TeamJunyaその1 追い込まれるほど役者は輝く

3782

何にひかれて、大衆演劇を観てきたのだろうと考えることがある。あえてひとことで言えば、「懐かしさ」かもしれないと思っている。昔ながらの商店街や、場末の歓楽街を抜けた先にある、小さなかわいい劇場。畳敷きの観客席で観る時代がかったお芝居。月ごとに入れ替わる劇団、日替わりの演目。生まれたときから芝居小屋で過ごしてきた役者たち。大衆演劇を観始めたころ、21世紀の大都会の片隅に、こんな芸能が生き残っていたのかと驚いた。いや、生き残っているどころか、現在ただいま絶賛興行中で連綿と続いている奇跡。自分の知らない遠い時代を生身の体にたたえた役者たちを、目の当たりにするリアリティにドキドキした。そしてその世界を取り巻く手触りが、懐かしかった。その懐かしさに、ずぶずぶと浸かりたくて劇場に通っているのではないかと思ってきた。

TeamJunya千秋楽。1カ月の入場者数延6000人という数字を叩き出した。

同時に、懐かしいなどという気持ちは、おおっぴらに言ってはいけない気もしていた。懐かしさの源泉にあるものは、ほろびゆくものへの哀惜、うたかたの恋にも似たはかない切なさである。そんな後ろ向きの気持ちに浸る快楽は、誰にも言わずに味わわなければ、つまらない。

ところが、だ。もしかしたら、懐かしさの源泉にあるものはそれだけはないのかもしれない、と思わされた。

6月、TeamJunyaの千秋楽。

JR十条駅から劇場通り商店街を抜けて、篠原演芸場に向かう道すがら、早く舞台が観たくてスキップしたというのはウソだが、それくらいの気持ちだった。そして満員の場内に集う人たちは、なんだかみんな嬉しそうだった。

これまで体験した千秋楽は、1カ月の公演が充実していればいるほど、一抹のさびしさに包まれるのが恒(つね)だった。タペストリーや花輪がはずされた劇場の壁を見上げては、楽しかった1カ月を思ってしみじみしたものだ。

「追い込まれるほど役者は輝く」という持論を持つ純弥座長のもと、全員が追い込まれ続けて1カ月、キラッキラの千秋楽、ラスト舞踊。

しかしこの日は違った。千秋楽が、1カ月公演のまさにピーク。ミニショーの幕が上がったとたん、待ってました!と割れんばかりの拍手。第二部お芝居「女小僧と橘屋」では、座長恋川純弥演じる橘屋五郎治の男前ぶりに歓声があがり、スカッと梅雨の湿気を吹き飛ばす勢いの、花道での七五調の決め台詞には絶妙の間合いでハンチョウがかかり、長谷川桜演じる子分ぶらりの三(サン)に大笑い。三咲暁人の女小僧六之助はもちろん、めったなことでは表情を崩さないなおともはじけて、ダメ旗本の隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)を熱演。役者全員、それぞれの役をノリに乗って演じた。

「女小僧と橘屋」終演後の口上挨拶。女小僧役の三咲暁人は、1カ月間、口上をする座長恋川純弥の相棒をつとめた。
「人生劇場」では、三咲暁人・飛車角を裏切る、極悪吉良常を恋川純弥が演じた。惨劇のあとの幕が降りれば、この笑顔。
「泥棒哀歌」の終演後には、カスタネット座長(詳しくは本連載第5回で)襲名の打ち合わせ。自分の大事な三味線を「お嬢」と呼ぶ純弥座長に対抗して、相棒のカスタネットを「お兄ぃ」と呼んでいると三咲暁人。
「カスタネットを上に仕込んで、どこから落ちて来るかわからないのを打ち鳴らすっていうのはどう?」と実演を交えて提案する純弥座長。

その勢いは舞踊ショーにもなだれ込み、個人舞踊も総舞踊も、ひとりひとりが実に生き生きとしていたのが印象的だった。見ているこちらも嬉しくなった。なんだこの、幸せな感じ。楽しい舞台に盛り上がることは、もちろんこれまでにも体験したけれど、役者も観客も一緒に嬉しいこの感じ。劇場全体がえもいわれぬ多幸感に包まれている。そもそも屈折がはげしくて、舞台に向かって拍手はしてもめったなことでは手なんか振らない(振れない)私とカルダモンが、緞帳が降りるその瞬間まで、なんのてらいもなく、ちぎれんばかりに手を振った。そこにあるのは、1カ月が終わってしまう名残惜しさよりも「この1カ月、本当にありがとう」という感謝の気持ち以外の何ものでもなかった。

往年の純弥ファンにはおなじみという、千秋楽恒例の「ブラジル音頭」。

胸のあたりにほかほかと、あったかいものを受け取っていた。おそらくそれは、役者も観客も、あの日、千秋楽の篠原演芸場に集まった者どうしがみんなで分かち合ったものだ。「懐かしさ」の源泉には、哀切だけではなく、こんなにもあたたかなものがあったのか。大衆演劇を観てきて、本当によかったと思った。

そのことに感動していた。千秋楽の観客を、役者を、こんな境地に連れて行くことができる大衆演劇に、座長恋川純弥の凄みに、圧倒されていた。1カ月の観客動員数は延べ6000人。篠原演芸場、今年一番の大入りだったという。

その数字は、日を追うごとに、役者も観客も前のめりにさせていく「場」が引き寄せたものだ。毎月公演をしている劇団とは違い、Team Junyaは、大衆演劇界のフリーランスの役者を中心に構成している、いわば、「寄せ集め」の劇団である。

神山大和(1日〜11日)をゲストに迎え、初日のメンバーで記念撮影。
千秋楽を終えて。 2点ともに写真提供=Team Junya

しかも今回は、関東公演のために結成した新編成。そのメンバーが、日に日に本当のチームになっていく様子を目の当たりにして、観客もまた、最初はひとりの推しの役者を観に行っていたかもしれないが、やがてチーム全体を応援しようという気持ちを強くしていった。その一体感が生んだ大入りだったはずだ。

千秋楽の個人舞踊より。なおと(左) 長谷川桜(右)

笑窪(左) 壱成(右) 

花邱龍之輔(左) ありさ(右)

三咲暁人(左) 三咲隼人(右)

三咲龍人(左) 舞鼓美(右)

純弥座長と相舞踊の三峰逹(右)
*今回のTeamJunyaは、上記のほか、前半のみ出演の高橋茂紀、空馬大輪を交えて、総勢14名。

大衆演劇を見始めたころ、恋川純弥はもうフリーランスの役者だったから、ゲストで出演する舞台は観られても、桐龍座恋川劇団の座長だった時代のことは残念ながら話に聞くばかりだ。関西を中心に不定期に開催しているTeamJunyaとしての公演も、1回しか観ていない。大衆演劇の劇場で、1カ月間の座長公演をする恋川純弥を観たのは、実はこの6月が初めてだった。

だから、劇団を率いる座長としての恋川純弥に、あらためて話が聞きたかった。6月の半ば、公演が終わったら、7月のよいときに、インタビューをお願いしたいと伝えておいた。公演が終わってほどない7月、座長のほうから東京で話ができる日程を調整していますと返事をいただいた。そのほうが、われわれが動きやすいだろうという配慮。こういう人としての誠実さが、ああいう舞台をつくるのだねとカルダモンと言い言いしつつ、恐縮しながら、いえいえ岐阜にうかがいますからと、夏の初め事務所に押しかけたのだった。

コロナ禍にSNSでの舞踊ライブ配信を観ていた視聴者にはおなじみの、広々とした事務所の一室で恋川純弥は迎えてくれた。Tシャツの首筋から肌色の湿布がのぞいている。

「昨日、配信しながら三味線弾きすぎて。肩凝りです」。

事務所のなかには大道具まである。いつでもどこでも舞台がつくれるだけの道具を完備。

毎日の舞台であれだけ筋肉を使っていても肩は凝るんですねと言うと、

「僕、筋肉、全然ないですよ(笑)。トレーニングの先生から、舞台で動いているのは日常だから、それは筋トレになりませんと言われました。それ以上に負荷をかけないと、筋肉にならないらしいです」

篠原演芸場に「持っていかなかった」照明機材のごく一部。

あんなに毎日、負荷をかけ続けているというのに。さらに肩が凝るほど三味線を弾いたとは。6月の舞台でも、何度となく三味線を披露しては場内を沸かせた。

「吉田兄弟さんの曲がハードで。6月もちょこちょこ弾いてたんですけど、三味線だけの稽古ができなかったんでね」

そんな6月の1カ月が終わって、いまどんな気持ちかと聞いてみると、

「すごくやり尽くした感じがするので、しばらく舞台はいいかな、という気持ちです」

と言いながら明るく笑った。

「逆に、これを毎月やってらっしゃる劇団さんはすごいなと思います。TeamJunyaの場合は1カ月間、力を出し尽くして終われるからこそ、できたことでもあるのかなと思います。最近思うんですけど、大衆演劇の劇団も、1カ月ガーッとやって次の月は休むとかできたらいいのに。翌月もすぐ公演じゃなければ、みんなもっと力を出し切れるのかなという気はします」

初日。舞台狭しと一同揃い踏み。

今回の公演は、どういう経緯で決まったのか。

「昨年、恋川劇団が木馬館・篠原演芸場に乗ってるときに、『桜雪』という新風プロジェクト(篠原演劇企画による新作の芝居を上演する企画)の公演があって、そのとき僕は悪役の侍役で出たんですけど、稽古のときから篠原社長が観ていて、いま、こういう立ち回りができる役者が少ないから、若手の育成を兼ねて、1カ月公演をやっていただけないですか? という話になったんです。最初から、劇団暁の若手を参加させてもらいたいと社長からの要望があったので、僕からは三咲暁人くん、三咲隼人くん、三咲愛羅ちゃんを指名しました。4月くらいに、三咲龍人くんが行きたいというので愛羅ちゃんと替えてもいいですか? と連絡が来て、もちろんと。もともとのTeamJunyaは以前からのメンバーのグループラインがあって、今回、篠原演芸場でやるので、参加できる人は参加してくださいねと声をかけたら、結局、全員参加してくれました。三峰達さん、舞鼓美さんたちは、松井誠座長の下町かぶき組の方たちで、前から参加したいとおっしゃってくださっていて、昨年の世界館の公演で参加してくださったのでグループラインでもつながってたんですね。前半参加の高橋茂紀さんも下町かぶき組の方で、松井座長のツアーのときにご一緒してから仲良くさせてもらってます。『TeamJunya、気になってるけど、稽古がすごいって聞いてるから』って言うので、そんなこと言わずに来てくださいよとお声がけして。高橋さんみたいなキャラがひとりいてくれると楽しいし、僕、好きなんですよ。そんなわけで揃ったメンバーだったので、ある意味、初顔合わせ。最初は自己紹介から始まりました」

「恋川」の揃いのうちわで、初日の群舞。

前回のインタビューのときに(こちらから読めます)、同じ大衆演劇の役者同士といえど、育った場所が違えば扇子の上げ下ろしひとつとっても違う。にわかに集まったメンバーでそれを揃えていくためには、結局、舞踊にしても芝居にしても、毎回、稽古の時間が必要なのだと話した。生まれ育った劇団で舞台をやっていくのとはまた違う、それは思いがけない壁のようなものだったはずだ。ましてや1カ月公演でその壁を乗り越えるためには、連日連夜、睡眠時間を削って稽古の時間を取るしかない。今回の公演でも、初日にそのことを口上挨拶で話し、だから送り出しはしないけれど、週に一度取ることにした休みの前夜に、できたらしますと観客に伝えていた。結局、その休みも稽古に費やすことになり、送り出しは一度しかできなかった。しかし、舞台が充実していさえすれば、送り出しがなくても、集客にとってマイナスにはならないことを図らずも証明する結果になった。

そしてそんな舞台を観ていると、稽古は大変に違いないだろうが、おそらく楽屋の雰囲気もいいに違いないことが伝わってきた。それが舞台を、さらによいものにしていた。

そのために心がけていたことがあるのだろうか。

「最初はいいんですけど、疲れてきたり、寝不足が続いてきて、台詞も覚えなきゃとかになってくると、人間ですから、普段、気にならないことでも腹が立ったり、顔に出ちゃったりするんですよね。なるべくそれを顔に出さないように、笑顔でいるように心がけました。そのほうがいいじゃないですか。今回のメンバーは、そんな人もいなかったので、すごくよかったと思います。稽古中もみんな和気あいあいとしてるし、稽古が終わってからも、舞台で照明つくったり、音響のことを桜ちゃんがやってたりする場所にも、寝りゃあいいのに、缶ビール1本とおつまみ持って、みんなが周りに集まってきて。それを見ながら次の日の踊りを決めてたり、そういう光景もすごくよくて。今回、舞踊なんかでも、ここは暁人くん任せるよとか、隼人くんやってね、って投げるんですよ。そうすると彼ら自身も責任感も出てくるし。それぞれが、やらされてるわけじゃなくて、持ち場持ち場を一生懸命やっていたから、楽しかったですね。そうやって裏はめちゃめちゃ仲よかったし、いい意味でお互い、舞台の上では負けるもんかっていう気合いも入っていたので、ひとり踊りが多くても、お客さんも飽きずに見てくれたのかなと思います」

誰よりも動いていた、座長の背中を観ていたからではないですか? と聞くと、

「僕の勝手な、いままでの経験からの考えなんですけど、追い込まれれば追い込まれるほど、役者って輝くんですよ。お客さんが入ってたり、盛り上がってることが大前提ではあるんですけど。連日の稽古と舞台でツラいんだけど、フラッフラになりながら、でも、舞台に立ってあの歓声を浴びられたら、よかったって思える。そういうときはね、フラフラになってても、幕が開くと動けちゃうから不思議。お客さんがよかったよ、って喜んでる顔を見ることが、役者を輝かせる。座長の仕事って、そこに座員を持っていくことだと思ってるんです。きついんですけど、でも、きつくないとその気持ちも生まれない。こんなにきつくて大変だけど、結果が出てるから楽しいって思わせないといけなくて。そのことは、僕が21歳で座長になって、何年か経ってから気づき始めたことです」

そしてだからこそ、今回の結果はある意味「予想どおり」であり、「大衆演劇の小屋でTeam Junyaの公演をやれば、最終的にそこに持っていけることはわかっていた」というのだ。千両座長、おそるべし。恋川純弥の座長論、まだまだ続きます!

カツラは事務所の踊り場にはみ出している。

(2023年7月7日)

取材・文 佐野由佳

関連記事