里美たかし総座長の『籠釣瓶裏桜通り十文字』~大衆演劇だからこそできる歌舞伎のおもしろさ~

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「ずっと一緒にいられるね」と八ツ橋の首にささやく次郎左衛門。こんな『籠釣瓶(かごつるべ)』は初めて見た。劇団美山、里美たかし総座長の『籠釣瓶裏桜通り十文字』(1月15日浅草木馬館)は、歌舞伎の『籠釣瓶』をもとにした新作。歌舞伎では、次郎左衛門が八ツ橋を斬って幕になるが、たかし総座長の次郎左衛門は八ツ橋を斬ってからがすさまじかった。

八ツ橋の小さな口元から血があふれて次郎左衛門の白い襟元を赤く染めていく。こうた座長演じる八ツ橋は、だらだらと血を流したりはしない。ふつ、ふつ、と二度三度、咳きこむように血を吐く。次郎左衛門にすがりついて思いのたけを訴えているように見えた。「夜ごとに変わる枕の数、浮川竹の勤めの身」となじられたからこそ、そうではない、実のあるところを最後にわかってほしかった。こうた座長の八ツ橋は、次郎左衛門をちゃんと愛している八ツ橋だった。身請けの支度も整い、あとはオープンにするばかりという段階での愛想尽かしなど、あり得ない。愛人にそそのかされて仕方なく、やむを得ずという「申し訳なさ」をどう表現するかが八ツ橋の見どころのひとつだが、こうた座長が顔をゆがめてはっきりと演じていたのは、この最後の告白の伏線だったのかもしれない。

次のシーン、次郎左衛門は首にした八ツ橋を抱いて幕外で呆然としている。首を愛おしげにまさぐって唇にくちづけをする。おざなりにではなく、執拗にくちびるを探す。いかにも次郎左衛門の執念をあらわしていておもしろい。そもそも、新潟から出てきた人のいい御大臣ということにはなっているが、吉原の花魁のトップをいとめるには、お金だけではない、相当の手練手管もあったはず。歌舞伎ではついぞ見たことのない次郎左衛門の本当の顔があらわになる。

首を抱いたまま、舞台から降りてふらふらとした足取りで客席をまわる。これで終わりかと思いきや、再び幕が上がると、八ツ橋の生首の横でお茶漬けを食べている。鶴屋南北の『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』の名シーンそのもの。生首はもちろん、こうた座長が頭を出して演じている。

八ツ橋の口から血が流れる。その血を手にとって口に含もうとして、いやちょっとやりすぎかなという感じで、ごはんに混ぜて……。TSUTAYAのホラー映画は全部見倒したというだけのことはある。血は流れ続け、次郎左衛門がすっかり自分の世界に入り込んだところで、ジャズが流れてくる。メロディーを聞けば誰でも聞き覚えがある『匕首(あいくち)マッキー』。籠釣瓶こと、妖刀村雨をジャックナイフになぞらえるという趣向が洒落ている。

緊急事態宣言が全国に広まろうかというなかにもかかわらず、大入が出ないのが不思議なくらい客席は埋まっていた。噂が噂を呼んだのだろう。『籠釣瓶』の終わりに『三五大切』をもってくるなど、歌舞伎ファンには思いもよらないこと。これこそが大衆演劇の醍醐味だと思った。終演後、口上で、「歌舞伎だと、次郎左衛門がふられて終わっちゃうだけでつまんないんですよぉ~、ちっともおもしろくないんだから」と、たかし総座長が言い訳をするように訴えるので、声を出して笑ってしまった。こんなに歌舞伎の名作を自由に作り変える人を見たことがない。あっぱれ、と思った。歌舞伎だろうがなんだろうが、おもしろくしたほうがいいに決まっている。

そもそも、次郎左衛門をカッコよく見せようというところからして拍手を送りたい。歌舞伎だと、顔じゅうにブツブツを描くのでどんなに男前の役者でも、あの吉右衛門ですら素敵には見えなくて常々残念に思っていたが、たかし総座長は、左目にカラコンを入れて刺青っぽい模様を描くだけ。これまでにないイケてる次郎左衛門に仕上げていた。しゃべり方やしぐさで田舎っぽさを出せれば、それで十分。主役はカッコいいにこしたことはない。

籠釣瓶という妖刀のしわざ、というあたりも最初から舞台中央に籠釣瓶の刀をどうだと言わんばかりにかかげておくことで、なんだか異様な刀だということが一目瞭然。赤い布をさいてシャンデリアのように吊るしている妖しげな背景もこの作品にとても似合っていて、こんな廓の描き方があるのかと見入ってしまった。この作品の描かんとしている世界感が客席に染みわたる。総座長が物語のテーマを木馬館の支配人である豊さんに説明。「信頼と実績の木馬館の豊さん」に全面的にお任せ、つまり丸投げで作ったというのだからたいしたもの。任せるほうも任せるほうだが、仕上げるほうも仕上げるほう。大衆演劇の底力というか、老舗の劇団と老舗の劇場がタグを組んだからこその奇跡ともいえる。

「最初にこれをやったとき、お客さんがしーんと帰っていかれた」と笑いながら総座長は語っていたが、実際、この芝居を受け入れられないという人がいても仕方がないというレベルのものを作り上げて、なおかつ実際、引いてしまっているお客さんの姿を見ても、それでも改良を加えて上演をし続ける総座長の「あきらめの悪さ」も見上げた根性、じつにいい。ちょっとやそっとお客さんがどうこうしたからといって、自分の好きな世界を手放したりはしない、役者にはそれくらいの信念をもっていてほしい。努力をしてきたという自負がなければできないことだからだ。

思いを遂げることができてよかったね、と私は思った。次郎左衛門は八ツ橋を手に入れることができた。血みどろなのに、めちゃくちゃハッピーエンド。本当の意味での新作を堪能することができて、命がけで木馬館に来てよかったと思える一夜だった。

            (2021年1月15日浅草木馬館、劇団美山を観劇して)

                        取材・文 カルダモン康子

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