第8回 座長二代目恋川純ができるまで

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座長になってどれくらい経ちますか?

今年で6年目です。

兄貴(恋川純弥)が劇団を出ていって約10年ですけど、それから3年くらい、僕は座長にならなかったんですよ。兄貴が帰ってこられるようにって。親(初代恋川純、鈴川真子)にもそういう思いがあったんで。

僕が座長を襲名してしまったら、兄貴がもし帰ってきたいってことになったときに、僕がまた座長をおりるか、二枚看板になるか、みたいなことになりますよね。二枚看板の劇団も増えてきてましたから、それでもいいじゃないかという話もあったんですが、もしそうなったら僕は独立する、苦労してもいいから、自分の劇団をやらしてくれっていってました。

「泣かせやがってこのやろう」にあわせて相舞踊。
フライパンで調理するかいがいしい妻(?)に。

父の代から、うちの劇団は座長はひとりでしたから。看板はひとり、というのが習慣というか当たり前にありました。ポスターも座長ひとりしか載せてないですし、看板をひとりで背負うのが座長だと思って育ちました。

座長になってなかったら、こんなにしゃべってなかったと舞台でお話されてましたね。

もともとしゃべってはいたんですけど、3年くらい前に、すごい爆発したきっかけがあったんですよ。

火加減も調節。

ちょうど、長いこと座員だった恋川心哉(現・碧月心哉・あおつきしんや)くんが抜けることになった年で。発表をしてからやめるまで1年間あったので、行く先々でいつもよりお客さんが多かったんです。彼は人気も技術もあったし、このメンバーでの恋川劇団は最後だっていうんで。お客さんの人数が増えてくると、すごい変な人もいっぱいくるんですよ。

送り出しで、イラっとするようなわけのわからないことを言われたり、ほんとにこちらが傷つくようなことを言う人がいるんです。それまでは、僕もわりと気分の浮き沈みのある人間で、舞台に出てるときは明るくしなきゃって思って努力してたんですけど、そんなことがあってから、なんでオレばっかり我慢しなきゃならないんだと思っちゃって。

かわいいしぐさも、かわいい。

もちろん、お金を払って見にきてくれる人はお客さんですけど、神様でもないし、こっちも人間なのに、って思いだしたんですよ。そのころから、舞台で全部言っちゃえ!と。もっと自分をさらけだして、自分という人間はこうなんだとさらけ出せば、たとえそれでお客さんが減っても、それが好きな人がまた集まってくるはずだと思うようになったんです。

最後は手に手を取って。

自分自身、死ぬまでこれを続けていくなら、ずっとつくった自分では持たない、と思ったんですよ。もちろん、ほかのお客さんが聞いて嫌な思いをさせちゃいけないけど、もっと舞台で自分を出していこうと思ったくらいから、何かがはじけ飛んじゃったんですね(笑)。

(2020年7月3日 三吉演芸)

取材・文 佐野由佳

【二代目恋川純 インタビュー連載】
第1回 いろんなものを捨てました!
第2回 コロナのおかげで
第3回 しからずんば、ぬ〜ん
第4回 荷物をまとめた「13の夜」
第5回 小純が純になったワケ
第6回 努力の人
第7回 父の教え
第9回 おしゃれな最後

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