第5回 稽古はほどほどに

2013

関東に来てからの21年間で、舞台を休んだのは3カ月間のみ。そのうちの2カ月は、2020年の最初の緊急事態宣言のとき。紅葉子太夫元は強気だったという。

「休んだ3カ月のうち、1カ月は、東日本大震災の翌月。郡山の東洋健康センターえびす座の公演があったんですけど、会場が被災して1カ月休みました。あとは、このコロナ禍で最初の緊急事態宣言が出た2020年の4月と5月。それ以降は、こんな大変な時期にも公演場所を確保していただいて、休まないで公演させてもらったのは感謝ですね。休演を余儀なくされたときに、篠原淑浩会長も、正浩社長もすごく心配してくださったけど、劇団の収入がなくなっちゃうからね。おかあさんは、『うちの劇団は住むとこあるから大丈夫だよ、お金の心配せんでいいから』って。半年くらい休んでもっていう気持ちはあったと思う。仕事がなかったら、ほかの劇団を優先させてくださいと。うちが先に、とは絶対言わなかった。強気だったのか、自分に自信があったのか」

劇団の懐事情は、全く知らず、母のみぞ知るところだった。その母が昨年(2021年)の10月7日に亡くなって、古都乃竜也座長は劇団の運営を引き継ぐことになった。舞台をやっていくこととは、また違う重責を感じている。

「舞台は形ができてるから、そのなかで変えていこうとか、工夫しようとかはいいんだけど、舞台以外のことは未経験だから。おかあさんは楽屋にいつもいる人で、常に目を光らせて、ああだこうだっていう人だった。興行主さんとの交渉も、おかあさんがしていて、でもこれは側で見せてもらっていました。打ち合わせのときは、『おい、比呂志(本名)、十条の事務所行くぞ』って。篠原演劇企画に行くときは、立ち合わせてくれた。そういう仕事の背中は見てたから、興行主さんとのおつきあいはできると思うんですけど、問題は劇団の経営ですよ。僕は全然、劇団の懐事情は知らなかった。おかあさんは、絶対言わなかったから。劇場はおひとり入っていくらじゃないですか。その月の入場料を、劇場と劇団で分ける。センターは売り興行って言って、月いくらで契約するんですけど、これがいくらなのか、全然、教えてくれなかった。それぞれの給料の明細も、僕は知らなかったしね。劇場は自炊で、食費とかもおかあさんが払ってたから、どれだけ収入があって支出があって、どれだけ残るか、どれだけマイナスになるか。たぶん、劇団員全員、おかあさん以外は知らなかったと思う。聞いてみたことはあるけど、言わなかった。いやまあ、大丈夫や。うちに任せといたら大丈夫やって」

総舞踊の着物なども、太夫元である母が、折々にあつらえてくれたという。

「そこですよ。その甲斐性が僕にありますかね。コロナ禍だし、おかあさんが亡くなって、先輩たちみんなから言われるのは『無駄遣いしちゃダメだよ』ってことです。実際に、外に飲みにも行けなかったし、出かけないでいたら、お金っていうのはその分残るもんだね。この前、音響の機材を一式替えたんだけど、そっか、飲みに行かなかったら、音響設備がよくなるんだって(笑)。いや、ほんと、そう思った」

「着物もカツラも、自分の舞台のものを考えてつくるのは、好きですね。仕事のなかで一番楽しいかな。着物はお客様がプレゼントしてくれるものもありますけど、自分でイメージしてつくります。偏ってますけどね、地味だから。着物をつくってもらっているのは、亡くなった女房のおばさんが京都の長岡京市にいて、そのおばの紹介で二十歳くらいからずっと同じ人に担当してもらってます。長いつきあいなので、自分に似合うものを選んでくれるのではずれはないかな。芝居の衣装も、劇団が持ってるものもあるんですけど、僕は全部自分の役のものは自分でつくります。だから貸すものはあっても、借りるものはない。こういう柄が着たいとか、欲が、こだわりが強いのかな。僕、汗っかきやから、汗かいたのを人が着るのもかわいそうやから」

今回、一見劇団の両座長以外にも話を聞くなかで、若いときに、舞台のことは古都乃座長に教えてもらったという劇団員が多かった。若手リーダーの美苑隆太は、「10代で自信をなくしていたときに、『遊侠三代』の政吉の役をふってくれたのが自信になった」と話した。花形の紅金之助も、母である瞳マチ子よりも、古都乃座長にアドバイスをもらうことが多かったという。

「うち、みんな甥っ子、姪っ子だからね。3人おる花形もみんな。だから、お芝居の相手にしても、この子ばっかりってことはしないで、みんな均等にみてます。アドバイスは大事だと思うので、自分が立てるお芝居のときは、気づいたことは言います。人のお芝居で口を出すのは違うと思うので、言わないですけど。舞踊に関しては、言わないかな」

女系家族の男子たち。座員の多くは甥っ子である。

稽古はほどほどに、というのも座長古都乃竜也の考え方だ。

「大変な稽古が続くと、体力的にも精神的にもきついだろうし。疲れないように。昔は、朝4時5時まで稽古して本番迎えたりしてたけど、それはもう、いまはさせたくない。もちろん、この日だけはっていう特別公演があったら、そこは時間を費やすかもしれないけど、できるだけ、稽古の時間は短くしてあげてくれって言ってます。いっぺんにやるんじゃなくて、2回、3回に分けるとか、1回を短く。劇場公演のときに、舞台1回、1回組んで稽古してたら3時、4時になるからね。昔、けっこうそれで倒れちゃったりする子がいましたからね」

インタビューの間、舞台では明日の芝居の稽古が進む。

芝居に関しては、久しぶりの演目や新たな試みにも挑戦して、瞳マチ子、長月喜京といった姉たちの出番も増えている。

「うちのおかあさんは、舞台は男の人だけでいいんだよっていう人でしたからね。でも、役割分担ってあるからね。この人がこの役ができるってことになったら、できる芝居も増える。マチ子さんには昔取った杵柄で、半ば強制的に出てもらってます(笑)。公演するにはお給料が発生してるわけだから、やっぱり出てもらわないことには。僕はそう思ってるんで。おかげで、久しぶりの演目が復活できたりしてます」

一方、紅葉子が采配をふるっていたときは、もっと変えたいと思っていた舞踊だが、一周忌が終わるまでは、「おかあさんがやっていたやり方」を、あえて残してあげたいと考えている。

「みんなにも僕からお願いしました。一周忌までは、おかあさんの流れでやってほしいって。劇団は、よく変わっても悪く変わっても、いずれは変わっていくと思うんだけど、この一年はね。オープニングからフィナーレまで、おかあさんの決めたやり方を残したい。好太郎座長との相舞踊ももちろん入れて」

「毎日、好太郎座長と相舞踊を踊るってどんな気持ちかって、よく聞かれますけどね。業務的なの? とか。業務っていうか、仕事だから。12歳からだからね。舞台に出るようになって1年くらい経ってからかな。オレが男で、好太郎さんが女。最初は初々しいカップルだったけど、二十歳過ぎて夫婦になって、30過ぎてからは熟年夫婦みたいになったよね。これもおかあさんが決めた舞踊だから、やってあげなきゃって。好太郎さんとは、もう特に打ち合わせはしないですよ。たまに男同士にしましょう、男と女入れ替えましょう、とかはしますけどね」

ニコイチの兄・一見好太郎座長(右)と。

16年つとめた花形時代から、座長になって5年。兄・一見好太郎に対しては、ライバル心を抱くようなこともなかったという。

「歳も近いし、好太郎さんは若いころから座長だったし、ライバル心っていうのはなかったかな。

これが双子とかだったら、クソーとか思ったかもしれないけど。やり方も違うし、スタンスも違う。二番手っていうのが、自分には合ってるのかなって。座長になりたいとかもなかったし。気楽じゃない、二番手のほうが。好太郎さんは、僕が言うとおかしいけど、よく頑張ってると思う。芝居に対して、舞踊に対して、自分の気持ちがしっかりしてる。信念がある。それは感じますね。ただね、お互いにお互いのことに興味がないから。それがいいんじゃないかな。距離感というか。劇団をやっていくパートナーとして、ニコイチになってる感じかな。おかあさんが、そういうふうに仕向けたのかもね」

おかあさんがつくった劇団を、兄弟、家族で継いでいく。3度目の関西公演は、その第一歩だ。「一周忌は関西で、三回忌は関東でと思ってます」と古都乃竜也は言った。そして長いインタビューの最後、ありがとうございましたと頭を下げると、「え? もういいの? もっとしゃべりたいのに」と、とぼけた顔で笑ってみせた。

(2022年2月19日立川けやき座・3月12日川越湯遊ランド)

取材・文 佐野由佳

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