10歳で大衆演劇の世界に入り、14歳から長谷川劇団の旗揚げメンバーとして本格的に舞台に立ち始めてから、芝居のことは、ほかの役者の舞台を観ることで身につけたという。
「わたしが舞台に出始めたころって、みなさんそうだと思いますけど、観て覚えました。自分の劇団の芝居も舞台袖からじっと観てましたし、いろんな劇団を観に行くのも好きでした。休みの日とか。センターで昼の部だけだったら、走れば夜の部観に行ける、みたいな。勉強っていうか、そんな構えたことじゃなくて、単純に観るのが好きだったっていうだけで。最近も観に行きますもん。いま岐阜に住んでいて、今月、劇団暁さんが葵劇場だったので、もう2回観に行きました(笑)。今年は6月のTeamJunya公演で三咲暁人くん、隼人くん、龍人くんたちと一緒だったのでね。この間の、木馬館の『原点回帰』公演も、行ってきました。なに? 群舞バトルだと? 観たい! みたいな感じで(笑)」
昔からファンだったという恋川純弥の舞台は、足繁く通った思い出もある。
「それこそ14歳のときですよ。広島に海田温泉っていうセンターがあって、旗揚げ間もない長谷川劇団がそこで公演してて、恋川劇団が電車で二駅先の清水劇場だったんですよ。どちらも、いまはなくなっちゃいましたね。海田温泉は昼の部だけだったんで、清水劇場にほぼ毎日、通いました。その月、24回行きましたから。大ファンですよね(笑)。舞台に対して一生懸命な人って、観てて魅力があるじゃないですか。当時はそこまで考えてなかったですけど、そういうものを感じてたんでしょうね。まさか一緒の舞台に立つことになるとは、そのころは夢にも思ってませんでした。いまでもファンですよ。すごい人やな、って思って観てます。さすがに同じ舞台に出てるときは、切り替えてますけど(笑)」
そうやって人の芝居や舞踊を観て、心と体に叩き込んで身につけたことは、おいそれと人には渡さないーーそう思っていたという。本格的に舞台に出るようになり、劇団の中核を担うようになってからは、後輩の男の子たちに負けたくない一心だったという。
「10代の初めのころは、男の子たちと一緒にさぼったりしてましたけど、ある程度、みんなまじめに舞台に取り組み始めてからは、負けたくないので、結構、バチバチでしたね。なんてったって男社会じゃないですか。仲が悪いわけじゃないですけど、劇団にいたころ、わたしは舞台に関して自分で勉強したことは人に教えなかったです。後輩を舞台で育てるっていうことはしなかったと思う。自分が身につけたものは、おいそれと教えたくないっていうのはありましたね。不安しかなかったので」
やがて23歳のとき、副座長に就任する。
「突然言われましたね。言われたとき、最初は断りました、重すぎるって。京也さん(現在の劇団都・都京弥座長)とふたりで副座長襲名したんですけどね。副座長になったとき、下は男の子5人いて、女の子も5人いて。女の子に負けるっていう気持ちはあんまなかったけど、男の子だったらね、いつパンと変わるかわからないじゃないですか。昔は女優って言われるのが嫌でした。わたしは役者だから、って言ってました(笑)。どういうこと? みたいな。大衆演劇ってそういうイメージがあるじゃないですか。女優は一歩下がってろっていうね」
女だからという理由で、悔しい思いはいっぱいしたという。
「めちゃめちゃありますよ。副座長になってすぐ、お客さんから『なんで副座長なの?』って言われました。『何年やってるの?』とかって聞かれて、『あ、もう十何年です』って言うと、『だから副座長なんだ』とかね。は? って感じでしょ。見た目とかもね。最近は言われないですけど、昔、タチ役ばっかりやってたころがあって、男の子と間違えられるんですよ。長谷川にいるときは、たいてい、老けするか、三枚目するか、男だったから。送り出しで『え? 女の子なの?』って言われて『はい』って言うと『えー、女の子じゃあ応援してもねえ』とかね。長谷川劇団のなかでは、男だから女だからっていうのはなかったですけどね。愛さん(現在の長谷川劇団愛京花総座長)も女性やし、座員のなかではわたしが一番上だったから。いまは世間もだいぶ変わりましたし、そういうことは少なくなってると思いますけどね」
劇団のなかに男女の隔てはなかったが、負けたくない気持ちが強かった。若い世代にものを教えるようになったのは、フリーになってからだという。
「フリーになってから、人にものを教えることを惜しまなくなりました。劇団にいたころは、危機感というか、いつ負けるかわからない、いつ追い越されるかわからないって、怖かったけど、いまそんなことどうでもいいし。ねえ。役に立つなら、行った先々の子がちょっとでもうまくなってくれたら嬉しいし。だから、やめてから、いろいろ教えてさぁっていう話をすると、舞ちゃん(長谷川劇団の長谷川舞)とかに、え? って驚かれます。劇団いたときは、わたしそんな教えてもらった覚えはないって(笑)。劇団で副座長やってたときは、名前だけだね、って言われたくなかったし。必死やったんでしょうね。結構、わたしは若い子に、なつかれるのはなつかれてたんですけどね。ある程度のことは教えますけど。聞かれたら教えるし。でも、自分からは関わらないようにしてました。昔は楽屋でピリピリしてる感じだったらしいです、あとから聞くと。今日はしゃべりかけないでね、みたいな(笑)。でも、別にみんながそんな、仲悪いわけじゃなかったんですよ。わたしも危機感はありましたけど、フンッとかしてるわけでもないので、みんなとご飯もたべるし、ギャーギャーふざけることもあるし。このお芝居しようってなったときの団結力は、長谷川劇団はすごかったですからね。一週間前くらいから本読みが始まって、道具がなければつくって、わたしはだいたい音響関係だったんで、音決めたりとか。だから、舞台のことで揉めることはなかったです」
そうやって、子どものころからの憧れだった役者の道を、持ち前の負けん気の強さで、ひとつひとつ切り拓いてきた長谷川桜は、間違いなく、大衆演劇界における女優の地位を引き上げた役者のひとりと言えるだろう。だから途中で一度、役者をやめたことがあると聞いて、驚いた。途切れることなく、迷うことなく、舞台に立ち続けてきたのかとばかり思いながら、話を聞いていた。
「いや、途切れてます(笑)。26歳で劇団やめたんで。ハハハ。劇団ドロンして。ハハハ。丸2年くらいは舞台に出てなかったですかね」
思いがけない言葉だった。
「うーん、きっかけになったのは、地震ですかね。東日本大震災のときに茨城の『アゼロン神の栖(かみのすみか)』っていうセンターで公演してて。いまはもうないですけどね。国道を渡ったとこがセンターだったんですけど、国道の寸前まで津波がきました。被災して、一週間くらい何もかも止まったのかな。みんな寮に帰ってたんですけど、わたし、外に出るのもこわくて、センターの社長さんご夫婦と、エステしてた娘さんと、一緒に寝泊まりしてたんです。地震があったのが11日じゃないですか。お風呂だけ最初、再開するってなって。大浴場掃除したり、シャンプーも業務用のやつを詰め替えたり。水とかも止まってるから、貯水タンクに水汲みに行ってトイレ流したり。食事用の水も運んだり。電気はなんとかなってたのかな。とりあえず、お風呂はどうにか再開できそうだってことになって。近所でお風呂に入れない人、たくさんいたから。フロントの電話出たりとかしてましたね『はい、アゼロン神の栖です』って(笑)。で、舞台も再開するってなって、最初、舞踊ショーだけだったかな。そうすると、お客さんがご祝儀くれたりするんですよ。前から知ってる人とかでも。近所の人で、浸水しちゃってたりしてるのに。なんかもう、耐えられなくて。自分の精神的にも、いろんなことがあって。もうこんな状態で、わたしはこの仕事続けていけないと思って。で、ダメだって思って、27日に、千秋楽の前に逃げちゃいました」
なぜ、やめたいと話すのではなく逃げたのか。
「それはもう、言ったらやめさせてくれないっていうのはわかってたので。まさかわたしがやめるなんて、誰も思ってないから。本人も思ってなかったし。わたし、死ぬまで役者するだろうと思ってましたから。結果、戻ってますけどね。そのときは、二度と舞台には出ないと思ってました。だから、道具も全部置いてきました。やめてから、この仕事、向いてるなって。好きだなって、あらためて思いました。学校もまともに行ってなかったんで、いろんなバイトの面接も受けたんですけど、なかなか。でも働かなきゃいけないから。お酒はもともと好きなんで、居酒屋さんでバイトしてました。でもやっぱ、舞台出てるほうが楽しいって思っちゃいますよね。好きなんで。やっぱ、楽しい」
「それでまた、当時住んでた家の近くに、うちの先生の次男さんの劇団ふじさんが来るっていうんで、遊びに行って。そしたら『出ろよ』みたいな感じで。また出だして。一瞬また劇団に入りたいって思ったこともあったんですけど、ちょうどそのタイミングで第1回目のTeamJunya公演があるってなって。純弥さんから、よかったら1カ月来てくれませんか?っていうお話があって、それで、劇団に入る入らないは自分のなかで一旦保留にしました。で、1カ月公演したら、楽しい!!ってなって。大変でしたけど、めちゃめちゃ大変でしたけど、どっかの劇団に所属してしまうと、こういう機会があったときに出られなくなるんだな、フリーでいないとって思いました。劇団さんに所属している方たちで、TeamJunyaに参加してみたい!って思ってる人、実はたくさんいると思うんですけど、劇団に所属してるとそうもいかないじゃないですか。それで劇団には戻らずフリーになって、知り合いの劇団さんにちょこちょこ出るようになりました。長谷川劇団にもちゃんと話をして、出ていいよってなったんで。すごい人見知りだから、知ってるとこしかよう行かんですけど。はい、すごい人見知りです。お酒呑んだらものすごいしゃべるから、人見知りはウソだって言われますけどね(笑)」
気が強いのに人見知り。人にはなつかれるのに人見知り。その臆病さを持ち続けているところが、役者長谷川桜の、いや人間長谷川桜の、魅力なのかもしれなかった。
第3回に続く!
(2023年8月27日)
取材・文 佐野由佳