恋川純弥いわく、ある意味「予想どおり」の盛り上がりだったという今回のTeamJunyaの関東公演。その自信はどこから来るのか。話を聞いていくと、かつて大衆演劇界を戦ってきた、百戦錬磨の座長ならではの戦術が見えてくる。同時に、座長としてのその戦い方は、どんなジャンルの仕事にとっても参考になりそうな、説得力があるのだ。
「正直なところ、大衆演劇の小屋でTeamJunya公演をやれば、大衆演劇のトップレベルの集客がある程度できることはわかってました。これまで大衆演劇の小屋で公演して、集客できなかったこと、1回もないですから」
あまりにきっぱりと言い切ったので、思わず「かっこいいです」と言ってしまった。事実だとしても、普通に聞いたら不遜にも聞こえそうな台詞が、そうは聞こえないところが恋川純弥の徳である。
「世界館(大阪市港区にある貸し劇場)みたいな劇場でも公演はやりますが、競い合う相手もいないし、動員人数は同じようにあっても、成果としては何もない。大衆演劇の劇場の場合、今年トップの記録になるかもしれないとか、毎日大入りが出るとか、十条がこれだけ毎日入るのは珍しいよ、とか言われるのは、役者にとっては嬉しい。しんどい毎日だけど、結果が目に見えて付いてくる手応えは、若い子たちの励みになるんです。そういう目標があるっていうのは、1カ月の舞台を盛り上げていくために大きいことだと思います」
劇場同士、劇団同士が、いやがうえにも互いに競い合うようにつくられた、大衆演劇の仕組みならではだ。
「ならではですし、大衆演劇のなかで育った子たちだからこそ、その価値がわかる。三咲暁人くんたちは、普段自分たちの劇団で座長公演もするわけで、篠原演芸場に毎日たくさんのお客さんが来てくれることが、どれだけ大変で嬉しいことか、よくわかってる。だから、それを力にして頑張れるんですよね」
恋川純弥自身もまた、大衆演劇の世界で生まれて育った役者である。父である初代恋川純が旗揚げした桐龍座恋川劇団の長男に生まれ、座長に就任したのは21歳のときだ。当時は「そんなに入らなかった」という劇団を、屈指の観客動員を誇る人気劇団に押し上げた。そして人気絶頂の32歳で劇団を出るまで(そのあたりの経緯はこちらのインタビューをお読みください)、数々の劇場を沸かせた伝説を持つ座長である。フリーの役者になって、今年で13年という。
今回、TeamJunyaの公演で、毎回、三咲暁人を伴ってやっていた芝居のあとの口上挨拶で、ある日、何かの拍子に「僕、空いてる篠原演芸場を見たことないんですよね」と言った。なんでもない話をするのと同じ調子で。隣で三咲暁人が、正座したまま崩れ落ち、レジェンド座長の発言に絶句していた。
あれはなかなか言えない言葉ですねと、話をふると、
「いや、ゲストで来てるときは、その日1日のことだったりしますから、お客さん来てくれるじゃないですか」というので、いやいや、恋川劇団の座長時代からっておっしゃってましたと言うと、いい声で笑ながら「篠原演芸場の横の扉、毎日、開いてましたからね(笑)。時代も違いますから。木馬なんかも、毎日、三列くらいで並んでました。活気のある時代だったんですよね。ダブル、トリプルの大入りが当たり前のように出てましたからね。平日で300の大入り取ってましたから。最近だと、こんなに人が並んでないんだって感じです」
そんななかでの今回の篠原演芸場は、恋川純弥にとっても久しぶりの1カ月の座長公演であり、TeamJunyaとしては初の関東公演だった。
観客がたくさん入っている舞台は、観ている側はもちろんだが、役者にとっても楽しいのだろうか。
「やることは一緒なんですけど、お客さんが入っていると、楽しいというより楽ですね。たくさんのお客さんのエネルギーがこっちにも伝わってくるので、頑張ろうと思わなくても頑張れる。お客さんが少ないと、お客さんのテンションもいまひとつですから、そこを満足させるために頑張らなきゃって思わないといけないので。お互いに波に乗っていけるのと、客席を持ち上げて引っ張っていくのとでは、使うエネルギーが全然違う。だからお客さんが少ないと、経験の浅い若い子だと、自分の力を発揮できないことがある。でも、お客さんが入っていて、こっちがお客さんを乗せて、みんなでワーッってやってる空気に持っていければ、テンションが上がって、若い子たちも普段出せない力が勝手に出るんですよ。そうなったら、楽ですね。そこまで持っていければ。今回の公演では、10日を過ぎたくらいからすでに、その傾向はあったと思います」
それこそが、予想どおりの展開でもあったというのだ。
「予想通りだし、大衆演劇の1カ月公演の正しい在り方だと僕は思ってます。10日くらいまでが、準備。前半ってお客さんのほうも前の月の公演を観たあとで疲れてもいるし、でも、そこで腐らずにしっかりあとにつながることをやったら、後半、確実に伸びるんです。というか、1年通して全国どこへ行っても、毎月、腐らず頑張ってないと、その月の前半10日間頑張ったぐらいでは、後半の集客は伸びませんけどね(笑)」
今回の1カ月公演を、最初にどのように組み立てたのだろうか。
「なんにも考えてなかったんですよ。いまみんなどこでもやってますけど、僕が座長やってたときの大衆演劇は、毎日のお外題を書き出すなんてことはしてなくて、新開地劇場で1カ月やるにしても、なんにも宣伝しなかったんですよ。毎日、いろいろやるんで観にきてくださいね、みたいなことしか言わなかった。書き出すと、イベントの日とか集客できる反面、お客さんは自分の好きな芝居の日には来るけど、そうじゃない日は来ないとか、選り好みができてしまう。いい部分もあるけどマイナスの部分も大きい気がして。東京は劇場が密集してないからいいんですけど、関西だと、近い劇場同士で、イベントにかぶせてイベントやって、結局潰し合う、みたいなことになるんですよ。こっちで誕生日公演やりますっていうと、あっちでポスタープレゼントしてゲスト呼んで、みたいなことをやるから、手の内見せないほうがよくない? って思うんですけど。いまでも僕は、書き出しはしなくていいんじゃないかと思ってます」
「今回もいつもらえますかって聞かれたんですけど、行って、幕を開けてみないと、普段、一緒にやってるメンバーでもないから、そんな先々まで作戦の立てようもない。特に今回、初参加の三咲暁人くん、隼人くん、龍人くんたちは、正直、僕は暁人くんくらいしか、芝居してるのをちゃんと見たことなかったので。初日は自分がやりたいものをぶつけてみて、そのときのお客さんの雰囲気とか空気をみて、反応いいなあ、ならこの方向でいこうとか、反応悪いな、いまの東京はこれじゃないんだなとか、判断しながら毎日演目を変えていくのが大衆演劇だと思っていて。舞踊ショーもそう。それを1カ月決めて発表するっていうのは、大衆演劇のよさを消してると思うんです」
巷のいわゆる商業演劇と大衆演劇は、興行の仕組みが全く違う。毎日違うプログラムを組むことで、足繁く劇場に通ってもらうことを前提にしている。1カ月を通して、いかにしてひとりでも多くの客を、通いたい!と思わせることができるか。座長の手腕はそこにかかっている。
「芝居の演目を決める基本は、まずは自分のなかで、こんなのやりたいなっていうのをばっと選んでみます。でも書き出しちゃうと変えられないじゃないですか。みんなの体調のことも気になっていて。慣れてないメンバーだと、出だしの一週間くらいで疲れるんですよ。そうなったときに演目変えられないってなると、キツイ。舞踊ショーを何本も覚えるより、芝居の台詞をたくさん覚えるほうがメンタル的にもやられるんで、どうかなあと思ったんですけど。劇場さんからも最初に決めてくださいと言われたので、前半だけはとりあえずバッと決めましたけど。後半もある程度、そのときに自分のなかでは決めて、やるかやらないかは、みんなの様子を見ながらにしようと思いました」
発表された前半の演目は、初日「吉良仁吉」を皮切りに、「三国峠の決闘」「座頭市 彼岸花」「任侠激突」「清水次郎長外伝 森の石松」「浜の兄弟」「魔界転生」「大利根林 平手造酒の最期」「次郎吉街道」「狐狸狐狸ばなし」「明暗旅合羽」というラインナップだった。
「ほんとは『月形半平太』もやろうと思ったんですけど、あのスケジュールの稽古のなかでは無理かなと。月形だけは、こと細かに稽古もやらないと、台詞だけ覚えてもらって、はい本番、とはいかないお芝居なんですね。クオリティが落ちてしまうので、やめました」
芝居は、台本になっているものもあれば、口立てと半々という。恋川劇団時代からやっている演目も多く、「吉良仁吉」も、昔、誕生日公演に合わせてつくった台本をベースに、さらにそこから手を加えて変えてきたものだ。
「仁吉は台本芝居なんですけど、初日にやってみて、この路線でもいけるし、違う方向でもいけるのかなという感じにはなりましたね。TeamJunyaとしては初の関東公演でしたし、ほんとは1カ月ずっと、ああいうしっかりした台本芝居をやりたかったんですけど、みんなが持たないだろうと思って」
千秋楽の「女小僧と橘屋」は?
「あれは台本芝居じゃないです。恋川劇団時代から、昔っからやってます。もともとはたぶん、小泉さん(現・たつみ演劇BOX)じゃないかな。うちの親父が昔、小泉のぼるさん(小泉たつみの父)のところにいたのでね」
弁天小僧菊之助や三人吉三、幡随院長兵衛など歌舞伎でおなじみの演目の要素をちょっとずつ盛り込みながら、笑いのうちに悪い旗本が懲らしめられる勧善懲悪な時代劇。役者の裁量で味付けがいかようにも変わる、大衆演劇のいいところがぎゅっと詰まったような演目だ。永年、やり続けてきたからこその、肩の力の抜けた感じも楽しかった。
「大変ではありましたけど、千秋楽前日に群舞総集編を入れたのもよかったのかなと思います、いまとなっては。もう少し早い段階で一回やっておけば、あの日、もうちょっとお客さん入ったと思うんですけど。どんなものかわからないじゃないですか。あそこまでやるとは、普通は思わないですから」
群舞総集編は、文字通り、その月にやった群舞だけを集めてもう一度上演する舞踊ショーで、「体力尽きるまで躍り狂え!」の赤字の張り出しを裏切ることなく、これでもかというほど、次から次へ全員が踊り続け、そして場内も一緒にヒートアップ。みんなもうヘトヘトになっている後半戦に、三咲暁人が「思いついて、つい、やりますって言ってしまったことを後悔しました」と口上で告白していたが、千秋楽前日の舞台をあたためるにこの上ない、観客としてはたまらなく楽しい舞踊ショーとなった。
1カ月のなかで印象に残る芝居は? と聞いてみると、
「日々、これをやったら次はこれ、みたいな感じで、ひとつを取り出すのは難しいですけど」と前置きしつつ、「僕がやりたかったのは『遠山の金さん』なんですよね」という。
残念ながら見逃してしまった演目だったが、
「好きなんですよ、ストーリーが。七夕の話なんです。途中、子どもが殺されて、その子を殺した悪い侍を、金さんが感情的になって殺そうとする。普段の金さん、そんなこと絶対にしないじゃないですか。それで最後のお白州のところでも、子どもの両親といろいろ話があって、いつもの決め台詞、一件落着って言わなきゃならないんだけど、ぜんぜん気持ちは一件落着してない。とても人間味のある金さんなんです。しっかりやると2時間ちょいくらいあるお芝居です」という。
みんな知ってる金さんの、たくさんある物語のなかでも、あまり知られていない地味な演目を筆頭にあげたところが、意外なようにも思いつつ、ひそかに熱い内面を抱えた遠山金四郎は、恋川純弥によく似合う気がした。
第3回へ続く!
(2023年7月7日)
取材・文 佐野由佳