一見劇団 浪速クラブで紅葉子一周忌追善公演 泣いて笑って口上挨拶!

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現在、大阪・浪速クラブで公演中の一見劇団は、この10月15日、「紅葉子一周忌追善公演」を開いた。劇団の生みの親、育ての親、そして観客からは名物おかあちゃんとして親しまれた紅葉子太夫元が亡くなって1年。

この1年という歳月が、劇団のそれぞれにとって、特別な時間だったのだということをあらためて感じさせてくれる記念公演となった。

大衆演劇という世界を無手勝流で生き抜いたおかあちゃんの残した一見劇団は、この3カ月間の関西公演でじわじわと底力を発揮している。座長以下、ほぼ身内で構成されている総勢20人近い劇団全員が、この一周忌を目標に、一丸となって無我夢中で過ごしてきたという。そのことが、紅葉子亡きあとの新たな結束となり、それぞれが目の前の現実と本気で向き合うきっかけになった。

第一部お芝居の演目は、昼の部「吉之助懺悔」、夜の部「わが故郷、情けの雨」。いずれも劇団にとっては母とのゆかりが深く、古くから上演していた演目という。特に、母と子の切ない別れを描いた人情時代劇「吉之助懺悔」は、この日のために久しぶりの再演となった。

「芝居の一見劇団」を牽引してきた、一見好太郎座長。

第二部では、舞台幔幕にトレードマークの白いタオルを頭に巻いたおかあちゃんの姿が映し出され、ファンキーでアバンギャルドな懐かしいアナウンスの録音も聴きながら、在りし日の姿をしのんだ。

ここぞという日には舞台に登場して観客を沸かせた。

劇団とは永いつきあいの、梅乃井秀男座長をゲストに迎え、大阪の公演の仲立ち・山根演芸社山根大社長もかけつけた。

口上挨拶の司会をつとめた山根社長から、昼の部は紅葉子太夫元との思い出といま伝えたい言葉、夜の部はこれから自分がやっていきたいことを、全員に語ってほしいとリクエストが出た。それぞれが、それぞれの思いと言葉で語ったこの口上挨拶には胸を打つものがあり、それがいまの一見劇団の好調をよく表しているように思える。一部誌上で再録する。

紅葉子亡きあとの劇団のまとめ役、古都乃竜也座長。

座長・古都乃竜也

「(映像と音声を流したあとで)おかあさんの声、聞いていただきまして、懐かしいなと。やっぱり、普段舞台やっていて、なんか足らへんなって感じるのは、おかあさんのアナウンス、陰マイクなんじゃないでしょうか。おかあさんはマイク持って、舞台の横から、『お前ら、ちゃんとせいよ』という声をかけてました。いまはその声は聞くことできませんけれど、やっぱりどこかにおかあさんおるから、おかあさんのために、おばあちゃんのために、という気持ちがみんなのなかにもあったんじゃないでしょうか。心はひとつだと思います」

紅葉子の発案で、30年、踊り続けてきた相舞踊、この日は、母と3人舞踊のように見えた。

座長・古都乃竜也

「一見劇団、これからどうなの? と聞かれたら、1年前なら、おかあさん亡くなって、みんなとまどってました。どうなるんだ、どうするんだ、明日からは、と。あれだけ強かった人が急にいなくなったら、とまどうのは当たり前だと、いまは思えます。僕もそうでした。1年前、みんなを集めて言いました。とりあえず、がんばろうよと。おかあさんの志を胸に、おかあさんの供養してあげましょう。1年先を思ってがんばろう。10年、20年、これから一見劇団を守って大きくするんだということは、ひとことも、口から出ませんでした。思いも至りませんでした。とりあえずおかあさんの一周忌、みんなでやろうよ、一周忌おかあさんの供養がちゃんとできたら、次は三回忌。三回忌までみんなで一緒に居ろうよ。そして、気持ちが変わったり、この景気ですから、役者辞めようか、違う劇団に移籍しようかと思う人間も出てくると思ってました。だからそのときは僕に言ってくれと。全面的に協力するし、否定もしないし、応援はさしてもらう。自分たちで劇団やりたいと思うなら、言ってくれと。絶対、僕は応援すると。だから、おかあさんの一周忌までは迎えよう。結果、みんなが今日、おかあさんのことを思ってやってくれた。僕も気持ち変わってません。今度、三回忌をするのが僕の目標です。そして、三回忌が終わったら、七回忌せないかん。そうなったら、僕も好太郎座長もええ歳ですから、早く若い座長つくらなきゃいけない。新しい花形をつくらなきゃいけない。僕の役目はそこだと思ってます。そして、また一見劇団が続いていくのは、僕の責任でもあり、また僕ひとりではありません、みんなが頑張ってくれるからです。今度は三回忌、これは座長大会をさせていただきます。三回忌はおかあさんのために、大会やりましょうと約束させてもらったので、また1年、がんばらさせていただきます」

座長・古都乃竜也

「僕はおかあさんに甘えっぱなしで、決して親孝行な倅(せがれ)ではなかったので、親亡きあとは、姉たち兄たちを守っていくのが僕の役目だと思ってます。そして何より、後ろに甥っ子がいます。ひとりひとり、みんな平等に思ってます。だから、よその劇団にゲストで、1日勉強に行こうっていうときに、順番に連れて行きます。舞台を観て、成長して、立派な役者になってくれと。僕はおかあさんに教わったことは何もありませんけども、背中を見て覚えたことがある。自分の気持ち、曲げずに頑張ればええことがあるんじゃないか。そして、あとに残る姪たちです。姪いっぱいおります。姪、かわいいので、劇団というお家があれば、みんなおかあちゃんのところに居られるし、来られるじゃないか、手を合わせられるじゃないか。先日の一周忌の法要も、40人ほど集まりました。身内だけで30何人来ました。それ見て、やっぱりみんなのおかあさん、みんなのおばあちゃんだったと思います。今後とも一生懸命がんばりたい。そして、山根社長に無理言いまして、今回、公演させていただきました。あらためて、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。ぜひみなさま三回忌を目標にがんばります。そして浪速のみなさまがた、この関西、大阪に、一見劇団、仲間に入れていただきたいと思いますので、重ねてお願い申し上げます。本日のご挨拶とかえさせていただきます」

紅 翔太郎

「みなさんご存知のとおり、紅翔太郎でございます。太夫元のことは『ちゃーちゃん』と呼んでいるのですが、僕たち兄弟(紅翔太郎、紅優太郎、一見大弥、紅洋太)劇団を抜けるクセがちょこちょこありまして。それを連れ戻してくれたのは、いつもちゃーちゃんの言葉です。よく怒られました。そして、いい思い出もいっぱいあります。仕事を無断欠席して、一緒にパチンコにも行きました。何かあると『しょうちゃん』と声をかけてくれた、やさしいちゃーちゃんの声が、まだ耳に残っております。この浪速クラブの公演、あと半月ですが、一生懸命、悔いの残らないよう、やっていきます。また朝早くから僕は劇場の入り口におりますので、みなさんも、朝早くから並んでください(笑)」

紅 優太郎

「紅優太郎です。僕たちのおばあちゃんは、おばあちゃんと呼ばれるのが大嫌いで、僕らは『ちゃーちゃん』と呼んでます。お兄ちゃん(紅翔太郎)も言ったように、僕たち兄弟は1度や2度ではなく、僕は3度もドロンしました。そのときに、『戻ってきたらどうや』と一番に声をかけてくれたのが、ちゃーちゃんでした。『いや、僕はもう続かないんで、戻ることはないかな』と言ったんですが、『1カ月でも2カ月でも戻ってきてやれば、舞台に出る楽しさがわかるんやないか』と教えてくれました。照明の仕事を自分に任せてくれたのも、ちゃーちゃんです。いまこうして照明がたくさんありますが、この機材も8割がたはちゃーちゃんが残してくれたものです。それを一生懸命つけて、これはちゃーちゃんが残してくれたんだなと思って、毎月、一生懸命、やっています。お客さまにいいものを見せろ、きれいなものを見せろ、と言われてきました。これからも、機材が古くなっても、修理して、修理して、僕が担当している限りは、これ使ってるよ、まだ使えてるよと、ちゃーちゃんにまた報告できたらなと思っています。一見劇団、これからもよろしくお願い申し上げます」

花形・紅 ア太郎

「未熟ながら花形をつとめさせてもらっている紅ア太郎です。こんなことを言うのもなんですが、僕の母親は子どものめんどうみが悪くてですね、僕は6歳のときからずっと、太夫元に育てていただきまして。いまこうして舞台に立っていられるのも、役者になってよかったなと思えるのも、すべて太夫元のおかげです。また、お客さまおひとりおひとりに感謝して舞台に立てよと教えてくれたのも太夫元です。こうして着物、カツラ、いろんなものがつくれているのもお客さまのおかげです。また舞台に立つありがたみ、喜びを教えてくれたのも太夫元ですので、太夫元やお客さまおひとりおひとりに感謝をいたしまして、また劇団の両座長の力になれるように、がんばってまいりますので、これからもお力添えよろしくお願いいたします」

花形・紅金之助

金ちゃん「僕、ちゃーちゃんに、一度も怒られてないんですよ」

古都乃座長「そうだな。一度も怒られてないな」

金ちゃん「「ちゃーちゃん、産んでくれてありがとう!」

古都乃座長「いや、産んでない、産んでないから! 金ちゃん、孫だから。聞いたことないよ、産んだって(笑)」

金ちゃん「ちゃーちゃん、ありがとう。本日はどうも、ありがとうございます」

若手リーダー・美苑隆太

「美苑隆太と申します。うちの母(瞳マチ子)が少しばかり、子どもを育てるのが下手くそだったものですから、僕ら兄弟4人(美苑隆太、紅金之助、裏方の妹のんちゃん、さやかちゃん)孫だというのに、子どものように育ててもらいました。そればかりか、僕に娘(ベビーひなか)ができてからは、太夫元の隣に寝かしてくれて、最後まで育ててくれておりました。これからも娘を大事にして生きていきます。また太夫元が残してくれた劇団ですので、座長の力となって一生懸命がんばってまいります。太夫元には感謝しかありません」

紅 銀乃嬢

「ちゃーちゃんとの思い出はとてもたくさんあるんですけども、怒られたこともたくさんあります。でも最後には必ず受け止めてくれて、さとしてくれたのはちゃーちゃんでした。おいしいものを食べるのも、何をするにしても、いつもみんなで楽しくしていくのが好きな人だったので、今日は1日、しんみりせずに楽しく1日を終えたいと思います。そして、わたしを育ててくれたのはちゃーちゃんなので、ありがとうと伝えたいと思います。そして何より、本日、いらしてくださったお客さま、本当にありがとうございます。これからも一生懸命がんばってまいりますので、応援よろしくお願いいたします」

花形・一見大弥

「一見大弥と申します。僕は一度、劇団を辞めたことがありまして、2年間、愛知の実家に帰ってガソリンスタンドで働いておりました。辞めた当初は、絶対舞台には戻らないと変な意地を張っていましたが、時が流れて、やっぱりもう一度、舞台に立ちたいと思って、ちゃーちゃんのところに相談に行きました。怒られると思っていったんですけど、ちゃーちゃんは快く引き受けてくれて、『大くん、もう一回戻って来い』と言ってくれました。その言葉があればこそ、いまお客さまに舞台を観ていただいて、目の前でお芝居、踊りができると思っています。僕は本名が、『だいき』っていうんですけど、ちゃーちゃんに、『僕の本名わかる?』って聞いたことがあって、『大くんは、大五郎やろ?』って全然違う名前を言いました。そんな面白いちゃーちゃんです。劇団は、僕にとっておじさん、おばさん、いとことか、家族みんなでやっています。自慢のおばあちゃんです。だからみなさんも、ちゃーちゃんのことを忘れずに、これからもよろしくお願いいたします」

紅 洋太

「紅洋太です。お兄ちゃんたちも言ったように、僕も劇団から、1回、いや2回離れたときに、知らない電話番号から電話がありまして、こわくて出られなかったんですが、何回もかかってきたので、おかんにきいたら、それはちゃーちゃんだと。あわててかけなおしました。『いつ戻ってくるんや。話をするなら、いつでも戻ってきなさい』と。3年前、ここに一見劇団がのったときに、一回、家族で来させてもらって。優太郎お兄ちゃん、大弥お兄ちゃんとも連絡をとりあって話をしている最中でして、翔太郎兄ちゃんが、ちゃーちゃんとおかんとおやじと時間をつくってくれて、『お前どうするんやと、戻りたいなら、ここではっきりちゃんとちゃーちゃんに話して返事を待つのが筋なんじゃないか』と。それで、ちゃーちゃんと話をしまして、次の年の1月に戻してもらいました。翔太郎兄ちゃん、優太郎兄ちゃん、大弥兄ちゃん、まだまだ超えられないと思いますが、一番のライバルはこの3人だと思っていますので、ちゃーちゃんがこうして戻してくれたので、まだまだ未熟者ではございますが、できるだけの力を出してこれからも頑張ってまいりますので、よろしくお願いいたします

紅 由高

「紅由高です。僕は、唯一の他人として劇団にいます。そうなんです。でも、他人だからとか全く関係なく、身内同然にあたたかくしてくださって感謝しています。入った当初から舞台に立たせていただいて、舞台の楽しさを教えてくれたのは太夫元さんです。感謝しています。ありがとうございます。千秋楽も近くなってきましたが、お客さまに感謝を持ってがんばってまいります

劇団長男・太紅友希

「太紅友希と申します。僕はごらんのとおり、体がデカいんで、しかも高血圧で、しょっちゅう病気をしまして。脳出血にはじまって、脳梗塞になりまして、おかあさんにさんざっぱら心配かけまして。最後まで、『体は大丈夫か、大丈夫か』と心配かけましたので、これからは体に気をつけて、おかあさんに心配かけないようにがんばっていきます」

劇団長男太紅友希(中央)、弟である両座長とともに

長月喜京

「育児放棄をしていた、親のほうです。おかあさんには、亡くなるまで迷惑しかかけてなかったんですけど、『お前な、ワシにいくら迷惑かけてもいいが、世間さまに迷惑かけるな』と。でも、たくさんの方に迷惑をかけて、生きてまいりました。花岡希匠という名前で36年間生きてまいりまして、3年前、劇団を辞めました。九州の玄海竜二会頭のもとに行き、またお名前をいただき、長月喜京という名前になりました。でもその半年後に、おかあさんの元に帰ってきたんです。たくさんの方の反対もありました。でも、おかあさんはその反対を押し切ってくれて、そのとき『名前どうする?』と相談しました。『会頭先生に長月喜京という名前をつけてもらったのだから、これからは一生、長月喜京で生きていけ』と言われ、それから2年間、この名前で一見劇団でお世話になって、今日に至っております。おかあちゃん、本当にありがとうございます。いまは何も力になれませんが、足を引っ張らないように、一生懸命にこれからがんばっていきたいと思います。どうぞみなさま、一見劇団がある限り、座長一見好太郎、座長古都乃竜也をよろしくお願いいたします」

ゲスト・梅乃井秀男座長

「僕も赤の他人なんでございますけど、ちゃーちゃんがよく冗談まじりで、『あんたはわたしがよそで産んだ子やで』って(笑)。母親、嫁、子ども、わたくしとお世話になっております。一見劇団は、見てください、これだけの人数でございます。ものすごいことでございます。身内でこれだけの人数でかたまっているのはなかなかないことで、関東では一見劇団と劇団暁さんだと思います。ちゃーちゃんも、天高くから一見劇団、そして大衆演劇を見守ってくれていると思うので、お客様も、これからも一見劇団、大衆演劇、ご愛顧いただき、愛していただきますよう、よろしくお願いいたします」

そして、山根演芸社の山根大社長は、旅芝居の心は芝居にこそある、その本来の魅力に、いまの一見劇団の舞台は気づかせてくれると語った。

座員ひとりずつの口上を、ひとりずつの顔を見ながら聞く山根社長。

山根演芸社社長・山根 大

「ありがとうございます。いい言葉を聞けました。異口同音に、一見劇団をやり続けていくんだ、守っていくんだという言葉を聞いたように思います。こうやって人がたくさん寄れば、いろんなことがあると思います。また身内同士ほど、実は災いのタネがあるものです。しかしそれを乗り越えて、みんな自分のことはとりあえず置いといて、おかあさんが残した一見劇団というものを守っていくと、自分よりも劇団を上に置いて、今日までやってくれたんだと思っています。こうやって1年、おかあさんがいない月日を過ごしました。5年前にこの舞台で観て、3年前にもこの舞台で観た一見劇団ですが、今回が一番いいとわたしは思っております。それも毎日毎日、少しずつ変わっているかのように思います。お客様の足も毎日少しずつ増え、これは千秋楽が楽しみだなと。しかも千秋楽の前の日に『演劇祭り』ということで、この劇団の命である芝居でもって、みなさまがたにご機嫌うかがいをしようという考えでいるようでございます。今日の昼の芝居を観たときに、一見好太郎座長に言いました。音楽いらんよな、と。音楽が邪魔に聞こえるよなって、わたし言いました。芝居で音楽を流すのは、ある時代から旅芝居の世界では当たり前になりました。しかし、悲しんでくれよ、喜んでくれよ、泣いてくれよという音楽は、ときには役者の芝居のさまたげになるなと、今日のこの劇団の芝居を観ていて思いました。かつて恋川純弥が『遊侠三代』をこの浪速クラブの舞台でやったときに、ゲストの身でありながら、最後の立ち回りのときに、音をいっさい流してくれるなと言いました。そのときに彼が聞かせたかったのは、立ち回りで聞こえる息遣いであったと思っております。この劇団でみせる、一見好太郎のこまやかな台詞の出し入れ、それを心ゆくまで楽しんでもらうために、ほかの人間たちもがんばって、それに調子をあわせて高いレベルの芝居をする。こういうことができてる劇団は、いまこの劇団をおいてほかにはないと思っております。あまりにも当たり前のことですが、大衆演劇、旅芝居の心は芝居でございます。芝居を観ていただいてこその旅芝居でございます。そして、このひと月の間、この劇場につめてくれるお客さまは、必ず、ショーより魅力のある芝居というものに、気づいていただけるのではないかと思います。今日で半分過ぎました、逆に言えば、まだ今日から半分残っているわけでございます。1日も多く、この劇場につめていただいて、芝居の魅力、たっぷりと感じていただければと思います」

山根演芸社社長・山根 大

「この劇団をつくった紅葉子は、いわば親猫でございました。父の猫のかわりはできない。獲物をとるやりかたは教えられない。ただ、乳だけはずっと与えてきました。だから、親のない子猫たちのような集まりが、一人前の猫に育って、みなさまを喜ばせる役者になりました。師匠もいません。そして、この劇団以外にこの流れを伝えるものもいません。最後の大衆劇団、旅まわりの一座、それがこの一見劇団でございます。その劇団を生きるということの意味を、みんなぜひともわかってほしいなと思います。みんな看板になれる人間ばっかりでございます。翔太郎もア太郎も大弥も、劇団によってはみんな看板になれる。あるいは、その看板をいただいて、4人5人で回れば食いはぐれはないのかもしれない。でもあえて、この人数で、この人数でしかできない芝居、毎日せめぎあいながら、身内であるつらさ苦しさ、ときには喜びというものを感じてもらいながら、ぜひとも過ごしてもらいたい。それが、亡き紅葉子のおっかさんへの、一番への供養であり感謝になると思う次第です。みなさま、旅芝居の一座は、お客さま、みなさまあってのものでございます。どうぞみなさまのご支援をもちまして、紅葉子がつくりあげてきましたこの一見劇団、ご支援を末ながくたまわりますよう、伏してお願い申し上げる次第です。本日のご来場、まことにありがとうございました」

座長・一見好太郎

「あらためましてみなさま、浪速クラブにご来場くださいまして、ありがとうございます。ご案内どおりでございます。責任者紅葉子追善公演でございます。遠いところから足をお運びくださったみなさま、お客様おひとりおひとり、本当にありがとうございました。そして梅乃井秀男座長、ありがとうございます。秀男座長は、母の月命日には、必ず、どこにいても遠くても、かけつけてくださいまして、母のためにと公演に出てくださいました。ありがとうございます。これから先も一見劇団は、母亡きあとでございますが、わたくしも非力ではございますが、一生懸命につとめさせていただいて、劇団をつぶさぬようにと頑張っていく所存です。次なる目標は三回忌を目指しての公演でございます。それには、みなさまがたの応援があってこそです。ぜひみなさまがた、支えていただきまして、母が残したこの劇団を守っていただきますことを、幾末ながく、よろしくお願いいたします。必ず来年も、浪速の土地に戻って来たいと思いますので、これから先も応援のほどよろしくお願いいたします。本日のご来場、まことにありがとうございました」

(2022年10月15日 浪速クラブ)

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