第4回 荷物をまとめた「13の夜」

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自分で役者になろうと決めたのはいつですか?

13歳くらいのときに、一度やめようと思ったことがあるんです。そのくらいになると、自分の意思が出てくるじゃないですか。当時、ひとまわり歳上のお兄ちゃん(恋川純弥)との行き違いだったり、親(初代恋川純、鈴川真子)と話があわないとか、いろんなことがあって。ほかに向いてることが、自分にもあるんじゃないかなって。

いつだって全力疾走。

きっかけがあったんですか?

篠原演芸場(東京・十条)の公演中だったんです。お稽古のときに、お兄ちゃんと親を除くと、13歳ながらも自分が一番上だったんで、自分なりに一生懸命、ほかの座員を注意したり、教えたりしてたんです。大人じゃないけど、大人の仲間入りをしたつもりで。

すでに芸歴は13年ですしね。

それが、エラそうにやってるように見えたんでしょうね。

当時、化粧を早くしかえるっていうのを、お兄ちゃんに練習させられてたんです。今でこそ、立役は男の顔で、女形は女の顔で、肌の色を変えて出るじゃないですか。でも当時は、最初から最後までずっと白い顔で、男も女も口紅をちょっと変えるくらい、っていうのが普通だったんですよ。

そうだったんですか!

いまとなっては気持ち悪いですけどね。うちの兄貴が、女形から立役まで2分で化粧落としてなおす、みたいなことにはまってやり始めてて。都若丸さんとうちくらいだったかな。僕もそのほうがいいなと思ってたから、一生懸命練習して。三曲くらいほかの人が踊る間に、立役から女形に化粧をかえて、着物もかえて出るっていうのをやることになったんです。

背中(せな)で泣いてる唐獅子牡丹、の襦袢。

聞いててドキドキしてきました。

でも、そのときの楽屋が舞台までが遠かったんですよ。僕があまりにギリギリになっちゃって、しかも化粧をしかえる間の曲が全部短かくて、走りながら「違う曲かけて!」て怒鳴っちゃった。それがきっかけで、なんか最近エラそうに、みたいなことになって叱られて。こっちの気持ちもわかってもらえないし、素直にもなれない。出ていこう、と思ったんです。

こんな表情からも胸の熱さが伝わってくる。

反抗期ですしねえ。

毎日、舞台が終わると、全員で銭湯に行くんですよ。そのときも、風呂行くぞっていわれて、今日は劇場のシャワーでええわ、疲れたからって残って。乗り込みのときに持ってきてたボストンバッグに、バアーッと荷物をつめて、裏口から出ようとしたときに、親父(初代恋川純)が先に風呂から帰ってきたんです。いつもはみんなと一緒に帰ってくるのに。お前どうしたん?って。

さすが、お父さん(泣)。

風呂に行ってない時点で、気にしててくれたのか、このときのことは、いまでも親父と話したことないですけど、親のカンで虫が知らせたのか。たぶん、普通の様子じゃなかったんでしょうね、自分は普通にしてるつもりでしたけど。そこには何もふれずに、みんな帰ってくるから、稽古始まるまでにご飯たべなあかんで、ってひとこといわれて。そのときに、ああ、たぶんこの人わかってたんやなと思って。

ときにはしっとり。

情景が目に浮かぶ、いい場面ですね。

それで思いとどまりました。自分はここしか生きていくとこないな、って思ってから、一回も出て行こうと思ったことはないです。兄貴が劇団を抜けたときに、すごいいろいろもめて、自分ひとりで劇団を持ちたいなと思ったことはあったんですけど、役者をやめて出て行こうと思ったことは、あとにも先にもこのときだけです。

だから、本当に役者で生きていこうと思ったきっかけは、あのときだったんじゃないかなと思います。

(2020年7月3日 三吉演芸場にて)

取材・文 佐野由佳

【二代目恋川純 インタビュー連載】
第1回 いろんなものを捨てました!
第2回 コロナのおかげで
第3回 しからずんば、ぬ〜ん
第5回 小純が純になったワケ
第6回 努力の人
第7回 父の教え
第8回 座長二代目恋川純ができるまで
第9回 おしゃれな最後

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