大衆演劇界の重鎮、大日方満(おおひがたみつる)の名前を最初に聞いたのは、山根演芸社の山根社長からだったと思う。取材でお話をうかがうなかで、「ジロやん」こと二代目樋口次郎や大日方満など、往年のスター役者がいかにすごかったか、身振り手振りを交えてご自身の観た舞台を再現してくれたのだった。その実演解説に興奮した気持ちと、独特の字面と一緒に、大日方満の名はくっきりと記憶に残った。
1980年代の大衆演劇ブームの時代に、美里英二、二代目浪花三之介とともに「関西の三羽烏」と呼ばれ、一時代を築いた役者であることや、当時、彼たちが集まる座長大会ともなれば、大阪の毎日ホールや名古屋の御園座などの大きな劇場を満杯にするほどの人気だったこと(参考資料:「あっぱれ!旅役者列伝」橋本正樹著 現代書館)、そして、橘炎鷹の父・橘魅乃瑠、大川良太郎の父・杉九州男、恋川純弥・二代目恋川純兄弟の父・初代恋川純、たつみ演劇BOXの宝良典ほか、大日方満の元から巣立って活躍した役者たちは数多く、いまの大衆演劇界を牽引する劇団と少なからず結びついていることも知った。
全盛期の大日方満を知る永年の大衆演劇ファンからすれば、その人気ぶりを証明する伝説のようなエピソードは枚挙にいとまがないだろう。けれど残念ながら、わたしたちは当時を知らない。知らないからこそ、大衆演劇ナビを立ち上げて少し経ったころから、相棒のカルダモン康子と「いつか、大日方先生に会いに行こう」と言い合うようになった。そう、そしてなぜか、ふたりの間では敬意を込めて「大日方先生」と呼ぶようになっていた。
往年のスター役者だから会いたいのではない。伝説のなかの大日方満ではなく、御歳81歳の、いまを生きる旅役者の言葉を聞きたいと思った。少しキザな言い方をすれば、言葉と言葉の間にある、役者魂の息吹のようなものを浴びに行きたいと思ったのだ。
いま大日方満は、娘の大日方皐扇(こうせん)が座長をつとめる満劇団の、指導後見という立場で劇団を支える。座員は、妻の大日方きよみ、孫の大日方忍花形、大日方小とらを中心に、仁道竜之介、女優の結月大河という顔ぶれで、関西を中心に活動している。
コロナ禍がやや落ち着いた時期をみはからって、インタビューをお願いしたいと手紙を書いた。念願かなって、去年(2021年)の10月、満劇団が公演中の大阪「演劇館 水車小屋」に会いに行った。昼の部終演後に楽屋でという約束の前に舞台を観ようと、北巽駅から秋晴れの静かな商店街を抜け、住宅街を歩いて行くと赤い看板が見えた。「演劇館 水車小屋」は、この年の5月にオープンしたばかりという小さな劇場で、ガレージのようなスペースの奥に入り口がある。パイプ椅子が並ぶライブハウスみたいなしつらえの場内は、コロナ感染対策もあって50人も入ればいっぱいの広さ。昼の部は、その席が埋まるほどには入らず空席が目立つ。
どこかソワソワした気持ちで座っていると、これまでどこの劇場でも聞いたことのない、シブい場内アナウンスが聞こえてきた。(大日方先生の声だ!)カルダモンと顔を見合わせる。
お忙しいなか、また世間はコロナ騒ぎがまだまだ続いております。そのなか、今日も水車小屋劇場、ご来場いただきありがとうございます。初来演、満劇団大日方皐扇と一座、このたびは10月のついたちから29日まで、約1カ月の公演、どうぞよろしくお願いいたします。 本日はお昼と夜と昼夜二回公演です。これよりお昼の部、お知らせもうします。第一部、第一部は、踊る花かご顔見せミニショー、第二部はお芝居、お送りいたします。座長大日方皐扇主演によります、現代社会人情劇、題して「祇園小唄」、「祇園小唄」。第3部はみなさまお待ちかね、懐かしい歌、新しい歌とりまぜましてお送りいたします。座長皐扇、若手、熱と力でお送りします、花のグランドショー、花のグランドショーとなっております。ではこれよりお送りいたします。お昼の演芸、第一部、踊る花かご顔見せミニショー、踊る花かご顔見せミニショーよりの、開幕です!
はっきりとした滑舌のよいハスキーボイス、ゆっくりとした独特の調子がどこか耳に懐かしい。しかも、芝居の始まりには配役を、舞踊ショーでは、踊り終わった役者の名前をアナウンスしてくれる。劇団の舞台を見慣れていない観客に親切だ。この日、大日方満は舞台には立たない、それはあらかじめ聞かされていたのだけれど、場内に流れるアナウンスにすら、ただならぬ存在感があることに静かに感動していた。このアナウンスを聞けただけでも、来てよかったと思った。
終演後、楽屋は狭いからと案内してくれた、衣装部屋のような広い別室に現れた大日方満は、想像以上にはつらつとしていた。しんと冷えていた部屋の空気が、一気にあたたかくなったような気がした。
いま大日方先生が舞台に立たれるのは、特別な日だけなんですか?
「いやそうじゃないですよ。外題によったら、おじいさんやったり、悪役(わるやく)やったり。うちの娘が会津の小鉄なんかやったら、僕は近藤勇とか。あとはもう邪魔にならんように、マイクのアナウンスだけは言ってあげてるんですけど。それしかもう80過ぎて役立たないじゃないですか。腰さえね、悪くならなかったら、ほんとに踊りの一曲でも踊りたいなあと。なんやヘルニアに、若いときからで。運転してるときは何時間でも、乗り込みでも5時間でも6時間でもやるんですけど、普段がね、立ち座りが。やっぱり踊りっていうのは力がいるじゃないですか。蛇の目持って踊るのに、草履はいて踊るのイヤなんですよ。やっぱり下駄はかんと。でしょ? 特に僕は傘持って踊るのが好きなんですよね。『傘ん中』とかね」
今日は出演日でなくて残念だったけれど、次回はきっと、大日方先生の芝居が観られる演目の日に来ますと言うと、「出てない日でよかった。いまね、できるだけ見せたくない、出たくないんですよ」と、なんでもないことを言うようにさらりと言った。
えっ?と、言葉に詰まった。ああ、そうだったのかと思った。蛇の目傘を持ったら下駄でないと踊らない、それができないなら舞台では踊らないのが大日方満なのだ。いま自分の芝居に、誰よりも納得できないでいるのは自分自身なのだろう。観客にはわからないかもしれない。大日方満が舞台に出ているだけで、喜ぶ人もたくさんいるだろう。けれどそれでは、本当に観客を喜ばせたことにはならないと、誰よりも思っているのは大日方満自身だ。そして同時に、座員である孫たちにも、自分の芝居や舞踊をやってみせることができないもどかしさを抱えている。
「こないだも忍を怒ったんですけどね、『瞼の母』のできそこないみたいなやつをさしたんですけど、いや、ほんまできそこないですからね。おっかさーん、上の瞼と下の瞼って台詞を言ってんのはいいんですけど、いっぺんも涙ふかないんですよ。お前これ何回目や、イヤならやめなさい、って言ったんですけど。台詞だけはうまく言ってるけど、その役になりきれてない。感情が入ってない。それだと伝わらないんですよ。たとえば、親分になったら、俺は親分だという、その役に入り込むことですよね。恩返しに来て相手に泣いてものを言うときにでも、その役に入って言うとったら、お客さんにもある程度、伝わると思うんですけど、その役に入りきらんと覚えてる台詞だけを言ってるから、お客さんもかわいそうになとは思うけど、心底、涙を流しては見られない。ほいで、泣いてしゃべっとったら、誰でもこうして涙をふきますよね。手ぬぐいがなかったらそのしぐさもないから、泣いているようにも見えない。おっかさん、聞いておくんなせえ、あっしはそうじゃねえって言ったって、涙もふいてないんですよ。これじゃ伝わらないだろうって。だからうちの孫たちに言うのんが、旅人とか、そういう男でも、泣く芝居のときは必ず手ぬぐいを折って懐に入れておくように。そうして長台詞でちょっと言ったら、嘘でもいいから、こう(目をぬぐうしぐさを)やんなさいって」
気持ちが入っていれば、自然と仕草に現れてくるということですね。
「できなくても、1年の子は1年なりに、5年の子は5年なりの入りかたができるはずなんです。1年の子はできなくて当たり前です。でもその1年の子だって、手ぬぐいがなかったら、一生懸命本当の涙出したらいいんですよ。そしたら、それだけでも、お客さんには伝わるじゃないですか。それもなしに、役に入りこんでないっていうのが、僕から言わしたらね、ただ、覚えてる台詞を言ってるだけでは、相手役してる役者にも伝わらないですよね。なんの役でもそうだと思いますけどね。親分が子分3人連れて出てきて、相手方としゃべってます。ほんとのヤクザやったら、親分が話をしとったら、子分はずっと見てますやん、なんの話してるのか聞き逃すまいと必死ですわ。ところがついてる子分が、今日お客さん何人入ってるかな~、今日は若い子来てないかな~、そんなんばっかり。好きよって言うとって、あ、いま後ろ誰かが通ったなんて向こうのほうに気を取られてる、そんなんおりますよ。座長やってたときに、女優さんつことってね、私はお嬢さんが好きなんです、って言うてんのに、どこ向いとんのかいなってことありますもん。もう二度とその女優とは芝居したくないなと思う。僕は相手を見てものを言うということを、昔に教わった。明石英雄さんという師匠はそういう人でした」
いまはそういうことを言ってくれる人が少ないんでしょうか?
「失礼ですけど、お客さんもちょっと悪いんじゃないかなと思うんですよ。昨日今日入ってきた役者でも、色のついたかづらをかぶってピカピカの着物着て、若うて男前やったらもうキャーってね。1年、2年たったら、すぐにお金を出してあげる。座長なんなさいって言う。そういう奥さんが、お客さんが増えてきました。また、そういうお客さんがなかったら、われわれも役者稼業をできない部分もありますけれども。役者の腕がないのに、ちょっと顔がいい、ちょっといまどきな踊りができるだけでちやほやされる。僕らの若かったころと大きく変わったのは、そうやってお金さえ出したらきれいな衣装でもピカピカした衣裳であろうが、なんでも買えるようになったし、かづらでもカラフルなのがかぶれる。化粧品でもいい化粧品がある。なにもかもいいもんばっかりでしょう。だからちょっと若くてお金があったら、華やかさ、きれいさ、なんでもできる。でもやっぱり芝居を見てもらいたいという気持ちがありますね。芝居のうまさ、へたさ、それで区別つけてくれやと。生意気ですけどねえ」
演技指導は細かくされるんですか?
「でもねえ、いまどきキツく教えられないのは、なんというんですかねえ、キツく言ったらふくれよるし、もういっぺん考えて台詞を言え言うたら、孫なんか、泣っきよるし。女形さん、もうちょっと色気出して言えんか~? 言ったら、はい~って落ち込んでしまうし。わたしらの年代と違うのはそこなんですよねえ。師匠やら上の人に教えられたり怒られたら、もういっぺん考えますけれども、いまの子はあんまり考えてくれないんですよね。役者になりたいって入ってきても、一番先に言うのは、月に何日くらい休みありますか? 給料はいくらですか? それが第一声ですから。これから教えてあげるのに、教わりに来たのに、なんでそんなこと聞くのって言いたくなるじゃないですか。あんた、好きでやろうとするんでしょう、って。はい。だから、給料はないよ、ないこともない、お小遣いくらいはあげるよ。そのかわり、ごはんもついてるよ、寝るところもちゃんとあるよ、お風呂もあるよ、って。みんなついてるんだよ。あとはあんたの腕次第。あんたの勉強次第で、相撲取りと一緒で、舞台の上にお金は落ちてるよ。あんたが上手になりゃ、お客さんはほっとかない。花もつけてくれるし、お相撲さんもそうや。一生懸命にやったら、だんだん上がって横綱にもなる。だから、そんなに休みやとか、お給料とか言われて、うちがなんぼなんぼあげます、一週間にいっぺんずつ休み、そんなことは言えないよ。みんな1カ月ぶっ通しでやってるんだから、っていうんです。で、4、5日して、黙っておらんようになるのもおれば、すいませーんやっぱり無理ですわって辞める人もあります、ザラですね。だからもう、いま、若い子に教えるというのも難しいです。できたら若い子に教えてあげたいこと、僕、いっぱいありますよ。でも、これは聞きに来てくれてこそ、教えられる。いまは、お前そこ違うから教えてやろ、って言っても聞いてくれないです。それにね、自分自身が『鯉名の銀平』やったりとか、『関の弥太っぺ』やってるんだったら、手甲脚絆、わらじの履き方、こうするんだよっていうこと、教えながら僕はやれるけれども、いまそれができない。口で言うことはできても、自分がそのスタイルになってるわけじゃないから。たまに自分で家に帰って、自分のビデオ見るときありますよ。うちの孫なんかも、最近は、よく見てますけどね」
次回へつづく!
(2021年10月17日 演劇館 水車小屋)
取材・文 佐野由佳