今年6月のTeamJunya公演の芝居では、主人公の相手役や脇役を長谷川桜が担うことが多かった。初日の「吉良仁吉」の女房お菊から、千秋楽の「女小僧と橘屋」のぶらりの三(さん)まで、その役柄は幅広い。
「女小僧と橘屋」主人公橘屋五郎治(恋川純弥)の子分、ぶらりの三は、狂言回しのような役割でもあり、赤鼻で、提灯をぶら下げた長い竿を腰に差して、まさに花道からぶらぶら登場する。もうそれだけで大笑いした。そのあとも登場するたび、なにしろその声といい、しぐさといい、かわいくて面白い。待ってましたと声をかけたくなる、三枚目の長谷川桜を堪能できる何度でも観たい役だ。
インタビューで話す長谷川桜の声のトーンと話し方は、基本、このぶらりの三に限りなく近い。明るく、ちょっとコミカルでかわいらしい。そしてよく笑う。かわいらしいなどと言うと失礼かもしれないが、この「声」も、長谷川桜の魅力のひとつだ。
コミカルでかわいいばかりではない。長谷川桜の声は、シリアスな芝居のときには静かに強い。それぞれの女の人生の、舞台のうえには描かれていない、内に秘めた情や悲しみまでも映し出す。
なかでもTeamJunya公演の「瞼の母」では、前半登場する半次郎の母おむらと、後半、主人公の忠太郎が探し続ける母おはまの二役を演じて、出色だった。
当初、恋川純弥座長からは三役を打診されたという。
「半次郎のおっかさんのおむら、夜鷹のおとら、水熊の女将で忠太郎のおっかさんのおはま。『三役やってほしいって言ったら、怒りますか?』って聞かれて、いや、怒りはしませんけど、観てる人もちょっとややこしくないですかね?と。半次郎のおっかさんで引っ込んで、夜鷹で出てきて客席がちょっとザワついて、水熊の女将でまたわたしが舞台に座ってたら、笑っちゃいますよねって。で、結局、半次郎のおっかさんのおむらと忠太郎のおっかさんのおはまの二役になりました」
恋川純弥にとっても「瞼の母」は特別な思いがある演目であり、配役上はずせない三人の老女が登場するこの演目の、配役には頭を悩ませたとインタビューのなかで話した(こちらから読めます)。今回のチームの顔ぶれのなかでは、おっかさん世代を演じられる女優が長谷川桜ひとりだったからだ。
最終的には、夜鷹を三峰達が、おむらとおはまの二役を長谷川桜という配役になった。「ふたりが引き受けてくれたことで、上演することができた」と語っている。
苦肉の策の二役だったかもしれないが、この二役を長谷川桜が演じ分けたことで、「母と子」というこの芝居のテーマが、より鮮明に浮かび上がったように感じられた。
一幕目、兄弟分である半次郎のふるさとにやって来た忠太郎が、半次郎の母と妹と初めて対面する場面。家のなかにいる半次郎を呼び出してほしいという忠太郎に、事情を知らない母おむらは、出て行ったきりの息子は家にはいないと言い放ち、半次郎をかくまう。忠太郎が半次郎の友だとわかると、今度は、堅気の息子を渡世人の道に引っ張り込んだよからぬ仲間と勘違いして、傍にまっとうな人でもいたら、ああもならずに済んだものをと怨み言を言う。このときのおむらは、体を張って子を守ろうとする、決然とした母の強さに満ちている。
やがて誤解が溶けて、五つのときに別れた母を探して江戸に行くという忠太郎の身の上を知ると、あわれみをかけ、路銀の心配までする。忠太郎が、いつかおっかさんと再会したときのために、賭打場で稼いで貯めた百両があるから大丈夫だというと、そんなに思われておっかさんもさぞ嬉しいだろうと、やさしい言葉をかける。旅立ち際に、字の書けない忠太郎が、おむらに頼んで一筆書かせてもらう場面。お安い御用だと、まるで子どもに手習いを教えるように、筆を持つ忠太郎の手を握るおむら。忠太郎はおむらの顔があまりに近く、ついちらちらと見上げてしまう。しかしおむらはそのことに気づかない。母として生きてきたおむらにとっては、特別なことでもなんでもないからだ。しかし忠太郎にとっては、おそらく人生で初めて、母の体温のようなものを生身に感じた瞬間だろうと思わせる、大事な場面だ。このときの長谷川桜おむらの、慈愛に満ちたゆったりとした佇まいがあればこそ、後半、水熊のおはまとの対比が効いてくる。
おむらは、忠太郎を置いて家を出ることがなければ、水熊のおはまが生きたかもしれない、もうひとつの人生なのだ。
物語のクライマックス。自分の母だと確信して、料亭「水熊」の女将になっているおはまに、息子だと名乗り出る忠太郎。しかしおはまは、身代を狙ってきた図々しい奴だと言い、邪険にする。最初は本当にそう思っていたが、途中で泣きじゃくる忠太郎を見て、5歳のときに別れた息子だと気づく。にもかかわらず、おはまは追い返してしまうのである。しかもおはまは、追い返したそのことよりも、生まれてからかたときも離れたことのない娘は可愛くて仕方がないのに、30年近く別れていた忠太郎には情がうつらない、自分の薄情さを嘆くのだ。その薄情さこそが、忘れた日はなかった息子への思いの深さの裏返しであり、その思いを断ち切るために心に蓋をし続けてきた歳月の重さである。強情でかたくなにならなければ生きられなかったおはまの複雑な内面を、長谷川桜は全身にみなぎらせる。
最後、忠太郎を探して、「忠太郎〜」と名を呼ぶおはまの声は、もはや母の声だ。しかし離してしまった手が、今度こそ本当に繋がれることがないことを、観客は知っている。桜おはまの声が、子を呼ぶ母の声であればあるほど、切なかった。
恋川純弥は、TeamJunya公演で上演した芝居のなかで「瞼の母」だけは、忠太郎のおっかさんであるおはまを演じる長谷川桜に、演出上の注文を出したと話した。参考資料として、新国劇の「瞼の母」も映像で渡した。いままでのTeamJunya公演では、そうしたことはなかったという。
「初めてです。台詞の言い方というか、演じる上での感情的な話だったんですけど。自分がこうしたいから、こう演じてほしいということを言われました。おはまの役は大役で、結構、緊張するんですよ。今回、おはまが、どのあたりから忠太郎をほんとに自分の子どもなんじゃないかと気づくのか、ということについて、純弥さんの解釈を聞かせてもらいました。前からも、なんとなくふわっとやってましたけど、今回、あ、いま気づいたんだってわかるように、初めて演じました。楽しかったですね。やはり純弥さんにとって思入れのあるお芝居なんでしょうね。最近、まわりから、そういうことを言われることもないですし、嬉しかったです。長谷川劇団でも、先生(長谷川武弥)はあまり言わなかったですから。映像は自分の役のところは何度か観て、全体も通して観ました。まとめて観る時間は取れないので、食事しながらとか、化粧しながらとか、断続的にですけどね。化粧前が個別に仕切られてたので、そういうときに集中しやすかったです」
TeamJunya公演は、全員が体力の限界に挑んでいるかのような1カ月だったという。
「いやー、しんどかった(笑)。忙しいんです。ほんと、朝、ぱっと起きて、化粧してる時間以外は、座る暇もないんです。毎回ですけど、大変なのは大変なんですけど、1カ月終わったときの達成感とか。それはほかの仕事では味あわないものです。あと、イヤな人がいないし、気を遣わないでいい。全く気を遣ってないことはないですけど。後半もう、ほとんど精神力だけです。体力はもう限界を迎えてます、って言いながらやってました(笑)。いま、なじみのあるとこしかゲストに行かないから、これやったことあるよね? あります、じゃ、明日の朝合わせればいっか、みたいなことが多いですけど、TeamJunyaの場合、それはできないですからね。同じ顔ぶれで舞台やってないですから。芝居の稽古もですけど、一日の公演で舞踊も最低4本。ミニショーもあったら6本は必ず、前の夜に稽古しますから。ミニショーの開けから順番にやってくんですけど、ラストショーの稽古してるときにはもう、ミニショーのトップどんなんだっけ? ってなりますもん。だから動画撮って、夜稽古して、朝、必ずもう一回通すんですけど。最後のほうは、もう、明日の芝居なんだっけ? みたいになってきますよ。台詞は集中して覚えますけど、裏のこともありますしね。食事も自炊だったので、大半は舞鼓美さんがつくってくれてましたけど、何回かわたしもつくりました。楽屋が地下で、キッチン2階なんですよ。朝、買い物行って、準備して、この舞踊ショー3曲の間にこれを済ませる!みたいな。走り回ってました。1カ月公演終わって、4キロ痩せてました。でもなぜか、家に戻ってきてからさらに2キロ痩せたんですよ。その分はもう戻ってると思いますけど。残り4キロ、せっかくだから戻らないように気をつけてます(笑)」
TeamJunya公演で共演した三咲暁人が、長谷川劇団に一緒にゲストで出たとき、長谷川劇団での長谷川桜と、TeamJunyaでの長谷川桜は別人のようだと、口上でからかった。
「もうあれはね、コラっ!て思いました。ほんとにやめてくれって、師匠の前だぞ、よっぽど長谷川で仕事してないみたいなじゃないか。してないけど(笑)。いや、TeamJunyaは寄せ集め集団じゃないですか。下座さんがいるわけじゃないから、中のこともみんなでしなきゃいけない。裏の仕事って、なんだかんだめちゃめちゃ多いんですよ。あれもしなきゃこれもしなきゃって、考え出したらきりがない。だからいろいろ動き回ってますけど。長谷川劇団にいたころは、もちろんやってましたよ。食事の支度も、愛さんとわたしで、全員分つくってましたから。まあでもね、極端すぎて、びっくりしたんだと思いますよ。こんなに桜さん、なんにもしないんだって(笑)」
劇団時代を経て、いまはフリーが楽しいと感じている。舞台への向き合い方も、変わったという。
「自分自身の楽しみ方が、変わってきてると思いますね。劇団にいたときっていうのは、同じ顔ぶれで何年も何十年もやるわけじゃないですか。だから劇団にいた後半のほうは、飛行機に乗ってでもゲストに行ったりしてました。違う人と仕事がしたくて。あと、役の気持ちを考えて芝居をするようになったのも、やめてからですね。気持ちの持って行きようというか。だから知り合いに言われました、やめてからのほうがお芝居うまくなったねって(笑)。意識してやり方を変えようと思ったわけじゃないですけど。なんだろうな。なんかふと考えるようになったんですかね。大人になったのかな。前は、ここで泣く、ここでしゃべる、ここはこんな感じでって、形だけなぞってました。そんな、毎回変えようとも思ってなかったですし。最近は頭で考えます。頭で考えて、舞台に出てしゃべってみないとどうなるかわからない、みたいな感じになってます」
逆に、フリーランスの場合、毎回違う役者と芝居をすることへのやりづらさはないのだろうか。
「それはないですね。全然、気になったことないです。人見知りだから、知らないところにゲストには行かないからかもしれないですけど。主には長谷川と、恋川、真芸座系統。そう考えたら、みんなタイプが違うんですけどね。最近、ゲストに行く先も、ちょこちょこ増えて行きそうな感じはあります」
好きな芝居、これからやってみたい芝居について聞いてみると。
「なんだろう。やってて楽しいのは、基本、何してても楽しいですけど、娘役はもうイヤです(笑)。娘のころに、娘役もそんなにやってないと思うんですけど、もう恥ずかしい。なんの罰ゲームか、って感じです(笑)。一生懸命頑張りますけど。ぶりっこしますけど。好きな芝居、いっぱいありますよ。雰囲気変わるから。『三婆』も好きやし、『三人吉三』も好きやし。『三人吉三』も、劇団にいるときに、やりたいってわたしが言い出したんですよ。和尚(吉三)をやりたかった。何歳かの誕生日公演で、川越で初めてやったんですけど、そのときは、わたしと京弥さん(現在の劇団都座長都京弥)と、当時いた長谷川光太郎くんの三人でやりました。その次の年くらいから、愛さん(長谷川劇団総座長愛京花)、かなちゃん(藤乃かな)と三人でやろうってことで、やってます。ずっと和尚です、わたし。自分が三枚目するのも好きやし、老け役も好きやし。ほかにも自分がやりたくてやった芝居は、何年か前に、もともと長谷川でやってましたけど、「残菊物語」。それは哀川昇座長のとこでやらしてもらったんですけど、誕生日で。最初で最後ですねって言いながらやりました。主人公のお菊の役を、私がやることはもうないだろうなと思って。たいてい、宿屋のおばちゃんのお梅なんです。それも好きなんですけど、きれいどころをすることがないから、一回したら気が済むからやらしてくれと。座長が、台詞覚えられないーって、すごい大変な思いしてやってくれました」
これからやってみたい役は? と聞くと、「あります。でも、言わない。まだ誰にも言ったことないんです」と言って、またほがらかに笑った。
第4回へ続く!
(2023年8月27日)
取材・文 佐野由佳