待に胸をふくらませすぎると、吸うてた息がしゅーっと出てしまうから。息を吐ききって、吐ききって、吐ききって、膨らませる余地を持たせて待っててください。長々と申し訳ございません。わたくしの化粧ができるまで、しばらくお待ちください。

本日はお忙しいなか、どなたさまにおかれましても、横浜、三吉演芸場、ご来場をたまわりまして、まことにありがとうございました!

   (2020年10月24日 三吉演芸場 昼の部)

関連記事