もしかしたら、総座長はいまごろ「さぶちゃん」と呼ばれていたかもしれない、いや呼ばれずに今日まで来られてよかったという、幻の三代目江味三郎伝説。名だたる姓名判断師をも唸らせた、「里美たかし」という芸名のゲンのよさを、今日の里美たかしが実証しているとも言えるだろう。
12歳で旗揚げ。いいも悪いも、子どものころから、同じ顔ぶれで一緒に成長してきた劇団員と、一歩ずつ力をつけて、九州から関西へ。その背後には、まさかの「神」が、大きな影響を与えていたとは!
「美山版」誕生のいきさつも語られます。
山根 大(以下、山根) 「演劇グラフ」に、劇団美山座長として里美たかしが載るようになってきたころから、きれな子いてるねえ、江味さんとこの息子さんやてって、うわさが聞こえるようになった。里美たかしを大阪でって、うちの親父に話を持ってきたのも、たぶん野間口さん(註・福正企画社長)やと思うわ。あの当時は、オレもだいぶそこに関わってたから、はっきり明確に記憶があるのは鈴成座からやね。
里美たかし(以下、里美) そうです。関西は、最初、鈴成座、天満座、ねごろ座(註・和歌山県岩出市にあった劇場)と行きました。
山根 この劇団は、この先絶対、ボリュームが出てくると思ったし、明るくて、パワフルなバイブっていうのがあったんよ。その段階ではまだ、里美たかし一枚のバイブやったと思う。でもそこに力があるから、これは行くなって。お客さんが流れてる気配が、直接舞台を見にいかんでもわかった。
大衆演劇ナビ(以下、ナビ) そのころはもう、劇団の人数が増えてたんですか?
里美 正直、うち、メンツが変わらないんですよ。それが僕の得なところというか。ここ何年間か、いろんなことがありましたけど(笑)、でも、顔ぶれは変わらない。みんな僕の代になって集まってきてくれたメンバーばっかりなんですね。だから、やりやすい。うちの父親のつきあいでゲストに来てくれてたとか、母親のつきあいとか、変な言い方ですけど、僕たちが気を遣って、先生とか、兄さんと呼ばなくてはいけない方が、うちにはいなかった。ということは、ここに来た当初は、みんな子どもだったんです。僕も子どもでしたけど。
山根 お母さん(中村㐂代子太夫元)のところに集まってきた、っていうイメージなのかな?
里美 みんなそれぞれいろんな経緯や思いはあったでしょうけど、おかんのところに集まったのかっていうと、そうではないと思います。やっぱ舞台を観て、やりたいと。しかも、役者の子っていうのがいない。入ってきたときは、全員素人ですよ、一般人です。唯一、今年で2年目になる、花形の花太郎だけが役者の血筋の子ですから。
ナビ 子どものころに、どういう経緯で入って来られるんですか?
里美 入るきっかけは、みんな単純です。自分もやりたいとか、うちの劇団に入りたいとか。中村美嘉は、お姉ちゃんが先にうちにいて、いまはもう劇団をやめたんですけど、それで自分もやりたくて入ってきたんです。14歳のときです。いま座長の里美こうたは6歳で入ってきて、いま裏方をやってる中村花っていうのが姉ですけど、一緒にくっついてきたようなもんで。僕の男の一番弟子が、こうたです。副座長になった里美京馬も、今年で30歳になりましたけど、うちに来たとき14歳ですから。いまの主要なメンツはみんな、子どものときに来たんですよ。いいも悪いも、一緒にいろんなこと経験しながら。京馬はいとこですけど、ほかはみんな、血のつながりはない他人ですし。
山根 だから劇団美山っていうのは、他人が家族になっていくという物語が常にあるんやね。それがこの劇団のすごいところですよ。すごい物語。
里美 そうですね。
山根 お父さん(美山昇二郎こと二代目江味三郎)はいくつで亡くなったの?
里美 昭和12年生まれの人なんで、69歳かな。僕が21歳のときです。
山根 そしたら、まだ大阪に来てないよな?
里美 来る前ですね。
山根 影響を受けた役者とか、憧れた役者は、お父さん以外にもいるの?
里美 もちろん、いますよ。
山根 誰よ。
里美 きっかけは、ゴッドです。
山根 ゴッド! 姫京之助や!
里美 子どものころ、博多で観てたのがゴッド、それから里見要次郎会長。
山根 二大巨頭がおったがな。
里美 いろいろな方々がおられますけども、もう、なんというても僕らの世代は、おふたりがグワーっとやってるときですから。
山根 ゴッドは必ずバーパス(註・かつて小倉にあったセンター)にのってたからね。ゴッドに言ったら、びっくりするよ。えーーっ!? て言うやろね。
里美 そうですね。
山根 舞台をやっていくうえで、いわゆる「里美版」といわれる、あの独特の世界観は、里美たかしのなかからでてきたものなのか、それとも誰かの影響下につくりあげたものなのか? そこはどう?
里美 話すとネタバレになってしまって、恥ずかしいところなんですけど。歌舞伎とか、大衆演劇以外の演劇のものって、僕、好きなんですよ。でも、じゃあ、歌舞伎をそのままやっても、絶対ウケないと思ってるんです。劇団四季のライオンキング、あれも結構好きなんですけど、じゃオレが、劇団美山でライオンキングやります、っていっても、誰が観に来るんですか? っていう話です。人数も違う、劇場も違う、いろんなものが違う。それを、いかに自分のなかで噛み砕いていけるか。歌舞伎とか大舞台なんかは、必要ない役なんてないですけど、通行人とかにぎやかしの人もたくさんいて、絵面としてもものすごく美しいわけじゃないですか。そういうものをむりくりやろうと思っても、それは無理ですから。いうてもうちは大人数のほうじゃないし、少数精鋭と一応オレはいうてるんですけど(笑)。そのなかでこの芝居をどう伝えていけばいいのかを考えて、噛み砕いて、役振りをしていけばいいんじゃないかと。「籠釣瓶(かごつるべ)」なんかはそうやって崩しましたけど。
ナビ 「籠釣瓶裏桜通り十文字」、あれはびっくりしました。最後が、「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」になってるんですね。
里美 そうです。
ナビ 次郎左衛門のあばた顔が、きれいに表現されているのもすごくよかった。歌舞伎の「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」の場合、たとえ吉右衛門が演じていても、あばたの化粧がきもちわるくて話に入っていけないんですよ。
【トピックス 2021.01.17掲載記事参照】
https://ooiri888.com/2021/01/17/satomitakashi-topics/
山根 いわゆる昔からある旅芝居の演目も「里美版」は独自の解釈をするよな。
ナビ 「喧嘩屋の恋」も、その解釈が見えてとても腑に落ちました。
里美 「喧嘩屋五郎兵衛」も大衆演劇のなかで、いうたら名作なわけじゃないですか。「籠釣瓶」も一緒で、観られてる方は、物語はわかってる。その物語の最後に行き着きさえすれば、うちはうちのやり方で、どうストーリーが変わろうともいいんじゃないか、というのが僕の考えなんですね。ただ、何でそうしたんですか? と聞かれたときに、僕のなかではこういう解釈で、こういうふうにしたんです、っていう説明ができんかったらカッコ悪い。だから歌舞伎とかでも、ちゃんと知っとかないかんというのは、親父から教わりました。
ナビ お父さん、素晴らしい。
里美 わかりやすさも大事だと思うんです。劇団☆新感線とかも、大好きですよ。でも、たとえばあの舞台をオレらがやったら、たぶんお客さんは何のことやらわからなくて終わるだけなんですよ。大衆演劇だからこそ、わかりやすいことをやらないと意味がないって僕、思うんですよね。大衆演劇のお芝居って、どんな時代でも、股旅ものが喜ばれるってそこだと思うんです。だからといって、そればっかりやってたら意味がない。じゃあ新しいことをやるにはどうしたらいいか、知識をいろいろと入れて、あ、これとこれをこうしたら面白いんじゃないか、化学反応が起きるんじゃないか。そうやって、わかりやすく砕いたのが「里美版」です。
それと、誤解しないで聞いてもらいたいんですけど、いわゆる「大衆演劇のお芝居」って、父親から受け継いだものもあるし、先輩、先生がたから教えていただいた芝居ももちろんあるんですけど、矛盾が多いんです。僕自身がやってて、え? なんでこうなるの? っていう話がよくあります。
山根 そればっかりやと言ってもいい。
里美 自分がやってて、何でなんやろ? となったら芝居ができなくなるんです。自分がわからないと、見てるお客さんもわからないと思う。
山根 心の動きが理解しかねる、っていうのはよくあるよな。旅芝居のネタは、なんでこう不自然になってしまうのか、っていうのが多いから。その矛盾を、物語として折りたためないわけや。
里美 それと、「オレの話を聞いておくんなせえ」からがやたら長い、っていうのがイヤなんです。
山根 すごくわかる(笑)。
里美 これも、親父からの流れなんですよ。親父がそういうのがイヤな人だったんです。初代から受け継いだ芝居なんかで、よく親父から言われたのは、「芝居はな、引き算や。大衆演劇の芝居は特に引き算や」と。それはなぜかというと「悪いといってるわけじゃないが、いらん要素が多すぎる」と。
山根 (笑)
里美 オレの話を聞いておくんなせえ、から長話をするのは時間つなぎやと。だったら、オレの話を聞いておくんなせえ、で幕をスッと閉めて、その話の内容を演者がやったほうがお客さんはすっきり見られる。で、もう一回その幕に戻って、こういうわけでござんす、と言ったほうがいいっていうのが親父の考えやったんですよ。
山根 スマートやね。
里美 はい。スマートにやれよと。ただ、もうひとつ言われたのが、うちの父親もいろんなもの観て、ドラマとかも好きなんですけど、「リアルにやれるのはやればいい。でもリアルじゃないから面白い芝居もある」と。何がリアルで何がリアルでないか。そもそも話し方をリアルにしました、天を仰いで話をしてます、もうその瞬間にリアルじゃないわけです。どこの世界に月を見ながらひとりでブツブツ言うんかと。歌舞伎で、弁天小僧の「知らざあ言って聞かせやしょう」っていうあの決め台詞を、静かにつぶやいてもお客さんは喜ばんやろと。そういうことですよね。だから型は大事にしなさいよと、名のある演目をやるときは、ちゃんと知識を入れてからやりなさいよというのが、父親から教えられたことです。だからとにかく、いろんなものを観ようと。生の舞台も前は観に行けてたんですけど、ありがたいことに、劇場で公演させていただくことが多くなると、なかなか行けないので、DVDとかで観ることが多いですけどね。
山根 引き算して整理してみせないと、お客さんが置き去りになるでしょう、という話やな。
里美 それはうちのメンバーにも言ってるんですよね。僕の影響で、そういうものをやりたがるんですけど、そっくりそのままやっても、僕たちはあの人たちにはかなわんよと。絶対無理ですから。だったら自分の色に染めてやればいい。5月に京馬が誕生日公演でやった「女殺油地獄」にしても、結局は、油まみれで女を殺すだけじゃないですか。いや、極端にいえばですよ、じゃあそこに行き着くまでにどんな物語にするのか。
山根 そういう「里美版」の芝居に対して、関東と関西で反応が違わん? 劇団美山って、大阪より東京のがウケると思うんやわ。
里美 そうですか?
山根 それは何でかというと、関東のお客さんのほうが、芝居に喰いつかん?
里美 たしかに関東の反応、いいと思うんですよ。でも、僕の見解ですけど、関西の人は結構、芝居観てはりますよ。
山根 そうかな? そうやったら嬉しいんやけどな。
里美 どっちかっていうと、大阪で打つときは、外題でお客さんの入りが変わります。
山根 それは「里美版」やから?
里美 それはどうかわからないですけど、送り出しのあるころに、お客さんに、「大衆演劇ならではのお芝居でも、ここで観ると違うから面白い」と言われるのが、僕は嬉しかったです。
(2021年6月11日 梅田呉服座にて)
文・構成 佐野由佳