瞳マチ子第2回 一見劇団、最終兵器

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紅葉子のファンキーな血筋を、誰より引き継いでいるのは、実は瞳マチ子ではないかという気がする。母が亡くなってから、しばらく離れていた舞台に復帰した瞳マチ子は、ここぞという日に役者としてその演技力を発揮する。なかでも、劇団のリバイバル演目である「我が故郷、情けの雨」では、一見劇団の最終兵器と呼びたいほどの破壊力で、観客を奇妙な感動に包んでいる。

ファンキーなおかあちゃん紅葉子は、夫亡きあと、30歳をすぎてから舞台に立った。

「我が故郷、情けの雨」のあらすじはこうだ。やむにやまれず村のお金に手をつけて追われた男松蔵が、やもめになって数年ぶりに故郷の村に戻ってみると、兄・松吉が茶店を営んでいる。しかしそこには、苦労をかけた母の姿はない。大店に奉公に出いる弟・新吉には、好いて好かれた大店のお嬢さんとの縁談話が進んでいた。松蔵が戻ってきたことで巻き起こる小さな騒動、しかし互いのことを思い合う兄弟の美しい心によって物語はハッピーエンドに。という、ほろりとさせる人情時代劇なのだが……。最後の最後に登場するのが、瞳マチ子演じる大店のお嬢さんとその母親。(え?これが、新吉と恋仲の、お嬢さん?)と誰もが息を飲む。振袖姿に白塗りのおかめ顔、さらにものまね芸人の清水アキラよろしく、鼻をテープで吊り上げているのだ。しかも新吉を演じているのは、永遠の美少年美少女を演じて定評のある梅乃井秀男である。想像をはるかに超えたお嬢さんの登場は、それまでの物語のトーンを一気に崩壊させ、こぼれかけた涙を返してくれ〜と叫びたくなる。やがて笑いすぎて涙が出てくる。

手前の写真が、「我が故郷、情けの雨」で、ありし日の紅葉子太夫元(左)と共演したときの一枚。右が鼻をテープで吊った瞳マチ子。

「我が故郷、情けの雨」は、かつて劇団で上演していた演目で、紅葉子亡きあと、「母の日」と称した月命日に再演するようになった。最後に登場するお嬢さんの母親役を、紅葉子が演じていたからだ。いまは、瞳マチ子の妹・長月喜京が母親役、お嬢さんの役は、昔から瞳マチ子が演じていたという。

「鼻をテープで吊ったのは、昔、テレビ見てて、こうやると顔が変わるんだなと思ってやってみたのがきかっけで。久しぶりに上演することになったときに、古都乃座長があの役はあのままでいいよって言ってくれたから、ありがたく。自分がああいう顔してても、芝居の邪魔にならないように気をつけてます。お客さんは顔見たら、当然笑うでしょ? それにつられて自分も笑っちゃったら芝居にならないから。だから絶対、お客さんの顔は見ないんですよ、ああいう顔をしてるときは」

舞台はいかに、自分の演技が芝居全体を邪魔しないか、出過ぎないかが一番むずかしいところだという。

太夫元でありつつも、舞台に立つこともあった紅葉子。当時を知るファンは、瞳マチ子の復活は、どこか面影が重なるという。

瞳マチ子は、子役の時代を経て、父に言われて15歳で人見多佳雄劇団の座長になった。そして1年ほどして、劇団の外に修行に出る。

「どうせ芝居を本格的にやるなら、一回、外に出てみたらどうかということになって。酒谷先生のツテで、朝丘雪路劇団の幹部だった旭輝子先生のところへ行きました。旭先生は、そうです、神田正輝さんのおかあさんです。最初に出たのは、当時、明治座でやってた舞台のエキストラ。歩くことから仕込まれました。舞台が始まる前は、客席でプログラムの売り子さんをやるんです。おもしろかったのは、売り上げの多かった人順に、特賞、1等、2等、3等と商品が出る。しかもこのプログラム売りは歩合制だから、がぜんやる気が出ますよね。これだけは負けていられないって思って、特賞取ってラジカセをもらったことがあります。『いかがですかーっ』て歩いてるだけなんですけど、人に売らせないためにわたしは走るんですよ。客席で、お財布さわってるな、探してるなって人を見つけたらサササーッて。それが16のとき。18くらいでやっと役をもらったのは、中村吉右衛門さんと京マチ子さんが主演の『花の吉原百人斬り』。初めて女郎の役をもらいました。大阪の新歌舞伎座です。役がつくと、だんだん給料がよくなるんですよ。エキストラのときは、10万ちょっとだったけど、役がついたらいきなり30万とか。自分のお小遣いだけもらって、全部、父と母に渡してましたけど。三吉演芸場の初代の奥さんがお風呂屋やってるときに、そこに寝起きさせてくれて、錦糸町にある稽古場まで通わせてくれたんです。横浜の関内から京浜東北線に乗って。その間は、自分の劇団には出ませんでした。でも結局、3年くらいでやめちゃいましたけど」

母が亡くなって、もう一度、舞台に復帰するようになった瞳マチ子。

「やっぱり大衆演劇っていうものが好きだったからかな。大衆演劇の稽古は口立てでしょう? たとえば、毎回、台詞が多少違っても意味が通れば許されるけど、大舞台は一言一句、台本からずれると注意を受ける。わたしら関西だから、言葉のイントネーションも違う。そういうことも、何回も何回も直される。それに自分の劇団にいれば、太夫元の娘だから朝も9時ころ起きてもいいかって感じでしたけど、外の先生の弟子になったらそうはいかない。寒いときでもどんなときでも、朝早くから夜遅くまで、洗濯から食事のしたくからしないといけない。小さいころから、おとうさんおかあさんと離れて暮らしたことはなかったから、さみしい気持ちもありました。もちろんね、学ぶことも大いにありました。旭輝子先生は大きな方でしたから。いまの自分の糧になってると思います。それはね、『はい』という返事ができるようになったこと。太夫元の娘でいた時代は、何か言われたらすぐカーッとなってましたけど、先生についたおかげで『はい、そうですね』と言えるようになりました」

しかし同時に、その経験は挫折した気持ちとして、いまも残っているという。

「大きな舞台に出たことがあるから自分はすごいんだ、とは思わない。大きな舞台に出ても3年で挫折してるんだから、お前はダメなんだっていう気持ちがいっぱいなんです。二十歳のときに、あのまま続けてたらどこまで行けただろうかと考えても、3年で自分から挫折したんだからやっぱりダメだったんだって。今年、60歳になりますけど、いまでもそう思ってます」

ふたたび人見劇団(当時)に戻ってきてほどなく、大衆演劇の役者と結婚。婿にきてもらう形で、自身はそのまま劇団に残った。現在、劇団の若手リーダーをつとめる美苑隆太、花形の紅金之助、裏方をつとめるふたりの娘、4人の子宝に恵まれるが36歳のときに離婚。元夫は、去年、亡くなった。

「離婚してたから、本人が病気だっていうことも知らなかった。亡くなって初めてわかったんですよね。お葬式に参列するかどうかっていうような連絡が息子にあって、わたしは行かないけど、息子たちに任せたら、行かないって。別れたとはいえ元夫が亡くなって。若いうちにおとうさんも亡くなって。うち、おばあちゃんたちはみんな長生きだったけど、おじいちゃんっていうのは全然知らないんです。おかあさんが言ってました、うちは、女系家族なんだって」

第3回に続く!

(2022年2月14日 立川けやき座・3月12日 川越湯遊ランド)

取材・文 佐野由佳

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