父であり師匠である二代目小泉のぼる亡きあと、「たつみ演劇BOX」としてのカラーを出していくまでには、さまざまな試行錯誤があったという。
「やっぱり父が亡くなってからは、統率力も落ちますから、めちゃめちゃ人数少なくなって5人か6人でやってた時期もあるんです。父の代は多かったときで、20、30人おったっていいますから。かつて座長つとめてた人だけでも5、6人いたりとか。それも達者な方ばっかり、若手とかじゃないですもんね。昔のホームビデオとか観るとすごいですもん。そこから減って、また新人の子がどんどん増えて、みたいな時期もあったり。そのときどきのメンバーによって、できる芝居も変わってきますから。いまもそうですけど、内容によってはどうしても崩したくないものは、あまりにもクオリティーが下がるようやったらやらない。もっとメンバーが揃ってからやりましょうっていうふうにします。同時に、毎日やるわけですから、これをやろうってなったときに、崩さないことにこだわりすぎない。めちゃめちゃ真面目な悪役の親分でも、あいつにやってもうんやったら、ちょっと三の線ふうの役柄に変えていっちゃおうとかって、見せ方を変えないと無理ですよね、どうしても」
「父が亡くなってしばらくは、やっぱり何かが変わったなっていうふうに見せなきゃいけないんで、あんまりお笑い入れなかったのを入れていったり、あ、この人こんなことすんねやとか。ショーの感じも、時代劇ベースのものが多かったのを、もうちょっとバリエーションを増やしていったり、きらびやかなものを入れていったりとか。そこで観に来てくれた人が、また前と変わってるでみたいなことで、友達を連れてきてくれたりして。少しずつ変わっていきましたね。それまでやってたことが悪いとかじゃなくてね、変化つけないと難しいのかなっていうのは手応えをみながら考えました」
いつごろから結果が出るようになったのか、境目は特にはないというが、自分のなかで大きな切り替えがあったのは32、33歳のころだという。
「何かちょっと変えどきがきてるって思ったんですよ。いまのまんまのやり方じゃダメだって。誰に言われたわけでもなく、自分でそういうふうに感じて、変えていこうと思って。とりあえず稽古量を非常に増やしましたね。あと、舞踊ショーにしても芝居にしても、新作をたくさんつくっていこうと。年間ほとんど休みがないものですから、父の代から、稽古は大事だけどあんまり無理すると、長年やっていかなきゃならないのに保たないぞって言われてたんですけど、でも、ある程度の計算しながら、ここらでガッと稽古してっていうふうにしたんです。一回そこで勝負に出てみるのもいいかなと。結果、新規のお客様にもたくさん観にきてもらえるようになったっていうのはあります」
新作の芝居は、姉である辰己小龍が脚本に仕立てる。「一心太助」や「新近松物語」など、昔の映画をベースにしたものもあれば、「沓掛時次郎」や「雪の渡り鳥」のように、大衆演劇でもおなじみの演目をあらたな解釈で「たつみ版」にして上演するものもある。
「以前は、自分で編集したりしたこともあったんですけど、いまは姉に一応相談して、こういうふうにやろうと思うけど、なんかいい案ないかな?っていうことで、脚本をつくってもらいます。甘えますよねえ、手貸してくれるっていうと。こっちもどうしてもバタバタするから、もう丸投げにしちゃうこともありますから。姉からは、あとはあんたが好きなように変えて、わたしが書くと硬くなりすぎちゃうんでって脚本渡されて。僕がちょっとまた崩したりして、一本をつくっていく感じですかね。崩してくれって言うんですよ。笑えるところが何もなくなってしまうから、ちょっと楽しい場面もつくらないと、90分ずっと暗いのは正直しんどいですからね」
たつみ版「明治一代女」を、今年の9月に浅草木馬館で観たときに、それまでほかの劇団で観ていたものと全く場面構成が違っていて驚いた。1950年代の新派の舞台に寄せた筋書きになっている。
「あれは最初に、姉の誕生日公演のときに、姉が一から全部やるっていうことでつくったんですね。主役のお梅を姉が、僕とダイヤは澤村仙枝と箱屋のひとり二役で、昼夜替えてやってくれって言われて。台詞の量がすごいんですよ。初演当時は日にちもないからキビシイよ、この台詞の量はって言ってたんですけど、いま思えば、なんてことない。『三人吉三』やらせてもらったりとかしてるうちに、膨大な台詞にもだんだん人間慣れてくるんですよ。あれに比べたらまだ全然いいよなって、そのたび思えるようになりました。それはいいことだと思うんです。多いから覚えられないではダメやと。だってそれこそ歌舞伎なんか、もっと台詞難しくてもっと長いものをねえ、年配の方でも覚えてやっておられるわけですから。僕らに覚えられないわけがない。そこからうまい、下手はわかれますけど、とりあえず、覚えようって」
「明治一代女」では、お梅と張り合う芸者秀吉姐さんを演じるたつみ座長も見所のひとつだ。
「あれはほぼアドリブですねえ。姉から、めちゃくちゃやってくれって言われて。そこだけは完全にお笑いでやってほしいって言われたんです。唯一ですね、あの芝居で」
おなじみ「雪の渡り鳥」も、たつみ版は一味違う。
「もともと銀平とお市っちゃんが思い合っていて、卯之吉とむりやり一緒にさせられるっていうパターンが多いと思うんですけど、昔の映像観てたら、全く逆で、卯之吉とお市っちゃんがもともと好きどうしで、銀平がひとりで空回りをずっとしているという設定だったんですよ。そっちの銀平はカッコ悪いんです、正直言って。ずっとフラれてて。でもそっちのほうが人間臭さがあって、最後まで面白い。結果はお市と卯之吉のために喧嘩して、自分が縄を打たれて引かれていく。たぶん銀平なりの、それが美学だったりするんじゃないかなと。いろいろ提案もあったんですけど、そっちの筋書きでうちの劇団ではやってます」
昔の芝居のように、脚本なしの口立て稽古とは違い、新作の場合は、ひとりひとりが渡された脚本を見て覚える。脚本にして残しているのには、ほかにも理由がある。
「若い子に最初に台詞を教えるときって、一字一句違わずに言うんじゃなくて、要するに意味が通ればそれでいい、たとえば、『はい』と『へい』、どっちでもいいと。そのためにも、時代劇の言葉をいっぱい覚えろと。『はい』『いいえ』『クエスチョンマーク』のいろんな言い方は、常に用意しておけと、僕らもそうやって教わったんです。じゃないと、まわりの流れと関係なしに自分の台詞だけ言っていくと、つじつまが合わなくなっちゃうことがある。相手の台詞を聞いたうえで、あれ? 段取りが違うなと思ったときに、どうしたんですか? っていうふうな感じで、軌道を戻していってあげるようにしなきゃいけない。だからそのときに、ンッと詰まっちゃうと困るから、いろんな時代劇で使う言葉、侍で使う言葉、御手代さんが使うような言葉、子役の台詞とかって種類をたくさん覚えておけば、少々ちょっとへんな話、ミスがあっても、自然とお芝居として戻していける。でも、ここ2年3年でできてきた新しい芝居っていうのは、昔のうちのやり方と違うやり方も生まれてくるので、記録を残しておかないと、何年後かにやるときに困るんじゃないかっていうこともあって、こうして脚本にして残してます。紙で出さなくても、iPadに入れちゃえばいいんですけど、なんとなく本のほうが扱いやすいです」
「書き込みとかはほとんどしません。ちょっと読めない漢字があったらふりがなふるくらい。でも、こうやって活字にするから台詞が多いように感じるだけで、日頃からやってる口立て稽古のお芝居も、文字にしたら膨大な量だと思うんです。しゃべっちゃってるから短く感じるだけで。脚本のいいところは、合間合間にちょっと見て覚えやすいかな、っていうのはありますよね。それこそ口立てで録音してたりすると、本番中の楽屋で翌日の芝居の音源を聞いたりはちょっとできない。でも脚本だったら、本番やりながら、次の稽古の台詞を覚えられるじゃないですか。でないと、夜の部が終わって9時とか10時になって、そこから覚えるとなると、みんなも待たせることになっちゃうし。だからみんなにも、脚本渡したら、3日後に稽古しますからある程度は入れてきてください、台詞覚えて舞台に立ってください、と伝えます。わからなくなったら読めばいいし。まずは覚えてしゃべってくれないと、そこはそういう言い回しやない、ここは笑って言ってくれ、怒って言ってくれとかっていう次の稽古段階に踏み込めないから。まず覚えることは絶対スタートラインなんでやってくださいって感じですね。一方、口立て稽古のいいとこは、意味は一緒でいいんで、自分の言いやすいような口調で言えるっていう、そこはすごい楽なんです。本になっちゃうと、一字一句書いてある通りに言わないとっていう責任感みたいなのがありますよね」
脚本をもとに演じる場合は、物語の全体像をつかむことから役をつくっていくという。
「僕はまず全部読むんですよ。そうするとなんとなく僕のなかの考えと、姉がこういう思いで書いてるんだろうなっていうのがわかるんで、役どころが見えてくる。それから台詞を覚えに入るんですけど。たとえば、よさねえか、っていう台詞でも、怒って言ってるのか、笑いながら言ってるのかは、いまこの役はどういう状況にあるかっていうことで、当然わかってくると思うんですよね。それぞれが自分の出てるところのだけを読むんじゃなくて、物語の全体を見ていけば、その役柄がどういった奴かっていう人間像が出てくる。ある程度の感覚で、それをつかんでくれていればお稽古もスムーズなんですよ。僕も読んでたらなんか肌で感じる、じゃないですけど、あとは立ち稽古で立ってみると自分が思ったのと違うときもありますし。ああ、こういうんやったんかみたいな。そうしたら切り替えてやっていく感じですかね」
9月の浅草木馬館で上演した「母子港歌」がとてもよかったことは、本誌「トピックス」でも紹介した。
たつみ座長が演じる宗介の心情を、どう考えて演じたのか。
「宗介は子どものときから、自分は母にとって実の子ではないと薄々感づいていたと思うんです。そのことがあきらかになっても、台詞にもあったように、世の中には真実を真実と言えないことがたくさんある。そうですよね、何事も全部めくり返したらいいってものでもない。何もかも掘り下げて、答を出してしまうと何も面白くないと思うんですよね。どうだったのかなとちょっと思わせることで、見ているほうも、あれってこういう感情だったんじゃないか、これってそういうことだよね? と想像する余地がある。それは芝居だけじゃなくて、人間としての面白みでもあるのかなと思うんですよ。人付き合いもそうですよね。何もかも追及しすぎて、本当はどう思ってるこう思ってるって、全部言葉にすればそれが真実かっていったらそうじゃないですからね。こう言ってるけど、本当はこうなんやなって思いながらしゃべったりとか、だからこうしてあげようとか、こういふうに接してあげようっていうのも、思いやりと考えですから。そこに人間味が出るんじゃないかな。というふうに、芝居にも当てはめて解釈していきます」
第5回につづく!
(2021年10月26日 三吉演芸場)
取材・文 佐野由佳