笑川美佳は日常生活がおもしろい、だから三枚目をやってもきっとおもしろいはず。そう思って、いろんな役をどんどん振るようになったと近江飛龍は以前、インタビューで話した(こちらから読めます)。果たして笑川美佳は、女傑の社長夫人からお爺さんまで、あらゆる役を見事に演じ、近江飛龍演じる主役と丁々発止の掛け合いをして場内を爆笑の渦に巻き込む。
娘時代はまさか、こんなにいろんな役をやろうとは思ってもみなかったという。
「父(浪花三之介)が座長だった浪花劇団にいたころは、おばあさんとか、おもしろい役はめだか(従姉妹の浪花めだか)がやって、わたしは正統というか、女優の王道の役をやってました。お嬢さんとかおかみさんとか。父の相手役ですよね。それがこっち(近江飛龍劇団)に来てから、飛龍座長からいろんな役を振られるようになって。やったことなかったので、父親がやってたのを思い出して、こうやったかな、ああやったかなっていう風に考えながらやってましたね。本当に父がやってるころの浪花劇団の座員さんって素晴らしい方がたくさんいらっしゃって、何をやるにしてもお勉強になる方ばっかりだったので、その方のお芝居とかも思い出したり。 いまでもそうですけど、映像は見ないようにしてます。引っ張られますからね。だから、手取り足取りではなく、父が一緒に舞台に立って、後ろ姿で教えてくれたことが、いますごく身に染みてます」
いまや夫唱婦随の名コンビとも言える笑川美佳と近江飛龍は、それぞれの親のつながりで、子どもの頃から顔見知りではあったという。
「要所要所でちっちゃいときから会うてることは会うてたんです。朝日劇場に映写室があって、投光をするところが会議室みたいになってて、1カ月に1回、座長さんたちが集まって、そこで会議したり、今後どうしていこうという方針を決めたりしてたんですけど。私はたまたま子役で出てたんか、その集まりのときに劇場におったんでしょうね。お手洗いに行きたいって言ったらしく、連れてってくれたのが、お義母さん(近江竜子)と飛龍座長やった、というのを覚えてます」
しかし、大人になってからの近江飛龍の印象は決して好ましいものではなくなっていたという。
「久しぶりに見たときに、なんやこの人、変な人と思ってました(笑)。だって、頭が、前髪が、オレンジ色、いやピンクやったかな。なんやこの人って思って見てたときに、横にいてたのがお義母さんで。ええねん、あれで。ほっといたって、って言うてました。わたし、何も言ってないのに。すごい顔して見てたんでしょうね」
そんな近江飛龍と笑川美佳をつないだのは、誰あろう近江竜子だった。当時、最初の結婚が破綻して離婚話が持ち上がっていた近江飛龍だったが、最初の結婚のときから、近江竜子は「なんで美佳ちゃんと付きおうて結婚せえへんの」と言っていたという。そんなこんなで近江飛龍の再婚話を、酔った勢い(かどうかはいまとなっては確かめる術もないが)で、近江竜子が笑川美佳にフライング。「うちの息子と結婚してやってくれ」と電話をかけたのだという。
「そのあと、もうこっちは家族会議ですよ。近江ねえさんから電話かかってきてって父に話したら、なんでお前の電話番号知ってんねん!(註・近江ねえさんは浪花めだかさんから聞き出していたという)。ねえさん、酔っぱらってるから、ほっとけ!って。そしたら、今度は飛龍座長から電話がかかってきて、うちのおかあさんが酔っ払って電話してごめんなって。その声が優しかったっていうかね。母親思いやなあって。おかあさんのこと、すごい大事に思ってるんやなっていうのは伝わってきました。そんなん、母親のこと怒って、わたしに連絡せんでもいいのに。おかあさんのことをカバーするために、わたしにわざわざ電話をっていうのが優しい人やなあって」
その後、今度は逃避行の末に失恋した笑川美佳が、酔っ払って近江飛龍に電話をかけたことや、公演場所が近かったことからよく会うようになり交際がスタート。それでもことは慎重にと、父・浪花三之介には内緒にしていたという。
「岡山で公演場所が近かったんですよね。そのときに観に来てくれたり、観に行ったりして、そっからお付き合いして。父には内緒にしてたのに、劇団どうしで食事会をしたときに、近江新之助(近江飛龍の甥)が、またそこで酔っぱらってーーみんな酔っぱらって事が進んでくな(笑)――うちのお父さんに、『飛龍座長をおねがいします』って頭を下げたらしくて。うちのお父さんにしたら、なにいうてんねん、なに事や!ってなって。次の日に三人で、飛龍座長と新之助とお義母さんとあやまりに来ました。もう、浪花三之介家、大騒動になりましたけど、そのときもそのまま水面下に収まって。でも、父も薄々、観念してたと思います。それからしばらくして、お義母さんがもう長ないんやってというときに、お見舞いに行ったら、ベッドの上に正座して、『うちの子あきませんか?』って。亡くなったのはそれから4日後でした」
近江竜子は平成11(1999)年に62歳で他界。近江二郎亡きあと、まだ子どもだった息子・飛龍と二人三脚で劇団を切り盛りしてきた人生だった。座長になった近江飛龍を、自分に代わって盛り立ててくれるパートナーとして、笑川美佳に白羽の矢を立てた思いはどんなものだったのだろうか。
「結婚前におとうさんが、うちの娘でいいんですか? ってお義母さんに聞いたそうで、そしたら、あの子は何があっても付いていくと思う。強いって」
亡き義母に見込まれ、無事、相思相愛となり、笑川美佳26歳、近江飛龍27歳のときに結婚。笑川美佳と近江竜子は一緒の舞台に立つことは叶わなかったが、「笑川」の苗字は、近江竜子の結婚前の芸名・笑川ユリから譲り受けたものだ。
「最初は笑川ユリでって言っていただいたんですけど、全部をいただくっていうのはなんかおこがましいなっていうのと、お義母さんの芸風をなんも教えてもらってないし、受け継いでもないのに、名前全部をいただくわけにはいかんと思って。でも苗字だけでも残したいとは思ってましたから、笑川だけいただきました」
厳しい師匠であり、子煩悩な父だった浪花三之介からは、結婚するときに「お前ほんとに大丈夫か?」と聞かれたという。それは当時、遊び人の噂も絶えなかった飛龍座長のもとへ嫁ぐ心配、親心かと思いきや。
「父は案外その辺は、やっぱり役者さんなんで、 そういう面では心配はしてなかったんですけど。それは女房の舵の取り方ひとつで変わってくるっていう風に思ってたので。すごい心配してたのは、芸風ですね。芸風が違いすぎるけど、大丈夫かと。言うのもなんですけど、わたしは浪花劇団のいわゆる正当派の女優でしたから、近江飛龍劇団の強烈な芸風のなかに、お前は入ってほんまに順応できるのかって。その心配をされました」
しかし父の心配をよそに、笑川美佳は、近江飛龍という名プロデューサーにより、三枚目だろうが老け役だろうがなんでも来いの、新たな才能を開花する。そして父の背中を思い出しながら、逃げ出したいほどいやだった舞台の上で、演じることのおもしろさに目覚めて行ったのだから、人生なにが起こるかわからない。
「こっち(近江飛龍劇団)に来て何年かしてから、お前、ようやるようになったなって父に言われたんですよ。それまで父に褒められたことはなかったので、そのときには、もう、もう。やっててよかったなって。嬉しかったですね。すごい重たい言葉っていうか、大事な言葉でした。うちの父親は、他人を褒めても私を褒めたことはなかったですから」
次回は、座長の嫁、笑川美佳の話。第4回へ続く!
(2024年7月15日)
取材・文 佐野由佳