あさひや 「できない」とは言いません!

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横浜市営地下鉄の阪東橋駅から、三吉演芸場に向かう途中の横浜橋通商店街。鮮魚や野菜、惣菜、衣料品などの日用品を扱う商店が軒を連ねるそのなかに、あさひやはある。店構えはごく普通の街の呉服屋だから、実は大衆演劇の衣装もつくっていると知ったときには驚いた。

全長約350mの横浜橋通商店街。全国のアーケード商店街の多くがシャッター通りと化すなかにあって、ここはいつ行っても賑やかな人通りがあってほっとする。ちなみに、ご当地の真金町出身で晩年まで同町内に暮らした落語家、故・桂歌丸が、商店街の永久名誉顧問をつとめる。

前回、劇団花吹雪の三代目櫻京之介座長と、あさひやの衣装プロデューサー溝田佳恵さんに、今年5月の京之介座長誕生日公演の衣装について語っていただいた(記事はこちらから読めます)。今回は、そんなあさひやの、衣装製作現場におじゃまする。

商店街に面したビルの1階は、着物や反物、祭半纏、和装小物などが楽しげに並ぶ店舗。2階から上が製作工房になっている。まさかここに、あのファンキーでファンシーな大衆演劇の衣装の数々を生み出す現場が潜んでいようとは。商店街という日常とのギャップに、なんだか不思議な気持ちになる。

街の呉服屋として90年。現在は呉服一般のほか、祭礼用品と舞台衣装の注文製作を受ける。店頭には、その月の三吉演芸場の公演ポスターも飾られている。

あさひやは、1932(昭和7)年、溝田さんの祖父の代に創業した。今年でちょうど90周年という、永い歴史がある。現在の場所に店を構えたのは、まだ一帯が、敗戦直後のバラックがひしめく闇市だったころ。溝田さんのおじいさんは、現在の商店街の基礎を立ち上げた発起人のひとりでもあった。

昭和30年代ころの横浜橋通商店街。写真提供=あさひや(以下、2点ともに)

溝田さんいわく「当時は、商店街の裏に遊郭があって、一般のお客さんというより、女郎さんが旦那さんと店に来てあつらえるような、高級呉服を扱っていたようです。女郎さんたちにとって、着物は商売道具。季節ごとに入れ替えたりしないといけませんから、こまめに要望を聞いて信用を築いていったんだと思います。そういう流れがありましたから、父が跡を継いでからも、関内や伊勢佐木町に近いこともあって、お客さんには水商売の方も多かったですね」

やがて着物人口が減り、高級呉服が売れない時代になると、衣料品全般に商売を拡大。最盛期は、商店街のなかに、呉服のほかに、寝具、婦人服、祭礼用品などを扱う4店舗を構えていたという。

佳恵さんのご両親。父が二代目社長であり、母が大衆演劇の衣装という、あさひやにとっての新規事業を切り拓いた開拓者である。

しかしバブル景気の崩壊など、時代は流れ。佳恵さんの弟である現社長の代になり、多角化していた店舗をいったん全部閉め、祭礼用品に特化することに。

「呉服も辞めようとしてたんですよね。閉店セールまでしていたそのさなか、母が『このままだと呉服業界がなくなってしまう』と。母は呉服屋の嫁として父と一緒に店を切り盛りしてきましたし、和裁の腕もありましたから、自分の店がというだけでなく、せっかく続いてきた着物の文化みたいなものが、途絶えてしまうようで嫌だったんでしょうね。『そういえば、三吉演芸場の役者さん、毎日、着物着てるよね』って言い出して。そこから呉服の店も続けながら、舞台衣装もつくるようになったんです」

あさひやの舞台衣装部門を一手に取りまとめる、取締役兼衣装プロデュサーの溝田佳恵さん。設計コンサルタントの仕事を経て、家業であるあさひやに入社。母の心意気を引き継ぎ、役者からの信頼も厚い。祭礼用品部門は、弟である三代目社長が仕切る。

とはいえ同じ着物でも、舞台衣装となると一般の呉服とは工夫のしどころが変わってくる。「舞台を見ながら、役者さんに叱られながら、母は試行錯誤してましたね。男の役者さんが女形として着るようなものは特に、襟の抜きをつくるために取る繰越(くりこし)寸法がこんなに必要なのかとか、勝手が違うわけです。反物もよけいに必要なんですけど、だからといって一着の着物をつくるのに二反も使ったら無駄が出る。柄合わせもしながら、いかに歩留まりよく仕上げるか、仕立て屋さんと相談しながら、ものすごく研究したと思います」

いまでは当たり前のようにやっている、着物の袖に生地を継ぎ足して裄(ゆき)を長くするやり方は、佳恵さんのおかあさんが始めたという。

あさひやが考案した、裄(ゆき)を長くする方法。赤丸の部分がポイント。袖口ではなく、袖付けの側に生地を足して、柄がつながるように描き足している。

袖口に足すやり方は、それまでにもあったが「それだと、お客様から見て、あきらかに生地を足しているのがわかってしまいますよね。母はそれがとても気になって、舞踊を見ていても、そこにばかり目がいってしまうと。それで、袖口ではなく袖付けの部分に生地を足して、さらに、柄がつながってみえるように、染め屋さんを探して、柄を描き足してもらうようにしたんです。いまでも正絹の着物は、そのようにして描いていただいています。その分、値段も上がってしまうのですが、仕上がりが全然違います」

こうした丁寧な仕事ぶりが少しずつ顧客を増やし、そこから徐々に口コミで、横浜のあさひやは大衆演劇界に知られるようになっていく。初期のころの顧客には、金沢つよし、新川博之、瞳ひろしといった役者が名を連ねた。

佳恵さんのおかあさんが手がけた舞台衣装の一部。丁寧な仕立てと着心地のよさに定評があった。「いまも母は元気でいてくれるので、仕事をするうえでも励みになります」と佳恵さん。写真提供=あさひや
 

そんな母のスピリットを受け継いで、さらに進化させたのが佳恵さんである。どんな要望にも果敢に挑んでいくうちに、着物にさまざまなアレンジを加えた1点ものの衣装の注文が増えた。

ニットを用いたり(上)、帽子とのトータルコーディネートなど従来の着物にはない新鮮な構成。写真提供=あさひや
 

いまでは当たり前のようになっている、転写機で柄をプリントしたポリエステルの着物も、あさひや発のアイデアだ。

「それまでは、特注の柄の着物は、正絹の別染で仕立てるのが普通でしたから。転写機自体は別の用途で使われているものですけど、それを着物に使えないかと思ったんです。データで作成した文字や柄を取り込めば、どんな柄でも、写真でもプリントできますから。1枚でもできるし、同じ柄で何枚もつくることもできる。最初は里見要次郎座長が一枚、試しにつくってくれました。そこから広がっていった感じです」

転写プリントの着物は、まず設計図となるデータを作成する。写真は、三代目櫻京之介座長のアニバーサリーで製作した、くまちゃん柄の着物。
なかなか大きな設備である転写機。上に巻いた白い生地にデータで送った柄がプリントされる仕組み。
写真のように、スパンコールのついた生地にも自在にプリントできる。
 

こうした斬新なアイデアや新技術もだが、衣装を脱いだり着たりしやすくするための工夫など、表には現れない細かく地味な部分でも、あさひやが考案したアイデアはさまざまにあるという。そうした工夫は、ほかで真似されたりはしないのかと聞いてみると「いや、真似されていいと思ってます。太っ腹とかそういうことではなくて、舞台衣装の着替えってほんとにあわただしいし、早く着替えないといけませんから、少しでも着やすくて脱ぎやすいに越したことないんですよ。この業界、衣装をつくってる業者も少ないですから、全部をうちでなんてとうていできないし、いいやり方が広まってくれるなら、いい舞台が増えていくことにつながるのでね。そのほうがいいじゃないですか」と佳恵さん。そう言えることが、あさひやの品質そのものだろう。

決して「できない」とは言わない。「それがお抱えの衣装屋になるということですから」。

佳恵さんには、若いころの苦い思い出がある。

「注文をいただいた役者さんから、予算を抑えたいという希望があったので、とりあえずこんな装飾を付けておけばいいんじゃないかと思ってつくってしまったことがあったんですね。そしたら舞台を観たときに、ちっとも素敵じゃなかった。非常にショックでした。たしかに安くはできたんですけど、衣装で役者さんを死なせてしまった。もう二度と、とりあえず、なんていう気持ちで仕事をしてはいけないと思いました」

限られた条件のなかで、どうしたら役者がもっともっと輝いて見える衣装をつくれるか。知恵と技術を総動員させる。

「安くても高くても、素敵じゃないものはダメですよね。納得できるものをつくりたい」という。だからどんな難題を突きつけられても、決して「できない」とは言わない。「それがお抱えの衣装屋になるということですから」。

電飾のノウハウもいろいろ。「最初のころは手探りでした」。大衆演劇の衣装は「舞台での見え方だけでなく、宅急便で送れるか、コンパクトに保管できるか、開封してちゃんと再現できるか、なども大切な要素です」という。写真提供=あさひや

「あ、でもね、いままで一回だけ、最終的にできません、って言ったことがあります。水と油を混ぜてできるマーブル模様を、常に流動的に動く状態でまな板帯(花魁の帯)にできないか、という要望をいただいたことがあって。面白いアイデアだしやってみたいと思って、ほんとにみんなでいろいろ考えて実験もしてみたんですけど、保管のこととかいろいろ考えて、諦めたことがあります。液体はなにかあったときに、ほかの衣装も台無しにする恐れもありますからね。それはすごく悔しかったし残念でもあったので、記憶に残ってます」

あさひやの工房で。20代のスタッフ。ふたりとも、文化服装学院を卒業してあさひやに入社。納期に追われて一年中忙しい職場である。

あさひやには、佳恵さんの陣頭指揮のもと、そうしたさまざまな難題を、考え形にしていくスタッフが、現在総勢18名(社長と経理は除く)。女性が多く、結婚や子育て、夫の転勤などで仕事を続けられなくなるケースも少なくないので、できるだけ多様な働き方を採用している。ちなみに佳恵さん自身も、息子を持つ母でもある。

特注の衣装は注文を受けてから完成まで約1カ月半ほど。製作は、主に以下のような流れで進む。

  • イメージをヒアリング。製作現場のスタッフと共有。
  • デザイン画をつくる。
  • 生地を選ぶ。
  • 縫製。
  • 製作しながら装飾部分などのディテールを調整。
  • 納品(公演先に宅急便で発送)

たいてい、ひとりの役者から一度に何着も注文を受けるうえに、並行して何人もの役者からの注文が動いている。同時進行で製作しているアイテムは、衣装や帯、小物、直しのものも含めて、平均約200点というから驚く。全衣装の窓口であり、製作現場の司令塔である佳恵さんは一年中大わらわだ。

最近は、すべての衣装の進捗状況が一目でわかるアプリを導入。社内で共有しながら、スマホで管理している

最初のヒアリングは、佳恵さんが一手に引き受ける。注文主である役者とのやりとりは、主にLINEと電話。最初のイメージを伝えてもらうときは、電話で話したり、文字で送られてきたり、イメージ写真が送られてくるケースもある。伝え方は役者によって全く違うと言っていいほどさまざまで、その癖をかんがみて、意図を読み解くところから製作は始まる。

着物や大衆演劇に興味があったわけではないが、普通のアパレルより面白そうだと思い入社して8年目。装飾や帯の形を考えたりするのが好きだという。佳恵さんから「帯をつくらせたら日本一。センスもいい、形もいい」のお墨付き。

「永いおつきあいだったり、舞台を観たことがある役者さんの場合は、その方の好みや考え方みたいなことがわかっているので、ヒアリングしたところからイメージを膨らませやすいのですが、最近はどなたかの紹介でと言って新規で電話だけで注文される方もいて。そういうときは、なかなか大変です。いろいろ調べますけど、写真だけでは限界がありますから」

基本的には、身長とウエストまわりの寸法がわかれば、体に合った衣装はつくれるが、一度は会って採寸できるのが理想的。着やすい着物の寸法を一度取っておけば、それをベースに製作を進めることができるし、イメージもつくりやすい。

「ほかの役者さんの写真を送ってきて、これと同じものをと注文される方も多いですよ。もちろん、同じものはつくりませんけど」

それぞれの役者に合わせて、着て踊る姿をイメージしてつくる。写真提供=あさひや
 

汲み取ったイメージは、スタッフそれぞれと共有する。

デザイン画をつくるのは、佳恵さんが全面的に信頼を込めてエースと呼ぶスタッフが、一手に担っている。あさひやに入社して十数年、「彼女はなんでもできて、しかも早い」という。エースが描いたデザイン画に佳恵さんがダメ出しすることは、基本的にはしない。それを注文主である役者に送り、了解が取れれば製作に入る。そこからさらに各担当者がイメージを膨らませてアイデアを出し、意見交換をしながら、最終的には舞台に立ったときに、役者が想像していた以上の仕上がりに持っていくことを目指す。

専門学校ではニット科を卒業。縫うのが好きで、「ミシンをしているときが一番楽しい」。このとき縫っていた衣装が、三代目櫻京之助座長誕生日公演の下の衣装。袖口のフリルが、生地の華やかさを一段と引き立てる。
 

あさひやでは、一着の衣装を仕上げるのに、パーツごとの分業ではなく、ひとりのスタッフが最初から最後まで受け持つことにしている。

「そのほうが、やりがいがありますから。どうしたらよいものにできるか、真剣に考えるし、持っている技術も発揮できる。腕を磨いてスキルアップにもつながります」と佳恵さん。やる気と責任感が全員に生まれるという。

同時に、ひとりで作業が完結するので、在宅でも仕事ができるよさもある。打ち合わせはリモートで行い、製作は自宅でという働き方を選択できる環境をつくっておくことは、人材を育てる意味で大事だと考えている。

ひとつの衣装を仕上げるには、着物本体だけではなく、帯のつくり方、フリルのような装飾の付け方など、一着の衣装には決めなければならない要素はその都度山ほどある。そしてひとつとして同じものはないし、同じものをつくってはいけない。

「うちの仕事には教科書がないんです。自分たちで切り拓いてきたのがいまのこの形。スタッフそれぞれも、先輩から引き継げることもありますが、その都度、課題が違うので独自に解決策を探すんです」

難しさであり、工夫のしどころ、面白さでもある。

「ほんとにね、迷惑かけてます。わたしが無理難題言って、新しい課題をバンバン投げかけるから。これやって、これ考えてみてって。衝突することもありますけど、みんながいなかったら、あさひやは成り立たないんです」

同じく、三代目櫻京之介座長の誕生日公演の衣装から。花魁をイメージしたデザインとひとくちに言っても、そこには役者に合わせたさまざまなノウハウが詰まっている。

一着の衣装をひとりが担当するよさは、もうひとつある。製作者が、役者それぞれの衣装の好みや特徴を把握できることだ。たとえば、「京之介座長は、今回に限らず胸元がさびしい感じになるのがイヤなので、襟に綿を入れたり、生地を選ぶときも、身体にピタっとしすぎないハリのある生地を選ぶとか、独特のノウハウがあるんです。そういうことも、こまめに積み上げていくことができます」。

それぞれの役者が、衣装を通して自分をどう見せたいと考えているか。現場のひとりひとりが把握して、データを蓄積できるので、迅速によりよい提案ができるようになるという。

襟の部分は綿を入れて肉厚になっている。胸元がさびしくならず、豪華なボリューム感も出すことができる。
 

とはいえ、「正解がないのもまたこの仕事」という。「うまくできたなと思っても、舞台で踊る役者さんを観れば、もっとこうすればよかった、ああすれば違ってたかなっていうのがまず先立ちますし。観る席によっても、見え方は違うので、なにが正しいというのもわからないんですけどね。ただ、気をつけているのは、舞踊ショーはファッションショーではないから、衣装が勝ってはいけないということ。主役は衣装ではなく、役者さんを引き立たせるもののひとつ。それは忘れないようにしています」

大衆演劇を観始めたころ、フードやフリフリのフリルがついた着物や、電飾でビカビカ光る打掛けに度肝を抜かれたものだ。羽でふわっふわだったり、スパンコールでキラッキラだったり、プリントされている柄が食い倒れ人形だったり。生地も、スケスケのレースあり、ラメあり、ジャージあり。およそ世間一般の着物では使わない、あらゆる生地や装飾が使われている。それなら、スーツやドレスに仕立ててもいいじゃないかとなりそうだが、そうはならない。誰が決めたわけではないけれど、着物という縛りははずさない。だからこそ、そのバリエーションは限りなくファンキーでファンシーだ。もはや、大衆演劇の舞踊の衣装は、独特のカルチャーである。そしてベースには、芝居のなかでも舞踊でも、昔ながらの縞の着物や紋付袴をピシッと着こなす姿があるから、よけいにその振れ幅に盛り上がるのだ。

そう思うと、呉服屋という仕事の枠組みのなかで、それぞれの時代によって、必要とされる場所に自ら出向き、あらたな可能性を切り拓いてきたあさひやは、出会うべくして大衆演劇と出会ったのかもしれない。日常ではほとんど着物を着ることはなくなった現代でも、大衆演劇の舞台で着られている衣装は、すべて生きた着物である。博物館に飾られているのでもない、箪笥にしまいこまれているのでもない、着物という伝統の尻尾をひきずりながら、どんどん進化を遂げて、たくさんの観客を喜ばせ、ワクワクさせる。

チームワークでさまざまな要望に応えます。

「大衆演劇は面白い」と佳恵さん。そして、「大衆演劇の素晴らしいところは、衣装に決まりがないこと。その時々で、いまやれることをどんどんやっていきたい」という。

次回は、番外編!

(2023年5月・6月 横浜橋商店街 あさひや)

取材・文 佐野由佳

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