劇団ファンならずとも、劇団美山のお家騒動のうわさは、大なり小なり耳にしたことがあるはず。2019年11月、新開地劇場の公演中に、里美こうた、里美京馬ほか座員数名が突然いなくなった出来事である。結局、数週間で戻ることとなり、その後の劇団の、快進劇の引き金のようにさえ見えたことから、「狂言(ヤラセ)疑惑」まで飛び出した騒動だ。ことの真相に切り込んだ山根大社長、その顛末を語った里美たかし総座長、というのが前回のあらすじ。
よくぞ、もとのサヤにおさまったものと思っていたけれど、聞けば聞くほど、そこにはさまざまな物語があり、こちらも途中から、ひそかにじんわり涙ぐんでしまったりしたのだった。
里美たかし(以下、里美) この間、こうたが言ったんです。「僕が入ってきた当時の、楽しい劇団美山に戻りましたね」って。こうた、そうやなって。いま、子どものときとはまた違う、いい意味で、がむしゃらにやってるじゃないですか、いろんなことを。しかも、子どものときは、負けんぞ! いいとこにのるために頑張るぞ! 大阪のしてもらうぞ! 東京のしてもらうぞ! いい劇場のるぞ! いまをときめく座長たちに負けんぞ! みたいな感じで、ワイワイガヤガヤ、いうたら小学校の部活みたいな感じでやってたのが、成長して、ちょっと名前が売れるようになって、劇団としてもちょっといい感じになった。そしたら、みんなそれぞれ思いが出てくる。思春期迎える。でもね、あのころ、反抗期なんか一切なかったんです。だからその反抗期が一気に来たのがあの騒動だったのかなと。メンバーは、オレに謝ってくれました。でも、オレも悪かったって頭下げることいっぱいあります。頭下げられてよかったな、って思うし。そういうこと、大事やなって思うし。オカンによく言われたのは、「あんたたちの関係性を見てたときに、いつかこうなると思ってたよ」って。臭いものには蓋をするじゃないけど、ちょっと言いたいことあっても我慢しよ、っていうのが積もり積もっていくとやっぱ人間、ね。しかも365日、いまでこそ欲しくない休みがいっぱいあるようになってしまいましたけど(笑)、休みもなくやってると発散の場もなくなってくるし。いろんな思いがあったんでしょうね。だからいま、楽しいですよ。くだらない、なんでもないことでバカ笑いできるのが楽しいです。それがいいなあって。「こうた、そやなあ、昔に戻ったなあ」って。楽しい美山ですね。社長、ほんとに、思いません? こうた、明るくなったでしょ? やばいくらい明るくなったでしょ?
山根 大(以下、山根) たしかに、明るうなったなあ。
里美 ある意味、こうたが一番背負っとったかもしれないです、僕のことを。こうたは、きれいです。ほんとに僕のなかでは、光なんですよ。それぞれ僕のなかではいろんなイメージがあって、その通りに僕がつくってきたもんやから。それがあいつには、重荷になってたかもしれない。お前はきれいでいろ、まじめでいろって。今日のラストショーなんかなでも、昔のあいつやったら、「SM花魁」なんてしないですよ。いや、ま、名前つけたのはオレですけど。いうたらですよ、オレがそんな話したって、昔やったら、黙って、はいはいって。最初、こうたが「ラストショーどうでしょう?」っていうから、これ、ただのSMやないかって(笑)。「いいですかね?」っていうから、いい、いいお客さんが喜ぶならいいって。「もし何か言われたら、総座長が勝手につけたって言っちゃいますよ(笑)」って。いい、もうそれでいい。そういう会話ができるって、楽しいじゃないですか。「何かあったら謝ってくださいね、総座長」みたいなことをみんなが言って、わかったわかった、オレが謝ればそれですむから、って。そんな感じになってます。楽しいです、ほんと楽しいです。もちろんしんどいこともありますよ、怒ることもありますよ、でも楽しいです。それがいまの美山です。うち、やっぱアホしかいないですから(笑)。
大衆演劇ナビ(以下、ナビ) 今年1月の、木馬館の舞台で、白鳥になったときのこうた座長、よかったです。端正でまじめなこうた座長だからこそ、大笑いしちゃいました。
ナビ 楽しいと思えるようになるには、それだけ時間が必要だったということですか?
里美 10代は、すいません、何にも考えてませんでした。それこそ明日なき戦いじゃないですけど、舞台のこととか覚えることが多すぎて。20代に入ったくらいから、みんなが集まりだして、そこから苦しみました。それこそ、座長一本型でやってたときですね。自分もまだ歳もいってない、でも負けたくない、クソクソーッと思いながらやってきて。32歳のとき、新歌舞伎座でやった座長20周年記念公演で、僕のいいときは1回終わったと思うんです。第1期、里美たかしは終わった。いい意味でも、悪い意味でも。そこで僕がヘンに天狗になったのかな? って。だからそれをペキッとへし折るために、ああいう事件が、劇団内で起きたのかな? って。それを自分自身で見つめ直して、みんなまた家族になったなっていうのがいまです。簡単にまとめると、たぶんそういうことだと思うんです。で、いま楽しい。
山根 これから先も、劇団美山として頑張ってく限りは、それに対していろんなことを思うやつも出てくるやろうし。でも、そこから逃げんとって欲しいな。すごくいい状態の美山を、いろんなとこで見せて欲しいなあと思う。いまの劇団美山は、不安がない。逆に、不安がないのが不安。
里美 でも、思いました。あの騒動で勉強になったのは、ヘンにいい状況を守ろうとするとおかしくなるってことです。それが前の僕の、失敗点だったと思います。だからいまは、ケンカもしますよ、言い合いもしますよ、おお、せいせい、って思います。それぐらいのが逆にいいなと思います。オレたちは楽しくいようぜ、笑顔でいようぜ、のほうがしんどいときがあるじゃないですか。しんどいときは、もうしんどくていいや、ってみんながやってくれたほうが、オレも楽です。
山根 だからいま現在の劇団美山は、コロナ禍にあって、劇団の力がすごい充実して、その点では、通常営業に戻って条件が揃ったらもっとすごいはず。今日の舞台、オレはショーの途中で入ってきて観てたんやけど、ちょうど新撰組の立ち回りをやってて、あ、ラストショーや、もう終わるんやなって思ったら、まだ真ん中やった(笑)。そりゃほかの劇団、勝てんよなと。こんなもん真ん中でやられて、あとまだ続いて、いかんやろというくらいの違いがあるわけや。オレに言わせたら、飯屋の料金でフルコース出してるようなもんやから、そうはいってもしんどいはずや、普通に考えたら。
里美 いや、でもですね、いまそれがね、僕は、いや僕っていうか、いま言ったみたいに、劇団員みんな楽しいですよ。みんなに言ってるのは、こんだけ必死でやって、いうたらいま、この劇場の本来の客席数を埋めることができない状況なわけですよ。減らしてますからね。っていうことは、いままでと同じことやってたら、もっとお客さんが減ってしまうわけですよ。だから僕、いまが頑張りどきだと思うので、たとえお客さんが多かろうが少なかろうが、めいっぱい頑張る。だからもう、祭りをしまくるんですよ。
ナビ 今年、関東の5カ月間で、55本も祭りをやったと口上で話されてましたね。
山根 ほんと、祭(まつ)るよなあ。
里美 いやもうねえ、オレらもね、祭りせんかったら、おかしくなりそうですよ、逆に。祭りしすぎて(笑)。オレはこの1、2年が、うちの劇団員、勝負だと思っとるんで。とにかく昔から、全員強くありたいんです。男女問わず。じゃないと、生き残れない。
山根 昔ながらの座長一本型みたいなんは、座の構成としてそれしかできない劇団が大半なんやけど、その座長がピカイチならいいけど、そうではないときに、70点の人間がふたり並んでも85点までいかへん。そういう中途半端な、75点になるしかないような劇団が多い。そういう構図のなかで、劇団美山が、みんなが強くありたいというのは、そこんところを突破するにはそれしかないともいえるし、だからそれをやってのけているいまの劇団美山がすごいということでもあるわけや。とはいえ、何度もくどいようやけど、この明日なき戦いを続けていくのはしんどくないか? お客さんは満腹になるやろうけども、コストもかかるし、2000円くらいしか入場料を取れないこの業界のなかで、ずっと祭り続けていけるのかどうなのか、ということも思うな。
里美 それが意外にやれるんです。なぜかというと、じゃあこれが100%なのかっていわれたら、まだみんな余力はありますよ。100%で毎日はできないです、これは。それを勉強したのが、去年の10月の浪速クラブです。あのときは、全員、ほんとに満身創痍でした。でも、あの満身創痍を経験したことによって、ペース配分がわかる。たとえば今日は、座長こうたと中村美嘉の日で、ふたりがが頑張ってる間、僕たちは英気を養えばいいんですよ。そうじゃないですか。昨日は花太郎の日やから、その間に、こうたと美嘉は今日のことを考えればいい、花太郎の前の日は、京馬と葵の日やったから、このふたりが頑張ってる間に、花太郎は自分の日のことを考えればいい。その前の日は、祐樹の日、しかも誕生日。みんなで、ここを盛り上げることを考えればいい。これ、全然、しんどくないんですよ。
山根 ほんまかいな。
里美 だって、せっかくこんだけ看板がいるんですよ。もう毎日、色が変えられるわけじゃないですか。精一杯、みんなが引き立つようにしますよ。かといって、僕が出ないわけじゃない。僕のなかで、総座長、座長っていうポジションの人間て、たとえたった1本しかない個人舞踊でも、パッと出てきた瞬間に、あ、これが、って思わせることができる、それがトップの輝きだと思うし。一方で、いかに今日のこの子を目立たすために、バックに入ってやれるかもトップの役目だと思うんです。だから昔のほうがしんどかったです。いまのほうが楽やし、楽しい。みんなも自分のことも考えないかん、人のことも盛り上げないかんわけだから、楽屋内なんか戦争みたいですけど、アホみたいに笑ってますよ。にぎやかです。
ナビ シャッフル祭が大好きなんですけど、ああいうふうに、いってみれば互いをちょっとディスりながら、観ている側を不快にさせずに笑わせるって、よほどお互いの信頼と、それぞれの腕がないとできないですよね。中途半端じゃ笑えないですし。
里美 アホなことやってますからね。こうたの着物とカツラでオレがこうたの真似をして踊る、こうたがオレの着物を着てオレの真似をして踊る。京馬がこうたの着物とカツラで、こうたの真似をして踊る、というね。
ナビ こうた座長のオハコの「飢餓海峡」を、京馬副座長がとか、ありえないですよ。
山根 初めてあれを浪速クラブで観たときに、何やってんのかなあって思ったよ。いきなりこうたが黒い衣装で、舌出して踊ってるから、こいつどうしたんだろう? と思って。あとからそれがわかって、ああそういうことか、って面白かったけど。でもそれって、お客さんとの約束事の引力があってこそやね。
里美 オレらが楽しければ、お客さんも楽しいだろうというふうに、いま切り替えてます。まじめにやることも大事ですけど、大衆演劇ってそういうことかなと。大衆演劇の世界で、僕は生きてきたんで。
(2021年6月11日 梅田呉服座にて)
文・構成 佐野由佳