第4回 思いがけず、恋バナ

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「〽大阪はミナミの新地のあたりに子連れの女が流れてきまして、ちょっと大きな声では人に言えんような商売を始めたんです」という語りで始まる大月みやこの『戻り橋暮色』。大衆演劇ではおなじみの曲。歌詞のなかに台詞が多いからか、芝居の腕に覚えのある役者が踊ることが多い。子どもに話しかけたり、抱きしめたり、そこにあたかも子どもがいるように、鵣汀は踊る。

「もともとうちの親父がやってて、子役を出して踊ってたんです。僕もそれを真似してたんですけど、ある日、子役が寝てしまって。ワッて思ったけど、おるようにやりゃあいいって思ったのと、あれ、子どもが自分なんですよね。子どもが母親の話をしてるんです。それを気づいていない方が多いんですよ。子どもが、歌うたってる人自身なんです。語りをしてるほうなんです。子どもが昔を思い出して語っている。ということに僕は気づいたので、子役を出さないようにしたんです」

目からウロコすぎて、話についていけなかった。男と別れるとお父さんは戦争に行ったと嘘をつく母親。また男と別れて落ち込んでいる母親を、子どもが「お父ちゃんが戦争から帰ってくるまで、毎日、自分が迎えにいくから」となぐさめる。子どもを抱きしめる母。このときの鵣汀が愛情いっぱいなうえに、なんとも切ない。誰しも、ここぞとばかりに芝居をする箇所ではあるが、一枚も二枚も上をいく感じがした。芝居がうまい役者は踊りもうまい。そんなような話を聞けたらと、切り出したつもりだったのだが、とんでもない。歌詞の解釈そのものが鵣汀ならではだったのだ。

「最初は語りから入って母親として踊ってるんですけど、あの抱きしめる瞬間に、大きくなった自分になるんです。で、戻り橋と。結局、あの子もお母さんとおんなじような人生を歩んでしまうんです。お母さんのせいで自分の人生がうまいこといかへんのかいなぁ~って思っているときに鼻緒が切れて、また別の男に声をかけられる。戻り戻るから戻り橋なんです、すべてが繰り返すということなんです」

大月みやこつながりというわけではないが、『かわせみ』も印象に残った一曲だった。後半で鵣汀はとても強い顔をした。別れた人のことをしっとりと、というだけではない踊り方だった。

「女性って強いんですよ。男より強いんですよ。これは僕の経験であって、全女性がそうというわけではないかもしれませんけど、男って恋愛とかの思い出って、ひとりひとりの女性に関して個別でファイルに保存できるんですよ。女の人ってわっかんないですよッ。曲がり角曲がったら全部忘れてるんですよ。上書き保存するんですよね。前の男性と行ったことがあった店だとしても、初めてみたいなリアクションができるんですよ。女の人ってそれくらい強いんですけど、世の中にはそうじゃない人もいはって(笑)、なんつーのかな、いろんな人とお付き合いしたり、結婚もするんですけど、誰も知らないところでずーっと思い続けている人っておるんですよね。『かわせみ』ってそういう女の人の話なんですよ。って、僕は理解してるんですよね」

「いや、別れるんですよ。別れるんやけども、だから、人間って蓮葉(はすは・軽はずみ)に言葉にしたらあかんというか、言霊(ことだま)ってあって、幻やなって思って口にしたら、その恋愛がほんまに幻になってしまった。でも忘れられない。いろんな人とそうなったとしても、というね。そういう人ってすごいきれいなんですよ。目の前の人が嫌いなわけでもない、確かに好きなんだけど、でも、男も女も誰か思い続けてる人って美しいじゃないですか。わかります?」

なぜ強い顔をするのかという質問から、恋バナがあふれ出す。

「ずっと思い続けてるっていうのがきれいって僕は理解してるから、あの瞬間、また寒い冬が来るんやけど、ふって風が吹いたとき、幻やった男の人の匂いがするからぱっと振り返るっていうことなんですよね」

そこまで考えて踊ってるってすごいと、間抜けな合いの手を入れると、

「僕は、ですよ。背格好同じ人見たら、わって思って、でも、あぁ、なぁっていう瞬間ってあるじゃないですか。そういう瞬間の女の人の顔ってすごいきれいなんですよね。切なくもあるけども、思い出せたことに幸せを感じてるんですよ。男の人もそうなんです。かっこえぇな、色気あるなって思われる人って、実ってないときが多い。自分が悪かったりすることも多いんですけどね、男の人の場合は。でも、ふっと、あれっていうふうに思い出してもらえたら嬉しいやろうなと思いますよ。そう思って踊るときがありますね、『かわせみ』なんかは特に。いちばん好きな人を思い出したときって強くなりますよ。もうちょっとがんばろうかなって」

「でも、どうでしょう。僕、自分がこれが最後の恋愛やと思うたら、最後の恋愛やろうと思うんですよ、言うたら。それはその、嫁と子どもがおったとしても。だから、離婚する人がおるんやろうし。それはもう、みんなわかんないんですよ。『かわせみ』もそうやし『戻り橋』もそうやけど、そういう女性たちってきれいですよね。思い続けて、はかないというか。男の人もそうですけど、なにか深みが出るんやと思うんです。どことなく寂しさがあって、先生(勘三郎)なんか、いっぱいあると思いますよ。深みが出るたんびに、ああ、なんか恋愛が終わったんかなぁって思ってましたけどね」

勘三郎の芝居にしびれながら、勘三郎の恋の行方まで心配していたとは。

幼い頃から踊りが好きだったのは、体を動かすのが楽しいといった子どもらしい理由ではなく、勝手にストーリーを考えて踊ることが楽しかったからという。

「ヘンな子やったんでね。だから、僕、桑田佳祐さんの『月』って曲を人形のつもりで踊ってたんです。ガラスケースのなかに入っている人形のイメージで。満月の日にだけ命が吹き込まれる。自分を買ってくれた人にずっと恋をしていて、そこから抜け出して、触れて気持ちを伝えようとするんだけど、夜が明けると、引きずり戻されてしまう。また、次の満月までその人を見ているだけ。いつまでたっても気持ちが伝えられないという……。永遠に秘めた恋愛なんで、そう簡単に近寄れないんですよね」

鵣汀は肚(ハラ)が強い。芝居でなんでもないような顔で座っていても、悲しいのか怒っているのかが手にとるようにわかる。踊りも同じこと。その歌の主人公の気持ちを鵣汀は隅々まで分析して想像する。妄想といってもいいほど、オレ流な解釈で踊る。悲しいだけではない。なぜ悲しいのかというところまで、客を連れていく。鵣汀がどういう気持ちで踊っているのか。その解釈もまた、客の自由。そんな風に舞踊ショーで悩ませてくれる役者は、そういるものではない。

第5回に続く!
(2023年11月28日、12月7日 三吉演芸場にて)
   取材・文 カルダモン康子

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