第8回 腕一本で食える役者になる

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十八代目中村勘三郎が亡くなったとき、役者をやめようと思ったという。

「先生がおらんかったら到達点がないし、先生に会いたくて努力してたのがあったんで。でも、ほかにできることがないし、舞台は続けましたけど。親も知らんかったと思います。いま、初めて言うたんで。たぶん、誰も知らなかったと思います」

父親に叱られすぎて芝居をそんなに好きではなかったということも?

「知らないと思います。舞台が大好きな男やと思ってるんで、身内もみんな。先生みたいに憧れられる役者になればいいって考えてみたりもするんですけど、いや、オレは先生にはなれないっていうところが出てくるんですよ、何ヶ月かに1回」

三吉演芸場で思いっきり悲劇なのに、泣けないことが何度かあった。鵣汀は抜群にうまい。それなのに涙が出てこないのはなぜなのか。

「たぶん、一歩離れて芝居してるからです、自分が。一歩下がって自分を自分が見てるんで。自分でいま笑ってるのも、腹から笑ってるんかなって疑問に思う自分もいるんです。何しててもですよ。僕、基本的に人とコミュニケーションとれないんですよ。これ、素の自分やのうて津川鵣汀として話してるから、こんなに話せるんであって。なにかひとつ、かき捨てればと思うんですけど、捨てられないんですよね。先生に対してもそうだし。歌舞伎も観ますよ。うまいなと思いますけど、こんなこと言うと本当に失礼になっちゃうんですけど、今の歌舞伎って躍動させられるものがないんですよ。自分があの日、平成中村座で感じた躍動の感覚って覚えてるんでね。今の歌舞伎っておもしろくないじゃないですか。黄金世代が亡くなって、おもしろくなくなったと言われる歌舞伎のように、津川竜が亡くなっておもしろくなくなったはる駒座、と言われるくらいなら潔く散ったほうがえぇんかなと思うときがあるんですよ」

思い詰める自分と、いやいやと思う自分がせめぎ合う。

「なんでしょうね、ほんまに僕、歌舞伎やってたら、まとまってたと思います。美学というもの、芸に対する美学という意味では」

歌舞伎役者から養子に欲しいと言われたこともあった。しかも、二ヶ所から。

「でも、先生と相対して芝居をするためには部屋子じゃだめなんです。だから、なかったですね、別の部屋の養子になるという選択肢は」

歌舞伎と大衆演劇の間でもがき続けている。

「大衆演劇ってもうちょっとだけ深く掘り下げたらいいと思うんですよね。衣裳にしても、かつらにしてもそうですし。音楽にしても。いちばんいい形になるんじゃないかなと。歌舞伎は逆に誇りを捨てたほうがいい。アニメとかそういうものではなく、伝統にとらわれず、もっといちばん昔の歌舞伎役者さんがやってたころの状態に戻したらいいと思う」

「こんなスッキリした冨樫(とがし)、今おります?」。 

これ見てもらったらわかると思うんですけど、と歌舞伎の本を取り出して、

「これ、大衆演劇の化粧でしょ。形がきれいやし、ただ、良いものを提供したい、共感してもらいたいっていう表れなんですよ。だから、昔の歌舞伎役者さんたちって化粧が薄いんですよ」

「いまの歌舞伎は文化とか伝統にとらわれすぎ。こういうものでしょ、という形式ばかりで、感情がない。迷ってるんやと思います。大衆演劇も歌舞伎も、どこへ向かっていけばいいのか迷ってる。僕も迷ってますし。時代が変わりすぎ。やってはいけないことも多すぎる」

そもそも、自分は役者に向いていないと思っている。

「全部、向いてない。身長もですし、口跡(こうせき)も悪い。もともと滑舌よかったのに、先生の真似しすぎて滑舌悪くなって、戻んなくなっちゃったんです(笑)」

ちょっと舌足らずでチャーミングな勘三郎の台詞回しが思い出される。勘三郎の声になりたくて、無理やり長渕をカラオケで歌い続けて喉もつぶした。『女殺油地獄』の与兵衛が「親父殿ぉ〜」と甘ったれるところは、声といい調子といい、勘三郎そのものだった。ぷっくりとした輪郭、化粧をした顔も似ている。

「お客さんは化粧している僕らを観に来てるわけで、素顔には興味ないと思う。ミッキーマウスの中のおっさんが気にならないのと同じ。素顔は極力見せないようにしてます」。

「うまい役者が人気あると思ったら大間違い。人気があるからうまいわけではないって、先生が生放送で言わはって。当時は全然意味わからんかったんですけど、いまはひしひしとわかります。うまいとされる俳優さんってそんなに売れてないんです、テレビでも。何をやってもこの子やなという子が売れている。その代名詞が木村拓哉なんです。木村拓哉さんが下手とかいうのではなく、何をやってもキムタク。ごくごく一般的に求められているのは、何をやっても津川鵣汀という芝居なんですよ。そういうやり方にしたら、お客さんはすぐに増える。プライドを捨ててそこに行くのか、芝居本来のところを突き詰めるのか」

そんなことをしたら先生に顔向けができない。

「そこなんですよ。そこの葛藤がある。経営者としてはカジを切ったら早い。なんの役で出てきてもその人で出てこられたら、その人を観にきてるわけやから、お客さんが嬉しいのもわかります。そうではなく、プライドでやるのか。『男の花道』の中村歌右衛門が誇りの捨て所って言いますけど、僕らにしてみれば捨て所以前なんですよ。かかげてる誇りやのうて、なんやろ……。苦労してでも芝居を突き詰めて、そういう人だけ集めてやるのか。それには、めっちゃ時間かかるんですよ。何をしても鵣汀にカジを切れば1年後にはお客さんが絶対入ってくる。でも、突き詰めようとすると10年以上かかるようなことをしてるっていう状態なんです」

力がない人にはやりたくてもできない。できる力があるならやってほしい。

「でもね、見極める人も少ない。昔、僕らが十代の頃、浅草とか十条には見極めるおっちゃんらが、まぁおったです。初日開いて千秋楽に向けて席がどんどん埋まっていくのはそういうこと。いい芝居やるよっていろんな人に言ってくれるから。そういう人らが少なくなってしまって」

時間を気にせず喋れるからと鵣汀のはからいで夜の部終演後に楽屋での取材となったが、楽屋で寝るはずの時間になっても眠れず、泣きそうになってやってきた娘をなだめる。

役者を育てるのは客。客も修行とはよく言ったもの。客にも責任がある。送り出しで感じがいいとか、連絡をマメにくれるといったことは、舞台とは全く関係のないこと。そんなことで役者を評価する客が増えれば増えるほど、つまらない舞台も増えていく。

「すべて人間力につながるんですけど、人間力があってうまければ、愛想がよかろうが悪かろうが、観にきてくれるはずなんです。そこに賭けてみたい。とある芝居で『誰かに認めてほしくてやってるのか、そうじゃないだろう。我が(わが)で我が心に恥ずかしない生き方をするのが一番だろう』って台詞があるんです。その通りやな、と。誰かに認めてほしくてやってるわけじゃないし、生きてるわけじゃない」

父が亡くなってから封印した芝居の台詞だという。座長を10年やってきたとはいえ、師匠を亡くし、父も亡くし、それでも劇団を運営し、食って食わせていかなければならない。ニコニコするだけで多少なりとも客が増えるなら、ニコニコすればいいとも思うが、だからこそ、笑わない鵣汀に戻ると決めた。芝居の腕一本で客を集めてみせる。鵣汀の胸の内には、それしかないのだろう。おべんちゃらして大入がとれても、うれしくもなんともない。

「だから、来年(2024年)からはイベントを全部やめようと思ってるんです。座員で、したい子はやったらいいし、祀武憙もやっていいですけど」

誕生日公演もやらない。そのことは劇団の誰にもまだ話していないし、話すつもりもない。

「それでどうなるかというと、劇団力を問われるんですよ。鵣汀祭りがあるから行こうではなく、日々の公演に来るようにしないと、底上げできないんですよね。いっぱい出るから観に行こうなのか、本当に観たい役者なのか。その賭けをしようと。まあ、劇場さんからやってもらわないと困ると言われれば仕方ないですけど」

5分しか出ないとわかっていても、その5分が観たければ客は劇場に足を運ぶ。

「そうです、そういうことです。イベントやったら自分が目立つのは当たり前やし。やなくて、自分が目立つようにもっていくんではなくて、勝手に目立ってる。なぜかそこに目がいく役者を目指さへんかったら、こっから先20年、30年きついんじゃないかっていう」

鵣汀が踊る『お梶』は濃密のひと言に尽きる。耳たぶに手をやるところがピークではなく、ずっとピークと言ってもいいほど。そして、美しい。

自分のことも、劇団のことも、大衆演劇のことも、俯瞰で分析し、取るべき道を探っている。

「この間、自分の名前で検索してたら、とある方がブログで、『神田祭』を踊った日のことを書かれてて。あの時、芝居が少し短い、55分くらいしかなくて。最後が『神田祭』だったからショーが長めで1時間20分くらいあったんかなぁ。で、この劇団はショーをメインにしてるって書いてあって。大衆演劇を観にこられる方々には意味が通じにくいのかなあ、と」

不本意に思うのも無理はない。あの日の芝居『盗賊議団』は、鵣汀が凄腕の盗人で、宿で知り合った男が気づかぬうちに、見事、盗みを働く一夜の出来事を描いたもの。一見、なんでもない男なようでいて、盗みに入るシーンでは『髪結新三』の勘三郎を思わせるような色気と凄みを見せる。その豹変っぷりが鮮やかだった。登場人物は三人のみ。大衆演劇の幅の広さを改めて感じさせられたおもしろい芝居だった。

「だから、やっぱりトークせなあかんし、お見送りもせなあかんしということになるんですよね。うん。自分が伝えたいことの十分の一も伝わらないんで。察してくれる人たちもおると思うんですよ。でも、自分がうまければ、自分がいうたら、ちゃんとしたっていう言い方はおかしいな、納得させられる役者であれば、そういう書かれ方はしないんですよ」

納得させられる役者になるにはどうすればいいのか。

「人間力やと思います。芝居を勉強するとか、踊りをきれいに踊るとか、構成力だのなんだのっていうより、人間関係すべてですね。僕の人生にからんでいただけた方々、女性男性関係なく、若い年いってる関係なく、僕にからんでいただけた方々のおかげで、僕はいろんなことに気付けてきた。ただただ人間力やと思います。僕の舞台がまだまだなんは、ひとえに、人間としての深みがないっていうだけの話なんで」

いい舞台のためにできることは全部やる。それが、鵣汀にとっての、恥ずかしくない生き方だ。三吉演芸場の千秋楽、アンコールが3曲ともめちゃくちゃ激しい曲だったのだが、鵣汀は最後までめいっぱい踊り続けていた。1ヶ月半の公演の最後。疲れもピークだろうに手をゆるめない、休まない。

愛想笑いなんか1ミリもいらない。思うように突っ走ればいい。いつもより高く飛び上がる鵣汀を見て、そう思った。

                                   おしまいのつもりだったけど、9回に続く!

(2023年11月28日、12月7日 三吉演芸場)
                            取材・文 カルダモン康子

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