思えば、大衆演劇のことで一番最初にインタビューをした役者は恋川純弥である。大衆演劇ナビを始めるもっと前、2018年当時も、すでにフリーランスの役者だった恋川純弥は「大衆演劇から離れて活動していきたい」と話した。その後、コロナ禍に立ち上げた大衆演劇ナビでインタビューしたときも、同じように語った。自主企画公演である「ひとり会」を観に行ったことを、記事として紹介したいと申し出たときも、「ひとり会」は大衆演劇の公演ではないので、大衆演劇ナビに掲載してもらうのは違う気がする、とわざわざ連絡をもらった(そのとき掲載の記事はこちらから)。
大衆演劇の世界に生まれ育ち、一度は大衆演劇を飛び出して、役者そのものを辞めることまで考えて、再び、フリーランスの役者として舞台で活動する道を選んだ恋川純弥にとって、大衆演劇とどう関わるかは、好むと好まざるとにかかわらず、終生切り離すことのできないテーマだろう。
だからこの6月、TeamJunyaが篠原演芸場で初の関東公演をすることが決まったとき、少し意外な気もしたし、新たな展開が始まるのかもしれないとも思った。
TeamJunyaは、大阪の大衆演劇の劇場からの依頼がきっかけで、恋川純弥がフリーランスの大衆演劇の役者たちに声をかけ2016年に結成、不定期公演を続けてきた。集客という点では「入らなかったことは一度もない」劇団だが、2019年を最後に、いったん公演をやめている。理由は、劇団としては「毎回、赤字だったから」だという。
「メンバーは弟子とは違うフリーの役者さんたちなので、それぞれに出演料も出さなければならないし、いろんなところから集まってきますから、荷物の送料やトラック代も出さなきゃいけない。劇場からはお客さんがたくさん入るので喜ばれますけど、だからといってギャラは増えないですし」。
それでも今回、篠原演芸場での公演を引き受けたのは、
「新たな出会いとか、その場限りではない何かがその先にあると思えたから。赤字が出てもやる価値はあると思って返事をしました」という。
恋川純弥にとって、いま大衆演劇の舞台はどういう存在なのか? 今後また、1カ月間の座長公演をすることも考えているのだろうか?
「うーん、なんにも考えてないです(笑)。やりたいなとも思ってないですし、やりたくないなとも思ってないです」。
大変だから、というわけではない。
「毎回、大変なのはわかってるので。いや今回も、大変で楽しかったんですけど、でも、次回どうなるかはわからない。誰ひとり欠けても今回の公演にはならなかったし、みんながいたからいい公演になったと思うんですよね」という。
「暁人くんはまだ歳も若いですし、伸びしろがすごいですよね。やる気がものすごくあります。ほっといても、こんなことしよう、あんなことしよう、出番じゃないときも、その日の踊りでなんか変わったことできないかって、ずっと考えてる。芝居に関しても、最初は控えめな感じだったんですけど、わりと早い段階で、自分から率先して、こんなふうにやっていいですか? こんなことやりたいです、って提案してきて。隼人くんたちが、珍しいよねって。普段、よそではあんまり口出さないんですって。すごく楽しかったんだと思いますよって。だから、主役やっていいからね、って言ったんですけど、でもそこはTeamJunyaだから、主役は嫌ですって(笑)」
「メンバーと僕との関係も、弟子と師匠とも違いますし、開演前と開演後の、わざわざ楽屋に来て、お願いしますっていう挨拶もナシにしてって言ったんです。僕の場合、弟子にもそうしてくれと言ってますけど。顔合わせたときに、お願いしますって普通に言ったらいいじゃないですか。挨拶は普通にすればいい。開演数分前に、台詞とか多くて悩んでるときに入れ替わり立ち替わり、お願いしますって言いに来られるのもしんどいし」
そうしたちょっとしたことの積み重ねによって、キャリアや年齢に関係なく、それぞれがのびのびと力を発揮できる空気が劇団のなかに生まれていったのだろう。
「僕ひとりが頑張ったって、あの盛り上がりにはならない。みんなが同じ方向を向いて頑張ったからこその、あの千秋楽だったと思います」
千秋楽の芝居「女小僧と橘屋」で、恋川純弥演じる橘屋の親分のところへ使いにやってくる隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)の子分、という役どころの三咲龍人が、まさかの純弥橘屋のアドリブで「名前は?」と聞かれる場面があった。おそらく役名のない子分の役で、三咲龍人は意表を突かれたはずだ。思わず一瞬の間があって、「名前はまだない!」と言い放ち、場内の爆笑を誘った。これが初日の舞台だったら、同じことは起こらなかったはずだ。恋川純弥が芝居のなかで、子分役の若い役者にアドリブで突っ込むこともないだろうし、仮にあったとしても、三咲龍人は面食らって終わりだったかもしれない。最初は役者ひとりひとりの名前と顔が一致しなかったかもしれない観客も、1カ月間の舞台でともに盛り上がって、チーム全体を応援する気持ちが溢れた千秋楽だった。だからこそ、三咲龍人の精一杯の応酬が生まれ、そこにあたたかな笑いが起こった。あの日の千秋楽は、そんなことの連続だった。
舞台は生もので、演劇は役者が演じる物語を観客が一方的に眺めるだけのものではなく、演者と観客が一緒になってつくる場なのだということを、あらためて思い出させてくれた。
そこにあったのは、1カ月という時間をかけて生まれた、演者と観客の信頼である。それは、ほかのどの演劇でも味わえない、世界中どこを探しても、あの日の篠原演芸場でしか出会えなかったものだ。
恋川純弥はたくさんの優れた能力を持っているが、役者も観客も、全部抱えて、あの千秋楽に連れて行ける座長力こそが、一番の才能だろう。
「暁人くんがこの間、『座長ってこうあるべきなんだってことを学びました』って言ってくれて、『でも、これを自分がやっていけるかって思ったときに、不安でしかないですけど、でも座長とはこうじゃなきゃだめなんだっていうことがすごく勉強になりました』って言ってくれたので、彼を育てるためにやってほしいと言われた公演だったので、やってよかったのかなと思いました」
恋川純弥のこれから、について聞いてみると。
「とりあえず、大衆演劇ではない場所で、自分の知名度を上げていかなきゃいけないと思ってます。じゃないと、公演するときに一番大事なのは、集客、動員なので、自分の名前が売れていて、チケットの値段が高くても完売する、みたいなところにまで持ってかないと。そうすれば、大衆演劇の劇場にゲストに出るときでも、お客さん呼べるじゃないですか。大衆演劇にも貢献できるし、自分がやりたいこともできる。それが一番大事だなと」
大衆演劇のこれからにも、思うところがある。
「今回の公演は、これはこれでよかったかもしれないですけど、僕の理想的な公演の形は、早乙女太一くんがやっている公演がそうですけど、芝居はしっかりやって、ひとり舞踊はなしで、群舞総集編みたいに誰かがメインであとはバックダンサーにまわる形。つまり、それなりの入場料を設定して、メンバーへの出演料は入場料からちゃんと渡してあげられて、そのかわりひとり舞踊はないよ、というスタイルができると一番きれいな舞台ができると思うんですよね」
役者ひとりひとりが踊る時間は、それぞれがご祝儀を受け取るタイミングでもある大衆演劇は、必然的にある一定の公演時間が必要になる。
「あれがある以上、ダレる時間があるわけじゃないですか。お客さんにしてみると、観たい役者の踊りもあれば、そうでもないひとり舞踊もある。今回も、全員、踊らせてあげないといけないと思うので、ひとり舞踊の時間は取りましたが、みんなも一曲しかないから、6、7分踊るわけですよ。でも本当は、ひとり舞踊をするにしても、長ければいいってもんじゃなくて、3分とか3分半とか、短くても魅せられる踊りを踊らなきゃいけない。これからの時代は、メインは5、6人で、まわりはお芝居とかバックダンサーでいけるような子を育てていくほうが、いいんじゃないかと思うんですよね」
そして、新しいファン層を引っ張る工夫をしていかないと、大衆演劇の観客は増えないと危惧する。
「大衆演劇を見慣れたお客さんは、上演時間は長いほうがいいって言うんですけど、僕は違う世界の人ともつきあいがあるから、大衆演劇を観に行きたいっていう人に、最初に値段を言うと『安いね』ってみんな言うんですよ。で、上演時間を言うと『長いね』って言う。だったら、いままでとは違うやり方で、いつもの公演に誘導できる入り口が必要なんじゃないか。そういうなにかを、僕らのようなフリーの役者がつくれたらいい。まだ具体的なことは言えませんけど、そんなことも考えています」
今回の公演中に篠原演劇企画による、「Oh-洒落公演」と題した特別公演が催された。恋川純弥はそのなかの「Oshiroi」というユニットの、メンバーとして参加している。これまで大衆演劇を知らなかった人たちにも、SNSなども通して、大衆演劇とつながるきっかけを持ってもらおうという企画の一貫という。(「Oshiroi」として刀を操る恋川純弥はこちらから)
「僕はそういう活動は大事だと思っていて。『Oshiroi』にしても、昔の自分だったら、そんなことできませんって言ったと思うんですけど、そこに参加しようと思ったのは、新しいものをやって新しいお客さんを呼んで、なおかつ、自分たちのことを広く知ってもらいたいからです。そうしないと、やりたいことができないじゃないですか」
「大衆演劇って、ある意味とても狭い世界ですから、外部に出ていかなきゃいけないって僕はずっと思ってて。違うジャンルの人とコラボレーションすることとか、これからも大事にしたいです。そうすると、大衆演劇で当たり前のようにやってることでも、変えていったほうがいいんじゃないかと思うことも見えてくる。たとえば『新風プロジェクト』とか、僕らも下座をつとめた『原点回帰』とか、そういう企画ものの特別公演をやるときは、前日は休みにしてお稽古したほうがいいんじゃないかとか。大衆演劇の役者は一晩で稽古やっちゃうしできちゃうから、できて当たり前だと思ってるかもしれないんですけど、お稽古の時間もちゃんと取って、なおかつ体も休めて本番を迎えたほうが、いいものができるのは間違いないんです」
恋川純弥は配信などの折々に、新国劇の台本を譲り受けていることを話している。そうした芝居を今後、観られる機会もあるだろうか。
「やっぱり1カ月やってみて、大衆演劇の公演ではできないなと思いました。新国劇のお芝居は、ある程度お稽古しないと一晩でできるものではないので、やったとしても、クオリティとしていいものにはならない。そのために別の会場を借りてやるとなると、経費もかかる。だからやっぱり知名度を上げて集客できないと、っていうところに行き着くんです」
大衆演劇から離れて活動したいと公言し続ける恋川純弥を取材するたびに、いつも、大衆演劇の魅力についてあらためて考え、気づかされる。恋川純弥は、いつも大衆演劇と外の世界のキワに立っているから、なぜキワに立ち続けるのか考えないわけにはいかなくなるからだ。そしてこの6月のTeamJunya公演を味わった、いち観客の願いとしては、いつかまた、懐かしい手触りのするかわいい劇場に、たくさんの観客を連れて戻ってきてほしい。座長恋川純弥として。それは、あの小さな劇場のなかにこそ、演劇が本来持っていた豊かさがあることを、恋川純弥は思い出させてくれるからだ。
これまで大衆演劇の世界から出て、大きな舞台で活躍するようになった役者たちは、ふたたび大衆演劇の劇場に戻ってくることはなかったように思う。だからこそ、これまでも前人未到をやり遂げて来た恋川純弥には、いつまでも、大衆演劇と外の世界のキワに立ち続けていてほしい。座長恋川純弥が観たければここに来いと、笑顔で世界を手招きしてほしい。
おしまい
(2023年7月7日)
取材・文 佐野由佳