第5回 花道から子分が15人

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恋川純弥は負けず嫌いである。そして稽古の天才である。殺陣にしろ三味線にしろ、好きだからこそとはいえ、積み重ねなければ成果が出ないことをやり続ける才能がある。それはひとえに、納得のいく舞台をつくりたいからだと話す。けれどもしかしたら、稽古がしたいから舞台をやり続けているのではないか、と思いたくなるほどだ。殺陣や三味線、舞踊に、芝居に、これでいいというゴールはないからこそ、稽古にも終わりはない。

唯一、目に見える成果は観客動員という数字だった。舞台が面白くなったのは、座長になって、自分が考えた舞台をやっていくうちに、どんどんお客さんが増えていったころからという。

「自分でつくって、自分で舞台にかけて、演じて、それをお客さまに喜んでいただくようになってから、楽しい仕事なんだな、お芝居って面白いんだなって思うようになりました」

日々積み重ねる稽古という努力に、観客動員という結果がついてきた。当時は、「毎年、年間大入のトップは取ると思ってやっていました」という。

「父の代までは、いわゆる大衆演劇の、昔からのお芝居をやっていて、歌舞伎の芝居のような大がかりなものはしませんでした。僕の代になって、自分で台本をつくったりするようになって、いまでは当たり前ですけど、東映から殺陣の人を呼んだりして大がかりなこともやるようになったんです。

「大利根囃子」より、平手造酒の立ち回り場面。(桐龍座恋川劇団 2019年8月9日 神戸・新開地劇場)撮影:多々良栄里

大衆演劇って、大きい舞台の芝居をこぢんまりさせて、少人数でやってしまうことが多いんですよね。沓掛時次郎、石松、仁吉、雪の渡り鳥とか、そういう大衆演劇でスタンダードなお芝居もそうです。それをこぢんまりさせずに、大きい舞台のスケールのままやりたかった。映画や舞台のDVDを観ていいなと思ったものも、そのスケール感そのままを、大衆演劇の舞台でやろうとしたんです。

新開地劇場で、1カ月間15人くらいの殺陣の人を雇いっきりで、大立ち回りをしてたときもあります。

そうすると、花道から子分が15人出てきただけで、うわーってびっくりしますよ。大衆演劇の芝居って、いくら主役の腕が立つっていっても、子分が2人、3人しかいない。言っちゃなんだけど勝てて当たり前じゃないですか。でも、座員も入れたら20人くらいに取り囲まれて立ち回りをすると、いくら勝つんだろうなと思っていても、ちょっとヒヤヒヤするんですよね。立ち回りの何がかっこいいって、斬るときが一番かっこいいわけだから、人数がたくさんいて、ばったばったと切り倒していくようなことをすると、芝居の厚みがグッと変わるんです。父親からは、お金使いすぎって言われてましたけど。そんなことやってる劇団はなかったんで、お客さんがめちゃくちゃ増えました」

撮影:多々良栄里

そういう舞台のアイデアはどうやって思いつくのですか? 

「大衆演劇のよその劇団の舞台を観る機会もなかったですし、興味もなかったし、いまみたいに劇団公演の映像とかも出回ってなかったですからね。大衆演劇のなかで争っても、っていう感じだったので、商業演劇とか映画とかを観て、違う世界のものをいっぱい取り入れていこうと思ってました。

映画館や劇場に観に行く時間はなかったので、当時はビデオの映像ですね。借りたり買ったりしたものもあるし、座長をしていたころ、東京にも、大阪にも、大舞台の映像を持ってきてくれるお客さんがいたんですよ。歌舞伎から商業演劇から趣味で集めていて、これいいよ、ってお見送りで渡してくださる。こんなのやりたいんですけど何か資料ないですかね、って電話すると、ああ、あるよっていって送ってくださることもありました。

たとえば、萬屋錦之介さん主演の映画『森の石松鬼より恐い』、舞台監督がタイムスリップして石松になっちゃう話。24歳くらいのときに映画をビデオで観て、面白いなあと思って。それをモチーフにして、自分なりの台本をつくって誕生日公演でやりました。そのときは20人くらい殺陣の人を雇って立ち回りをやりました」

どんな舞台をつくろうか、座長時代は毎日ずーっと、仕事のことばかり考えていたという。やりがいも手応えも感じていた。けれど同時に、いい舞台を追求すればするほど、ストレスもかさんだ。

毎日日替わりだったとしても、自分の納得のいく、最高にいい舞台をつくりたい。けれどそのためには、睡眠時間を削るような生活をずっと続けなければ、クオリティをあげるための稽古ができない。

「もうちょっと照明を合わせたかったなとか、あそこはもうちょっと打ち合わせやお稽古がしたかったなとか。それが1年中続くわけです」

毎日の舞台で、ちょっとずつ何かを妥協しないといけないことが、ストレスとして積み上がっていった。

しかも、それだけの努力と結果に見合った対価が受け取れないと感じることも、ストレスの一因になった。

「大衆演劇がやってる舞台は、かかる経費も昔とは比べ物にならなくなってます。いい舞台をやっている劇団は、照明のような機材にもお金をかけてるし、団体の舞踊の衣装も、たとえば1着3万円の着物を10人分つくったら30万円。それを何着も揃える。刀も立ち回りをすれば傷がつくから張り替えたり、カツラもメンテナンスが必要です。男だったら1万円、女形なら1万5千円とか、かかる。昔は黒髪のカツラだけだったので、座長さんでも30面あれば持ってるねーって言われましたけど、いまは100面あっても足りないですよね。僕でも、150面くらいあると思います。メンテナンス代だけでも馬鹿にならない。

なのに昔と変わらない入場料でやってること自体、僕は間違ってるって思うんです。役者がいくら観客動員しても、劇場に持っていかれる分が結構ある。協力的な劇場もあるけれど、そうではない劇場も同じように持っていく。劇団はご祝儀で儲けてるんだろって思われるけど、頑張って動員しているところほど、ご祝儀から舞台にかける費用を捻出してますから。トップを走ってる人たちほど、たいした儲けは出てないんですよ。休みも週に一日はあるべきで、役者が体を休めるのも仕事のうちだと思うんです。若いうちは体力と気力でなんとかなりますけど、それでは長く続けられない」

大衆演劇界が抱える労働環境問題に対して、恋川純弥は声をあげる。それは私憤であり義憤なのだ。

取材・文 佐野由佳

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