長い昔ばなしを聞く間も、目の前に座っている大日方先生の胸板の厚さと腕の筋肉の太さについ目を奪われる。頑強そうな体型も、若々しく見える理由のひとつだ。
鍛えてらっしゃるんですか?
「いえいえ、鍛えてたわけではないんですけどね。あちらこちらのセンターまわりをして、舞台をつくるのに二重(にじゅう)というやつね、あれをショーのときなったら片付けないといけない。大きくって重たくって。何カ月もそういうやつをワーッと上げたりとか、トラックに乗って荷物を積み下ろしをやったりとか、そういう力仕事を、若い時になんぼでもやってるんです。仕事じゃないけどボクシングもやったんですよ。ボクシングはだいぶやっとったんです。親父が柔道が好きで、柔道もやった。そういうことで、ここがむーって大きなって。でも、いまから10年前くらいなるかなあ、ガンになって3回手術したんです。こないだ5月にやったのはこっからなんとかいう、穴だけでやるやつ。その前は肝臓を七分くらい取ったんです。最近は腰を痛くしてるので、今日も椅子で失礼してますけど」
大病されたんですね。でもとてもお元気そうでよかったです。
「こないだもうちの孫と腕相撲したって、まだ負けません(笑)。二人ともびっくりしてました。ほんの2、3日前にやったんですけど、風呂屋で。ちゃん、やろや、言うてくるから」
ちゃん、と呼ばれてらっしゃるんですね。
「孫が二つ、三つのときから、子役に出そう思っとったんです。そのときに、一番舞台で必要な台詞は、ちゃん、おっかあ、おっかちゃん、これが大事。だから、普段から、パパやとかおじいちゃんやとか言うよりも、ちゃん、おっかちゃん、って言わしとこうと。うちのヤツが、あーちゃん、わたしのことは、ちゃんっていまだに呼んでます。自分の母親のことはママですけどね(笑)」
満劇団の舞台を最初に観たのは、このサイトをたちあげるずっと前、2019年2月、泉佐野市の「がんこ座」だった。当時、孫の大日方忍と大日方小とらはまだ子どもだった。このときも、大日方満の姿を舞台に観ることはできなかったのだが、娘である大日方皐扇座長と、その小さな息子たちを中心にしたアットホームな舞台はいろんな意味で印象深かった。とりわけ、まだ小学校5年生だという小とらちゃんの、小学生とは思えないオヤジ感たっぷりの愛嬌とこなれた演技に目を見張ったのだった。劇団の中核を担う役者、仁道竜之介との丁々発止のやりとりにおおいに笑わせてもらった。大日方先生には会えなかったけれど、レジェンドの達者な芸風を劇団のなかに感じることができたような気がしたものだ。
そして今回、舞台を観て驚いたのは、そんな小とらちゃんが、いまどきのイケメンになっていたことだ。愛嬌のある顔立ちに面影はあるものの、あのぽっちゃりとしたオヤジ感はどこへやら。兄の大日方忍花形も、すっかり青年の役者ぶりで見目麗しい。舞台に登場したときの肚の座り方が、3年前とは全然違ってみえた。10代の3年は50代の3年とはわけが違う……。カルダモン康子と呆然としたことは言うまでもない。
お孫さんたちが大人になっていてびっくりしました。当たり前なんですけれども。
「ほんと最近ですよ、それまでは小学生でわがままで。去年(2020年)の暮れくらいから、二人ともガッと大人になってきました。かたいっぽのほう(大日方小とら)は14歳、かたいっぽ(大日方忍)は17歳ですけども、僕が腰が悪いから、風呂に行っても交代で僕の手を持って、すべったらいかんからって心配してくれるしね。体もみんな大きくなったし、二人とも、芝居もちょっと見たら、だいぶんマシになったなあって。だから、僕はあんまりこの頃言わないんですけど、当人たちが、ちゃん、この帯はこれでいいか? この芝居この着物でいいか? あそこの踊りはどういう格好したらいいか、よく聞きにもきてくれるようになりました。初めは自分がわからんから、聞きにこなかったですから。母親が教えるといったって、やっぱり女ですから、なかなか男の仕草は教えられなかったでしょう。やっと自分ができるようなったから聞きにくるので、そのしぐさを教えられるようになりました。女形さすとまだダメですけどねえ。女形から男に変わったりとか、2分くらいで化粧したりとか、そういうことをね、練習してます」
舞台からもナニクソっていう負けん気が感じられてよかったです。
「忍ですか? そういうとこありますね。おじいさんがほめるわけじゃないけど、ふたりとも意欲があるからいいんじゃないかなと思って。とにかく芝居を休むのイヤ、どんなにしたら、お客さんに喜んでもらえるか。毎晩ビデオ観て、今度は石松をこういう具合にしたいとか、僕にも聞いてくる。筋肉をつけたいって、二人で一生懸命トレーニングやってますよ。汗びっしょり。それで弟のほうも痩せたんですよ。あんだけぼちゃーっと肥えてたのに」
かわいかったですよね。
「それのほうがいいって言うのにね。自分ではイヤだって。お兄ちゃんと一緒に、いまの流行りのね、パッパッパッパーって踊るやつを。二人で躍らせたらよく合いますよ。『望郷じょんがら』にしてもね。服か着物かわからんようなヤツを着て、ピラピラ付けてね(笑)」
大日方先生としては、そういうピラピラした衣裳をどう思われてるんですか? 透けてるのとか。
「いや~もう、自由じゃないですか~?(笑) そのかわり、あくまでもショーだけだぞ、芝居だけは頼むから芝居の着物を着てくれ、と。旅人は旅人らしい衣装でね。次郎長一家の大政小政、こういうところやったら紺の着物で裏のついたやつとか、若旦那やったら縞の着物を着ろとか。そういうことやってくれたら、ショーは……まあね。頭だってそうじゃないですか、あんな青やらピンクやら、なんですか~!? 」
色のついたかつらには批判的ですね(笑)。
「……あー、いや、そんなこと言ってますけどね、僕、あのかづらのね、ざんぎりを、昔、紫、むらさきじゃない、ワインレッド、ワイン色に染めましたよ」
ええっ?! ワインレッドのざんぎり頭!
「当時ねえ、色のついたかづらなんてなかったですから。いまは何色でもつくれますからね。それだけに頼るのはどうかと思うけど、目先が変わっていいんじゃないですか。男がパンタロンなんかはかない時代に、真っ先にパンタロンはいたのも、僕ですから。舞台だからいいだろうと。負けまいと、先端を行こうと思ってね。あれはやりましたけど、でもあれが精いっぱいですわ」
いや、十分だと思います。いまもパンタロン、はかれるんですか?
「いまんなってやったらどないなりますのん(笑)。それはまだ40前のときですよ。昔は僕も、忍みたいに細かったんです。はは」
股旅ものの渋い二枚目からお笑いまで。なんでも来いの、そんなギャップを武器にした舞台は、いまの大衆演劇のスタンダードとも言える。そのDNAは劇団のなかにも根をおろしているようで、体型は変わった小とらちゃんだが、芸風は変わっていなかった。
次回へつづく!
(2021年10月17日 演劇館 水車小屋)
取材・文 佐野由佳