三河家諒が起こす化学変化 一見劇団「清次命の三十両」

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2月11日(土)夜の部、一見劇団の「清次命の三十両」は、三河家諒をゲストに迎えての上演。一見好太郎の清次、三河家諒のおつゆ、美苑隆太の川崎音衛門親分、古都乃竜也の牛若の島蔵。舞台がひとつになって、あらためてこの物語の切なさが際立った。

清次のはつらつとした明るさは、持って生まれた性格ではあろうけれど、明るさそのままに今日まで生きてきたわけではない。おさななじみのおつゆちゃんと再会したから、一瞬にして子どものころに戻ったんだということを、一見好太郎の清次は強く感じさせた。大好きだった父親と死に別れてから、渡世人になるしかなかった清次も、ある意味、苦界に身を落としたおつゆと変わらない。清次のなかにある陰を、博打場の場面で一見好太郎はにじませる。そのコントラストが、物語に奥行きを与える。

だからこそ、清次は自分の命を売ってでも、おつゆを苦界から救ってあげたかったのだ。おさななじみのおつゆちゃんに、ひそかな恋心を抱いていたこともたしかだけれど、それだけではない。おつゆを救い出さなければ、自分の人生の一番幸せだった時間までも無くしてしまうと思ったのではないか。思いがけず清次に再会して、自分の境遇を恥じてとまどう三河家諒・おつゆの細やかな演技が、そうしたふたりの遠い思い出さえも、映像のように立ちのぼらせる。

物語の最後、預かった煙草入れを泣きながら清次に返し島蔵と旅に出るおつゆ、一緒に泣きながらおつゆの手を引っ張る島蔵、温情をかけ島蔵を見逃してやる音衛門。清次はもちろん、音衛門親分にしても、牛若の島蔵にしても、世間の片隅に生きるしか道がないことでは、みな同じなのだ。清次が命がけで逃したおつゆちゃんは、束の間、そこにいるすべての人にとって小さな希望なのではなかったか。そしておそらく、清次はもう助からない。そのことが、この先それぞれの人生の暗喩のようで切なく、だからこそ、清次と音衛門がふたりを見送るラストは美しい。

三河家諒をゲストに迎えたことで、通常の劇団公演とは配役も変えて挑んだ舞台は、新鮮な化学反応を起こして物語の世界をくっきりと浮かびあがらせた。もともと、「たけくらべ」の姉妹編みたいな風情もある「清次命の三十両」だけれど、今回の舞台はより文学を感じさせたのだった。

この日、昼の部は「好太郎祭り」と銘打って、お芝居は「大阪嫌い物語」を上演。昼夜ともに大入りの熱気に包まれた。

(2023年2月11日 一見劇団 川越湯遊ランド) 

文・佐野由佳

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