勝龍治、83歳をデニムで祝う
剣戟はる駒座の勝龍治総帥は、この12月18日で83歳になる。今でも毎日、舞台に立つ。ちょい役ではない。先日の『浜の兄弟』では父親を演じていた。弟を殴ろうとした兄の下に身を投げ出し、「お前も息子なら、こいつもワシの息子じゃ」と、弟をかばう姿に涙がこぼれた。息子二人の間で追い込まれた父親の悲しさが胸を突いた。舞台だけではない。送り出しにも真っ先に姿を見せる。80代ということを、つい忘れてしまう。



剣戟はる駒座の千秋楽で、勝龍治のバースデーイベントが行われた。
「83歳で現役で舞台に立ち続けている役者はほかにはいらっしゃらないだろう」と鵣汀座長が言うと、「しかも、下駄を履いて階段を上り降りできるなんてあり得ない!」と晃大代表。勝龍治の娘が晃大洋であり、その夫が故・津川竜。息子が鵣汀、祀武憙の両座長ということになる。

「うちはピンマイクを使っておりません。ガンマイクのみです。この年齢でガンマイクだけで小屋の後ろまで声が届くのはおそらく勝龍治だけではないかと。飛龍先輩もおっしゃってましたけど、僕らが80代になったとき総帥のように舞台ではっきりと台詞をしゃべることができているかどうか…‥」という鵣汀の言葉にかぶせて「長生きも芸のうちッ!!」と晃大さん。ガンガンしゃべり倒す娘と孫のうしろでにこにこと微笑んでいる勝総帥の幸せそうなこと。



血圧がどうとか、寒くてイヤとか、もしかしたら総帥にだってままならないことはあるのかもしれない。でも、舞台に立つ総帥はそういったことを微塵も感じさせない。飄々と、風の吹くまま気の向くままといった風情でいながら、ここぞという時には誰よりも強い、心に刺さる芝居を見せる。演目がどうであれ、役がなんであれ、総帥が手がけることで見応えのあるシーンになる。踊りでも、特段、見せつけるようなことはしない。羽織を脱いでスッと肩にかける、手をかかげて片脚を引いて決まる、といったひとつひとつの形にピシッと筋が通っている。ごくごく自然に踊りながら、キッパリと形を決めることで男を見せる。若い子がしゃかりきになっても敵わない、じつにかっこいい踊りだ。







バースデーソングをお客さんも全員一緒に歌ったあと、鵣汀が舞台にひとり残って、今年の最後と来年の最初を任せていただける(剣戟はる駒座は2025年12月と2026年1月と2ヶ月にわたって三吉演芸場にのる)ことになったのは大変に光栄なこと、と語り始めた。我々役者は小屋があってこそであり、劇場側も役者がいてこそという関係性が理想的。いちばん役者のことを思い、役者のことを商品としてではなく人間として考えて、より良い環境で舞台ができるようにと三吉演芸場のママさんは考えてくださっている。劇場のオーナーとして、毎日、自分のところの劇場でどういう演目がかかっているのか、どういう芝居やショーを役者がしているのか、しっかりと観て確認して感じておられるのは三吉演芸場のママさんが、たぶんいちばんやと思います。

ほかの役者さんもおっしゃってますけど、昼も夜も欠かさず、ちゃんといらっしゃる。後ろで観ていただいてます。これは本当に重要なことです。やっといて、っていうような劇場さんが非常に多いです。任せっきりという言い方が適切かもしれませんが。いちばんはお客様です、観ていただくのは。ただ、自分の劇場でどういった演目がかかっているのか、どういった役者がいま自分の劇場にのっているのかということを劇場のオーナーがしっかりと観ることは大事なことやと僕は思っております。良くも悪くもです。劇場として、オーナーとして、助言が必要な時もあると思いますし、そう考えると、三吉演芸場のママさんというのはエンタメをお客様に提供するのにふさわしいオーナーさんやと思っています。なぜこの2ヶ月、ワタクシを選んだのかわかりませんが、個人的にたぶん、好みやったんでしょう。ファハッハッハ。来年1月にのるんですけど、ハイ、別の月にも帰って来いって言われました。ファハッハッハ。


強気な発言とは裏腹に照れ隠しをせずにはいられない。「アキコと付き合ってるんで」、「アキコが俺に惚れてるんで」、と鵣汀は毎日のように茶化して笑わせていた。アキコとは、三吉演芸場の本田明子さんのこと。受付かお土産コーナーに本田さんは必ずいる。休憩時間も送り出しの時も、その物静かな姿が見えないことはない。舞踊ショーの途中で帰らなければならなかったときも、客席のいちばん後ろで立っている本田さんが目に入り、驚いたことがある。役者も見ているが、その役者を見にきている客のことも見ている。劇場主として当然と言えば当然のことだが、そんな劇場主は確かに珍しい。ただスペースを貸すだけではない、劇場には劇場の役割がある。新宿歌舞伎町の劇場も筑波のセンターもなくなってしまういまだからこそ、役者だけでなく、客も含め、大衆演劇を愛するすべての人にそのことを知っておいてほしいという、鵣汀の悲痛な叫びのようにも聞こえた。
(三吉演芸場 2025年12月15日)
取材・文 カルダモン康子
