第3回 幸せやなあって思います

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座長の妻であり、劇団の女優であり、子どもたちにとっては母である。辰己龍子は大衆演劇の一座のなかで、たくさんの役割を常に同時進行でこなしながら日々を生きてきた。女優としていろんな役をやってみたいという思いは持ちつつも、なかなかそれを叶える機会はなかったという。

「意欲はありましたけど、嫁になると主人(二代目小泉のぼる)より前には出られないんですよ。いま、お姉ちゃん(辰己小龍)は、前に出てやる役のときもありますけど。羨ましいと思います。わたしも若かったらなあって。いまはその気力がないですけど(笑)。わたしたちのときは、そういうのはなかったです。ここは、男社会ですから。それこそ、舞台に出ながら中の用事もしなきゃならないし。着付けとか、脱いだ着物を片付けていくとか。座長が出る順番に、先に着物をバーッと揃えておくとか。間に合うように、下手打たないようにって。あとはご飯つくったり。はい、全員分つくります。いまは体が持たないのでしませんけど、できるところで。お昼は弁当が多いです。夜の部もありますんでね。いつも朝起きたら買い出しに行って、昼が終わるころには夜の下ごしらえをして、夜の部が終わったらすぐ食べられるようにして。その合間に着付けをする。いまでも、たつみさんの女形の着付けはわたしがやってます」

左手に光るApple Watchは「息子からのプレゼント」。

子どもが生まれてからは、また生活も変わった。

「上のお姉ちゃんができたときは、一緒に公演先を回ってたんですけど、小学校に行くころは大阪の家に帰ってたんです。わたしは家にいて、舞台はやめてました。たまに人が足りないとか、学校がお休みというときだけ行ってました。子どもをちゃんと学校に行かせるために、主人が決めたんですね。ほんとに人数が足りないなら仕方ないけど、いてるから学校に行かせといてということで。たつみさんが小学校6年生くらいまでは、家におりました。それでも夏休みになったら一緒に行って、わたしは舞台に出て、子どもたちは遊んでたりしてたんですけど。そのうち真ん中のお兄さん(辰己賀津雄)が亡くなりましてね。それでまた手伝おうか、っていう形になって。娘も芸事が好きでしたから劇団に入ると言うので、主人も心配やからみんなついてきてくれってことになって。そこから、家族一緒に回るようになったんです」

小龍さんの誕生日公演で、子・孫三代揃い踏み。孫の鉄郎くんの「狐手」に注目。
もはや完全に狐になった鉄郎くんが駆け出して。
アドリブ中のアドリブに、ほか全員役者の大人たちが素に戻ってあわてる、の巻。

役者の子として育てるうえで、気をつけていたことなどを聞いてみると。

「わたしは何にも。主人にはもちろん、男の子は跡を継いでくれたらという気持ちはあったと思いますけど、やっぱりそれは本人の気持ち次第やから。役者になる? って聞いても、小さいときは『わからへーん』って。たつみさんは、ほんとにそんなに興味なかったんです。ダイヤさんや小龍は結構好きっていうか、袖から舞台を観たりしてましたけど。たつみさんはあんまり観てなかったんですけどね。でも一緒にいるうちに自然に観て覚えて、やっぱりその道に行かなきゃいけないっていうのがわかってきて。16歳から座長になりました。『嵐劇団』が『たつみ演劇BOX』になってからは、主人は脇にまわってました。当時は、お兄さん(勝龍治)と主人がふたりで組んで出る芝居が多かったしすごい人気やったんですけど、でもそれは退いて、息子を舞台に立たせた。若いから頼りないじゃないですか。息子は息子で精一杯やってるんですけど、やっぱり見る側のお客さんにしてみたら、何で出ないの? って言われることが多かったんですよ。でも、ガンとして主人は、僕が出たら息子のためにならないからって。それを積み重ねて続けていくうちに、お客さんがたつみさんを座長として認めてくれた。そういう思い切りはすごかったかなと思います。役者はこうだってことは、わたしは何もタッチしてないですけど、主人はちゃんと教えてたみたいですね。人として暮らしてくときに大事なことを言い聞かせてたみたいで、後から聞いた話でね。芸事は見なさいって言いましたね。見るってことが一番大事なことだから。叩いたりはしませんけど、厳しかったですよね。子どもたちも、お父さんの言うことには絶対逆らいませんでしたから。師匠でもありますから。『はい、わかりました』って。でもね、芸には厳しかったけど、優しかったです。表には厳しく、中には優しい人でした。子どもたちにも、お父さんとしては優しかったんじゃないですか。亡くなったのは、主人が52歳のときです。50歳で病気になっちゃって。そっから頑張って2年間やってたんですけど。でもね、息子ももう座長してましたし、わたしたちが困らないように、ちゃんと土台をつくって亡くなったの。早めから自分の死期がわかってたかどうかわかりませんけど、ほんとにね」

いま劇団を担う娘や息子について、どう思っているのだろうか。

「たつみさんは劇団抱えて大変やろうけど、お父さんの子やなあって思いますね。考え方も、父親にそっくりなんですよ。ダイヤは、そこに一緒についてきてくれて。普通やったら、仲違いしたり喧嘩したり意見が合わないこともあるでしょうけど、兄弟ほんとに仲よくやってくれて、わたしとしては幸せやなあって思います。お姉ちゃんは、わたしたちのころの女優とは立場が違うから、かえってしんどいかな、大変かなって思います。役者だけじゃなくて、子育てもですけど、脚本書いたり、演目もどうしたらいいかって考えたり。どうすればお客さんが退屈せんと自分の踊りを観てくれるか、わたしたちのとき以上に考えてますし。わたしは主人に頼って生きてきたけど、あの人のご主人は役者ではないから、舞台の上ではひとりじゃないですか。そこはしんどいかなあと思ったりしますね」

インタビューも終わるころ、小龍さんの息子鉄郎くんが、買ってもらったばかりのマントを羽織って登場。おばあちゃんの後ろで、ひとり「だるまさんがころんだ」を始めたかと思うと、写真撮ってとポーズを決める。

「舞台でもこれくらいやってくれたらねえ(笑)。たまに出るんですけどね、ライトを浴びてお客さんがワーッて言うのが嫌なんですね。隠れちゃう。芝居は好きなんですよ。楽屋でも歌舞伎のビデオ、ずーっと観てて台詞もちゃんと言うんです。でもいざ、出よか? っていうと、嫌だって(笑)」

(2021年10月19日 三吉演劇場)

取材・文 佐野由佳

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