第1回 爆音!おかあちゃんの背中

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一見劇団はいま、3年ぶり3度目の関西公演の真っ最中だ。8月から10月までの3カ月間を、高槻千鳥劇場、八尾グランドホテル、浪速クラブと公演する。2017年の関西公演のときに、一見好太郎座長が「21歳で自分が座長になってからは初めての関西」と話したのを聞いて意外な気がしたのは、一見劇団は座長以下、座員の多くが関西弁を話すからだ。もう20年近く関東を拠点にして、関西に住んだことなどないはずなのに。それは、彼たちの母であり祖母であり、劇団の太夫元である紅葉子が姫路の出身だからなのだった。

逆にいえば、それくらい、「ハチマキかあちゃん」こと紅葉子の子や孫たちへの影響力は強く、劇団のなかで完結した世界がつくられてきたのだろうと思った。

去年(2021年)10月7日に、そんなおかあちゃんが亡くなった。病気療養のために入院して、わずか1カ月ほどのことだったという。享年82。おそらく大衆演劇界最高齢の太夫元だった紅葉子は、頭に巻いた白いタオルとともに、名実ともに劇団の名物おかあちゃんであり続け、強烈な存在感で劇団を牽引し続けた。今年の夏の関西公演は、姫路出身のおかあちゃんへのはなむけでもあり、追善興行でもあるはずだ。

「悲しいし、これからどうする? どうしようって。ずーっとウソであってほしいと思ってた」。一見好太郎座長は、母である紅葉子が亡くなったときのことをそう話した。「でも自分らが不安になっちゃうと、みんなは言いたいこと言うから。一見は終わるんじゃないかって。言わなくても心のなかで思ってるかもしれない。まとめる人がいなくなったら潰れるんじゃないか。それはしたくない。おかあちゃんが残した劇団やから」

みんなでひとつになって、おかあちゃんの三回忌までは誰ひとり欠けることなくやっていこうと、劇団のなかで話したのだという。

「いままでは全員で集まってやってなかった稽古を、毎日やるようにして。いつもやってるものだけでなく新作をやろうとか、いままでバラバラだった舞踊もちゃんと合わせよう、足並み揃えよう、おかあちゃんが残してくれた着物に合わせて舞踊ショーをつくろうって」

舞踊ショーのトップとラストの曲は、亡くなる直前まで紅葉子が決めていたという。

紅葉子太夫元が亡くなって、追悼の似顔絵入り背景幕の前で。

一見劇団の舞台を初めて観たときのことを思い出すと、「パチパチパニック」という言葉が浮かぶ。口のなかに入れるとパチパチ弾けて熱くなる、あのキャンディーだ。得体の知れないものを口にしてしまった、という衝撃にクラクラした。そこには、あきらかに体に悪そうなものだけが放つキラメキがあって、駄菓子をなめんなよと胸ぐらをつかまれて、つかまれたまま、ずるずる沼に引き摺り込まれたような感じがした。それが一見劇団との、一見好太郎との、大衆演劇との出会いだった。2015年の春のことだ。

2015年6月、一見劇団を見始めたころ。
ヘビのかつらにクラクラ。

ピンクや紫や黄緑色の毒々しい光を放つ、おもちゃみたいな照明器具が舞台の後ろでクルクル回っていた。場内アナウンスが何を言っているのかわからなかった。舞踊の最中に、スウィングするようにかかる掛け声が、独特すぎて聞き取れない。のちにそれが、「ハチマキかあちゃん」こと紅葉子のオリジナルすぎるアナウンスであることを知るのだが、そんなファンキーな場内アナウンスは、あとにも先にも一見劇団でしか聞いたことがない。

最初に観た芝居のことは覚えていない。すごくよかったのかどうかも思い出せない。けれども、演じる一見好太郎をもう一度観てみたいと思ったことはよく覚えている。ひとつわかっているのは、最初に観た舞台が、一見好太郎のいる一見劇団でなかったら、こんなに大衆演劇にのめり込むことはなかっただろうということだ。

それからほどなくして、一見好太郎が演じる「石松 閻魔堂の最期」を観たことで、それは決定的になった。物語の後半。都鳥一家にだまし討ちにあい、手負いの石松が、かくまってもらった兄貴分の小松村七五郎の家から出て行く場面。浜松の医者までついて行こうという七五郎に、「いいや!ひとりで行く」と石松が言い放つ。そのひとことで、舞台の空気がガラッと変わった。もはや七五郎に向かって言っているのではない、ここから好太郎石松は、自分の内面のなかをひとりで歩き始める。自分が死んでしまうかもしれないことなど眼中になく、親分との約束のことだけを思っている。預かった金を取り返して、清水港へ帰るのだ、道中抜いてはいけないと親分に止められているツバどめを決して抜いたりしないように。閻魔堂に身を潜めている間に聞こえてきた、親分の悪口にブチ切れて飛び出してしまっても、決して刀を抜かない石松。身体中の血が抜けてしまうのではないかというほど斬られて血まみれになりながらも、ツバどめがほどけていないことを手さぐりで確かめて、心底ほっとして微笑む石松。おそろしい形相の好太郎石松から伝わってくるのは、その血まみれの迫力ではなく、どこまでも一途な生身の石松の、魂のあたたかさなのだ。だからこそ、「親分に会いてえなあ」と死んでいく、その切なさに泣けてくる。

石松だけではない、一見好太郎の演じる物語の主人公たちはみな、ヒリヒリした魂を抱えてたしかにそこに生きている。吉良仁吉も五郎兵衛も団七も。たとえそれが、いまとなってはどこか荒唐無稽な物語であったとしても、そうであればなおのこと、いつの時代も変わらない人生の不条理や、自分では飼い慣らせない心の闇や、人間のメチャクチャさを演じて一見好太郎は説得力がある。

浅草木馬館で上演した「夏祭浪花鑑」。一見好太郎演じる団七九郎兵衛と、美園隆太演じる義父の義平次の泥場の照明は、懐中電灯を仕込んだ手作りの「がんどう」。「その小さな灯りが、歌舞伎ではありえない美しさだった」(カルダモン談)

その後、大衆演劇のいろんな劇団を観るようになって思うのは、一見好太郎のいる一見劇団にひきつけられる大きな理由は、実はそのバランスの悪さなのではないか、ということだ。ショーアップされた一糸乱れぬ総舞踊もなければ、気の利いた口上もない。もうひとつ言えば、劇団としてのまとまりもない。しかしそのなかからしか、一見好太郎の石松も、五郎兵衛も、仁吉も生まれ得なかったというパラドクスを、何度も突きつけられる。わかりやすいものなどひとつもない、カオスのなかから生まれたものだからこそ信じられるリアルがある。

大衆演劇の劇団の多くが家族を核にして構成されていて、その親子や兄弟の仲むつまじさをながめることも、観客の喜びのひとつである。一見劇団はまさに、ほぼ紅葉子の子、孫、ひ孫だけで成り立っているにもかかわらず、家族の連帯が感じられない。たとえば、現在は二枚看板で座長をつとめる古都乃竜也と一見好太郎は、兄弟だ。兄が好太郎、弟が竜也。しかし、お兄ちゃんと弟といった空気感がまるでない。かといって険悪なわけでもない。永年仕事を一緒にやっている男兄弟とはそういうものだといってしまえばそれまでだが、だとすれば、あまりにも日常がむきだしである。舞台のうえだけでも、和気あいあいな空気をつくってもよさそうなものなのにと思うけれど、そういう演出はない。だからこそ、かくも日常の空気がそのまま舞台に滲んでしまうのが大衆演劇なんだと思い知らされる。

しかも、一見劇団の舞台はスキだらけだ。芝居の最中に、あきらかに気の入っていない役者がいる。舞台の端っこで素に戻って立っている。あるいは不機嫌そうな顔をしている。台詞がないからといって、あからさますぎないか。最初に観たとき、いままで観た演劇の舞台では観たことがない景色だったからびっくりした。うまいとか、ヘタとか以前に、それはないだろうと思って腹が立った。なんでだろうと思うけれど、たぶんそれは、劇団内の横のつながりが不足していることと関係があるのだろう。それぞれの持ち場はこなすが、相手のことに口は出さない、というような。無関心を装うことで成り立つ平和を重んじているような空気がある。

撮影:水野昭子(上2点ともに)

そんな一見(いっけん)バラバラな劇団をまとめていたのは誰なのか、といえば、紅葉子太夫元である。横のつながりは希薄でも、母であり祖母である紅葉子とは、それぞれが密につながっていることで、劇団はひとつにまとまっているように見えた。そして紅葉子は、そのアナウンス同様に、存在そのものがファンキーで熱かった。

一見劇団が開く「空くじなしの抽選会」というイベントがある。あるとき会場のスタッフの手違いで、この抽選会が混乱を極めたことがあった。このときも、マイクをにぎり陣頭指揮を取ったのは紅葉子である。座員や会場のスタッフだけでなく、ふたりの座長たちにも怒鳴るように指示を出す様子に、なぜか観客であるこちらも怒られているような気分になり、舞台の余韻が吹き飛んだことがあった。長時間会場に留め置かれ、うんざりもしたのだが、この紅葉子のむきだしの強い力が、劇団を引っ張っているのだなと思い知らされた印象深い出来事だった。

単に性格が激しいというだけのことではない。今年1月の柏健康センターみのりの湯が閉館になったときに、古都乃竜也座長が披露した、かつての支配人におかあちゃんがくってかかり、千秋楽の朝、舞台はやらないと言って荷物をトラックに積み込んだエピソードからは、体を張って劇団を守ってきた太夫元としてのプライドが痛いほど感じられる(トピックス2022.02.01参照https://ooiri888.com/2022/02/01/kashiwaminorinoyu-topics/)。

三歩下がって師の影は踏まず。ハチマキかあちゃんこと紅葉子太夫元の後ろから、控えめにピース。

そんな母だから、今日まで劇団を続けてくることができたのだと一見好太郎は言う。

「どんな圧力がかかろうと、はねのけてきた人だから。女の太夫元ってそういないから、ナメてかかられることもあるよね。オレらも若いとき、すごいナメられてたよ。乗り込んだセンターで、こんな若造に何ができるんやって、はなっからそんな態度で来られて。ケンカしかけたこと何度もある。それをオカンが止めてた。『いまやめとけ。千秋楽間近になって同じ態度だったら、やれ』って。結果を出せば、相手の態度が変わる。そうすると『ほら、ざまみろ』って。それが太夫元だよ。そこんとこを押さえつけて、いざっていうとき自分が出てく。全部を背負いこまなきゃいけないから。交渉ごとも、苦情を受けるのも、全部おかあちゃん」

姫路の精肉店の娘だったという紅葉子は、夫である初代人見多佳雄亡きあと、女手ひとつで8人の子を率いて劇団を育ててきた。関東に攻めのぼり、篠原演芸場、浅草木馬館の常連劇団になってからも、東京大衆演劇劇場協会には所属せずフリーの劇団として活動を続けた。それは「お父さんの遺言だから」であり、紅葉子は終生それを貫いた。

無手勝流で劇団をつくってきた紅葉子の背中を見て、その必死さを、誰より受け継いだのが一見好太郎なのだと思う。その背中は、お前が役者としてその役の人生を舞台で生きることでしか、一族郎党が命をつなぐ手段はないと、無言で教えたはずだ。もう後戻りできない人生を、断末魔のその瞬間までヒリヒリと生きて死んでゆく石松は、五郎兵衛は、仁吉は、だから一見好太郎自身なのだ。

自分から芝居を抜いたら何が残るかという質問に、一見好太郎は「なんの価値もない」と言って屈託なく笑った。あながちそれはウソではなく、本当にそう思っているのではないか。舞台の上で役を生きるときだけが、本当の人生を生きていると思わせる何かが一見好太郎の舞台にはある。そして、そうやって生きてきた自負もプライドも、そのひとことから感じることができる。

いままでやったなかで、好きな役は何かという問いに、「オレ、どんな役でも好きよ。もらえたらなんでもやる。子分歴も長かったから、いまでも子分やっても誰にも負けないって思う。子役は無理だけど(笑)」という。

そして、この雑草魂の根っこにあるものが、決して湿っぽく卑屈でないのは、圧倒的な男社会の大衆演劇界にあって、一見劇団は、紅葉子率いるファンキーな暴走族のような雰囲気がある(ほめてます)からかもしれない。子や孫の男どもを従えて、爆音を鳴らしながらハーレーをかっ飛ばしていそうなハチマキかあちゃんの姿を想像してみることは、どこか痛快なのだ。

現在も一見劇団は、総勢20人以上の大所帯の、役者も裏方もほぼ紅葉子の子、孫、ひ孫で構成されている。しかも、身内の全員が血縁である。つまり劇団のなかには「嫁」という存在がいない。意図したわけではないだろうが、紅葉子を中心とした母系社会が形成されている。

そのおかあちゃんの死は、一見劇団を、一見好太郎を、これからどう変えていくのだろうか。

おかあちゃんが亡くなってしばらくして、舞台を観に行った相棒のカルダモン康子が、「一見劇団の舞台が、前よりよくなってる気がする」とつぶやいた。そのことが、今回のインタビューをするきっかけになったのだが、それはたぶん、子や孫やひ孫である劇団のそれぞれが、舞台の上でもう一度、必死に生きたおかあちゃんと出会い直しているからなのではないかと思った。

爆音を鳴らして突っ走るおかあちゃんの背中を失って、それぞれがそれぞれのエンジンをふかして挑む、関西の夏だ。

次回へ続く!

(2022年2月9日・18日立川けやき座)

取材・文 佐野由佳

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