第5回 谷町シンジと小谷町シンジ 

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インタビューの日、晃大洋(こうだいはるか)の楽屋には、盛大に韓流スターのタペストリーらしきものが飾られていた。

「2PM(ツーピーエム)っていうグループのジュノと、ASTRO(アストロ)っていうグループのチャ・ウヌです。一番好きなのは、イ・ミンホなんですけど、売ってなくて。シールだけ買ってきました。なんかね、初めて推しを応援するお客さんの気持ちがわかった気がします。これまでの推しは津川さん(夫で劇団総座長の津川竜)やったから。それって日常生活やないですか。これといった趣味がなかったし、ゴルフはしますけど運動系はあんまり好きじゃないし、頭を休ませるなにかないかなと思ったときに、韓流にハマった感じです」

「推し」のブランケットとスリーショット?

劇場の休みを利用して、韓流グッズの聖地、新大久保に初めて出かけてみたという。

「最初は知り合いのために買ったんですけど、自分もほしくなってね。ブランケットって書いてるから買ってきたのに、ぜんぜん機能性がない。どうするこれ?ってなって。そのへんにたたんでおくのもしのびないから、そこに吊ったら、『なんで父のじゃなくてこんなの吊るのよー』って。孫たちにね。津川さん、父って呼ばれてるんですよ。『こんなのいらない』って、ブランケット殴ってました。えらいボコボコにされて」

孫たちは、ただいま総勢7名。息子である津川鵣汀の子どもが3人、津川祀武憙の子どもが4人。全員、劇団のチラシにも名を連ねる子役である。

そんな孫たちと晃大洋による人気のユニットがある。剣戟はる駒座ファンにはおなじみ、「谷町シンジと小谷町シンジ」である。

谷町シンジとその手下たち。

厳密に言うと、谷町シンジは晃大洋が演じるキャラクターではなく、谷町シンジという別人格(という設定)なのだそうだ。もちろんみんなわかっている。常連さんは知っている。あくまで暗黙の了解だけれど、たまに、本当に晃大洋と谷町シンジが結びついてないお客さんから、質問されることがあるという。

「『あの男の人はいくつなんや』と。最初、わざとかなと思って、こっちもとぼけて、いくつなんでしょうねーって。『上手に歌ってはったけど、あれだけ子どもがおるいうことは、いくつなんやろう?』いや、あの人の子やないんですよ。『え? あの人の子やないんか?』みたいなね。あ、本気でわかってないんやっていうことが、たまにね」

客席も一緒に、なにを聞かれても「いえーい」で答えるのがお約束。「みなさん、お元気ですか?」「いえーい」「今日これから帰るところは?」「いえーい」。

そんなわけで、一応、ここからしばらく、晃大洋ではなく、谷町シンジがインタビューに答えていると思っていただきたい。

「昔、うちの劇団に一緒にいた従兄弟(いとこ)と、こまどり姉妹をもじった『こまちゃん、どりちゃん』っていうキャラクターで歌ってたことがあって、それが元なんですよ。かすりの着物着て、島田のカツラをかぶって、三枚目の顔で、どうも〜って出てきて、漫談しながら歌う。『わたしら歌手なんですよー、最近、顔でだけ売ってる歌手多いでしょ。でも、わたしら顔では歌いません、心で歌いますぅー。みなさん、もし見た目がまずかったら目ぇつぶってください』っていって、真剣にふたりでデュエットするんです。『転がる石』にしても、『南部酒』にしてもふたりで歌う。ハモるところとかちゃんとハモって。よその役者さんから、それで踊りたいから音源くださいっていわれたりして。踊るために歌ってないから踊りにくいよっていっても、くださいくださいってよういわれてたんですけど」

谷町シンジ、年齢不詳。お客さんから「あの歌の上手い男の人、子どもいっぱいおるけど、いくつなん?」と聞かれることもある。

「いとこたちが劇団から分かれてから、ひとりになって、お客さんからも、こまちゃんどりちゃんが舞台におれへんからさみしいわーって言われて。で、ある日、ほんまに、本数足らんから舞踊出てくださいって直前に言われて、化粧間に合わへんがな、そんなもんいまさら。って言いながら、でもだったら坊主のゴムカツラかぶって歌うかなと思って、ハゲの歌手を考えました。デコ広いなら谷村新司やろっておもてたら、たまたま携帯かなんか見たら、谷村さんが帽子かぶってたの。で、そこにあった鵣汀の帽子被って、眉毛に黒のビニールテープを貼って、目張りする時間もないからサングラスをかけて。それこそ、こまちゃんどりちゃんのアレがあった!と、自分の黒いズボンはいて。で、たまたま阪神タイガースのショーとかやってた名残でユニフォームがあったんで、それ上に着て、谷村新司のあれで谷町シンジって出るから、ミュージックスタートって言うたらかけてな、が始まりで。ほんでまあ、こまちゃんどりちゃんのつくりかえみたいな感じで出たんですよ。淡路島で。こまどりやと思ったら、谷町シンジが出てきて面白かったー、って言ってもらって。これいけるなって。ひとりでできるし。で、ひとりでいろいろやってたら、晃大洋に孫ができた。大人が舞台出てる間、楽屋で孫みるもんがおらんから、心配やないですか。そしたら津川さんが、『連れて出たらええねん』って。この子を? って言うたら、『そう』って。もう座れたんで。谷町の顔にして、帽子ぽんとのせて、小谷町って名前つけて、永聖(とあ)ちゃんを連れて出たのが始まりで。そしたら出てるだけでお客さん笑うでしょ。おこづかいくれはるお客さんもおって、もうねえ、子ども心にみんなね、封筒の中がなにかわかってるから。負けたなって思ったのが、世羅(せいら)かな、『転がる石』を歌ってたら、お客さんがクスクス笑ってて、なんかしてるやろうなおもって歌って、最後ぱっとみたら、その歌に合わせて足全開でこけてて。ばったんと倒れて、それでも寝てるんですよ。もうお客さん大笑いですよ。そっから先、バラードとか、しっとりした曲歌うとみんなよう寝るようになって。お客さんがウケてウケて。孫がどんどん増えたんで、小谷町だけじゃなくて、BTSが流行ったときに、チビTSと名付けて、それより後ろについてくるからチビチビTS、さらにチビチビチビは言いにくいから、ちょうど矢沢永吉のコンサートに行くことになってたから、最年少はチビザワ永吉だねってことで」

舞台の上ではいつも小さなハプニングが起きている。

「子どもらが増えると、みんな自主的にやりたがるわけですよ。歌いたい、踊りたい、目立ちたい。だからネタは彼女らからしょっちゅうきます。このあいだの津川さん三回忌公演のときも、こういうのができるんだけどってプレゼンがありましたから。いま『プリティボーイ』っていう曲がTik Tokでやってて、どっかでこれ使いたいって言ってくるんですよ。子どもやから覚えも早い」

それくらい完成された存在である谷町シンジとその手下たちは、劇団舞踊ショーの鉄板ネタになっている。マトリョーシカのようにぞろぞろ付いてくる年端もいかない子どもたちを相手に、絶妙な間(ま)で歌とトークを繰りひろげる。

(ここからふたたび晃大洋にバトンタッチ)

こうした設定も含め、歌にしろ、芝居にしろ、この間のよさが、晃大洋の真骨頂である。それもまた血だろうか。祖父にあたる初代小泉のぼるは喜劇王と呼ばれた役者だった。

「その芝居を覚えてるのは、いとこのなかでもギリギリわたしくらいでしょう。うちのおとうさん(勝龍治)もおじさん(二代目小泉のぼる)も天才的な間持ちの芝居をしはるんで。それが普通にあったから。津川さんがね、わたしと結婚した理由が『おまえ、おもろいから』やったんですよ。普通、かわいいとかきれいやからとか言われるのに。おもろいって。最高のほめ言葉なんですよ、彼のなかで。亡くなったうちのおばあちゃんもね、晩年寝たきりになってたんですけど、あるとき、わたしが部屋で掃除機かけてたら、『あのなぁ、うちはなぁ、あんたは役者の嫁さんは向かへんと思ってた』と。『劇場やなくて家で育った子やし、まして太夫元の娘やから甘やかされて育ってるやろし、ほんまに、あんたと一緒になる人は苦労やと思ってた。苦労しかないと思ってた』。なんやのそれ?って。『そやけどな、あんたみたいにおもろい嫁さんは、金のわらじを履いても探せ、や』。えー? おばあちゃんそれほめてんのん? って言うたら、『おぼえときや、きれいな女、かわいい女は三日であきる。かしこい女も男はイヤがる。お前はおもろい、おもろいのが一番やねん。わたしがもし嫁さんにするなら、おまえを嫁さんにする』って。日常からおかしいらしいです。津川さんいわく。朝起きたときから始まって、コーヒー飲んでてもおもろいらしい。『おまえの手はドラえもんみたい』って。ずっとぐーしてるみたいに見えるらしいです。15から一緒におるから、昔から『おまえ、あかちゃんみたいな手してるな』って言われてて、これ、このえくぼみたいなってるの、大人になったらなくなるねんって言うてたんですけど、40なっても50なってもなくならない」

「封筒の中がなにかはみんなよくわかっている」

たくさんの孫たちに囲まれている晃大洋の、劇団での1日はどんなスケジュールで動いているのか聞いてみた。

「朝、8時に起きて、勤行して。それから仏壇掃除して、買い出しに出かけますね。9時前くらいから。ちょっと歩いて買い出し行って、楽しいことがあるときは11時半くらいまで帰ってきません。楽しいことがないときは、11時くらい。楽しいことっていうのは、面白いもんみつけたとか、安いもんみつけたとか、用事があったら帰ってこないです。商店街も、いろんなとこ行きます。いまなら、山下公園のほうまで行きますし、サミット行って、曙町にも行くし、天王町にイオンがあるんでそこにも行きます。孫はたいてい一緒に来ます。まあまあ、最低ひとり。2、3人は行きます。わたしの生活費の半分は彼女たちが使ってます。お菓子放題なわけですよ。最初、連れてったころは、いっこいい? にこいい? って聞いてたけど、いまだまってカゴにどんどん入れますから。で、いまは11時半には帰ってこんと息子が心配するから帰ってくるんですけど、津川さんのときは、開演10分前くらいになっても帰ってけえへん、やる気あるんかー!ってむっちゃ怒られて。あるんですぅーって。だって、いい布見つけたら、縫い物したいから、その布切ってもらったりするのに時間かかる。で、帰ってきて、嫁がおるときは、嫁ちゃんがご飯の用意してくれたりしますけど、嫁ちゃんが忙しかったりするときはわたしがします。もとはわたしが全部やってましたから。朝のうちに昼の仕込みはしてしまいますから。いまは21人かな、当時は30人以上。どこの業者さん? って言われてました。つくるの、早いですよ。自分で言うのもなんですけど、この速さでこの人数の魚焼く人おる? 焼きうどんつくる人おる? っていうくらい。昨日もラスト入ってから、こんな鍋にいっぱいですもんね。むちゃくちゃな人数。シャケ、一個焼くわけじゃないから。しかもうちはおかずの品数が多いらしい。多すぎるらしい」

劇団の食事は、劇場では自炊、センターではセンターの食事を食べるのが一般的だが、晃大洋の場合、どこへ行っても自炊しているという。

「劇団はセンターのご飯をいただきますが、わたしは自分のもんは自分でつくります、センターへ行っても。自分の部屋で自炊するんで。津川さんがおったたときのクセです。で、食事の支度が終わったら、お芝居出ながら、お芝居の台本書いてるときは台本書いて、映像やってるときは映像編集して。お昼の部終わったら、また夜の部のごはんの仕込み。でもいま嫁がおるから、そこあんまりやらなくていいんで、事務処理ばっかりしてます。場所によったら、休憩の間に孫連れてどっか行ったり。帰ってきて夜の部の芝居して、ショーが終わるか終わらへんかくらいから孫を4、5人お風呂に入れて。で、そのまま洗濯機まわして、夜ご飯食べてからが、わたしの時間。早かったら11時くらいからで、遅かったらもっと遅いですね。稽古があるから。わたしが呼ばれる芝居がそこまでない月もあれば、おかあさんお願いしますって呼ばれる月もあれば。座長次第。あとは、本番の芝居みて、文句言うだけです(笑)」

津川竜メモリアルデー。鵣汀座長が踊る矢沢永吉の曲に、興奮してつい舞台に飛び出す谷町シンジ。谷町、亡くなった津川竜と矢沢永吉のコンサートに行きたかったという。「もし、津川さんがコンサートに行ってたら、きっと自分の舞台でも踊ってたやろうな」と思う。果たせなかったその夢を鵣汀座長が舞踊ショーで。

劇団の食事に手の込んだものをつくってほしいというのは、総座長津川竜からのリクエストだったという。

「昔なんかは入ってきたばかりの子は、ご飯にこうこいうのが普通やったらしいです。花形になって、座長になったら品数も増えるみたいなね。お給料やったからね、ご飯が。津川さんは、とりあえず、舞台終わってみんなで食べるご飯は、手の込んだものをつくってくれ、てんやもんやなくてつくってくればかり言われてきたんで。それを通してきました。みんな同じように出してるんやけど、たとえばお客さんが何かをくれる、津川さんだけ一品多い、そこに食べたそうな子が通りかかったら、あげちゃうのが津川さん。自分は食べんとね。食べることに関しては、ものすごく、みんなにひもじい思いさせたくないっていうのがあったから。津川さんは、ご贔屓さんと外に食事に行くようなつきあいは、一切しない人やったんで。ほんと舞台しかアピールするところもなく、電話してなんぼご祝儀つけてっていうこともしたことないし、お金困ってるからお金送ってなんていう人でもないし。そういうこと一切ないのに、わたしらがひもじいおもいせんと来れたっていうのは、すごかったなと思いますね。遊びにも行かんしね。そういう点では役者の嫁としても、わたしは幸せやったなあと思います」

食事はみんなで、同じものをお腹いっぱい。それはいまも続いている。

おしまい

(2023年11月28日、12月9日 三吉演芸場)

取材・文 佐野由佳

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