第3回 芝居に出さないなら抜いてくれ

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父親を早くに亡くした一見好太郎が、「一応、師匠」と呼ぶのは、二代目人見多佳雄(故・みやま省吾)。一番影響を受けた役者は「姫座長かな」という。12歳で初舞台を踏んだころ、憧れた役者はゴッド、姫京之助だった。

「横浜の三吉演芸場で初舞台を踏んだときに、浅草木馬館にのってたのが劇団花車。観に行って、もう、身震いした。三吉は毎週月曜が休みだから、その月に、3回くらい行ったかな。化粧をすごい真似した。当時は姫座長か里見要次郎座長か、どっち派かで分かれてて、みんな真似してた」

百人一首の絵札が刺さったカツラで。

「芝居はね、最初は舞台の袖から観て覚えて、見よう見まねで始めた。最初は二代目さんの動きをまねしてやってたけど、だんだんやっていくにつれて、自分のなかでこの台詞なのにこの動きはおかしいなと思うようになって、自分なりに直していった。最初のころは、台詞をしゃべりながら手持ちぶさたになっちゃって、よく手を使って、台詞のリズムをとってる感じになってて。やり慣れてない人は絶対、手とか使うから。間がもたないから。だんだん、直すようにした。たぶん、おかあちゃんに突っ込まれたんだと思う。『なんだお前、その手』って。自分で意識してないから、わかってない。『しゃべる前にリズム取ってる』って。言われてみればそうだなと思って」

おかあちゃんこと紅葉子は、もともと役者だったわけではない。しかし夫亡きあと劇団を率いて、自らも舞台に立つこともあった。舞台の表のことも裏のことも、差配したのは母だった。

ありし日の紅葉子太夫元。舞台袖でアナウンスをするときの特等席。湯のみやタバコが定位置に置かれて、コックピットのように整えられていた。

「座長になったときにおかあちゃんから言われたこと? なんだろうなあ。(しばらく考えて)ちょっと怒られたかな。『台詞も聞きに来んと』って。でも、オレは台詞は全部、頭に入ってるからって。『入ってても聞きに来るだろ、普通は』って。たぶんね、上の人っていうのは、聞きにきて欲しいよね。わかってたとしても聞きに来なよ、っていうのはある。いまなら、その気持ちはオレにもわかる。ああ、このことだったんだなっていうのは。座長になった最初のころ、オレは外から来たよそもんだったから、座長大会には呼ばれても芝居に出してもらえなかった時期があって。篠原(淑浩)会長にも相談して、芝居に出ない大会だったら出たくないです、同じ料金、自分のお客さんに払わせたくないですし、抜いてくださいって言ったことがある。それから、芝居にも出るようになったんだけど、当時の座長大会で、よく芝居を立ててくれてたのが林友廣さん。そのときはね、オレは自分から聞きに行った。やり方わかってても、台詞わかってても。やっぱり立てた人が納得する芝居をやりたいから。自分のやりかた、自分のカラーでやるのも悪くないんだと思うけど、たぶん立て親がいるときは、その人が納得するような芝居をやらないとと思うようになった。ああ、いい舞台できたなって思ってもらいたいし」

「仁義道」は、一見好太郎の舞台の美学がよく現れた人気の演目のひとつ。撮影=水野昭子

たとえば、芝居や舞踊のなかの、手つきやしぐさひとつとっても、役者の美学のようなものが現れる。それが、舞台全体の品を決めるといってもいい。絶対的な師匠を持たない一見好太郎は、どうやってそれを学んだのか。

「しぐさとか、オレは結構、観察してるタイプだから。普通に歩いてる人のことも見てるし、酔っ払った人とか、爪の長い女の人がどうやってスマホを打つのかとか(笑)」

たとえば、芝居のなかで酒を飲むときに、舌からすくうようなしぐさをするかしないか、大衆演劇では二派にわかれるような気がする。一見好太郎はあきらかに後者である。

「だって、お酒飲むのにベロ出す人なんて、見たことないもん。酒飲むときにベロは出さないけど、死ぬシーンやったらたまにやる。水くれ、ってなったときに、息絶え絶えになって死んでいくんだったら力も入らないし、でも水は飲みたい意思は強いから、ベロからいく」

「石松 閻魔堂の最期」で、閻魔堂での都鳥一家との斬り合いの場面、ざんばら髪に血まみれの一見好太郎石松が、舞台に据えた笹の葉をしごくようにくわえたことがあった。

「笹をくわえるのはね、血が流れてる人間は喉が乾く。だから笹の葉でもいいから、ちょっとの水でもいいから吸いたい。それで、やるときがある。カメラマンの臼田雅宏さんから、アドバイスをもらった。昔、石松をやり始めたころに。ほかの劇団さんでは、石をガリガリ噛む人もいるよね。いろんなとこが切れてるから痛痒くて、舞台に置いてある百度石を噛む。でも、それはやりすぎかなと思って、笹にした」

石松を演じたあとの口上挨拶。新潟の旧古町演芸場で。大道具が揃わなくて申し訳ないからと、好太郎石松の手形を貼り出すなどの工夫をした。

大衆演劇の芝居のなかでは、着替えのシーンが盛り込まれている演目がある。役者の着替えが見られるという、どこかサービス演出のようなところもあるが、役の台詞を言いながら、慣れた手つきで角帯を貝の口に結わえたり、袴をビシっと着込んだりする様子を見るのはたしかに楽しい。一見好太郎は、この着物の着付けのきれいさと手際のよさも見ていて気持ちがいい。一見劇団はおしなべて、着物の着付けが美しい。

「おかあちゃんから、着物はきれいに着ろと言われてきたからね。芝居は役だから、長く旅をして歩いてきたら着崩れてくるでしょ。そういうときは崩すけど。それは、テレビで杉良太郎さんの時代劇を見てて、あ、そうだよなって思った。喧嘩出入りをしてるのに、ケツっからげがピチっとなってたらおかしい。あんなに人を斬ってあばれてたら、ずんだれてくるよね。杉さんはね、そういうとこがちゃんと細かい。ちゃんと場面にあわせて着崩してる。だから好きなの。だからこそ、普段はピシっと着てるんだと思う」

テレビもDVDもよく見るが、とりわけ杉良太郎の『次郎長三国志』が好きだという。

「あれは何回見ても飽きない。松平健さんもやってるけど、オレは杉さんのが好き。杉さんは、大舞台をやってる。舞台をかじってる人がやるから、ひきつけられるのかなと思う。だって、暴れん坊将軍とかって見てても、芝居に取り入れられないじゃん。テレビのものは、どこをかいつまんで芝居をつくればいいのかっていうのが難しい」

紅ア太郎花形の誕生日公演で、芝居を上演する前、舞台で公開化粧と着替え。「オレの日なのに、結局、座長が全部さらってった」と主役のア太郎を悔しがらせた。

役になりきるという点で、一見好太郎は化粧にもたけている。大衆演劇の役者の場合、テレビや映画の俳優と違って、役者としての基本の顔は化粧でつくる。素顔と役の顔の間に、もう一段階レイヤーがある。役になっても、この化粧をした基本の顔が見え隠れする役者が多いなかで、一見好太郎は、役ごとに惜しげもなく顔を変える。二枚目はどこまでも二枚目に、三枚目はどこまでも三枚目に、オカマ芸者はどこまでもオカマ芸者に。テキトーな顔はつくらない。だからこそ泣けるし、だからこそ笑える。舞踊ショーで踊っていても、その男や女の人生までもが見えてくるようだ。

普段は使わない付けまつ毛をア太郎花形にもらって挑んだという、新作の芝居のオカマ芸者役で口上挨拶。
人に歴史あり、化粧に努力あり。2004(平成16)年の旧古町演芸場での一見劇団公演のチラシ。右が一見好太郎座長。念のため。

相棒のカルダモン康子が一見劇団を見始めたころ、夜中にひとりで一見劇団のDVDを見ていたら、一見好太郎座長が素顔で出てきて、舞台で見ていた顔と違いすぎて椅子から転げ落ちそうになったという逸話がある。それくらい徹底しているといえる。もしかしたら、一見好太郎にとって、一見好太郎もまた、毎日演じる、役のひとつなのかもしれないと思うことがある。

上善水の如し。キャンバスとして最高の素顔。

第4回へ続く!

(2022年2月9日・18日 立川けやき座)

取材・文 佐野由佳

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