第4回 土のうえの役者、板のうえの役者

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芸に熱心な津川鵣汀、津川祀武憙の兄弟座長の話から、話題は最近はまっているという韓国ドラマの話へ。それすらも舞台へつなげて語る勝龍治は、実に生き生きしている。大衆演劇を永年やってきたことの、ほんとうのおもしろさについて語る。

剣戟はる駒座は、演目が多彩です。昔から劇団でやっていた芝居もそうですし、曾我廼家(そがのや)喜劇など、いまとなっては大衆演劇以外の舞台でもあまり観られない演目を上演していますね。

「うちのおじさん、初代小泉のぼるは喜劇王で売ってたんでね。曾我廼家の芝居はそのころから。うちの津川竜も、鵣汀、祀武憙、親子ともに、落語からとか、藤山寛美さんの新喜劇からとか、そういう喜劇系が好きやから。大衆演劇の各劇団の若手の座長さんも、上手下手は別にしてそういうことをやりたがりますよね。うちは歌舞伎もやりおります。純然たる歌舞伎とは違いますけど」

津川鵣汀座長が舞台でみせる、歌舞伎の見得がとてもきれいです。

「それは親譲りでしょう。鵣汀も祀武憙も歌舞伎は好きやね、父親もそうやったしね。鵣汀はまだ十いくつの時分から、歌舞伎の分厚い本ね、これどないしたん? 買ったんです〜てな子どもながら。舞台の写真も載ってるから知らず知らず好きになっていって、勉強を陰でしてたんやね。それをまた弟が見て、自分も同じ役者になるんやったら、っていう感覚で勉強したんやね。そりゃまあたぶん両親の血をひいてるんでしょうね。2人ともよう知ってますよ。僕らより知ってますからね。お前ようこんな芝居知ってるなあって言うたら、DVD見てますよ!って。わしらなんてちょっと見て、飽きて最後まで見ないんでねえ。そんなん見るより洋画見たいわ、とかね(笑)」

大衆演劇で歌舞伎の演目をやるのは昔からですか?

「“まがい”ですね、歌舞伎まがいもやってたね、大衆演劇は。歌舞伎にもおった人らがおって、大衆演劇で一緒に芝居をするから。当時はそういうお芝居のやりかたのほうが、お客さんにも受けとったから多かった」

まがいだからこその、おもしろさもあります。

「僕が座長してたころですから、半世紀以上前ですけどね。歌舞伎を観てて、そこから大衆演劇を観て、こっちのほうがおもしろいっていう人が、一時、増えた時代があったんですよ。大衆演劇の舞台は間近でしょ。客席降りて、お客さんと握手して会話して。そんななことのほうが楽しいからって。歌舞伎はええねんけど、肩がこる、詰まってくるって。好きならそんなこと言わんでもええのにね(笑)。僕らのもうちょっと先輩は、歌舞伎の形をまずやらなんだらいかんかった。いうても歌舞伎まがいですね。そのとおりにできればいいんやけど、板が違うから。音が違う。附け打ちもいないから、そのへんの子が打って、重みが薄くなってく。軽め軽めに」

それでも、歌舞伎と大衆演劇がいまより近かった印象があります。戦後のその時代は、映画と歌舞伎も近かったですよね。

「歌舞伎役者も、映画俳優さんにならはる時代やったから。市川雷蔵さんも中村錦之助さんも、映画の時代劇で売れた人はほとんど歌舞伎の流れのね。まあまあ、本職は歌舞伎やからね。板のうえの役者、土のうえの役者って言われてね。当時は映画俳優は一段低くみられてた。『お前ら、土のうえの役者やないか。まちごうたらカットできるやないか。板は本番そのままやからね、これが違うこれが(腕をたたく)』。これは僕が言うたんじゃないからね、昔の人が言ったんだから(笑)」

歌舞伎の演目を上演することについて、どう考えていらっしゃいますか?

「そのままちゅうのは無理があるんと違う? お客さんも好きな歌舞伎の俳優さん観てたりしっかり覚えてはる人いるから、お客さんのほうがやり方を知ってる。だから変えていかないと。人数も違う、舞台も違う、衣装も違う、全然違うやん。つまらんものできたら、しょせん大衆やなって言われるでしょ? 大衆はおんなじ外題でもやり方変えて、ちょっと違うでしょ、どうですか? っていう観せかたをした方がいいい。そのへん勉強がいるけど。だからおもしろいっていうね」

鵣汀座長が誕生日公演で、初めて「文七元結」をやると話されていました。楽しみです。

「ああ、やりますね。初めてでしょ僕が知らんくらいだから。まだなんも聞いてないんです。あんまり稽古聞くの嫌いなんでね(笑)。ようけしゃべるの出すなよ言うてあるねん。それよりドラマ見るのが忙しいから(笑)」

さっき部屋のテレビで、韓国のドラマがついてましたね。

「いまちょっとね。シリーズもん見てるからね。寝不足なるの。お酒飲みながらひとりで見る。じーっと見てたら目が痛くなるさかい、寝ないかんな思うて寝たら、トイレでまた起きてまた付けて。FIRE TVってやつを入れてある。いまこっちにハマってるからね。歌舞伎あとのほうは、せんど(何度も)やってきたさかい、ちょっと全然違うほうにね。韓国の時代劇です。恋愛もんはあんまり〜。行ったり来たり行ったり来たり、しんきくそうなってきてね。嘘ばっかりついてるような気ぃするさかい(笑)。これでもね、タメになるのよ。舞台で使ってた格言とか、忘れてたやつが出てくるんでね、字幕で。あ、こんな台詞あったんや、こんなことわざあったんや。自分が言うてたの、忘れてるんやね。せやせや、今度稽古するときにこれ使えるやん、これ言わなあかんねや~。見てると芝居またひとつこしらえたりできるんでね」

そうやってこしらえた芝居もありますか?

「ありますよ。たとえばと言われると困るけど。自分の暮らしのなかでのことも含めて、あっちこっちこう引っ張りもって芝居にしたりね。昔あった芝居を半分切って、半分こっち違う芝居を引っ付けたり。そんなこといろいろやってきましたけど、それもおもしろかったね」

一回やってそれっきり、というものもありますか?

「ありますよ。デキの悪い芝居ね! オレの考えてたイメージと全然違うやん、なんやねんそれ~。もうお蔵や、お蔵、もう次の場所ナシ!って。弟二人で一生懸命稽古しても、このあと、人数足らなんだんや。ほなできひんやないか。ほなやめにしよ、やめ! とか。それが大衆演劇のいちばんの醍醐味やねえ。おもしろおかしゅう暮らせたというたら、そのへんのことかも」

演じるだけでなく、つくるおもしろさですね。

「それも兄弟、身内やからできるから。他人さん相手にそんなことしてたら、みんなつとまらへん。僕はええかげんな男なんでね。弟、三男坊がしっかりしてました、のぼるが。頭のええ子でね。ちょっと人と感性が違うんでね。挑戦すんのが好きな男で。演出家としての力があった。うちの娘(晃大洋)も、そのケがある。自分が出るより演出をしたいほうなんでね。弟もそんなんやったから、自分が座長してても、僕に主役させてね演出をするんです。『兄貴、こっちからこう出てね』って。兄弟やから、言われたとおりにするのは嫌やから、反対から出たりしたんねん、けどそれがまたおもしろい。『お兄さんは稽古せんでもうまいことこっちから出てくるやろ〜、役者はあれでなかったらあかんのや』って、弟はええように若いのに言いよる(笑)。そういうおもしろさはあったね。兄弟やから」

晃大洋(中央)扮する、オリジナルキャラクター谷町シンジとその手下たち。ちびっこギャングのような孫(勝にとってはひ孫)たちを引き連れて、トークと歌で盛り上げる。ちなみに、谷町シンジはLINEスタンプにもなっている。

「まあ、いま現在、(大衆演劇を)やってはる人で、うちにまつわってくれた人の数が多いんでね。看板張ってはる人もおれば、よそでつとめてはる人もおるし。その人らがうちでやってた芝居をよそ行って稽古してるんやね。でも、そうするとどっか抜けてんねん。せやからちょっとおかしくなって、うちのと似てるけど……あ、うちのや、変えとるやないかい! 誰とは言わんけどね、いろいろおるから。でも、そんなんはね、やっぱり人数もカラーもみなそれぞれ年齢も違うし、無理な役をさせてる場合もあるから、おかしいねん。それをそこの劇団の人が立ててほしいって頼まれてやってるんやろけど。悪気でやってるわけやないにしろ、それでお金取っとったらいかんね。金取ってるヤツがおるらしいけど……。台本ちゅうのをこしらえて1本なんぼで(笑)。もともとうちで覚えてタダやのに。こしらえて売る方も売る方なら買う方も買う方やで」

(2022年6月12日 三吉演芸場)

第5回につづく!

取材・文 佐野由佳

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