第3回 「台詞は財産」だから

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「たつみ演劇BOX」が上演する芝居には、小泉たつみの祖父にあたる嵐九一郎の代から受け継がれてきた演目がたくさんある。劇団の古典ともいうべきそれらの芝居には、七五調で掛け合うような歌舞伎調の渡り台詞が随所にちりばめられている。耳で聞いて心地よく、台詞を言いながら決まる姿が美しい。小泉たつみを中心に、小泉ダイヤ、辰己小龍と息の合う三人の役者が揃ったときにはなおのこと、華やかで心が浮き立つような楽しさがある。現代劇にはない味わいがある。

「祖父は僕が生まれる半年前に亡くなっているので、直接会ったことはないんですけど、たぶん祖父がそういった渡り台詞みたいなことが好きだったんでしょうね。僕らは、台詞のキャッチボールって教えられたんですけど、これがズレるとすっきりしないし、決まると気持ちがいい。山をあげるにしても、20、40、60、80、100(パン!と手を叩いて)で、きれいにまとまるように、尺をつくって台詞をおさめれば、お客様が拍手しやすくなると。実はお客様っていうのは、芝居を観ていてスッキリしたいから、その台詞のところで、うわーよかったーパチパチパチって発散につながるんじゃないですかね。それを求めない芝居もあるんですけど、うちの劇団で古くからやってる演目の特徴としては、たしかに決め台詞が七五調のものは多いですね。『いまからおよそ三年前 処は日光清滝在 金貸し首山剛三宅へ 忍び入ったるあのときの 泥棒かぁ コソ泥かぁ!』(註・たつみ座長の声色ママ)とかって言い合ったりするところのテンポがいいのかなって。昔はもっとたくさんこういう台詞があって、お客さんも覚えてて、みんながそこの場面にくるとわくわくしちゃうみたいなことがあったんでしょうね。それが時代とともにすたれてしまったから、いまはむしろ新鮮にうつるのかもしれないです」

芝居の台詞回しを再現してみせてくれる、調子のよいたつみ座長の声が、楽屋を一瞬舞台に変える。

「『春雨新五郎』っていう、昔からうちでやってる芝居があって、父(二代目小泉のぼる)がものすごく好きだった芝居でーーいまでもよくやりますけど。この芝居を、僕が16、7の頃に父が教えてくれたときに、これからお前の代になると、こういう台詞のキャッチボールをする芝居がなくなるから、財産として絶対覚えてやっとけって言ってましたね。たぶんもう知ってる人がいなくなる、台詞は財産だからと」

「山をあげたり、七五調の台詞を大事にするっていうのは、どっちかっていったら大衆演劇でも昔風なやり方だと思ってます。賛否両論あると思うんですよ。それはリアルじゃない、と。いきなりそんなオーバーに声を上げる奴はいないだろうとか。でも、僕らが教えてもらったのは、『お芝居だから』ということなんですよね。日常生活とは違った、日常を何倍にもたいそうにすることろが芝居としてのよさなんじゃないかっていう。歯切れのいい台詞、耳に入ってきて心地のよい台詞、そこでカッコつけるから、オッいいね、って拍手が来たり、みなさんがスッキリした気持ちになってくれる。だからそこは、大昔のまんまのやり方を大事にしてますね」

祖父・嵐九一郎のことも、父いわく「おとっつあんがつくった芝居」を通して知った。

「すごい人だったんだろうっていうのは、祖父がつくった芝居をやっていて感じます。勉強家だったんでしょうね。きちんと学校にも行けてないし、読み書きがきっちりできる人じゃなかったらしいんですけど、何でこんなに土地の名前やそこの地形のことまでこんなに知ってるんだろうって思うんですよ。いろんな土地に行くたびに、全部調べたんでしょうね。『時津ヶ浜の夜嵐』っていうお芝居があって、多治見の金五郎とか出てくるから、どこらへんなんやろうって思って、仕事で名古屋に行ったときに、標識が出てくるんですよね。多治見、時津浜って。あ、こういうことか、この距離でこういう感覚でおったんや、みたいなことをあらためて知って。父が『おとっつあんがつくった芝居だ』って言ってましたから。祖父のことは、僕にとっては叔父である、勝龍治先生(剣戟はる駒座総裁)がめちゃめちゃよく覚えてるはずです。勝龍治先生は、父と嵐劇団をやってましたから、もちろん僕も若いころ一緒に舞台に出てたんですけどね。怒られたことなんて1回もないのに、なんか怖くてそばにも寄れなかったです」

祖父の代からの芝居は、いまと違って台本があるわけではない。師匠である父がしゃべる台詞を耳で聞いて覚える、いわゆる「口立て稽古」で身につけた。

「お稽古はあんまり厳しくなかったんですよ。うちの父は、手取り足取り教える人ではなかったんで、たまに舞台に立ってちょっと動いて、これ頭に叩き込んどけみたいな。昔の人ですから、芸は盗めっていう。舞台から袖に入ってきた瞬間に、言い回しが違うぞとか、形が悪いとか、言うんです。終わってから、ここはこうでああでっていう説明はないんですよね。俺も忙しいから、そのとき一瞬しか言わへんから聞いとけって言われるんですよね。でも、こっちも化粧やりかえないといけないんで、まともに聞けなかったりする。だったら化粧早くなれ、っていうような感じですかね。稽古のときも、いまみたいにスマホで録音なんてできませんからね。カセットテープはありましたけど、録ったりすると怒られました。絶対に1回で覚えろって。何回でも聞けると思うと甘えるから、1回で覚えるクセをつけろ、わからなかったらもう1回聞きにこいとは言ってくれるんですけど、2回目聞きにいったらすごい機嫌悪そうにする。怖くて聞けないから、だったら1回で覚えるみたいな。正直理不尽なとこもいっぱいありましたけど、いまとなっては、それも含めていろんなことを教えてもらってすごく感謝です」

理不尽なことってどんなことですか?

「うーん、なんかやっとけよって、絶対無理なことを言ったりとか。『この帯、使っていいぞ。気にすんな、使え』って言ってくれるから、『ああ、ありがとうございます』って使ってるじゃないですか。で、次の場所行って使ってたら、『何、勝手に使ってんねん』って怒られて。『それは先月の俺や。今月は許さんから』と。世の中の理不尽さを教えられましたよ。めちゃめちゃユニークでしたね。メンタル、鍛えられますよね。僕も若い子に言うのは、世の中ってそんな全部、筋が通ってるわけやない。自分の思うような理屈では動かないって」

第4回につづく!

(2021年10月26日 三吉演芸場)

取材・文 佐野由佳

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