第1回 オーラがなんにもない

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インタビューの日、昼の部終演直後の楽屋におじゃまする。外の通路に立っていると「どうぞー、入ってください」とたつみ座長の声がする。失礼しますと入り口に立つと、カツラを取って着物を脱いだばかりの座長の背中が見えた。(もうちょっと待つべきか?)と1秒くらい考える。いやしかし、どうぞと言ってくださっているのに、待つのはむしろ失礼だろうと、声だけは大きく、よろしくお願いします! と挨拶して伏し目がちに楽屋に入る。「座布団持ってきて」と座長の指示する声。座員の方が差し出す座布団を、いえいえ大丈夫です、とかなんとか伏し目がちなまま押し問答すること約2秒。結局すすめられるまま座布団に坐って正面を向いて顔をあげたら、楽屋着に着替えて化粧も落として、まるで湯上りのようにさっぱりとした顔で、たつみ座長が目の前に坐っていた。(早い!)心のなかでひそかに驚く。そして、たつみ座長は化粧を落としても、舞台とあまり印象が変わらない。男前である。

すっとした清潔感のある男前。小泉たつみは誰が見ても、どう見ても二枚目役者である。それなのに、いやだからこそ、芝居で三枚目を演じるときの面白さやアドリブのうまさが際立つ。さらに、顔に似合わず(褒めてます)よくしゃべる。口上挨拶や舞踊のあとのトークを楽しみにするファンも少なくない。話の内容は、最後に必ず「どーでもいいです、こんな話」とオチをつけるような、たとえば舞踊が終わって気取りながらはけた舞台袖で足の小指を思い切り打ちつけた話だったり、ほんとにどーでもいい話なのだけれど、それを笑いにもっていく。ときには、その日上演した芝居の演目にあわせて、昔の舞台の思い出話を披露したり。あんなにシュッとしてきれいなのにしゃべりも面白いという、いわゆるギャップ萌えに場内が沸く。「綺麗に品よく」をモットーとして掲げている劇団だからこその、プレミアム感がある。

けれども、最初からこんなに達者なしゃべりができたわけではないという。

「1分もしゃべれなかったです。口上短い、つまんないって言われて。昔のお客さん、露骨でしたね。いま優しいですもんね」

ええっ?! 本当ですか?

「口上で笑いを取るっていうこと自体、父からやるなって言われてたんですよ。とりあえず、三枚目もしちゃダメ。きれいどころで売っていけ、いらんことやらないで品だけで売っていけと。ダイヤのほうが、顔がかわいらしいから愛嬌で売って、ってしたほうがバランスがいいって言われたんです。芝居でアドリブ言ったりとか笑いを取ることも、父に怒られましたね。まともな芝居もできひんヤツがアドリブ言うなって。下手くそやから、とりあえずひたすら一生懸命やれって言われてました。父がお手本でしたから、芸事の全部。舞台出ても、しゃべっても、父が笑いを取って何してって全部ひとりでやってました」

小泉たつみの父は、二代目小泉のぼる。現在の劇団名「たつみ演劇BOX」は、小泉たつみの代になってからの命名だが、劇団としては祖父・嵐九一郎の代から続く、いわば大衆演劇界の老舗である。そのサラブレッドの血筋が、こんな二枚目役者を誕生させたのかと思いきや。

「16歳で座長になったころ、なったっていうか無理やりでしたけどーー。父から言われたんですよ。お前は役者としてまず華がない、オーラがなんにもないって。だから、舞台に出たとき座長って気づいてももらえないし、人気も出ないしダメなんやって」

いろいろ驚くことばかりだ。オーラがなかったとは、にわかには信じられない。その前に、無理やり座長とはどいうことだろう。聞きたいことがぐるぐるしているが、たつみ座長のしゃべりが早くて口をはさむ隙間がない。息つぎをする一瞬の隙に質問してみる。

無理やり座長って、どういうことですか?

「勝手にポスターができてたんですよ、ほんとに。それまで僕、ずっと斬られ役しかやってなかったんで。もう1週間切ったころに、急に来月からお前が座長で回るからと。突然ですから。なんにもないんで、衣装もカツラも。やりながら頑張れって言われて。おんなじやるんだったら、いい役もらえるからみたいな感じで。そのときは、いまから思えば大変の意味もわかってなかったですね。それまでは父が座長でやってはいても、ポスターに載ってるのにほとんど出演してなくて。いまの浅井グループの浅井正二郎責任者が花形みたいな立ち位置で、ほぼ主役をやっておられて。ご自分の劇団を立ち上げるというときに、父はまた今さら自分の看板でやるのも嫌だし、僕が16歳でもう中学も卒業したからいっか、ていうので突然座長です」

主役をやるわけですよね?

「そうですね。台詞を覚えたり、支たくも何も持ってないんで、それを揃えていくまでが大変でしたね。16歳でそんなにファンもいないし、ご贔屓さんがいるわけじゃないんで。女形の着物とか5枚かな? それしかないんですけど、毎日女形やれって言われるんですよ」

そういうものは劇団で、お父さまが揃えてくれたりはしないのでしょうか?

「なかったですね。芸事で飯食うてるんやから、着物とカツラに頼るな、着物とカツラだけに頼るんやったらファッションショーやないか言われて。帯との組み合わせを変えたり、カツラとの組み合わせを変えたり工夫をしなさいって。化粧も遅かったし」

オーラがないと言われたことに対して、どう思っていましたか?

「教えても出るもんじゃない、それはお前が肌で感じて、どうすれば、舞台に出たときに存在感を持ってやれるかやって言われたんで、そのことにずっと、ものすごくこだわっていたかもしれないです。お客さんも昔は、送り出しのときに露骨に口に出して、へったくそやなあ~とか、お前の芝居はマンガやなあとか。うちの父が出てないから面白くないとか、お前ら見に来てるわけじゃないみたいなことも、たっくさん言われましたから。誰が座長? みたいな、意地悪でわざと。そういうこと、いっぱいありましたから。でも、いま思えば、座長に見えなかったんだからしょうがないし、自分が悪いんだって思うしかないじゃないですか。だから、舞台に出たときに、一目でこの人が座長や、この人が出たらもう安心やって思わせられるようになりたい、オーラを持ちたいっていうことは常に思ってましたね」

いまや舞台に登場すれば、待ってましたとばかりに拍手と歓声があがり、客席にさざ波が立つようにスマホのカメラが一斉に立ち上がる。舞踊ショーで視線を飛ばせば、悶絶する女子が続出である。月に一度の「たつみDAY」ともなれば、このコロナ禍で大声は出せないけれど、マスクの下で「やばい、やばい」と小声でつぶやきながら、踊るたつみ座長にカメラを向け続ける大興奮のお嬢さんがたを何人も目撃した。

「そう見えるように、というのはものすごい意識しました。父からハングリー精神をつけてもらったのがよかったですよね。とりあえず自分で稼がなきゃ何もできないって言われる状態でしたから。座長になったからって、当時は劇団の人数も多かったんで宿舎もいっぱい、楽屋もいっぱいになると寝る場所もない。舞台で寝るのはいつも当たり前やったし、その場所もなかったらほんとにキッチンみたいなところで布団持って行ってとか。甘やかさなかったですから。部屋は夫婦もの、座員さんとか、みんなにあげて、お前ひとりもんやからそのへんに寝とけって。ちゃんとしたとこ寝たかったら人気出せ、と。そしたら、へんな話、やらしい話、祝儀も増える、そんだけ人気出てんのに、そんな人をこんなとこに寝かしちゃダメだってことで、ちゃんとしたとこで寝られるような状況をつくり出していけって。で、とりあえず自分をきれいに見せなければいけないので、お客様からいただいたご祝儀を貯めて貯めて、父のところに全部預けて、そこからカツラをつくってもらったりとか、ていうことの積み重ねで、いまみなさんに応援していただいてます」

子を崖から突き落とした、父であり師匠の二代目小泉のぼるは、たつみ24歳のときに病で早逝する。52歳だった。

「急なことで病気で倒れて、長くなかったんで。そうすると、いくら自分が真面目にやっても芸も足りないし、お客様も退屈なさってくる。何か研究しなきゃいけないなってことで、ちょっと三の線をやったりとか、トークの勉強したりとかしましたけど、でもやっぱり場数やと思います。しゃべれるようになったのは、やらなきゃしょうがないっていう立場に追い込まれてからですよね」

いまでも、衣装やカツラをつくるのは、そんなころからずっと応援してくれている、お客さんへの恩返しだという。

「お客様がご祝儀をつけてくださるのは、応援してあげたいっていう気持ちですから、それを自分の私物もんであったりとか、生活だけに使ったりとかいうことはあまりしたくない。どんな役者さんでも、トップ張って座長やって頑張っておられる方はみんな同じ気持ちだと思うんですよ。衣装もカツラもずーっと何も変わってないのと、またこんなんつくってきれいになってるなって、そういったところに使ってるということがちょっとでも伝わればいいなあって。うちの若い子に言うのも、若い時分にもらったご祝儀は、全部自分への投資やと思って、衣装カツラをつくれって。それが5年後10年後にまたバーンと返ってくることやから。100あって100全部とは言いませんよ、自分たちだって暮らしていかなければいけないわけですし。ただやっぱりある程度の、自分のルールは決めますね。たとえば、今年はこんだけカツラつくる、こんだけ着物つくりますっていう目標を立てて、そこをクリアしないと自分の贅沢には使わないようにしてます」

サラブレッドは、苦労を見せない苦労人である。

第2回につづく!

(2021年10月26日 三吉演芸場)

取材・文 佐野由佳

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