第1回 自分の顔は好きじゃない

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恋川純弥はいま、弟である二代目恋川純座長率いる桐龍座恋川劇団に「実家のお手伝い」として出演している。この3月(浅草木馬館)4月(篠原演芸場)は、関東公演が続いた。フリーランスの役者として活動中ゆえ、日頃は定期的に舞台公演があるわけではない。しかも活動拠点は主に関西。不定期とはいえ、こんなに長く関東で恋川純弥を観られる機会はまたしばらくないだろう。

この貴重な機会にと、インタビューをお願いした。楽屋にお邪魔させてもらうと、化粧を落としてTシャツに短パン、ラフないでたちで現れて「こんな格好でいいですか?」と、化粧前のコーナーでお話を聞くことに。もちろんです。

コックピットのように、衣装や刀、三味線などが収まった一角には、去年から始めた「17LIVE」配信用のスマホも設置されている。舞台の合間にも、楽屋から配信することがあり、休憩時間中の客席には、スマホ片手の純弥ファンも少なくない。

「17LIVE」をやって何か変わりましたか? と聞くと「よくしゃべるようになりました」と笑う。

「17 LIVEで初めて僕のことを知って観にきてくださる、新しいお客さまも増えました。いまコロナでお見送りができないですけど、今日観に行きましたよと17 LIVEのなかでコメントをもらったり、こういうのが観たいとか、生の声を聞けるのはいいですね。舞台の宣伝にもなりますし。ほんとは公演期間中は舞台に集中したいんですけど、それだと配信ができないので。舞台を観にきてくださった方が、舞台と舞台裏の両方を観られるように、楽屋からも配信してます」

フォロワーは現在、約2万5千人。

「最近は時々しかできないですけど、ちゃんと化粧して衣装をつけた舞踊配信をすると、視聴者の人数が倍くらいにワーッとあがるんです」という。

楽屋化粧前にて。Tシャツは、浅草のドン・キホーテで購入。お似合いです。


化粧をして役者の顔になっていくときは、やはりご自分でも「オレ、かっこいいー」って思ってるんですか? とちょっと意地悪な質問をしてみたら、意外な答が返ってきた。

「僕ね、自分の顔が好きじゃないんです(笑)。かっこいいなんて思わないですよ。昔からです。だから自分の写真、化粧前にも飾ってないんですよ。役者さんのなかには、飾ってる人も結構いますけど」

そうなんですか? こんなに長年、キャーキャー言われ続けていてもですか?

「そもそも、キャーって言われることを、あんまり鵜呑みにしてないので(笑)。キャーキャー言ってる人は、どこでも言ってんだろうなって思ってます」

どれくらい、恋川純弥がキャーキャー言われてきたか。大衆演劇界のトップ座長として観客動員していた時代のことは、もはや伝説のように語られている。その時代のことを知らなくて申し訳ないとわびつつ、どうすごかったのか具体的なエピソードをひとつ教えてほしいとお願いしてみた。

「ピークは25歳くらいだったんじゃないかな。25歳の誕生日公演で、神戸の新開地劇場で昼の部夜の部あわせて1400人入ったんですよ(註:新開地劇場のキャパは230席)。通路も2列で席をつくって、後ろの扉も全部開けて、花道の反対側の壁も横向きの立ち見にして、2階席も全部扉を開けて、なおかつ並んでたお客さんが100人くらい入れなくて帰ったんです。これ以上は入れませんって扉を閉めたら、どこでもいいから観させてくれって言われて困りましたと、あとから劇場の人から聞きました」

いまから17年前の話だけれど、過去の栄光話に聞こえないのは、舞台に現れるとあたりを払うような独特の気配はいまも健在だからだ。そして、そのオーラのようなものについて、恋川純弥自身は自覚がないという点においても、昔もいまも変わらない。おそらく、キラッキラの瞳も。

「よく目がキラキラしてるって言われるんですけどね、それこそ自分じゃ見えないからわからないです。これが寝不足して追い込まれてるときとかは、さらにキラキラするらしくて。すっげー光ってるって言われます(笑)」

わたしが恋川純弥の舞台を初めて見たのは、いまから2年前のことだ。雑誌の取材だった。日本刀の特集号のなかで、大衆演劇の刀と殺陣について語っていただくという企画で、インタビューと撮影をお願いした。

観劇歴が浅く、初見の舞台が取材というのも失礼な話だが、そのときの印象が鮮烈だった。

新開地劇場の最後列の席で、カメラマンと舞台の撮影をしている最中に、その日、不覚にも泣いてしまったのだ。あまりにも思いがけないことで、自分でもびっくりした。それは恋川純弥が「山河」を歌ったときだ。ふいに心のなかの何かをぎゅっとつかまれたような、いや違うな、ふわっと光輝く何かが体のなかに入り込んできたような、そんな感じがしたのだ。

文字にすると怪しい、怪しいけれども本当にそう感じた。仕事中に誰かの歌を聞いて泣いたことなどなかったし、五木ひろし先生には申し訳ないが、「山河」という歌を、そこまでいいと思ったこともなかった。己が歩いてきた人生は、愛する人のために築いてきた景色は、本当に美しいものだろうかと問うその歌詞が、恋川純弥自身の言葉のように響く。そういう歌だったのか! と、初めて歌詞をかみしめた。劇場の暗い客席の隅々にまで吹き渡る、太陽風を浴びたような思いがした。

小道具や刀、事務用品に混ざって「マイマヨネーズ」が。

その日の芝居は「大利根囃子」。恋川純弥は、笹川繁蔵の食客平手造酒を演じた。「殺陣は互角に渡り合える相手があって、初めて成立する。撮影するなら弟との舞台で」というオーダーで、二代目恋川純座長率いる桐龍座恋川劇団の舞台にゲスト出演するときに撮影をさせてもらった。殺陣の見せ場をつくれるようにと、本来のストーリーにはにない、かつての同門で飯岡助五郎の用心棒になっている秋山という男を設定してくれ、二代目恋川純座長が演じた。その配慮も大変にありがたかった。そして、斬って斬られる見事な立ち回りの果てに死んでいく平手造酒に、これまた不覚の涙をこぼしてしまった。仕事中だったのに。

それは物語の世界に深く入りこむことができたからなのだけれど、それだけではない。泣くことと感動することは必ずしも同じではないが、この日の歌にしろ芝居にしろ、たしかに恋川純弥の何かを浴びて、心がふるえて泣いてしまったのだ。

それはいったい何なのか。どこからくるのか。あのとき以来、考え続けている。そしてもう一度、あんなふうに恋川純弥を浴びたくて、劇場に足を運んでいる。


浅草木馬館向かいの「前田食堂」から取った出前の、
おまけにつけてくれた煮込みに貼られていたという付箋が、衣装ケースの端っこに貼られていた。

取材・文 佐野由佳

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