桐龍座恋川劇団の『花ざくろ』を観た。二代目恋川純は植木職人の三次郎を演じていた。松竹新喜劇、藤山寛美 の当たり役である。腕の良さを見込んだ大将(恋川千弥)は三次郎を離れに住まわせ、女房の世話まで、何くれとなく面倒をみてやっている。その女房、加代子(鈴川桃子)が男をつくって出ていってしまった。今度で四度目。しかも、支払いの大金も持ち逃げしたという。途方に暮れて三次郎は我が家に帰ってくる。
その足取りがじつに頼りない。自分の家のほうへと向かってはいるが、前のめりにパタンと倒れこんでしまいそうなほど、目の焦点もおぼつかない。座長が登場したというのに、客席はシーンとしたまま。誰もが、三次郎の苦悩を自分のことのように受け止めて、拍手など忘れてしまっていた。大将への申し訳なさ、加代子へのやるせなさ、この先仕事はどうなるのか、金はどうすればいいのか……。まだ、台詞はひと言も喋っていない。わずか数歩、歩いただけで、それだけのことを伝えることができる二代目恋川純に、私はただただ感動していた。
女房、加代子はシュークリームを片手にしれっと戻ってくる。三次郎は足をふいてやったり、ハムエッグを作ってやる。すんなり加代子を迎え入れた三次郎だったが、加代子が部屋に飛んできたミツバチを殺したとたん、怒りを爆発させる。植木職人がどんなに手入れをしても、ミツバチが受粉をしてくれなければ、花を咲かせることはできない。お前は誰の女房なんだ、植木職人の女房ではないか、出ていけ、と手を上げる。誰がどう考えても浮気のほうが罪が重いはずだが、この男にとっては植木がすべて。その剣幕のすさまじさに、三次郎の植木職人としてのプライド、自負が浮かび上がる。ふぬけでもなんでもない。夫の植木にかける一途な想いに加代子は目をさまし、よりを戻してくれとすがる。
世の中を要領よく渡っていく術を、三次郎は何ひとつ知らない。ただ、植木ひとすじに生きてきた男のまっすぐな強さ、だからこそ得ることができた幸せが、なんともいえず愛おしかった。二代目もまた、舞台ひとすじに生きている男なのだろう。そして、三次郎と同じように、人生の「ままならなさ」を全身で受けとめて日々を生きている。大熱演だから、一生懸命だからというだけではない。二代目の舞台にかける一途さが、私たちの気持ちまでもを明るく照らす。二代目の真摯な姿を見ているうちに、ちょっと上を向いてみようという気持ちにさせられてしまうのである。悩んでいた背中を押してもらったり、勇気をもらったり……。こんなにしんどい時だからこそ、二代目の舞台が沁みた二ヶ月間だった。千秋楽が終わってさみしいなどと言っている場合ではない。自分にできることはやる。目の前のことに全身全霊で向かっていく。私にいまできることは全部やる。でなければ、二代目に合わせる顔がない。胸を張って、また二代目の舞台を見に行くことができるよう、ちゃんと生きていかなければと私は本気で思っている。
(2021年4月篠原演芸場、桐龍座恋川劇団を観劇して)
取材・文 カルダモン康子