晃大洋(こうだいはるか)は、舞台のうえで子どもになる、おじいさんにもなる。役者とはそういうものだと言ってしまえばそれまでだが、芝居だからという「お約束」を抜きにして、無理なくその人に見える稀有な役者である。実年齢では今年54歳になるというが、舞台のうえでは変幻自在だ。
「芝居してるときは、自分を忘れてるんです。男役をやった日にマッサージとか行くと、ものっすごい男の人みたいな体ですねって言われるし、年寄りの役が続いたら、どうしたんですか? お年寄りの体になってます、この前まで元気だったのに、って言われたり。自分の姿も忘れてるから、芝居の最中に写真撮られると、すごい顔してるときがありますよね。しまった、っていうくらい(笑)。逆に言うと、芝居してるときは、プライベートの悩みが一切ない。あー、もうしんどいわ、っていうことがあったとしても、舞台に出てる間は日常から逃げてるんで。役のその人に、わたしの悩みはないですからね」
いったん舞台に上がれば、演じるのではなく、役の人生を生きる。
父は大衆演劇界のレジェンド勝龍治(剣戟はる駒座総帥)、叔父は二代目小泉のぼる(小泉たつみ、小泉ダイヤ両座長の父)。父方の祖母は女座長でならした初代辰巳龍子である。現在、母は役者をやめているが、もとは役者だった。母方の叔父が新川博之(新川劇団の創設者)、叔母が鈴川真子(恋川純弥、二代目恋川純両座長の母)。親戚中どこを切っても役者、三代前まで遡っても役者、という環境に生まれて育った。いわば大衆演劇界のサラブレッドだ。
芝居のうまさは血とも言えるが、誰かに教わったわけではないという。
「見てました。うちの親父とおじさんのお芝居を。子ども心に、鳥肌が立つっていうね。おじさんも天才やし、うちのおとうさんも天才やと思いながら。稽古のときからじっと見てるんですけど、稽古は10分くらいやったよな、でも本番の芝居は1時間やってるなって。ふたりがずーっと掛け合いしてる。これでもかこれでもか、っていう芝居をするんですよ。台詞まわしがうちのおとうさんはたくみやし、のぼるさんも、ものすごい粋な芝居をするのでね」
二代目小泉のぼると勝龍治の共演を、間近で見ていた最後の世代である。
「説得力がすごくて。お客さんがみんな泣くんですよ。『いや、涙流しながら泣く台詞言うたらたいがい泣くねん。そうやないねん、説得力とそのやり方が大事なんや』って、あのふたりはずーっと言うてはったんで。へんな話やけど、普段の生活でも、なにか考えごとしながらしゃべってるときって、しゃべりながら別のことしてるでしょ。それが日常会話じゃないですか。考えごとしてるのに、これはこうなんです、ああなんですって、しゃべることを目的みたいにしゃべるのは不自然でしょ。そういう人もおるやろうけど、なにかを考えながらしゃべるっていうのを、どういうふうに表現するかが大事なんですよ。それが説得力になる。たとえば着物たたみながら、うわの空になってしゃべるとか。料理と同じで、味付け、出し方はわたしに任せてください、っていう。それが大衆演劇ってめちゃくちゃ自由でしょ」
そこが腕の見せどころであり、演じることの面白さだという。
「わたしね、自分で言うんもなんですけど、台詞覚えがめちゃくちゃいいって言われるんです。口立て稽古だったら一発で覚えますし、昔はいっぺんに2、3本、平気で聞けたんで。台本があって文字で覚える場合も、立って稽古したらすぐ頭に入ります。まず台詞を覚えようと思わないです。ここで泣くとか、ここで怒る、ということと、理由がわかればいいので。<つらね>ってあるじゃないですか。<つらね>は歌のように覚えます。リズムとして覚えて、あとはこの場は何をする、この役は何をするって覚える。ほんとに共感できる役は、台本以上に芝居するんで(笑)。商業演劇に出てた時期もありますけど、商業の場合は、一言一句、句読点まで台本のとおりにっていう演出家もいれば、自分で増やしてくださいっていう演出家もいるんですよ。わたしの場合は、自分が台本書くときには、役者さんに任す。だいたいこの筋書きで書いてますけど、これ増やしてくださいね、って渡すんです。上手な役者さん、もちろん増やしてきますよね。こっちが思ってもない芝居を、いっぱい増やしてくる。それが芝居やとわたしは思うてるから。ここで、こない言うて泣くんです、ってお稽古受けて、そのままやったらそれはただの形。稽古をつけてくれたその人も考えなかったようなことを、お芝居に組み込むのが芝居やと思ってます。それがすなわち、勝龍治の芝居なんですよ。この役の人はどういう生い立ち? いくつくらい? 家族構成は? どんな人? っていうのから考える。芝居のなかには出てこなくても」
父・勝龍治は芝居について、具体的になにかを言うことはほとんどなかったという。
「一度、芝居が終わって袖に入ったとたん、なんにも言わずに柝を投げられたことがあります。わけがわからなかった。パーンと飛んできて。ええっ!?と思って。おじさん(二代目小泉のぼる)が、『芝居がまずかったんや』って。どこがとは教えてくれないです。こちらから、ありがとうございました、って言いに行くじゃないですか、そのときに今日どうでしたか? って聞いたんです、怒ってたから。そしたら、『ええとこあったか?』と。『どこかええとこあったら教えてくれ』と。なかったです、って言うたら、『それだけや』。絶対、どこが悪かったかは教えないです。きっかけやと思います。ただ台詞を言うたらええのが芝居じゃないから。どこで言うか、いつ言うか、っていうのが全部あるじゃないですか。芝居の間っていうのが。たぶん、知らんまに、おとうさんの芝居の一番大事なとこで、わたしが台詞を言うたんでしょうね。待たなかったのか。とりあえず、怒られて。劇団入って何カ月も経ってないときですよ。16、17歳かな」
「でも、なんやろな、芝居、芝居、芝居って夢中で毎日やってるうちに、いつの間にか、おとうさんが自慢してくれるようになって。結婚してから津川さん(夫の津川竜)と、たまたま居酒屋行ったときに、店の人が、『このあいだ、おとうさんほめとったよ』って。娘自慢でしょう? って言ったら、いやいや芝居のことで、あの子は、自分がせえへんような芝居をすると。逆に教えへんからよかった、勝手に伸びたって。昔、おとうさんは教えてくれへんのに怒る、って落ち込んどったら、おじさんが『あのな、おれもな、兄貴に教えて言うてもぜんぜん教えてくれへんねん。同じようにおる座員さんには手取り足取り教えんねんけど、俺には絶対教えへん。お前もそうやろ?』って。『それはな、信頼してるんや。俺のこともお前のことも。あっちは手取り足取り教えへんかったら、でけへんのや。おれらは教えへんかってもできるいう信頼感があんのや。そやから教えへんねん』っていうのを聞いてたから、その店で、ほめてたよって聞いて、嬉しかった。わたしはぜんぜん知らなかったけど、いついつの芝居は絶対見に来い、うちの娘がよう出てるからって言ってたらしいんです。大将が、だから絶対行くわなって。自分たちで劇団組んで、5年くらい経ったころかな」
そうやって崖から突き落とされて、自分で自分の芝居を探してきただけに、いまの若い役者を見て思うこともある。
「うちの劇団に限らず、若い子は台本を読んで覚えて、決まった台詞だけをきっちり言う。きっちりしたことも大事やけど、そこにお客さんにわからないくらいに自分のスパイスを入れていかなあかんのに、それはしない。骨組みしかない。それって段取りじゃない? って思うんですよ。わたしたちが言うところの段取り芝居。それはただの稽古。稽古のまんま舞台でやるの? 芝居はどこにいったの? って思う。だから、うちの鵣汀とか祀武憙にも、なんでここで山あげたの? なんでここで気張ったの? 気張るとこそこじゃないよ、この役のこの人が、言いたいとこまで持っていかなあかんやん、っていうようなことは言います。ほかの人がワーッていう台詞を、ひとことさらっと言って終わったらかっこいいよねっていうのもあるじゃないですか」
両座長である息子たちに、本番の芝居が終わって「文句を言う」ことはよくあるという。
「言います、言います。覚えてないくらい、言います。向こうは言われても『はい、はい、はい』って言うだけですけど。昼の部で、山あげるのが早すぎるって言うと、『どこがですか?』っていうから、忘れた言うと『忘れてたら直しようがないですね』とか言うんですけど、夜の部見ると直ってるんですよ。だから自分でも実はわかってるんじゃないですか。おとうさん(津川竜)のときは、こうしてたとか言うときもあるんですけど、そうすると『俺が見たときは、こうしてた』って。記憶のすりかえやって、わたしが言うと『それはおかあさんがやりたい演出で、おとうさんはそうしてなかった』とかね。まあ、ふたりとも親に似てガンコですわ」
息子に文句を言うこともあるが、反対に、芝居のことで息子に叱られることもあるという。昨年の11月、三吉演芸場で上演した「瞼の母」で、晃大洋が演じるおはまが、忠太郎(津川鵣汀)と相対する場面。遠い昔に生き別れた母と息子が、そうとは名乗らず再会する物語の核になる重要なシーンで、晃大洋は大事な台詞を飛ばしたのである。芝居は淀みなく続いたから、ほとんどの観客は気づかなかったが……。
「鵣汀にめっちゃ、怒られました。夜の部ですね。自分で気がついてたんで、楽屋に入った瞬間に、ごめん、わたし一番大事な台詞抜かした、って謝りました。そしたら、手甲はずしながら後ろ向いたまま『はい。あんなね、代表的なね、この芝居でそれがなかったら困るくらいの台詞をね、おかあさんが抜いたんでびっくりしました』って。すんませんー、言うて。わたし嫌いなんよねって言うたら『好き嫌いで芝居はできません!』って。はい、そのとおりです、ごめんごめん、みたいな」
「実は大キライなんです、おはまが」
嫌いな役だから身が入らず、台詞が飛んだと言い訳したかったわけではない。
晃大洋は、おはまの役が嫌いだとは言わなかった。おはまが嫌いだと言った。役としてみているのではない、人としてみている。
「台詞のなかで、いままで手塩にかけて育ててきたお前はかわいくて、あの子はどうしてもかわいいと思えないみたいなこと言うでしょ。あれがほんとにキライ。ほかにもっと言いようがなかったんかなって。だいたい子どもを捨てる親が大っキライで。事情があるのはわかるんやけど、なんか、そんな情(じょう)のないって思っちゃう。あの再会の場面で、忠太郎に冷たくするでしょ。さんざん冷たくして、あげくかわいいと思えないって。半信半疑でその台詞を言うてしまったら、自分の子やったらって追いかけて行こうとしてるときに、そんなこと言うたらあかんなあと思ってしまって」
舞台を降りれば、おはまというひとりの女に憤慨している晃大洋がいる。そしてひとたび舞台に上がれば、役に憑依して体まで変わってしまう役者晃大洋がいる。おそらく晃大洋の場合、演じることは役と向きあうことではなく、役の人格と一心同体になることである。共感できない役であっても、それは変わらない。
物語のクライマックス、そんなおはまのもとへ忠太郎が訪ねてくる場面。おはまがどの時点で、忠太郎が自分の子だと気がつくと思うか、そこをどう解釈しているのか聞いてみると、
「忠太郎をやってる鵣汀の芝居によって変わるんですけどね。鵣汀もその都度、やり方変わりますから。計算できてるなって思うときと、まったく計算できてなくて感情的になってるなって思うときとあります。ただ、わたしのなかでは、最後の最後まで半信半疑です。最初に部屋に入ってきたときはもちろん、あんたなんかって思ってる。そこへもってきて、百両ポンと出されて、こいつなんの目的やろ、やっぱり百両は見せ金で、店の身代狙ってるんじゃないかと思うわけですけど、最後のほうになって忠太郎が泣くじゃないですか。女親いうものは子どもの憎いものはおらん、っていうあたりは、この子そうなんかな? って思い始めてる。でも、やっぱり違うねんなと思いたい気持ちもある。いまここで、この子と親子や言うてしもうたら、なんも知らん娘に迷惑かけたり、この所帯のなかのみんなに波風が立つんじゃないかという不安。それはわが子であっても、長いこと離れてたから、そういう気持ちになるんやろうなっていうのは推測できるんですよ。それだけに、あの子がわっと感情をむき出しにしてきたときには、なんとなく、え? って思うんかな、って思うし。あの子がそこを淡々とやり過ごした場合、表へ出ていくときに、背中をパッと見る。そのときに、あれ? って思うのかもなとか。うちの子もそうやけど、父親に似るでしょ、男の子って。だからパッと帰っていく背中見たときに、もしかしたらこの子、あの人に似てるから……あの人の子かな、あたしが産んだ子かなっていうのがあって、声かけたいけど、それまでのことがあるから、めっちゃ声かけられへんくなってるっていう。ほんと、おはまがはっと思って、息子に対して気持ちが、あっ!て動くのって、ほんまに最後の最後のほうかなって思います。それまでは突っぱねて、突っぱねてって。途中、泣いてるやんって思うあたりから、怒る顔が自分の元のだんなさんに似てるな、後ろ姿、立ち姿、そう思って見たら似てる、声かけたいけど、でもさんざん言うてしまったから言えないなっていうのがあって。出ていってしまって、そしたら入れ替わりに帰ってきた娘が、『似てる』って言うでしょ。え、誰に? わたしに? っていうとこから、ほなそやったんや、娘がそう思うんやから、絶対そやったんやわ、しまったっていう気持ち。わたしの芝居の仕方が、そういうのんで、その都度その都度違うから。だから感情の持って行き方で台詞が変わってしまう。でもあれ、決まり台詞なんですよね。変わったらあかんのです。あかんけど、変わってしまうんです」
「変わったらあかん」とわかっている台詞を飛ばして、違う台詞をしゃべってしまうこともまた、生身の役を生きていればこそだ。
話をしながら「あの子」というとき、それは忠太郎を演じる鵣汀のことを言っているのか、鵣汀演じる忠太郎のことを言っているのか。インタビューの最中にも、芝居の話を始めれば、そこにはもう、役の人格に入りかけている晃大洋がいる。
そんな役者の道にのめり込んだ経緯を、次回はたっぷりと!
(2023年11月28日、12月9日 三吉演芸場)
取材・文 佐野由佳