里美たかし総座長の『人生双六』~里美版というマジック~

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劇団美山、里美たかし総座長はスタイリッシュだ。大好物はプロテイン、ちょっとめくれた袖からのぞく腕もたくましい。顔立ちもシャープでセクシー。その総座長が、自分の名を掲げた「総座長の日」に満を持してのぞんだのが『人生双六』だった。朝ドラ『おちょやん』でも登場した、松竹新喜劇を代表する演目。劇団美山と藤山寛美はつながりが深いとはいえ、あのスカルが似合いすぎる総座長が浮浪者を演じる姿はなかなか想像ができなかった。聞けば、総座長はこの外題のために、かつらを二面もあつらえたという。総座長はバリバリ本気なのだ。私にとっても5月19日は勝負の日と、どこかで勝手に思っていた。

総座長演じる浮浪者の宇田と、里美こうた座長演じる浜本は5年後の再会を約束し、そのことを目標に頑張ろうと誓い合った。しかし、病気になったり会社がつぶれたりで5年たっても宇田は一文無しのまま。会わせる顔がないと自殺しようとした宇田にお金を渡して助けてくれたのは、浜本の義母(中村美嘉)だった。「世の中は薄情だと思わず、試練だと思って頑張ってくださいね」と義母は励ます。その時、藤山寛美の舞台では『勧進帳』の長唄が流れる。「人の情けの盃を受けて心をとどむとかや」。弁慶だとわかっているのに気付かぬふりをして関所を通してくれた冨樫が、弁慶との別れを惜しんで酒をふるまう場面で使われる一節だ。知らないふりをしてお金を貸してくれた義母に重ねてのことだろう。それが里美版では、幕開けからビートルズの『Let It Be 』が流れる。普通のバージョン、アコースティック、ピアノなど、パターンを変えながら何度も使われていた。「For though they may be parted, there is still a chance that they will see (離れ離れになっても、またきっと会えるだろう)」という歌詞があるからかもしれない。そのセンスのよさにしびれた。

総座長はさえない宇田になりきりながらも、ハムストリングスを強調したり、小さい灯油缶をこうた座長の家なのか?とからかったり、ちょいちょい総座長らしさを撒き散らしながら、まさに里美版の宇田を作り上げていた。何より、総座長の目が潤みっぱなしだったことに私は泣かされた。


総座長が熱い男であろうことは、もちろんわかっていたつもりだが、一方でクールな印象も強い。藤山寛美の中でも『大阪ぎらい物語』や『はなの六兵衛』のような「かわいい系」ではなく、こんなに泥臭い役をこんなにも心を震わせながら必死で演じている総座長に、いや総座長だけではない。こうた座長も、美嘉さんも役に入りきって涙がこぼれてしまっていた。スタイリッシュでゴージャスな劇団美山の底力に触れたような思いがして、泣けて泣けてどうしようもなくなってしまった。

私は両親とも関西人だが、東京で育ってしまったので藤山寛美を知らない。娘である藤山直美の松竹新喜劇しか見たことがない。 藤山寛美の舞台を生で見たことはないが、でも、あのままの舞台を篠原演芸場で見せられても、ここまで感動できなかったような気がする。芝居が生きているというのは、こういうことなのかと体感した一夜だった。期間限定とあるが、今ならYouTubeで寛美 の『人生双六』を見ることができる。里美版がいかに里美版だったか、見比べてみるのもおもしろいかもしれない。

(2021年5月19日篠原演芸場、劇団美山を観劇して)

取材・文 カルダモン康子

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