一見大弥 やってみたいのは、「遊侠三代」川北長治

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一見大弥はいつも笑っているような印象がある。実際には笑っていなくても、ニコニコした顔が似合う明るい気配の役者である。どこかのほほんとしたその明るさが、役のなかに生きる。「大阪嫌い物語」の出入りの大工・大初、「金さん一件落着」の遠山金四郎の部下である奉行所の役人。どちらもマイペースに突っ走る主人公に振り回されながらも、陰ながら支えるよき理解者。ボケる主役を絶妙なツッコミで支えるという役どころである。一見劇団の定番喜劇ともいえるこれらの演目に、一見大弥が登場すると、舞台の空気が明るく柔らかくなる。そしてなんだかほっとする。出番の多い役ではないが、やはりこの役は一見大弥でなければと思わせる。時間をかけてじわじわと、一見大弥は劇団のなかでその存在感を増している。

「金さん一件落着」は、テレビ時代劇でもおなじみの「遠山の金さん」の、いってみればパロディ喜劇である。江戸町奉行所の遠山金四郎が、町人金さんに扮して繰り広げる捕物帳なのだが、見せ場はそこではない。町人に扮した金さん(一見好太郎)が捕物を繰り広げる場面で、なぜか「暴れん坊将軍」や「必殺仕置人」のテーマ曲がかかってしまい、「違う、ちがーう」と「遠山の金さん」がかかるまで何度も修正させるというやりとりや、最大の見せ場であるお白州の場面で、襖の向こうから登場する時点で、遠山金四郎がすでに片肌脱いでおり、あわてた部下に注意され、いったん引っ込んで、今度は反対側の片肌脱いで登場して、「そうじゃなくて!」とまた注意されるという、どうでもいいようなやりとりが最大の見せ場だ。

決まった台詞があるようなないような、アドリブともまた違う、間が勝負の笑わせどころであり、それがこの芝居のすべてといってもいい。芝居の筋書きのなかに笑いの要素があるのではなく、そのナンセンスな面白さで笑わせるために筋書きがある。この部下の役人を演じるのが一見大弥である。好太郎金さんと大弥部下のやりとりに、毎回、腹を抱えて笑い、「あー、面白かった!」と気持ちよく劇場をあとにする。どう稽古するのか。

「本番一発です。好太郎座長の金さんが何をするのか、目を見て、あ、こんなことするのかなって読む、みたいな(笑)。何回かあの役やってますけど、同じことないですから。ボケるのは金さんなので、ふたりでボケたらお客さんは笑えなくなるから、僕は突っ込むほうに徹するというのは心がけてます」

役のうえだけでなく、相手の出方を見ながら、相手のやりやすいように自分の立ち位置を決めることが自然と身についているのかもしれない。姉や兄、弟、妹に囲まれた大家族に育った、明るく元気な弟気質かと思いきや、プライベートでは「結構、ネクラですよ。ひとり行動が好きだし、飲みに行くのも基本、ひとりです。ここ数年は部屋飲みですけど、500ml缶3本くらいで、くらくら〜ってほろ酔いになってる感じです」。

平成7(1995)年生まれ。今年(2023年)2月で28歳になる。2021年に亡くなった紅葉子太夫元の娘が、一見大弥の母である。母もまた、かつては舞台に立っていたが、一見劇団が愛知県のラドン温泉で公演をしていたとき、そこで板前をしていた父と出会い、結婚。愛知県に所帯を構え、結婚を機に母は役者を引退した。「役者になれと言われたこともなかったし、ごく普通の一般家庭の子どもとして育ったので、まさか自分が舞台に立つことになるとは思ってませんでした」という。

劇団に入ったのは14歳のとき。「小学校4年から三味線を習っていたので、一見劇団全員で三味線を弾くという企画のときに声かけてもらったんです。太夫元から、よかったら一緒に舞台に出て弾いてみいひんか、って。新潟の古町演芸場で。その日限定で出させてもらったんですけど、そのまま居続けて、結局入団しちゃったっていう流れです(笑)。楽しかったんでしょうね。中学2年のときです。それまでは、ほんとにたまに夏休みとかに出させてもらう程度でしたけど。舞台は好きでした」

しかし18歳のとき、一見大弥は一度、劇団を辞めたことがある。先に劇団に入っていたふたりの兄たち(紅翔太郎、紅優太郎)としょっちゅう兄弟ゲンカをしていたことが主な原因という。

「反抗期でもあったので、結構、ケンカしてて。辞めたというより、投げやりになって飛び出したという感じですね。水戸ラドン温泉から、そのまま愛知の実家に帰りました(笑)」

美人の兄・紅翔太郎は、移動の荷物の乗り込み隊長でもある。
 
次兄の紅優太郎は舞台照明も担当する。

そこから2年間、地元のガソリンスタンドでアルバイトをして働いた。「それまでの人生で一番濃い時間でした。一般社会のきびしさとか、お金を稼ぐ大変さとか、いろんなこと教えてもらって」。もう一度、舞台に戻りたいと思うようになった。

「飛び出したときは、戻る気はなかったんですが、三重のユーユー・カイカン(現・ゆうゆう会館)とか、割と近いので何回か観に行って、ああ、やっぱり舞台に立ちたいなと思ったんです。翔太郎兄ちゃんとはケンカばっかりしてたので、もう一回、兄弟で舞台に立ちたかったし。そのとき観たのは、劇団暁さんとか、いろいろ。大衆演劇の舞台は、子どものころから観てたわけじゃなくて、役者になってから観るようになりました。劇団辞める前とかは、ほかの劇団さんの舞台を観るの、好きだったんですよ」

もう一度、劇団に戻りたいと親に相談。自分で太夫元に頭を下げて来いと言われ、愛知県から車を飛ばして、東京・十条で公演中だった太夫元に会いに行った。

「僕ら、太夫元のことは、ちゃーちゃんって呼んでるんですけど、会いに行ったらちゃーちゃんが、『何やっとんや』と。ガソリンスタンドのバイトしてます、って言ったら、『楽しいか?』って。まあ、楽しかったんで、楽しいです、と答えたら『いろんなこと勉強したらええ。外に出て働いて学んだことは、舞台にも活かせるし、それを持っておけば、お前のなかでも変われるかもしれない。この2年間のことは絶対に忘れたらあかんで』って言葉をいただいて、戻って来いと。そのときは、ほんと泣きました。まさかそんな言葉をいただけるとは思ってなくて、出て行けって言われる覚悟で行ったので。嬉しかったですね」

それからというもの、「気持ちが、180度変わった」という。「純粋に、楽しく舞台に立てるようになりました。前は、嫌いではないけど、キツイなと思ったりしてたんですよね。でも、戻ってきてから、それはないです。いまとなっては、2年間外に出てよかったです。太夫元が許してくれなかったら戻って来られなかったので、ちゃーちゃんにはほんとに感謝です」。

ガソリンスタンド時代の先輩後輩とも、いまもつきあいが続いている。地元に帰れば連絡を取り合って飲みに行ったりもする。そういう友だちができたことも、嬉しかったという。

両座長はじめ、子どもたちには厳しかった紅葉子は、孫には優しかった。「ちゃーちゃんは明るくて楽しい人だったんで、毎日が楽しかったですけど、もちろん怒られたこともありますよ。個人舞踊を踊ってたら、羽二重ごとカツラがぽーんと飛んでしまったことがあって。そのまま踊ったんですけど、もういいやと思ってラスト舞踊もそのまま地毛で出て踊ったら、太夫元から『お客さんに失礼や』って。『個人舞踊で恥かいたからって、投げやりになって地毛で出たらいかん。恥かいてなんぼの役者なんやから』って言われたのはすごい印象に残ってます。お芝居ではゆっくり大きな声でしゃべる、っていうのを教えてもらいました。あとね、太夫元は明るい曲が好きで、暗い曲で踊ると機嫌が悪い(笑)」

そのほか、舞台のことは古都乃竜也に教わることが多かったという。「本番の舞台が終わって、ダメなとこがあると、幕が閉まったあとにパパッと言ってくれます。ほんとちょこちょこと。最近でもそうです。そのときの芝居を立てた、立て親が言ってくれることが多いですけど、それとは関係なく言ってくれるのは古都乃座長ですね」という。

劇団に戻ってきてから、兄弟ゲンカも減った。「徐々に改善されてった感じですかね。いまは、兄弟、仲いいです」。その後、弟(紅洋太)も加わって、4兄弟で舞台に立つ。「わざわざ一緒にご飯食べに行ったりはしないですけど、店に行ったら、なんでか知らんけどみんなおった、みたいなことはありますね。なんでみんなここ好きやねん、みたいな(笑)。舞台の話もしますけど、でもまあ、あとはたわいのない話です」


古都乃竜也座長を中心に、右から紅翔太郎、一見大弥、紅洋太、紅優太郎。

6年前、一見劇団は16年間花形をつとめた古都乃竜也が、一見好太郎との二枚看板で座長に就任。それにともない、紅金之助、一見大弥、紅ア太郎の3人が花形になった。一見大弥にとっては、まさかの抜擢だった。発表から花形就任までの2カ月が、劇団生活で「一番つらい期間でした」という。

「太夫元に呼ばれて、話をもらったのが2017年の2月だったんですよ。4月から、ア太郎くんと金ちゃんと僕が花形だって。そのときから、翔と優は納得はしてないやろうなと思ってて。僕が逆やったら絶対、納得せえへんし。芸歴も短いし、弟やし。3月にカッパ王国(福島県にあったセンター)まわらしてもらってるときに、お客さんから、弟やのに譲ってやらんの?とか、意見も言われるし。それはそうだろうなと思いますよね、順番ってものがありますから。ならしてもらってからも、最初のうちはそういう気持ちが強かったですけど、少しずつ変わりました。いまとなっては、花形であることとは関係なく、兄弟仲良く仕事するのが一番だと思ってます。だから、花形になる前の2カ月間が一番しんどかったです」

4兄弟で舞踊。実生活では妹たちを含めた8人兄弟。

紅翔太郎、紅優太郎、ふたりの兄たちから、直接何かを言われたわけではない。「でも、悔しかったと思います」と、兄たちの気持ちに思いを巡らす。

それはおそらく、兄たちも同じだったかもしれない。弟に対して悔しい気持ちと、兄たちを差し置いてと周りから言われながら花形になる弟の気持ちも、わかっていただろう。兄弟だから、むきだしで言えないこともある。

いま一見大弥は、兄弟と芝居をするのはやりやすいと話す。「翔とか優は、目を見とったら、何言うかわかるくらいの感じはあります。それは兄弟独特のものやと思います」。そして同時に「芝居では負けたくないんですよね、兄弟には」という。

兄・紅翔太郎(左)との相舞踊に、弟・紅洋太(中央)が乱入した後ろを、羽二重姿のまんま次兄・紅優太郎が通り過ぎる、という一場面。

舞踊より、芝居が好きだ。「演じることが好きですね。やりがいがあります」。好きな芝居は、恋愛もの。「『釣り忍』とか。あとは『吉良仁吉』」。

「吉良仁吉」は、永年、座長一見好太郎が主役をつとめてきた、一見劇団でも人気の演目のひとつ。数年前に、相手役の女房お菊を演じる紅銀之丞との年齢のバランスも考えて、一見好太郎が仁吉を演じるのはこれが最後、ファイナルだと銘打って上演したことがあった。それ以降、仁吉は、一見大弥が何度か演じてきた。しかし気がつけば、好太郎座長主演の「吉良仁吉」も復活しており、そのあたり大弥花形としてはどう思っているのか聞いてみた。

「吉良仁吉ファイナルがあって以降、『吉良仁吉』が演目にあがると、オレ、やらしてもらえるんかな? と思ったりするんですけど、見ると好太郎座長が楽屋で仁吉の支度してるんで、あ、違うんやなと思って、だまって長吉の格好します(笑)」。

オレじゃないんですか? とは聞かないのかと質問すると「いやいや、言わないです。好太郎座長は、普段から何も言わず淡々としてますからね。そこは口には出さず、心のなかで突っ込むくらいです。座長、ファイナルちゃうやんって(笑)」

「座長、ファイナルちゃうやん」。好太郎座長主演の「吉良仁吉」では、一見大弥(左)は仁吉を慕う弟分長吉を演じている。撮影=水野昭子

それでも時々、仁吉を演じる機会がめぐってくるときは、意識して好太郎座長とは違うやり方を心がける。「最初に仁吉をやったときは、台詞は好太郎座長に聞きました。口立てで教えてもらって、それを録音して、ノートに書いて覚えました。僕はそうしないと覚えられないんで。ただ、芝居のやり方は、自分なりに考えました。永年、好太郎座長がやってきて、お客さんもその印象が強いので、同じことをやっているとただの真似になってしまうので。オレが仁吉やったら、こういう感情でと思いながらやらしてもらってます。台詞回しとか、お菊との会話とか。全体的に違う感じでと思ってます」

最近では「身代わりカンパチ」の、主人公の松五郎(一見好太郎)とカンパチ(美苑隆太)が、一夜の宿として転がり込む宿屋の仲居役が強烈である。紅ア太郎花形とペアで登場するのだが、本編の筋とは全く関係ないドタバタコントで笑わせる。メイクも衣装も毎回、工夫を凝らす。「座長がどんな格好でもいいし、何やってもいいっていうので。ア太郎くんとは打ち合わせはしますけど、台詞らしい台詞はないのであとは流れで。どんな支度で出てくるかは、お互いに出番が来るまで知らないんで、毎回、楽しみです」。

何をやってもいいという場面ほど、腕が試される。「盛り上げないといけない役ですからね。ただ笑わせるっていうのが、一番難しいと思うんです」

仲居コンビの、紅ア太郎花形(左)と。

これからやってみたい役は、『遊侠三代』の川北長治。『喧嘩屋五郎兵衛』だったら朝比奈、あるいは伊之助。「渋い男に憧れます」。

プライベートでは、結婚願望はないという。「子どもは好きですよ。ひなか(一見劇団の子役・ベビーひなか)を見とったら、子どもはいいなって思います。でも結婚はぜんぜん」なんだとか。

2017年、子役として活躍するベビーひなかが、まだほんとにベビーだったころ。舞台の合間のツーッショット。
 
2022年10月、大阪・浪速クラブの公演は、紅葉子の一周忌追善公演も行った。
 

この世界にもう一度戻してくれた紅葉子太夫元とは、一昨年(2021年)の9月に新潟のホテル飛鳥で別れたのが最後になった。「ちゃーちゃん、先に出ますって挨拶したら『うん、気をつけて行けよ』って。それが最後の言葉になりました。これしかないと思うので。これからも、このまま役者をやっていきたいです。ちゃーちゃんがこの世界に戻してくれたんで、いまがある。ちゃーちゃんのためにも、頑張ろうと思います」

「ちゃーちゃん、頑張ります!」

(2022年3月12日 川越湯遊ランド)

取材・文 佐野由佳

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