第2回 芝居を好きになったころ

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浅草木馬館の舞台で観る恋川純弥は、図抜けて背が高い。弟の二代目恋川純座長が、自分との身長差をひとつのネタにしているものだから、よけいに強調されるのもあるが、群舞などではひとりスケールアウトして見える。

身長を聞いてみると「175センチです」というので驚いた。もっと大きく見える。下駄をはいてカツラをかぶって舞台に立つからなのか、恰幅のよさもあるのか。この偉丈夫な体格のよさも、役者恋川純弥の魅力のひとつである。

「小学校から中学にあがるころに、急に身長が伸びました。中学1年で、いまとほぼ同じくらいの身長があったんですよ。ちょうどそのころ、中学1年の2学期に劇団(父親である初代恋川純が座長をつとめていたころの桐龍座恋川劇団)の座員が少なくなって、僕も出ないと芝居が回らないと親に言われて。小学校時代もずっと移動学校でしたから、友達ができなくて学校がつまらない。舞台に出るのは好きじゃなかったですけど、学校に行かなくてもいいというので、それが嬉しくて舞台に立つようになりました」

「明暗旅合羽」では旅芸人の姐さん(鈴川桃子)に惚れられる侠客に(桐龍座恋川劇団 2021年3月4日 浅草木馬館)撮影:多々良栄里(以下同)

初舞台は、生後3カ月。母親(鈴川真子)に抱かれて出たと聞くが、もちろん覚えていない。

「芝居に出て初めて台詞を言ったのは、1歳何カ月かのときらしいですけど、これも覚えてないですね。ひとりで初めて踊ったのは、5歳のとき。曲は『江戸の闇太郎』。千両箱をかついで写ってる写真が、たぶん実家にあると思いますよ」

「江戸の闇太郎」は、西條八十作詞、古賀政男作曲、美空ひばりが主演してヒットした映画「ひばりの三役 競艶雪之丞変化」の主題歌である。〽︎月にひと声 ちょいとほととぎす 声はすれども姿は見えず おれも忍びの 夜働き…… 5歳児が踊る曲にしては、シブすぎてむしろかわいかっただろうと想像するが、こうやって役者の子は、子どもとしてではなく、小さくても一人前の役者として扱われることで、芸を身につけていくのだなと思う。

舞台に出るのはなぜ好きじゃなかったんですか? と問うと、ちょっと困ったような顔をした。

「家の仕事を、必ずしも好きとは限らないっていうくらいのことで。桃子(妹の鈴川桃子)は、舞台に出たい出たいっていうタイプでしたけど、僕は出たくないタイプでした。いま思うと、何が嫌だったのかわかんないですけどね。うちは父親がずっと具合が悪くて、若いうちに僕は副座長になったんですけど、座長みたいな感じでずっとやってました。親父がもう座長は続けていけないというので、21歳のときに座長を襲名したんですけど、副座長時代とやってることが変わらない。肩書きが変わっただけで、座長になったのに自分は何も成長できてないんじゃないかって、1年くらい悩んでました。自然に気にならなくなっていったんだと思いますけど」

その後の、観客動員トップ劇団にのぼりつめていく快進撃を思うと、イヤイヤ舞台に立っていた時代があったことなど信じられないが、この座長になる前の時間が、のちの恋川純弥をつくる礎になっているのかもしれない。17LIVEの配信で、年々月日が経つのが早いという話から、「10代が一番長かった」と話していた。誰でもそうかもしれないが、こと芸能の世界の10代は、その年齢でしか身につけられないことがたくさんあるだろう。

しかも大衆演劇の世界は、よくも悪くも前近代的な慣習が世間一般より色濃く息づいている。学校よりも家の仕事を優先して、自分も働き手のひとりとして家業に組み込まれていく環境が、恋川純弥が子どもだった1980年代から90年代にかけてでも普通にあった。その是非はともかくとして、好きも嫌いも、有無をも言わせぬ日常があって初めて身につく芸や技能があることを、大衆演劇の役者たちは体現している。

「僕が15、16歳くらいのころ、去年10月に亡くなった剣戟はる駒座の津川竜さんが、2年くらいうちにいたんです。母方の親戚でもあるので。津川さんのご夫婦と、太夫元である勝龍治さんも。その2年間は、ひとつの劇団として回っていたので、一緒に稽古もしましたし、夜、ご飯を食べるときでも、あの芝居はこうやってやるんだっていうようなことを、津川さんとか勝さんにたくさん教わりました。台詞の言い方だったり、この役は何歳くらいだから、やり方が老けてるよ、もうちょっと若くやったほうがいいよとか。

当時、芝居は好きではなかったんですけど、津川さんが入ってきて、津川さんの芝居に、僕はたぶん憧れたんです。お兄ちゃん、お兄ちゃんって言って、兄弟みたいにしてたので。いいなあ、かっこいいなあ、うまいなあって。

うちに津川さんたちがいるときにやってたお芝居で、僕がずっとやりたかったのが『浜の兄弟』です。兼松っていう弟のほうを僕はやっていて、津川さんがやる兄の直の役を見てたんですよ。津川さんが抜けてから、僕がやるようになったんですけど。

いつか、津川さんがやっている役をやってみたいと思ってましたね。だから、津川さんがやっていた役の台詞は、誰にも聞かずに全部覚えてました。長台詞もボイスレコーダーで録って、自分で書いて覚えて。津川さんが劇団を旗揚げするので急に辞めることになったとき、津川さんのやってた役を埋める人がいない、どうしようってうちの両親は思ってたんですけど、僕が台詞を全部覚えてたんで問題なく稽古なしでもできました。津川さんほどにはできないけど、台詞は覚えてましたから」



「大利根囃子」で平手造酒を演じる。肺を病む平手が、己に迫る死とひとり闘う迫真の場面。(桐龍座恋川劇団 2019年8月9日 神戸・新開地劇場)

大衆演劇を見始めたころ、一カ月、毎日、演目が変わることに驚いた。ときには、昼の部と夜の部で演目が変わることもある。どうやって稽古するのかいまでも不思議だけれど、座長も座員も、子どものころから訓練しているからこそできることだと思う。

台詞はどうやって覚えるのですか?

「人それぞれだと思うんですけど、昔は口立てで覚えてきたっていう人が大半だったと思います。いまはそれをボイスレコーダーに録って、聞いて覚える人と、書き起こして覚える人といるんじゃないかな。たとえば座長が一人でしゃべるのをみんなが録音して、それをそれぞれの覚え方で覚える。台本があるときは、台本を渡して、この役、この役って座長が振って、動きとかを合わせる感じです。

僕は最初、録音を書いて覚えてたんですけど、津川さんに書くなって言われました。録音もするなって。津川さんは録らない。一発で聞いて覚えるんです。当然、自分の台詞だけではなく、全体の流れと、台詞のなかの名前、地名とかそういうのも一発で覚えて次の日できる。初めて聞いたものでも。

たしかに録音すると、そのとき集中して聞かないんですよ。お芝居の稽古とか毎日やってるし、寝不足で眠いから録音に頼っちゃう。あとで聞けばいいやってなっちゃうんですけど、そのとき一発で聞いて覚えたほうが楽やんっていうのが津川さんなんです。

僕は、一応録ります。どんな物量があって、どんな長台詞を言うのかわからないので、一応録っておく。たいしたことないやつは、次の日の開演前に化粧するときに、パッと聞いてできるんですけど、これはヤバいというやつは、前の日に聞いて、難しいところだけ書き出したりしておかないと覚えない。だから録音を録ってる段階で、明日でいいなとか、今日もう一回聞いておこうとか判断してます」


「幸助餅」より。関取の雷(恋川千弥)の本心を、
雷に代わって幸助(二代目恋川純)に解き明かすという役どころ。(2021年3月4日 浅草木馬館)

ちなみに、今日の「幸助餅」の旦那さんの役は、今回が初めてと聞きました。

「おととい、もとになってる映像をもらって、自分の出てるところの台本をコピーしてもらったんですけどね。おとといは時間がなくて、結局、昨日、映像を見て、今日台本を見て、そのまま本番でした」

取材・文 佐野由佳

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