対談:山根 大×一見好太郎(前編)一見好太郎は名優なんですよ!?

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「今月、一見劇団に救われてきたんだよね、オレ自身が」と山根演芸社山根大社長は対談が始まって開口一番そう言った。

この10月、一見劇団の3カ月間の関西公演、最後の月の浪速クラブの公演に、山根社長は折に触れ足を運んだ。特別なイベントがない、なんでもない日にも、その舞台を観たかったからだという。今年で関西公演は3年ぶり3回目の一見劇団だが、山根社長いわく「今回が一番よかった。何よりも、人がどうあれ、オレがいいと思えるから、素直にこの劇団いいよって人にすすめられた」というのだ。

実は今回の対談は、山根社長たっての希望で実現した特別企画。「一見好太郎、古都乃竜也の両座長と、それぞれに一対一で話がしてみたい」というラブコールに応えて、快諾してくれた両座長を迎えてのスペシャルトークとなった。

一見好太郎座長との一騎打ちから。前後編でお届けする。

時は2022年10月8日、所は大阪・新世界、通天閣の足元にあるやけに大音量でBGMが流れる居酒屋。待ち合わせの場所に向かうと、舞台を終えて化粧を落とした一見好太郎座長がすでに到着、出迎えてくれた。

意外なことに、一見好太郎座長と山根社長は、じっくり膝をつきあわせて話をするのは、このときがほぼ初めて。大阪公演の仲立ちをする山根社長であるが、これまで一見劇団の窓口は、亡くなった紅葉子太夫元が一手に引き受けていたこと、太夫元亡きあとは古都乃竜也座長が渉外担当を担ってきたため、一見好太郎座長と話す機会はほぼなかったという。

オレやったら、あんなふうにはしない

山根 大(以下、山根) 引っ込みながら生きてないか? 劇団のなかで。

一見好太郎(以下、好太郎) そんなことないです(笑)。

山根演芸社山根大社長。関西の公演仲立ちをする。

山根 この前、「清次命の三十両」を観たあとで挨拶させてもらったときに「大衆演劇ってこういうもんですよ」って言い方したけど、それは、「オレはこんなふうなのがいいな」ってことなんだよね。いま関西の人気劇団は特に、ショーアップされたエンターテインメントとしての舞台をやっていて、それはそれですごく楽しいんだけど、一見劇団の舞台はそういうものとは違う。派手な仕掛けはないんだけど、いい芝居をしっかり見せてくれる。なんか、ホッとしたんだよ。これでいいんだよなっていう、救われたような気がした。

好太郎 ありがとうございます。

一見好太郎座長。一見劇団の座長をつとめて22年。
「暑がりなので」基本の私服はTシャツ。

山根 座長は最初から芝居好きやったん?

好太郎 好きですね。

山根 こないだ舞台で、「芝居、めちゃくちゃ大好きですから」って言ったの聞いて、こんな役者珍しいなと思って。

好太郎 そうですか?

山根 聞いてて気持ちよかった。なかなか言い切れないもんだよ。いくつぐらいから舞台出てたの?

好太郎 12歳からです。

山根 じゃ、子役の時代はない?

好太郎 ないです。

「仁義道」より。撮影=水野昭子

山根 最初からなんらかの役はついてたの?

好太郎 そんなことないです。一番最初に役がついたのは「天竜しぶき笠」の、天竜丸の正太郎っていう役で、それが15歳くらいですかね。この芝居、この役やると、二枚目も敵役もできるからって教えてもらった。亡くなった、みやま昇吾さんに。当時、座長さんでしたから。それからですかね、芝居ってこんな面白いのかって。

山根 主演がみやま昇吾さん?

好太郎 そうです。みやまさんも、芝居、うまい人やったんで。その当時は、上が5人も6人もかたまっていたから、自分の出る幕がない。子分しかない。でも舞台袖でずっと観てて。誰か長期入院しないかなーってずっと思ってました。

山根 大衆演劇ナビのインタビューのなかで、「自分から芝居を取ったら何も残らない」って言ってたけど、舞台を見てるとほんとにそういう役者なんだろうなと思うんだよ。

※一見好太郎座長インタビューはこちらからご覧いただけます。

好太郎 自分でもそう思います。役者以外、考えたことないです。

任侠の世界の切ない別れを通して、男の成長を描く「仁義道」。右は主人公竜二を慕うヤスを演じる劇団花形・紅ア太郎。撮影=水野昭子

山根 でもね、好太郎座長の芝居は、いわゆる大衆演劇の役者のやり方と違うんだよ。旅芝居の、舞台と大向こう(客席の一番後ろ)の距離でしか伝わらない細やかな芝居というか。そういうことをやってる。「男十三夜」みたいな芝居の場合、ふたり座長の劇団なら、昼夜で役替えをしたらいいじゃないかって思ったりするんだけど、一見劇団に関しては絶対それをすべきじゃないと思う。新助のほうに座長が入るのは、違うと思う。

好太郎 そうですか。

山根 それは、古都乃竜也の芝居は、いわゆる大衆演劇の芝居なんだけど、一見好太郎の芝居はそうじゃない。普通の大衆演劇の芝居の仕方じゃないんだわ、オレに言わせると。

好太郎 はあ。

「吉良仁吉」。愛しい恋女房に余儀なき別れを告げて、かわいい兄弟分のために喧嘩場へ向かう仁吉。男気という色気を演じて卓越する。

山根 好太郎座長は、大衆演劇の世界で、いわゆる弟子師匠という流れのなかにいないでしょ? 

好太郎 そうですね。

山根 あえていうなら、みやま昇吾さんなんだろうけど。オレがいろんな意味で影響を受けてる美影愛(先生と呼ぶべきところ、親しさゆえに敬称略by 山根)っていう役者がいて、芝居へのアプローチの仕方が美影愛に似てるなって思う。美影愛っていう役者は、座というのを固定しないで、自分の劇団に劇団梁山泊っていう名前をつけた。梁山泊はいろんな人間の集まりっていう意味でね。晩年のみやま昇吾さんとも親しくて、ふたりでよく芝居してるんやけど、そんときにやった美影愛がつくった「涅槃の約束」っていう芝居があって、もとは「月夜の一文銭(上州土産百両首)」。もとの芝居では、最後に正太郎がつかまるじゃん。でも、「涅槃の約束」ではつかまらない。正太郎と牙次郎、ふたりが一緒に生きていくみたいな終わり方で、最後に「What’s a Wamderful World」が流れるという、そういう芝居。そういう美影愛の仕口というのにオレも影響を受けていて、オレが「新・天保水滸伝 利根の残月」を書いたときに考えたのは、美影愛みたいなアプローチで一本できないか、っていうことだったんだよ。だから、好太郎座長が「新・天保水滸伝 利根の残月」のDVDを観て、あの芝居を気に入ってやろうと思ってくれたっていうのは嬉しかったんだけど(一見劇団では「大利根月夜」として上演)、なんであれやろうと思ったの?

好太郎 いや、あれはもう、ひとめぼれでした。

山根 どういうとこが?

好太郎 内容がすごくきれいで、全員の役がかっちりしていて。観て、これはもう自分のものにしたい!って感じでした。

山根 自分は芝居を立てるときは、キャラ立ちっていうのがすごい大事だし、特に座長大会のためにつくった芝居だったから、笹岡繁蔵の若い衆とか飯岡助五郎の若い衆もキャラクターが立つように、人柄を考えながら役をつくっていったんだけど、もうひとつの特徴は、3人くらいしか、イヤな奴が出てこないっていう芝居でもあるんだよね。

好太郎 そうですよね。いや、まず、常識をくつがえされて。「天保水滸伝」の平手酒造は、ずたずたになって、血のりにまみれて死んでいくっていうのが、ほぼほぼ普通じゃないですか。それが、こんなきれいな終わり方っていう。善悪がはっきりわかれていて、恋愛もあって、観ていてすごい気持ちがいい。

「夏祭浪花鑑」の泥場。義父・義兵次(美苑隆太)の業にからめとられながら、正当防衛が殺意に変わっていく団七の陰惨な内面を、闇のなかに浮かび上がらせて美しい。撮影=水野昭子

山根 そう考えたときに、もともとオレの持ってる、美影座長に共感した美意識みたいなところに、座長はハマったんじゃないかって思ったんだよね。

好太郎 ああ、なるほど。 

山根 だからやっぱり弟子師匠の関係のなかで、形みたいなものを教えてもらう役者と違ったんだなってことを、おれは思った。

好太郎 ああー。……かもしれないですね。

山根 ほんとにこの役やってやろうと思ったときに、普通はさ、その役をやってる役者に憧れて、ああいう芝居がしてみたいとか思いながら舞台袖で観ているのかもしれないけど、おれ、座長の気持ちを想像すると、「オレやったら、あんなふうにはしない」と思ったんじゃないか。

好太郎 あ、はい。おっしゃるとおり。

山根 「オレやったら、あんなふうにはしない、でもあの役やってみたい」って。大衆演劇の場合、もともと一子相伝みたいな形で、この芝居の仕口はこう、っていうふうに教えられていくんやけど、座長はそこから自由やったんちゃうかと思う。だからある意味、天然として、旅芝居の世界に入ってきて、弟子でも師匠でもない、その流れのなかで、自分の流儀で自分のやりかたをつくった。すごい才能やと思う。だから一見好太郎の芝居には形がない。そこがほかにない、独特の魅力やと思う。その形がない芝居っていうのは、旅芝居の舞台から大向こう(客席の一番後ろ)の距離までで見せる、ものすごい細かい表情やねん。だから「男十三夜」の、新助とこう話しあって、うんざりした顔、めんどくさいという顔つき、そういうのが見えてくる。平手なら平手の表情が見えてくる。それがわかる距離。歌舞伎がなんで隈取りをするかというと、様式のなかにはめとって、この顔はこういう意味ですよ、っていうあらかじめお約束でみせる。大衆演劇のデフォルト(典型的なやり方)も、形としてはそれに近いと思う。山をあげることで、ここ大事、とわからせるとかね。ところが座長はそれはやってない。だからといって、映画好きが勘違いして、クローズアップでないと見えないようなことをするというリアリティとも違う。なんやろ、この一見好太郎という人の芝居から感じられる、一種のくさみのなさ。すごい不思議。

好太郎 はあ。

この劇団狂ってるんじゃないか

山根 でも座長大会の芝居を、一座でやろうと思うことも、それを実際にやってることも、オレにしてみたら「こいつら狂ってる」としか思えなかった(笑)。長い芝居だし、あれをどうやるんだろうって思ったら、そのまんま上演してた。平日の夜に90分。驚愕したよ。

好太郎 そうですか?

山根 大所帯の一見劇団だからできることだし、役者が揃ってないとできないし。そもそも、

それを座長がやるっていったら、まわりもみんなやるっていうの?

好太郎 はい。

山根 これ、座長、しんどいからやめましょうよとかっていうのはないの?

好太郎 なかったですね。

山根 それすごいなと思って。すごくいい舞台だったんだけど、あの日、平日の夜の部で、お客さん20人くらいやったかな。めちゃくちゃコストパフフォーマンス悪いなって。それを劇団のみんながやってるっていう。狂ってんじゃないかって。そんなことやってる劇団ないよね。

好太郎 (笑)。誰に誰の役をふるかは、すごい悩みました。

一見劇団の看板女優、紅銀乃嬢。「大利根月夜」では平手の恋人、かえでを演じる。

山根 どうやって稽古したの? 遊びの台詞も入れず、目の詰まった隙のないものに仕立ててある。座員全員が、みんなきちんと台詞を入れてることにも驚いた。

好太郎 自分がDVD観ながら携帯で台本を書き起こして、みんなには口で伝えます。

山根 一種の口立てなんだ。

好太郎 そうです。

山根 映像を全員が観るわけじゃない? 

好太郎 動きがわからないとか、全体を観たいという人は観ますけど。基本はやっぱり舞台人だから。プロなんだから言っただけで伝わるでしょ、っていうのはあります。僕は自分でそう思うから。座長大会とか、ゲストに行ったときに、前日稽古で、台詞とか聞きながら想像しながら、ここでこういうふうにしゃべるんだな、ここでこういうことを言うんだな、相手はここでこう返すんだなって想像しながら、聞いてる。

大所帯の一見劇団。

山根 自分のものにしたい、って思って、劇団に持っていってやってみたら、目指したものはこれじゃないんだよなってこともあるの?

好太郎 まあ、まあ、多々あります。

山根 そうだろうな。でもそれは、そういうデキのもんだと思ってるわけだ、座長のなかでね。

大衆演劇ナビ(以下、ナビ) 話の途中で失礼します。そもそもの筋書きがおかしいんじゃないか、納得できないなと思う芝居が、たまにあるんですけど、座長はそう思うことはないですか?

好太郎 ありますよ。

ナビ そうなんですか⁈ でも、それを修正することはない?

好太郎 場合によるかな。たとえば初代人見多佳雄がつくったような劇団にとって大事な芝居だったら、それはおかあちゃんが「まんまやってくれ」って言って守り続けてきたものだから、修正はしない。言ってみれば、おかあちゃんが立てた芝居だから。立てた人のやり方を尊重したい。そういう場合は、自分は納得できてなくてもあえて修正はしないです。

ナビ 記念碑みたいなことなんですね。

一見好太郎のうまさについて

山根 このあいだ「大利根月夜」観てて、オレは大弥とか美苑がいいなと思ったのね。古都乃も役どころにはまってる感じだった。もともと旅役者って、役どころにはまってはじめていいっていうところがあって。

若手リーダー・美苑隆太。
花形・一見大弥。

一見劇団の「男十三夜」の役を入れ替えちゃいけないっていうのは、チャールズ・ブロンソンとロバート・デ・ニーロの共演だからなんだよ。ブロンソンは古都乃座長で、古都乃座長は何をやっても古都乃座長なんだよ。ブロンソンってヒゲがあるじゃん、だからどんな役をやってもブロンソンってわかる。ブロンソンであることがベースになって芝居するわけなんだけど、ロバート・デ・ニーロってその都度、カメレオンみたいに役によって変わるんだよ。入れ替えられないんだなって思ったのはそういうことなんだよね。それはなぜかっていうと、受けの芝居になる座長の役のほうが、形がないほうが絶対できるから。あれが形にはめちゃったら、新助の芝居って面白くもなんともなくなると思うんだよ。だから、そう考えたときに、古都乃座長はあの芝居を、もともとデフォルトの形のなかで、師匠である玄海竜二さんからひっぱってきていて、おそらく玄海さんっていうのはもっと芝居っていうのを大雑把に捉えているんだと思う。あの芝居を、玄海さんが近江飛龍とやりたいって言ったことがある。あの芝居は本気でしばきあわなきゃダメだからって言ったんだよね。

好太郎 そうですね。

「明治一代女」もまた、ブロンソン竜也(左)とデ・ニーロ好太郎の共演?!

山根 おそらく飛龍となら、本気でしばきあえると思ったんだと思うんだよ。それで、あとのところは、玄海さんの自分のデフォルトの芸でまとめることができるって考えたんだと思う。だから、玄海さんも、実はチャールズ・ブロンソンなんだよ。でも一見好太郎はそうじゃない。たとえるなら、同じ土俵でやってるようで、そこで野球とソフトボールやってるくらい違うわけ。ソフトボールって野球からできてるから、似てるんだけど全く違うじゃん。

好太郎 そうですね。

「明治一代女」。一途なお梅が招いた悲劇の向こうにある人生を、一瞬の表情ににじませる。

山根 旅芝居っていう枠組みのなかで、一見劇団のなかの好太郎座長の芝居とほかの役者の芝居って、野球とソフトボールくらい違うと思う。それがあるのが一見劇団の面白さであり魅力でもあると思うんやね。自分でそれはどう思う?

好太郎 自分自身に形がない、とは思ってます。この芝居だからこれ、っていう形はないというか。

山根 役にはまるといいんだけど、それ以外はちょっと似合わないよな、みたいな感じが多くの役者にはあって、古都乃座長の芝居は典型的にそういう芝居。親分とか、おさまったときの芝居はすごくいいんだけど、それ以外の古都乃は想像できにくい。そういう役者なんだよね。でも実を言うと、旅芝居の役者ってほぼそういう成り立ちなんだよ。あの大日方満でさえ、座長大会の役者っていうくらい、いい役者だけど名優って感じじゃない、と言える。樋口次郎も同じだよね。でも、そこんところが、ロバート・デ・ニーロとチャールズ・ブロンソンの違いなんだけど、好太郎座長は、いい役者というより名優なんですよ。

好太郎  ……。

山根(かまわず喋り続ける)達成度として名優かどうかというんじゃなくて、ありようとして。そのありかたしかできないんですよ、好太郎座長は。それを観ていて、うわぁ、この人はこの劇団のなかで自分を保っていくのは、それこそラブホで台詞を入れていくようなやり方(※詳しくはこちらをご覧ください)でないと無理なんだろうなって思った。弟子師匠のなかで教えてもらった芝居ではないし、その都度、その都度、キャラクターを自分にくぐらせたうえでもういっぺん出す作業を全部してるから、一見好太郎の舞台化粧というのは大きくは変わらないかもしれんけども、毎度毎度、そうやって通してるから、出てくる表情っていうのがまるっきり違う。こずるい人間、悪いやつ、魂のきれいなやつ、人のいいやつとか、それが表情とかしぐさを通じて伝わるというやり方になる。これはオレ、すごいなと思う。だから「清次命の三十両」を観たときに、この前、言ったやんか。

好太郎 はい。

ともにウーロン茶で3時間、白熱の対談は続く。
 

山根 最後のお露(つゆ)ちゃんのところで、山をあげないこの人のやりかた、すごいわかってるなと思ったって。清次の人のよさというものが。だから古都乃が、「人がいいだろ、あいつ」っていう、おさまったよくわかった親分の台詞っていうのも出せるし、伝わってくる。清次のときの大日方先生、「大利根月夜」のときの平手の恋川純弥、っていうのがオレのなかのオリジナルのイメージなんだけど、「大利根月夜」のなかで、かえでがやってきて平手が立ち上がるところの芝居、それと、清次が逃げるお露たちを見送るために床几に上がる芝居、そこについては、オリジナルの大日方、純弥より一見好太郎のがうまいと感じた。

好太郎 ……。

山根 傷ついた人間の動きっていうのが、すごくよくわかってる。

好太郎 めちゃくちゃ嬉しいな。めちゃくちゃ嬉しいです(笑)。

山根 褒められたことってない?。

好太郎 ないですよ。

山根 おかあちゃんにも?

好太郎 おかあちゃんは、まだまだや、まだまだやっていうタイプやから。

山根 おかあちゃんが言うまだまだは、客入りのことや。

後編に続く!

(2022年10月8日 大阪・新世界)

文・構成 佐野由佳

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