TeamJunyaその3 僕なりの「瞼の母」

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大衆演劇の劇場で、恋川純弥が主演の芝居を観る機会は、いまそんなに多くない。他の劇団にゲスト出演することはあっても、主演の芝居は座長公演でなければなかなか観られないからだ。そういう点でも、6月の1カ月間、TeamJunya公演は貴重な機会だった。

芝居への心があればこそ、舞踊ひとつにも物語が立ち現れる。
「無法松の一生」では、意気と侠気に溢れた偉丈夫な純弥・松五郎が打ち鳴らす、祇園太鼓が響いてくるようだ。(以下、写真はすべて舞踊から)

月半ば、6月13日・14日に篠原演劇企画による「原点回帰プロジェクト特別狂言 道程」を挟んで、後半の演目は、以下のとおり。「三浦屋孫次郎」「純弥版!人生劇場」「遠山の金さん」「悲恋やの字傘」「瞼の母」「恋慕かんざし」「泥棒哀歌」「坂本龍馬 最後の一日」「純弥石松版!森の石松閻魔堂の最期」「名月浪人節」「任侠男傘」「女小僧と橘屋」

TeamJunya公演が、後半に行くにつれてどんどん充実していったことは、身近な人間の変化に見て取れた。今回の1カ月公演が始まるまで、恋川純弥主演の芝居を観る機会がほとんどなかった相棒のカルダモンが、仕事の合間を縫いながらあらゆる予定をリスケして、篠原演芸場夜の部に通い始めたのだ。なかでも心打たれたというのが「瞼の母」。

ご存知、長谷川伸原作の、母子ものの金字塔である。

五つのときに生き別れた母を探し続ける渡世人、番場の忠太郎が、江戸の料亭水熊のおかみとなっていた、母であるおはまと再開する場面が物語のクライマックスである。忠太郎を恋川純弥、おはまを長谷川桜が演じた。

この演目については、恋川純弥自身も永年演じてきたからこその思い入れがあるという。

「『瞼の母』は、最初はみんなやってる有名なお芝居だからっていうくらいの軽い気持ちで、恋川劇団時代に始めました。でもだんだん、忠太郎の演じ方について考えるようになりました。いろんな方が『瞼の母』をやっていて、それぞれの捉え方があって、それぞれの演じ方があるんですけど、僕は僕なりの『瞼の母』を見つけてきたという思いがある。だから機会があれば、またやりたいなとはずっと思ってました」

「ただ、一番最初の半次郎の家からやると、おっかさんが3人いるんですよ。半次郎のおっかさん、夜鷹のおっかさん、水熊のおっかさん。今回、TeamJunyaの女優さんのなかで、おっかさんができるのは長谷川桜ちゃんだけで、どうしようと思って。夜鷹のおっかさんを、三峰徹座長が頑張りますと言ってくれたので、だったらやろうと思いました。恋川劇団ではあの役、ずっと親父(初代恋川純)がやってたんですよ。純(二代目恋川純)がいま、親父にそっくりですよ。去年、世界館のTeamJunya公演のときにやって、そのあと、池田呉服座で恋川劇団にゲストに行ったときに、弟が夜鷹のおっかさんを、母親(鈴川真子)が水熊のおっかさんをやって、そのくらいから、ようやくわかってきた気がします」

「新国劇の島田正吾先生が忠太郎を、大山克巳先生が半次郎をやってる白黒の映像があるんです。それを観たときに、あ、『瞼の母』ってこうやってやるんだって思ったんです。ほかで演じている忠太郎は、水熊のおっかさんに会うとすぐに泣いちゃうんですけど、新国劇の『瞼の母』は、泣かないんですよ。会えた嬉しさが先に立ってる。だから、『そばに寄るんじゃないよ、図々しい奴だね』って言われるとこなんかも、そう言われたって嬉しいし、追い払われているのに、おっかさんだから無邪気に寄っていってるんですよ。だから怒られるわけじゃないですか。泣いてたら、あの台詞も成り立たない。泣いて泣いて最後も泣いてると、母親と忠太郎との感情の切り替わりが見えなくて、なんの面白みもなく終わっちゃう」

「おっかさんのほうも、最初は、ゆすりとかたかりかもしれないと疑って突っぱねるんだけど、途中で忠太郎だってわかる。けど、いま一緒にいる娘の行く末を思って、それでも突っぱねるわけじゃないですか。そういう感情の変化が見えないと。忠太郎のほうも、会えて嬉しい嬉しいと思っていたら、自分は死んだと思われていたことを聞かされる。そうではなかったんですよと説明するのに、それでもおはまは、水熊の身代に目をつけてそんなことを言うのだろうとひどいことを言う。そこで初めて泣かないと、泣く意味がない。あの場面の忠太郎って子どもなんですよ。おっかさんに会ったときに、五つの忠太郎に戻らなきゃいけない。それがたぶん、正しい『瞼の母』なんですよ。違う違う、そうじゃない俺は忠太郎だって、説明してるのにひどいこと言われて、ひでえひでえって初めて泣き崩れる。ひでえって泣き崩れる忠太郎を見て、自分が番場のおきなが屋を出るときに、すがって泣いてた忠太郎を思い出して、おはまは(あ!)ってならなきゃいけないんですよ」

舞台でのこの場面、泣き出す純弥忠太郎の迫力もすごかったが、インタビューの最中も話をするうちにどんどんテンションがあがっていく。身を乗り出し言葉に力が入り、思いの強さが伝わってきた。

おはま役の長谷川桜にも、その場面の解釈については伝えたという。

「そこだけは言いました。この芝居に限らず、自分はわかっていても、なかなか舞台でできないことってあるんです。相手もあることですし。ここでこの間で台詞を言いたいけど、むこうが待ちきれなくて言ってきたりすることもあるので。だから桜ちゃんには、ほかの芝居では事前に打ち合わせたりはしないですけど、『瞼の母』に関してだけは、ここはこうやってやるから、ちょっと待ってと話をしました。そこまでは突っぱねてるんですけど、あそこで忠太郎とおっかさんの気持ちがひっくり返らないといけない。僕が大事にしてるとこはそこですね。島田先生はまたやり方が違うんですけど、気持ちのやりとりがすごくよくわかるので、桜ちゃんにもその映像は見てもらって、これが僕の理想とする忠太郎で、この気持ちの入れ替わりを表したい、ということは伝えました」

長谷川桜は『瞼の母』に限らず、恋川純弥の相手役として、ここぞという肝になる役を演じる役者として、TeamJunyaになくてはならない存在である。物語の情景が一段と深くなる。

「なんでもできますからね。三枚目もなんでも。僕が恋川劇団で座長だったときに、桜ちゃんがまだ長谷川劇団の副座長で、ゲストに来てくれたのが最初ですね。その前からずーっと僕のファンで、観に来てたんですよ。で、一回共演したいっていって、初めて共演したのが十条で、そのとき『吉良仁吉』をやりました。その後、TeamJunyaを結成してからも、最初期から参加してくれてるメンバーのひとりです。」

長谷川桜との相舞踊。にわか雨のいたずらか、つかの間の道行きが男と女の恋の始まりを予感させて。場内うっとり。

永くやってきた芝居は、物語の構成や演出の仕方もその時々で変えてきた。もうひとつの母子もの、「泥棒哀歌」もそうした芝居のひとつだ。出て行った息子を探して目の見えなくなった居酒屋を営む老婆と、母のいない、人生を踏み外した男の物語。老婆の本当の息子はまさかの……という物語。

「いろんな変遷があるんですけど、僕が恋川劇団時代にやっていたのは、今回の設定とはまた違っていて、役人と居酒屋の娘と、僕がやってた新三を三兄弟にしてしまって、最後に役人が、新三が自分の弟だとわかるという設定に変えました。情景も、今回は居酒屋になってましたけど、新開地劇場でやったときは家の裏の設定で、裏口があって舞台の真ん中に大きな切り株を置いて、下手側に大きな柿の木をつくってもらって、子どものころの回想シーンを同時にみせる仕掛けにしました。子どものころの話が聞こえてきて、当時まだ小さかった純(二代目恋川純)を、新三の子ども時代の設定でシルエットで登場させて、子どもの新三とおっかさんの台詞を僕が言って、子どもと会話をする。柿を取ってくるっていう新三におっかさんが気をつけろよって言って、小さな新三の影がシャーッて消えていくように、照明で演出して。そこで、居酒屋の女将がおっかさんだってわかる。新三が役人の弟であること、柿の木がもとでつくった傷のことも思い出すように演出を変えたんです。子役がいるとそういうこともできるんですけど。親子だってわかる傷が、目立つとこにあると最初にバレるので、違う場所がいいって別のとこにつけたりもして」

元になっているのは、おそらく商業演劇などでも上演されてきた「立春なみだ橋」という芝居。原作は山本周五郎の短編小説である。今回あらためて原作を読んでみると、息子を探して目の見えなくなった老婆と、母をなくしてグレてしまった息子という設定は同じだが、物語のディテールは「泥棒哀歌」とは全く違う。違うのだが、母の情と子が母を思う気持ちを描く核の部分は変わらない。人の心を失ってしまったかのように見える人間を、善なるものにつなぎとめる最後の砦に、遠い昔に別れた母がいるのだ。

丹下左膳の舞踊から。刀は右手のない丹下左膳を演じるために誂えたもの。左手だけで扱いやすい細かい工夫がある。柄(つか)は星形にするなど、舞台で使う刀ならではの華やかさも盛り込んでいる。

小説が戯曲になり、あるいは浪曲や講談が戯曲になり、映画になり、さまざまな舞台で上演される演劇になり、脚色を変えて違う物語がつくられるといったケースはたくさんある。

大衆演劇はそうした物語の集積地だ。そして、同じ物語でもたくさんの劇団が違う味付けで上演したり、同じ劇団でも、時代によって、座員の人数や上演時間といった諸般の事情もからみつつ、そして何より、もっと面白いものをという座長の心意気により、構成を変え演出を変え、また別の物語となって今日まで連綿と上演されてきた。もはやひとつの芝居の、出発がどこだったのかはたどる術もないほど枝分かれしているが、伝言ゲームのように口立てでつながってきたその物語のなかに、おそらく一番最初に込められただろう、大切なものがちゃんと生きている。いや、大切なものを失わなかった物語だけが、生き残ってきたというべきか。そこが変幻自在な大衆演劇の芝居の、魅力のひとつでもあるだろう。

それは、役者の器量によっても当然、味わいが変わってくる。どんなに人生を踏み外した渡世人の役をやっても、人としてちゃんとして見えるのが恋川純弥である。己を律して精進を重ねてきた、人としての誠実さが、舞台の立ち姿に現れる。だから「瞼の母」の忠太郎にしても、「泥棒哀歌」の新三にしても、わけあって渡世人になっているその過程が物語のなかに描かれていなくても、よほどのことがあったんだろうと思わせてくれる、と言ったのは相棒のカルダモンだ。なるほどと思う。そしてだからこそ、逆に極悪人を演じたときには、そのコワさが倍増する。「人生劇場」の吉良常である。

三咲暁人演じる飛車角を、とことん面倒みてやるふりをしながら、仲間同士の殺し合いまでさせて、最後の最後にすべては俺が仕組んだことだったんだよと飛車角を撃ち殺す。初めて見た芝居ではないからわかっていたはずの展開でも、純弥吉良常のあまりにも包容力のあるアニキぶりからの裏切りに、ええっ!吉良常ヒドイ! と新鮮に驚いてしまった自分にダブルで驚いた。しかも最後の殺し合いの場面、BGMで流れたのが、手嶌葵が歌う「さよならの夏」。こんなメランコリックな曲で観た立ち回りは初めてだったし、その情景がよけいに、直後の吉良常の残虐さを浮かび上がらせた。

「舞台の前に、せり上がりの階段をつけてやったこともあります。その上で、おとよと宮川が抱き合ってるところを飛車角が鉄砲で撃って、一緒になぐりこんで、あの曲で、雪降るなか立ち回りをやって、斬って斬られて、最後、吉良常に裏切られて、っていう。そのまま終わらずにカーテンコールに持っていって、最後、みんなでカッコつけて終わるっていうのは今回もやりましたけど。もともとの芝居のままだと、泥臭い感じがしたんですよね。絵面としても話としても、もっとカッコよく終わりたいと思って、曲もですけど、構成を変えてつくり変えてます」

「純弥版!人生劇場」を名乗るゆえんである。

舞台全体を、もっとこうしたらカッコよくなる面白くなると考えて、それが思い通りに観客に響く喜びは、座長の仕事のやりがいのひとつだろう。自分が思う舞台をつくることができるようになったのは、いつ頃からか聞いてみると、

「座長になって1年くらい経ってからですかね。21で座長になったので、22くらいから。芝居を自分で考えたり、演出考えたりし始めました」という。

舞台を構成・演出することや役者としての演技に、2年前(2021年)に亡くなった、父親である初代恋川純から受けた影響もあるのだろうか。

「うちの親父は典型的な昔の役者なので、教えてもらった記憶はないですよね。お前、最近、芝居下手だぞとか、今日の芝居最悪だな、とかしか言わないんですよ。何が悪いとか、どこを直せとはいわない。自分で考えろと。台詞の言い方を教わったこともないですし、影響を受けていることはないんですけど、ただ、亡くなってから、芝居に出ている存在感として、この芝居するときに、この役、親父がやってくれたらな、っていうのはありますね。親父のこの役よかったなとか。それこそ、『瞼の母』の夜鷹もそうですし。『月形半平太』の刀鍛冶の一文字国重っていう役も、やるとなったら、あの役、誰にやってもらおうって思います。親父がやらなくなってからは、新国劇のOBの方がやってくれてたんですね。その方も亡くなってしまったのでね。役のイメージが自分のなかにありますから。何気なく見てて、何気なくやってくれてた役が、ああ、こんなに存在感があったんだなっていうのは、いまとなっては気づきますよね。ちょっとしたことなんだけど。芝居やってるなかで、あー、そうじゃないんだよなって思うと、冷めちゃうんでね。結構あります。ゲストとかで行ってるときは、そんな深くは考えないので、相手のやり方に合わせますけど。僕に限らず、相手もそう思うでしょうから。まあ、お互いさまなんですけどね。初顔合わせの相手とでもそれをなくすためには、時間をかけて稽古して、意見を言い合うしかないんですけど。大衆演劇には、それは絶対できないことだから」

「ブッダのように私は死んだ」でお梶を踊る。

この1カ月公演の間にも、もっとこうすればよかった、こうしたかったということはもちろんある。だからといって、役者ひとりひとりに演出をつける時間は、ほぼないのが大衆演劇という。

「それぞれが自分で役をつくりあげてきて、そのまま本番というのが通常ですから。ただ、TeamJunyの場合、ある程度、技量のある人たちの集まりですから、不安はないですけどね」

要望を出すことはほぼないというのは意外な答えだったが、しかし、それは時間がないからという理由ばかりではないらしい。

「こういうイメージっていうのが自分のなかにあるんですけど、むしろそれを伝えないことで、演じている人たちの、自分にはない感性の新しい演技を見られるじゃないですか」というのだ。

「高橋茂紀さんなんかはいい例で、そうくるんだ!っていうのが多いんですよ。アドリブで笑わせることも多いんですけど、アドリブをやる人に多いのは、元のストーリーに関係なくアドリブ入れちゃって、最後の最後だけポンと渡してくることが多いんですけど、高橋さんは、台本にあるすべての台詞のきっかけを、アドリブを挟みながらちゃんと全部渡してくるんですよ。だからストーリーとしてはちゃんとこっちが台詞も言えて、神業!と思いました(笑)。で、ぱっと見たら、舞台裏の人のいないところでずーっと台詞考えてる。だから、表ではあんなふうなんですけど、すごい考えてるんですよ。『魔界転生』の刀鍛冶の役も、そうやるんだっていう。出だしからものすごいキャラなんですけど、まとまらないのかなって思いきや、ちゃんと台本の台詞はハマるんですよ。あれ、すごかった」

自分の思う方向にすべてを持っていってしまえば、役者としてはやりやすいかもしれない。しかしそれでは、よくも悪くも自分の幅以上のものは生まれない。役者、演出家、プロデューサー、そのすべての役を担っているのが大衆演劇における座長という立場であるとしたら、その円グラフのバランスがすこぶるよいのが恋川純弥であるのかもしれない。

坂本冬美が歌う「ブッダのように私は死んだ」に合わせて、所々で「藤十郎の恋」のお梶の台詞がかぶってくる。いつの時代も変わらない、女の情念全部載せとでも呼びたい独特の曲の構成は、劇団美山の里美たかし総座長によるアレンジ。共演した際に、相舞踊で踊った曲だという。冒頭、浪曲「おさん茂兵衛」から始まる流れは、恋川純弥オリジナル。藤十郎がお梶に恋を仕掛けたのは、「おさん茂兵衛」の役作りのためという、戯曲「藤十郎の恋」をふまえた芝居仕立ての舞踊になっている。

第4回へ続く!

(2023年7月7日)

取材・文 佐野由佳

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