剣戟はる駒座の公演としては、今年6月の横浜・三吉演芸場は、実に13年ぶり。関東公演自体も8年ぶりだったという。劇団総裁の勝龍治の孫である、津川鵣汀、津川祀武憙、両座長にとっては、座長になってからは初めての関東公演となった。勝総裁にインタビューをお願いした6月12日の時点では、梅雨入りの曇天がうらめしい客入りだったが……。
11日間終わって、いかがですか?
「僕は嵐劇団の時分から、関東にのぼってるんでね。関東のお客さんが芝居をしっかり観はるのはよう知ってますねん。西のほうは地元やからね、感触もこのへんで笑ろてくれる、こないしたら泣いてくれる、いうのはだいたいわかる。関東のほうは確かここで笑わないかんはずやのに、笑いが取れんちゅうのはしっかり観てはるんやろなあ、いうのはわかります。東のほうがやっぱり芝居の評価が厳しいん違うかなあ。大阪でやることを六分くらいでとめといて反応を見るという考えでいまやってます。喜劇も、型物のほうもひっくるめてね。いまはマスクもしてはるし、表情がわからんのよ。盛り上がりがちょっと掴めなくてしんどいなあ、そのへんでちょっとあわてるね。僕はもうどうせワル(役)やから、大きい声出しといたらしまいやけどね。外題考えるのは、鵣汀、祀武憙、兄弟座長です。1カ月公演やから毎週月曜休みというても、20何本はいるんやから、難しい芝居が続いたら、お客さん肩もこるやろうし、毎日泣いてばっかりで帰るのもイヤやろうしねえ」
劇団の総裁として、祖父としての心配がにじんだ。
しかし、日を追うごとに場はあたたまり、祀武憙祭り、鵣汀座長の誕生日公演をはさんで客足も伸び、並行して鵣汀座長の口上の時間も勢い伸びた。
この口上の時間に、当日の演目だけでなく、少し先の演目について両座長が解説をしてくれるというのも、剣戟はる駒座ならでは。なるほど知らなかった!ということ度々で、おもしろく勉強になった。
たとえば、祀武憙祭り夜の部に上演した喜劇「バンバあげます」。大工の娘と左官の息子をめぐるラブコメディーは、勝いわく「僕のおじさん(初代小泉のぼる)の得意な芝居。僕は相方をずっとやらされてたんでね。祀武憙がやりたいっていうんで、こっちでは祀武憙の相方をつとめました」という劇団にとっても由緒ある演目。当日、勝はラメでキラッキラのピースマークのついたTシャツに膝までの短パンをはきこなし、大工の友人である若き左官職人を熱演。しかし今日は朝からインタビュー(この取材)があって疲れたからと、「もういい?」と途中で芝居を切り上げる自由奔放ぶりで沸かせた。
この演目の「バンバ」について、2日前の口上で、祀武憙座長が「おが屑のこと」だと説明してくれた。
家の前に「バンバあげます」と張り紙があることで、そこが大工の家だとわかるのだが、話の筋に「バンバ」は全く関係ない。しかしだからこそ、事前の口上を聞いていなければ、「バンバって何?」と最後まで小骨がノドに引っかかったような気持ちで芝居を観ただろう。おが屑だとわかっていることで、かつて大工の家では、そうやっておが屑をタダで分けてあげていたんだなということや、現代劇ではあるけれど、煮炊きや風呂の焚き付けにそういうものが必要だった時代設定であることがわかる。芝居を味わう背景が、ぐっと深まるのだ。
これに限らず、おそらく芝居がつくられた当時は誰もが知っていて言わなくてもわかったことが、いまはわからない、ということがたくさんある。それを両座長はちゃんと調べて自分が納得したように、観客にも伝えてくれる。それはすごくありがたいと勝に伝えると、
「しゃべってても言葉がわからない、意味がわからなんだら聞いてはる人はなおさら具合悪いやろな思うさかいね、説明を先にやってるんちゃいます? 知らないと教えられないわね。ここだけの話やけど、知らないということはそれを勉強してはらへん。ただ受け売りで『バンバあげます』言うてるんや。役者がわからんのにお客さんよけいわからんから。わけのわからんことにならんように」。
ほかにも、五味康祐の時代小説が原作の「薄桜記」は、1959年に上映された市川雷蔵、勝新太郎主演の同名の映画をもとにつくられた芝居であること、当時のポスターがカッコイイことなどを、まるで予告編のように話すので、これは観に行かなければという気分にさせられる。終わったあとには、忠臣蔵外伝としてのこの物語の背景と、史実を交えたあとがきのような口上を聞かせる。
剣戟はる駒座版の「薄桜記」では、勝龍治は主人公丹下典膳、堀部安兵衛たちを飛び道具で追い詰める、ワル役で登場する。
「あれ、ややこしいんですわ。津川竜がやってた『薄桜記』はちょっと違う。ストーリーは同じなんやけどやり方を後先に変えてみたり。死ぬシーンも前と違うんです。鵣汀の代になって、わかりやすいほうに変えようやないかっちゅうことで変わったんやね。それは鵣汀と娘(劇団代表の晃大洋)らのアイデアちゃいます? こういうのできあがったんやけどって稽古を観て。あれ? ちょっと前とちがくないか? ここオレは出てなかったやろう? 確かここで足斬られてたんやけど……もうひと場面あったやろ? とか思ってたら、『前と変わってます』って。説明してもろてんねんけど、わかったわかった言うてるだけでわかってないねん(笑)。杖ついてたけどな、邪魔くさなってあとのほうなしにしてもうたり。立ち回りになったらね、杖邪魔になるんですよ。そのへんポーンと置いとったら、斬られた相手が踏んでこけたらいかんし。そのくらい変えても、あとはシャーっと斬られたらしまいやから。ええかげんなおもしろさも必要やから(笑)」
舞台の勝龍治は、どんな役のときでも果てしなくその役であり、台詞を話していない場面でも勝を観ていさえすれば、物語の世界から振り落とされることがない。同時に、ひとり肩の力が抜けているのも事実で、その「ええかげん」な感じは、どんな役をやっていても、たまらない愛嬌がある。
「あのね、もちろん難しいこと覚えていかないかんのですよ。確かに難しい台詞は覚えといたほうがいい。けど覚えといて、使えるとこだけ使いなさい、難しい言葉に凝り固まってしもうたら、台詞は覚えても意味はわからんなるよね? そしたらお客さんは何を言うてるかわからへんようなってしまうでしょ。台詞はわかるように、言いにくいところは言いやすいように。意味の変わらんように、同じ意味でも言いやすい言い方に変えなさいとアドバイスします。いまみんな台本読んでそのとおりに意味もわからずに覚えるでしょ。書いてあるまましゃべっても、意味がわからへんかったら、感情が出しにくいし具合悪いよね〜。侍やったら侍の『しからばさよう』という使わないかん台詞は使うて、わかりにく台詞はわかりやすいにしなさいということ」
台本を読んで覚えるのは、口立てでつくる芝居とはまた違ってきますね。
「口立ての場合も、いま、あの録音の電話(スマホ)ね、みなこう並べるじゃないですか。人の言うこと聞いてるんか、いないのか、わからへん。僕らも歳やから、せやせや忘れたらいかんと思って、この前もたつみ(甥の小泉たつみ)のとこ行って、わからん芝居もあったから、まねして(スマホを)置いとくのは置いとくんやけど、稽古終わったら、おつかれさん、後で聞くわーってなことになって、お酒好きやから、ワイワイいうてたらあくる朝、センセこれ忘れてたよって渡されて。あれ!?ってなるもんね〜。頭で覚えられるっていっても、ある程度でね。すごくないですよ。いい加減なとこが多いんです。まとまりさえすればいいなあと(笑)。迷惑のかからんようにしとけば、まあ、それでええんじゃないかと! どうせワル(役)やから(笑)。わーっと怒ってたらすむやろうなあって。最後は斬られて死ぬんですからねえ。いま、年中孫に斬られてます、はい」
昔の稽古はどんな感じでしたか?
「ほとんど口立てばっかりですね。僕は無学やけど、なかには学校出てはる人もいてはったんでね、ちゃんと台本書かはる人もおったから。その人らと芝居すると、本がどっかいってもうた!って慌てたりしてた。だからこんなもん(スマホ)で覚えるより、ここ(頭)でちゃんと覚えたほうがええんちゃう?ちゅうのが昔の役者の習い方、教え方ですわ。僕が教えるときもね、これこれこうやぞ、ここはこうおさまるんや! いっぺんしか言わへんぞって言うんですわ。なぜならそれは、自分の言うことが二回目言うとどっか違ってくるから。ちょっと違っても、意味は一緒ならいいねん。その代わり全部まともに覚えたいんやったら、しっかり聞きなさい! 言うほうは何回もしんどいから。稽古して、気持ちがのってるとシャーっと、言葉出てくるんやけど、二回目しんどなってきたら、さっき何をどない言うたんやったかなあ、教えてる方が忘れてしまうさかい、思い出さないかんのめんどくさいから、芝居する相手と合わせえって。昔から先輩は忙しいねん。それぞれ遊びごとも出ていかないかん用事もあるし。一回で覚えよ~ってね(笑)」
鵣汀座長、祀武憙座長に教えることもありますか?
「むずかしいですね、教えるのは。なぜかというと身内でもみんな感性が違うから。それぞれの考え方が違うやろからねえ。ただ僕らがせっかく親の代からやってきた外題、それをなくしたくないのは本音やから。うち流ね。けど若いもんはどないアレンジしようかいなぁとねえ。こっちは付きおうて、ちょっとどうもこれはイヤやなあ思たら、こここんなふうに変えたほうがええことない? まぁ聞くほうはちゃんと聞いてくれる。自分らも変えたときは、これここらへん変えるんやけど具合悪いか?って言いますよ。よかったらそれでいっぺんやってみて、あかんかったらまた元に戻したらええやんと思いますねん。それが勉強なるから。オレなんて若い時分、ほんまにやること勝手に変えてたんでね。音楽がビシーッと入らんと絶対気分のらん男やから。うまくいかんときは、しゃべらんとシャーってそのまま袖に入っててん(笑)。お客さんはチョン打つの待っとるんやけど、主役が舞台におらへん消えてもうたってことになるわけ(笑)。昔はそんなん通ったけどな」
そういう勝総裁がおられることが、劇団の重しなんですね。
「いやあ~、安い軽石ですよ。もういまはね、正直言うて歳が歳やしちょっと踊れて、舞台出入りができてたら……こけるのがいちばん怖いからね。こけたら不細工やし。チャンバラしてこけるちゅうのはあるかもわからへんけど、普段の立ち座りでこけたりするのは気をつけたいなあ思って気にしてます」
第4回につづく!
(2022年6月12日 三吉演芸場)
取材・文 佐野由佳