第4回 10代で北新地!

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お母さん(近江竜子)の芸は素敵だったんですね。

素敵っちゅうか……。僕は背中ばっかり見てましたね。いつも何かに向かって仕事してた感じです。

エプロンがね、トレードマークやったんですよ、うちの母親。朝から晩までエプロンしてたんですよ。どこ行くのもエプロンですわ。飲みに行くのも。

10代のときに遊び回ってたころ、そのうちそこに母親もまじるようになって。六本木のハードロックカフェに、僕にだまされて行ったこともあるんですけど、そのときもエプロン。だますつもりはなかったんですけど「ハードロックカフェにタコス食べに行こう」って誘ったんです、メキシカンタコスですわ。うちの母親、「たこ酢」やと思ったらしいんですわ(笑)。「あ、それやったら行く」って。おいしいたこ酢やったら食べたいと。

店に入ったら、音楽ガンガン鳴ってて。「ここに、たこ酢があるんか?」って。で、タコスが出てきて。「わたしが言うてたんは、たこや、たこ酢や!」。そしたら、「わたしも踊るー」って、フロアの真ん中で炭坑節を踊り出したのかな。黒人とかが、カタコトの日本語で「ヘイ、ママ! そのダンス何?」っていって、「炭坑節ー」って言うたら、面白い、教えてくれっていって、外人がワーッと輪になって。ハードロックカフェのフロアで、みんなが炭坑節踊り出したことがありました。

お母さんとよく飲みにいってたんですか?

しまいには誘われてましたね。「行こう」って。1日の仕事は夜飲みに行くためにある、みたいな感じになって。楽しかったみたいですね。ほんまに。母親も僕が座長になってから、飲みに行くのやめました。お酒もやめたんちゃうかな。

あのね、ここだけの話、汚い話なんですけど、母親が最後のお金払ってくれるんですよ(笑)。その当時、そんなにお金持ってないから。カッコつけて、高いとこで飲んでたんです。大阪でいうたら、北新地。東京でいうたら銀座ですよ。ええとこで飲んでました。はははは。

男前な、お母さんです。エプロンしてへんけどぉ~??

10代で北新地! それで最後にお母さんが来て払ってくれるって、どこのアホぼんですか(笑)

そうやねん。当時、お金、持たしてもらえなかったんですよ。給料もないし、ご祝儀も全部取られてたんですよ。ほんま、無一文だったんです。遊びに行くのは母親公認やから、遊んで来いっていってお金くれるんですよ。でも一回分しかくれないんで、ちょっと足りなかったから遠回しに母親を呼び出す。

何で北新地かっていったら、「遊びに行くんやったら、いいとこに行かんかったら、いい人と出会えない」っていうのが母親の考え方で。安いとこで飲んでても、それなりの人が来るだけやから。ほんまに、2、3人で一回飲みに行って、20万、30万ってザラでしたから。クラブとか。

外人のクラブとかで、カタコトの英語を覚えたり。学校も行ってなかったから。そういうとこで覚えました。ほたら、やっぱりそんだけ行ってお金使うから、店の外人さんたちが舞台を見に来てくれるじゃないですか。客席に、金髪の外人が20〜30人ズラーッていうこともありました。

お母さんから言われた名言は、ほかにもありますか?

ナンバーワンにはなるな。うまい役者になるな、いい役者になれ。お芝居も踊りも、極めたらいけない。極めると「虫」になるから。

本の虫とか、夢中になってる人を、なんとかの虫って言うじゃないですか。その虫になったら、まわりが見えなくなる。あくまでもお客さんが見たいものをやりなさいって。自分が客になって楽しいものをやったらいいと。

自宅に飾っている、母・近江竜子の写真パネル。

それはね、いまでもあるんですよ。自分がこうやりたいな、っていうネタがあるでしょ。それをいったん立ち止まって、イメージして俯瞰で見てみるんですよ。客席でね、空(から)の舞台をながめてる時間がわりと多いんですよ。先にイメージして、ああ、面白ないなってなったらやらない。

若いころは、やりたいこと全部やってました。足し算ばっかりやったんですよ。30代半ばくらいから、やっと舞台の引き算始めましたね。舞台のダイエット。そうしないとお客さんが疲れると思って。やりすぎるとお客さん疲れるんですよ。それまでは、僕のワーッというやり方が、時代のニーズがあったから受けたんですけど、ある時から受けなくなってきた。

歳も歳やし、引き算しようって。時間の延長も当たり前の劇団だったんですけど、延長もしない。全部ダイエット。削って削って。そしたら、やりたいものがだんだん見えてきて。なるほど、うちの母親が言うてたのはこういうことやったのかって。

とになって、そうだったのかと思うことも多いですか?

めちゃめちゃ多いですね。若いときは、いっぱいやりたいから、自分の出番増やすじゃないですか。ほたら「そんなに出んでええ」って、怒られたりしてたんです。「そんなに出たら、お客さん満足してしまう。満足で返したら、あかんで。もうちょっと見たいな、で終わりなさい。やりすぎ」ってよく言われました(笑)。

母親は、オレが26のとき死んだんで。短かったですよ、一緒に舞台をやったのは。

(2020年8月29日 堺市自宅特設スタジオにて)

取材・文 佐野由佳

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