第3回 何回言ったらわかるんや

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御歳81。長い役者人生、大日方満のもとから巣立った役者も数知れず。現在の大衆演劇界を担う座長のなかにも、その薫陶を受けた役者は少なくない。自身が一代で立ち上げ牽引してきた劇団は、ひとり娘が座長を継いで現在にいたる。苦労させてしまったと振り返る。

「いまうちにいる仁道竜之介いうのは、うちの座長に憧れてーー男が女に憧れていうたらおかしいかもしれんけど、入ってきて、一生懸命やってくれてる。8年くらいになりますか。孫の忍や小とらのことも弟みたいにかわいがってくれて、舞台のことだけでなく、休みの日には一緒に釣りに行ったり野球をしたり。わたしたちじいさん、ばあさんとしても喜んでます(笑)。もとは橘炎鷹のところにいたんです。炎鷹も僕の子みたいなもんで。僕のこと、お父さんお父さんって言ってるんですよ。炎鷹の父親、亡くなった橘魅乃瑠がうちから出た子なんです。炎鷹がちっちゃいとき、とんぼ名乗ってるときに、あれが女形して、僕が二枚目で踊ってるビデオとかありますよ」

のちにお借りしたビデオには、たしかにまだ10代半ばの橘炎鷹座長が初々しい姿で写っていた。ほかにも、往年の役者が勢揃いした座長大会の映像には、昨年12月に亡くなった初代恋川純と、当時15、16歳の息子の恋川純弥の姿もあった。

「二代目恋川純のところのおとっつあん、初代恋川純と、大川良太郎のおとっつあんの杉九州男とは兄弟で、二人ともうちにおりましたから。良太郎なんか僕が風呂入れたくらいですから、よく知ってます。あれの本名の忍というのは私がつけた名前で、うちの孫が良太郎をまるで神さんのように慕ってるんです。芸名つけるときに、僕は忍になりたいっていうて、良太郎にお前の名前欲しい言うんや、かまへんか? 言うたら、いいですよぉ全然、僕は先生に付けてもらった名前ですから、って。で、いま花形やってる孫は忍っていうんです。昔の座員でいまもう、死んだ人も辞めた人もおりますから、いまおるというと、たつみくん(たつみ演劇BOX)ところにいる宝良典、あの子もうちの身内みたいな子で、本当にがんばってくれましたから。まだ、ちょこちょこおると思うんですけど。みんなその子たちが偉くなってくれてるから。関西でも古い劇団いうたら、私とこと市川おもちゃ、それから小泉。大阪で三つくらいじゃないですか。でも、小泉も市川もみんな親の代、おじいちゃんの代からですけど、僕は一代目です。大日方というのはもう私一代でここまで来て、いま娘(大日方皐扇)がやってくれて、二代目になるんですかね」

大日方満と娘の皐扇(こうせん)。昭和62年8月浅草木馬館。撮影:臼田雅宏

娘さんを座長にということは、大日方先生が決められたんですか?

「一人っ子だから。上でも下でも男がおればね、女の子にそんな苦労させません。だから私が座長襲名させたときに、いろんな人が東京からも応援に来てくれました。その場はうちの娘も喜んどったけど、あとで娘は娘で随分苦労したみたいで。なんで私がパパの名前を継がないかんのかなって。この名前を継いだために、私はどんだけ肩の荷が重かったかということは最近なってちょこちょこ言いますね。座長大会に行くじゃないですか。行ったときにねえ、自分が歳が若いのに、先生とこの皐扇さんが来ました、大日方先生とこのって。人が立ててくれるのはありがたい、ありがたいけども、立ててもらっただけで、私は女やからおるところがないって言うんですよ。だから、どこの座長大会行っても、自分より下やなと思っても、相手が座長やったら、この人やったら先生言うてもええなと思う人やったら、先生ってあえて呼ぶって。そうしたほうが人が見てええんと違うかなと思うて、って自分なりに考えてやってるんでしょうね。それにやっぱり、できないということは言えない。昔の悪いヤツがね、あえて無理な役、無理な台詞をもってくるらしいんですよ。いまでこそ38歳になったけど、30そこそこで座長なって2、3年たったときは、そういうことがつらかった、っていうことを、いまになって聞きます。僕は知らなかった。だから悪いことしたなあと思ったけど。自分がつらかったから、男の子産んだんかわからんけど、うまいこと二人も(笑)」

大日方忍花形(左)、大日方皐扇座長親子の相舞踊。

舞台のことは、大日方先生がじきじきに教えてこられたんですか?

「なかなかキツくは言えないと言いましたけど(第1回参照)、身内にはキツイんですよ、僕は。お前何回言ったらわかるんや、っていうことはときおり言います。娘にも言います。娘が座長になって、何年かたって、男役さしてダメやなあってことがあって。無理もないんですよ、体も小さいし、だから男役は本来は無理なんですよ。その前にうちの家内を座長にさせたことがあるんです、僕が具合が悪くって。そのときにうちの女房は体がちっちゃい、細いから男役は無理だと思って、女優として『唐人お吉』とか『明治一代女』とか、教えたんです。でも、うちの娘はちょっとガタイが家内よりあったし、声が太かったから、お前は男役やってくれんと女ばっかりじゃダメだよって言うて、男役やったけど、まあダメでしたね。家内と3人で芝居してるときにね、こっちがおじいさんおばあさん、娘が旅人で出て、その旅人が泣いて頼んでくるっていう場面なんですけど、ああ、泣けんわ、そんなんじゃって舞台でいじめたこともあります。自分が若いときにやられてイヤやったから、座員さんにはやらないですけどね。孫とかやらにもよくやったから、ひどい人やてよく言われました。娘はそういうときに何も言いません。つらい時には、ただ涙をぽろっと流します。そういうときもありながら、ちょこっとずつ変わってきましたね。完全とはいかないけど、男役は親の私から見ても、台詞回しと迫力というのかな、ちょっと人に観てもらっても、まあまあええのではないかなというところまでやってくれてる。立ち回りも娘はやります。僕が立ち回り好きやから。だから孫たちも立ち回りは好きです。それはずっと血ぃひいてくれてるなと、喜んでるんですけどね」

迫力のある座長の演目は、たとえばどんなものがありますか?

「石松とかね。うちの家内が、ひばりファンで、映画の『ひばりの森の石松』が大好きだったんです。自分は体がちっちゃいからできなかったんで、娘にさしたかった。ほいで僕に稽古してやってくれと。閻魔堂の前で血だらけになって、すごいですよ、もう、男、負けます。それくらい血糊使ってやってます。石松っていうのは、どもりで難しい役ですけど、いま、孫もそれが好きなんです。おんなじように血糊いっぱい使ってやりますよ。体じゅうに、卵の血糊を仕込んでね、びゃーっとつぶしたりして。その卵つくる役がわたし(笑)」

大日方ブランドの血糊ですか!

「ひとつの芝居で、昼1回に8個くらい使います。それをつくるだけでも大変です。卵を穴あけて、全部中身を出して、割りばしくーっとこないして入れて、くるくるして、黄身はつぶれるから、水道のとこいって水をちょろちょろーって、それを2回くらい。ちょっと置いといて、血糊を水に混ぜて、そこへ入れて、上まできたなと思ったら、今度はテッシュ(ティッシュではなくテッシュ)で唾つけて二重三重にして入口を貼るんです。で、ろうそくに火ぃつけて、ろうで全部固めてしまう。横にしてもこぼれないように。その卵を舞台のあっちこっちおいといて、そこへバターン倒れていったとき、それを持って、ブスーっと刺されたらバーッと。普通にやったら卵置いただけで血がこぼれちゃうから。よその人は、おそらく脱脂綿っていうんですか? あれを入れ物の中に入れて、使うときだけ、それ持ってバッとやるのが多いですよね」

大日方ブランドは、卵の蓋がすごいわけですね。蓋を先生が考えられた?

「はいはい。ほいでちょっと大きめの注射器でね、なかに血糊を入れるんです」

それは誰も真似してないんですか?

「真似してるでしょう。僕とこから出た人間、みな真似してます。だから炎鷹に聞いたらわかりますわ。お父さん、こうしとったいうんで。恋川のところもそうやと思います」

昭和62年8月浅草木馬館で。撮影:臼田雅宏

そうやって血糊も伝授されていくんですねえ。踊りも大日方先生が教えてこられたんですか?

「僕らのころは、芝居がうまくなりたいから踊りも稽古しました。本式に藤間流を習いましたよ。座長になってから、24、25のときですけどね。『保名』も踊りましたし『雨の五郎』も『藤娘』も。僕の先輩の大導ひろしという役者が、頭よかったんでしょうね、役者をしながら踊りを毎日習って藤間流の名取になったんです。役者で人気のあるうちにお弟子さんちょっと集めとって、自分でぼちぼちこのへんでいいなと思ったときに役者をスパッとやめて、藤間カノスケという木札をぽっとかけて踊りの師匠になった。その人に教えてもらいました。うちの娘もそのお師匠さんに『さらしのお兼(近江のお兼ね)』と、2、3本教わったんです、座長大会のために。だからうちの娘は踊りはまあいいほうじゃないかと思うんですけれども、いま、孫たちには、私が腰が悪くなったから、踊りに手をつけてやれないんですけれども。気になることは言います。男のときはかまわんけど、女形のときだけは、ツツッと出ていったときは内股で、とにかくグッと腰を落としなさい、ほいで、止まりなさい。止まってゆっくり手を出しなさい。こう出すんですよ、なんで広げるの、ここ合わさないの? 上にしたらダメよ。上を指さすときやったらいいけれど、普通に出すなら、なるべく下目に出しなさい。自分のあごの下のほうにスッと出しなさい。そのほうが向こうから見たらきれいだよって言うたり。そういう具合に僕も教えられましたから。それと、舞台に出てきただけで、お客さんがハッと、何か気のつくよう、華がある役者にならないかんいうこともよく言われました。座長大会なったら特にそうですよね」

そのために、どういう工夫をされましたか?

「僕の卑怯なのは、座長大会なったら、ヤクザもんの芝居なんかだったら親分やってるでしょ、ほたら、待て待て待て待てー、言うて親分こう出てくるところでも、すぐに声と一緒に出ないんですよ。一歩奥から、待たねえかー、待て待てーって言ったら、声聞いただけで、あ、大日方出てくるってわかるじゃないですか。そしたらファンが、手を叩く構えをしてくれる。そのタイミングで出て行く。待て待てっていきなり出て行ったら、あっち向いて弁当食べようかと思っとった人がそのまま向こう向いちゃってる。そのお客さんをこっちに向けるコスさというんですか(笑)。コスいわけじゃないんですけどね、人がやらんことをやったほうがいいだろうと思うので。それでいて相手の邪魔もしない、という感覚で。たとえば、これからじゃあ俺は行ってくるからあとのことは頼んだぞ、女房と子分に言うていくでしょ。高二重(たかにじゅう)の上から降りて木戸のところへ行く。義理の弟の林友廣がよく言うんですけど、兄貴はよくずーっとしゃべりながら出ていくなって。普通は、じゃ行ってくるからな、で一拍して下駄はいて、木戸のところに行くまで無言になってしまう。でも僕は、じゃあ行ってくるから、あとは頼むぞ、あ、そうだおめえに言っとくが、あれだけはやっときなよ、わかったな、と言って、とんとんとんと出て行って、後ろ向いて、じゃああとは頼んだぞ、としゃべりながら動く。ああいうことをするのは、兄貴どこで教わった? ってよく訊かれるんです。それは教わったんじゃないんです。そこまで無言で行くのが、自分のなかでもたなかったんですよね、はっきり言うたら。まあたとえば、ふだんでもそうですよね。じゃあ行ってくるからな、頼むよ~って言うのと一緒で、なに気なし言うとったんが癖ついて。兄貴みたいな、あんな言いながら出て行く役者いままで見たことがないとかね。それも勉強かなんかわかんないですけど、自分はそうとも思わずやっとったことなんですけど。だから、そういうことって、教えようと思ったって教えられないんですよ。孫が僕の舞台を観て、おじいちゃんはこうだったなって観て覚えてくれないと、なかなか教えられないですね。背中で芝居せえよって言いますけどね。男は前向いて泣くな、と。男は背中で泣けって言ってね、そういうことは言いますけど、それはやっては見せられないですね」

次回へつづく!

(2021年10月17日 演劇館 水車小屋)

取材・文 佐野由佳

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