第1回 浪速クラブの豊田太平くん

2765

17LIVE(イチナナライブ)のご活躍で、舞台を観に来るお客さんも変わりましたか?

そうですね。ゲストで出演する舞台を観に来てくれるお客さんの、半分くらいは知らない方です。「いつもありがとう」ってハンドルネーム言ってくれたり。「飛龍さん、ほんまにこの世に存在してたんですねー」って言われるようになりました(笑)。

初対面なんだけど、お客さんどうしの横のつながりもできてたりして。

ファンの方も面白いですよね。

昔からですね。類はなんとかを呼ぶっていうかね。突っ込んでナンボなんでしょうね。みんなオレのこと、座長やと思ってないからね。

そんなことはないです。17LIVEのファンサイト「シュシュ組」のなかでは、素敵な座長のスクショ(スクリーンショット)のコラージュが飛び交ってます。

なんかね、コラージュはええねんやけど、オレという存在より、いかにうまくコラージュするかにいってしまってるからね。オレの存在が薄れていると、近ごろ、気づき出しました(笑)。

遡って、子どものころのお話を聞かせてください。

小さいころから舞台に出ていたのですか?

全くそうではないんです。家族は全員舞台に出てましたけど、僕だけは出ずに一緒に回ってたんですね。小学校に入るまで。親(父・近江二郎、母・笑川ゆりのち近江竜子)は無理矢理出そうとするんですよね。お芝居とかでも、子役のうちから練習して。当時は、大阪に劇場も、浪速クラブとか3、4件しかなかって。僕あんま覚えてないんですけど、浪速クラブで公演中に、芝居の開演前に飛び出して、隣の天王寺動物園に飛び込んで、夕方まで帰ってこなかったことがあったらしいです。「浪速クラブの豊田太平くん」って園内放送で呼ばれて。それは覚えてるんです。出たくなくて。嫌やったですね。


4、5歳のころ(冒頭写真)と変わらないつぶらな瞳で、
小林旭の「赤いトラクター」にのせてハンドル握ってます!

その事件があったときに、うちの親が、この子あかんなと思ったらしい。たぶん4、5歳のころです。

でもね、芝居はあれやけど、一曲歌うたえっていわれて出たらしいんですよ。七五三のスーツみたいの着て、歌ってる写真がありますわ。そんときにね、お客さまからもらったご祝儀に「なんや、これだけか」って言ったらしいですよ。ごっつうおこられて。そこは鮮明に覚えてます、しばかれて。それ以来出してくれなくなったっていうのもあったみたいで。

当時の浪速クラブって、お客さんの9割が男の人。よくお客さんどうしとか、役者とお客さんとか、殴り合いの喧嘩してました。昔の新世界界隈は近づくと街全体が公衆便所の匂いがするようなドヤ街で、近寄ったらあかんといわれてる街やったんですよね。そんな頃のことです。

いま考えてみると、何が嫌やったんでしょうね。とにかく嫌やったんです。和歌山に一応、家があって、そっちに行ったときに、やった!って思ったんですよ。友だちもできて、遊びまわってました。

和歌山に行かれたのはいつですか?

小学校にあがるころです。この歳になって、親も死んで長いこと経ってるから隠しもしませんけど。親父が、劇団内に女つくっちゃったんですよ。それでうちの母親がキレて、和歌山へ帰っちゃった。

忘れもしない、別府に楽天地っていう遊園地があって、そこで興行してたとき。突然、飛行機乗せられて、和歌山に帰った覚えがあります。いま考えたら、両親ともすごい険悪な空気やったと思うんですけど、僕は生まれて初めて飛行機に乗れるのが嬉しくて嬉しくて(笑)。そのまま和歌山です。

それで、うちの母親も引退して。劇団は父親が太夫元で、母親が女座長やったんで、母親についてた人が、やっぱり父親にはついていけないっていうんで、ばばっと劇団を辞めて。それで、近江劇団は一度なくなってるんです。父親は、鹿島劇団(近江竜子の父・初代鹿島順一の劇団)に身を寄せたんです。鹿島劇団の近江二郎さん、という形で。どれくらいやってたかな? 3年くらい。

近江二郎さんは、当時、大きなお名前ですよね。ご自分が看板にならなかったのはなぜですか?

近江二郎では客が入らなかったんです。マニアックすぎて。同業者にはファンは多かったらしんですけど。玄人受けはするけど、素人受けはしなかった。最後の立ち回りのシーンで、舞台で花火あげてみたり。それで劇場燃やしちゃったりしたらしいです。

舞台で真剣を抜いたっていうのは本当ですか?

ほんとです。聞いた話ですけど、当時の人がみんな口揃えて言いましたから。うちの最後の弟子で、滝昇二郎っていうのがいたんですけど。まだ生きてるかな? 必ず一番最後に斬られる役なんです。最後に斬られるっていうのは、信用あるからですよね。その人が、パッと見たときに、「センセ、今日はほんまもんやから、新聞紙巻いとけ!」って。斬られないように、みんな着物の下に濡れた新聞紙を巻いてたらしい。しょっちゅうだったらしいです。気ぃ向いたら、ほんまのやつ持って出てたらしいですわ。

そういう悪いとこだけ伝説に残ってるんです(笑)。

小さいころは一緒にまわってたんですけど、父親の舞台の記憶はほとんどないです。

(2020年8月29日 堺市自宅特設スタジオにて)

取材・文 佐野由佳

プロフィール&アンケート

近江飛龍(おうみひりゅう)

1973年4月12日生まれ

血液型:B型

主な活動エリアは?

関西中心。

得意な演目は?

喜劇。

好きな舞踊曲は?

ど演歌。

仲のよい役者さんは?

不動倭くん。

もらって嬉しい差し入れは?

甘いもの。特に、あんこ系の和菓子が好き。

いま欲しいものは何ですか?

余裕。

関連記事