第3回 おばちゃん、吸い寄せられる

2314

日本舞踊を習い始めたのも、まだ子どもだったころ、小学校6年生のときだという。

「もともと母親(鈴川真子)が習っていて、僕はくっついて行ってるだけで、ゲームセンターで遊んでたんですよ。おこづかいちょうだい、って取りにいったら、一緒にいた踊りの先生から『あんたの踊りは気持ち悪い。明日から稽古に来なさい』と言われて。そこから毎日です。名古屋の内田流というところですけど、その先生が西川流でやっていて内田流に移った方なので、基本は西川流なんですかね。

愛知県の尾張温泉に東海センターっていうのがあって、いまはお風呂屋さんだけですけど、昔は劇場もあって、恋川劇団は毎年行ってたんですね。その1カ月間は、毎日、日舞の稽古なんですよ。舞台は昼の部だけだったので、3時ころ終わったら、シャワーを浴びてご飯をパッと食べて、4時くらいからお稽古で、夜9時まで。食事以外は全部稽古。それをずーっと、そのおこづかい取りにいった次の日から。

当時はまだ母親が習ってたんで、母親たちがやって僕がやってって感じだったんですけど、途中から僕ひとりになって、妹(鈴川桃子)が一緒にやるようになって、最終は桃子はやらなくなって、純(二代目恋川純)がちょこっと何曲か習ったのかな。僕は結局、6年生からやって中学2年で師範を取って、20代前半くらいまでやってましたね。劇団がめちゃくちゃ忙しくなったのと、踊りの先生が具合悪くなったりしたこともあって習わなくなって。劇団を抜けてから、またちょこちょこ行って。ここ3年くらいは行けてないんですけど」

恋川純弥の舞踊は、端正で華やかだ。それは、10代で身につけた基礎があればこそだったのだとあらためて知る。同時に、基礎があればこそ、そこに収まりきらずに溢れるもののなかに、恋川純弥を恋川純弥たらしめているものがあるのだということもまた、よくわかる。

去年(2020年)の10月、新開地劇場で都若丸劇団と恋川純弥の合同公演を観に行ったときだ。都若丸劇団ではおなじみの、全員が舞台に出てきて飲み物を飲む「ミックスジュース」という余興的な演出の出し物がある。その日、恋川純弥は舞台上手の一番端っこにいて、飲み物を飲み、曲にあわせてみんなと一緒にラフな振り付けを踊っていた。すると客席から立ち上がった小柄なおばちゃんが恋川純弥めがけてまっしぐら、目の前で一緒に踊り出したのだ。舞台中央のことはおかまいなしに、まるで吸い寄せられるみたいに。それに気づいた純弥も、面白がってしばしおばちゃんとダンス。若丸座長も、そこ!何やってんのと笑いを誘い、しばしなごやかな空気が劇場中に広がった。

純弥にロックオン

ハプニングのような出来事だったけれど、吸い寄せられてしまったおばちゃんの気持ちは、なんだかとてもよくわかる気がした。恋川純弥の舞踊には、そういう不思議な力がある。観ている側が気持ちよくなっていくような、アドレナリン抽出効果というか、ヒーリング効果というか、解毒作用というか。いや、案外、劇薬なのかもしれないが。

撮影:多々良栄里(この1点のみ)

取材・文 佐野由佳

関連記事