さよなら、柏健康センターみのりの湯 一見劇団のぶっ飛びエピソードで幕

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大衆演劇の公演を続けて20年近く。関東のセンターのひとつとして親しまれた、千葉県柏市の「柏健康センターみのりの湯」が1月31日に閉館となった。公演としては30日が千秋楽、そして緞帳おろしとなった。

 そもそも「緞帳おろし」って何をするんだろう? これまで何度も通った「みのりの湯」の名残を惜しみつつ、緞帳おろしを観てみたいと、相棒のカルダモン康子と千秋楽の柏に向かった。

 最後の公演をつとめたのは一見劇団。古都乃竜也座長が口上挨拶で、篠原演劇企画の篠原正浩社長から預かったという年表をもとに、柏健康センターの歴史を振り返る。

「僕たちも緞帳おろしの公演するのは初めてです。本来でしたら最後の日は、お世話になった劇団から各1名座長さんが集まって、お客さまの前で緞帳をはずしてお別れをするわけですが、コロナ禍でございます。人が集まれない、友情会ができないのが残念だと篠原社長もおっしゃっていました。柏健康センターが始まって、大衆演劇の公演をするようになったのが2002(平成14)年、こけら落としをされたのがやまびこ座という劇団でございます。そこから始まりまして、劇団新、桑田劇団、不二浪劇団、劇団松ほか、翌年2003年正月公演が劇団新、2月新演美座、3月は現・劇団美鳳の前身の見城劇団、4月一見劇団が初めての公演でございます。5月が章劇、……(中略)それからずっと関東の劇団がほぼお世話になっています。ほかにも、長谷川武弥劇団、劇団九州男、南條隆とスーパー兄弟、見海堂劇団、劇団菊太郎、鹿島順一劇団など九州の劇団や、満劇団など、全部読みあげたらすごいことになるので割愛いたしますが、これだけの面々が来られているということは、ここは名門だと思います」

柏健康センターの思い出を語る古都乃竜也座長。

 開業当時は、ドラッググトアのマツモトキヨシの経営で、建物の2階にある小さな演芸場のようなホールが劇場だったという。

「僕が最初ここに来たときに、22歳ころだったと思いますけど。とても小さな舞台で、ここでお芝居できるのかな、舞踊ショーできるかな、お客さん来てくれるのかなと心配になった覚えがあります。でもすごく柏のお客さんが応援してくださって、お隣の松戸や取手、いろんなところから来てくださるようになりました。その後、経営が変わられて、みのりの湯としてリニューアルしまして、新たな劇場を2階につくられて2006年にこけら落とし。そこは岩盤浴場の上で音が響くというので、急遽、いまの場所に舞台をつくられて。いろんな思い出がございます」

 そんな開業当時からの劇場の様子を振り返りつつ、一見劇団としてのとっておきの思い出話を披露。昨年10月に亡くなった、紅葉子太夫元の骨太でモーレツな「おかあちゃん」らしいエピソードに場内がわいた。

舞台脇にしつらえた、紅葉子太夫元をしのぶ祭壇。子や孫である劇団員に、愛と喝を注ぎ続けた。

「ある年に、公演が始まってすぐ、台風があって水漏れして、楽屋が水浸しになったことがあったんです。うちのおかあさん(紅葉子)が、着物は劇団の宝だからバスタオルを貸して欲しいとお願いしたら、スタッフの方に断られたと。で、さらに千秋楽の日に荷物が終わって、その日は宿舎で休まないで客席を借りて布団を敷いて寝かせてもらっていたら、当時の支配人さんが、翌朝8時くらいに、掃除しますから、って起こされて。おかあさんが、もうちょっと寝かしてほしい、あと1時間、って言ったら、ダメです、掃除ですから起きてください、と。おかあさん、怒りまして。お客さんだってたくさん入って、その最後の日に、役者をあと1時間だけ寝かしてやってくれって言ってるのに待ってくれないなら、もうええ、千秋楽の幕開けへん、絶対やらん! って言い出して。荷物かたづけぇ〜〜! って。僕らトラックに荷物を載せた思い出があります。4トン車に照明機材、音響機材、全部つめこみまして。開演1時間前に。スタッフの方があわてまして。お客さまもいっぱいだったんですけど、おかあさんは、ガンとして、やりません! 出演料はいっさいいりません! お客さんには申し訳ないので、劇団のビデオを全員にプレゼントしますから、それで帰ってもらってください! と。それでもう、おかあさんがトラックの扉をしめて車に乗ろうとしたときに、昨年亡くなられた、東京大衆演劇協会の篠原淑浩会長が十条からこちらに飛んできまして。おかあちゃん、やってくれよと。おかあちゃんが言ってることは、わかる、わかるから、おかあちゃんと俺のつきあいで、俺の顔で一回だけやってくれないかな、って言って。そしたらおかあさんが、まあ、そやなあ、あんたが言うなら仕方ない、一回やるかって言って。おい、荷物出せえ! またトラックから、さっき積んだ荷物を降ろしまして、照明、音響、取り付けて、急遽、開演時間を30分遅らせて千秋楽をやりました。そんなことがありまして、それから5年間、柏健康センターにはお世話にならなかったんです、実は。でも、当時の山崎室長さんが、すごく大事にしてくださいまして、あずま健康センター、神栖、つくば、水戸、川越、南平台、公演先に毎月来てくださいまして。おかあちゃん、これ、食べてねって、お土産持って顔を見に来てくれて。それで、5年たって室長が、一見劇団どうかな? って言ってくれて、おかあさんも、わかりました、お世話になります、と。当時、僕らも若かったし勢いもあって、世の中の景気もよかったから、柏健康センターで月間の大入りの新記録を出しまして、山崎室長から感謝状をいただきました。それはうちのおかあさんの宝物でした。家の寝てる部屋に、ずっと飾ってありました。先日、山崎室長が来てくれまして、おかあさんの祭壇に手をあわせてくれて、いろんな話をしました。そんな思い出のいっぱいある、柏健康センターがなくなることはとてもさびしいと。僕たちも同じ思いです。でも、一番さびしいのはお客さまだと思います。お客さま、スタッフのみなさんに気持ちをこめまして、精一杯つとめさせていただきました」

昼の部、「恋の花道」終演後、役のこしらえのまま口上挨拶する一見好太郎座長。

 この日、第一部の芝居は「恋の花道」、第二部舞踊ショー。当初は昼の部で終わる予定だったけれど、入りきれなかったお客さんのために、昼の部のあとに、休憩を挟んで1時間、舞踊ショーだけの公演を行った。合わせてフォースの大入りと大盛況で、一見好太郎座長が思わず「いままでどこに行ってたの?」と冗談まじりの苦笑い。

追加で公演することになった、ラスト舞踊ショーのご案内。

「千秋楽はいつも、次の劇団さんの宣伝をして終わるのに、それを言えないさびしさもありますが、これからも大衆演劇、応援のほどよろしくお願い申し上げます」と挨拶。いつもとちょっと違う味付けの舞踊はどれも、20年間の思い出のぶんだけ熱と力も増量されて、ホットな空気に包まれながらの終幕となった。

「いっぱい暴れちゃいました」と、舞台狭しと駆け回った紅ア太郎花形。
一見大弥花形(右)の舞踊中、顔真似で乱入する兄・紅翔太郎と、羽二重で舞台を通り過ぎる紅優太郎兄弟。
「花道ひとり旅」を踊る若手リーダー美苑隆太。歌詞に合わせて、心を込めて舞台に一礼。
ラスト舞踊ショーのラスト、からの・・・
記念撮影、からの・・・
「お尻向けてすみません!」と劇団一同、客席と一緒に記念撮影。

 帰りがけ「緞帳おろしって、何か儀式みたいなことをやるのかと思ったら、そういうわけではないんだね」と、カルダモンがつぶやいた。みのりの湯は、ヤシの木越しの昼の月を眺められる露天風呂が最高だったのになあと、風呂好きのカルダモンは名残惜しそう。「そういえば、前回の冬のオリンピックのときも、ここの露天風呂のテレビでスノボを観たよ」と遠い目をした。

 風呂場でも、客席でも、「また会いましょうね」と挨拶を交わす常連さんたちの姿がそこここに。友だちとたわいもないおしゃべりして、ご飯を食べて、お風呂に入って、芝居観て……そんな極楽みたいな場所が生き残りづらい世の中になってしまったけれど、こんな世の中だからこそ、そんな極楽が必要なんだよねえと言いながら、とっぷり日も暮れた冬の夜道を帰ったのだった。

思い出をいっぱい、ありがとう。

(2022年1月30日 柏健康センターみのりの湯最後の日に)

文・佐野由佳 

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